第8話(表):駄目だって、年寄りにはPS4とWiiUの違いなんて分かるわけないし、ゲームは一律『ファミコン』なんだから!

 

 順調にいけば、年明けには神社が新しくなる。


 そう盗み聞いていた通り、鬼姫の神社がかつての……よりも豪華絢爛になったのは、年が明けて半月が過ぎた頃。そして、機材道具一式が神社から下ろされ、勧請の儀式が執り行われ、本当の意味での『完成』を果たしたのは、二月に入ってすぐのことであった。


 不思議なことに、勧請されても鬼姫が、鬼姫の神社に引っ張られることはなかった。そして、これまた不思議なことに、お由宇の神社から鬼姫の神社へと移す為の儀式は……異様とも言っていいぐらいに、ひっそりと執り行われた。


 というか、もはやそれは『ひっそり』の範疇に収めて良いものなのだろうか。なにせ、その儀式が勧請というにはあまりにお粗末というか、何というか……移す気が全くないのではないかと言わんばかりの、形だけの代物だったのだ。


 なにせ、表向きは鬼姫の御神体ということになった『鬼姫の鏡』が元の神社に移されることもなく、お由宇の神社にそのまま放置されているのだ。もう、それだけでも不思議を通り越して異常だと言われそうな話だろう。


 実際、様子を見ていたお由宇の方が、『なんと無礼な!』と腹を立てたぐらいで、『まあ、『刀』さえ無事なら、どうなろうと大した問題ではないのじゃ』と、言った具合で気にしていない鬼姫の方が変なのだ……が。


 そんな感じで寛大な心を見せていた鬼姫であったが、実際のところはそんな殊勝な気持ちなど微塵もなかった……と、言うよりも。鬼姫の頭に殊勝という言葉があるわけがなく、頭にあったのは『神社が新しくなる』という欲望だけであった辺り、まあ……お相子である。


 そんなわけで、例年から見ても凄まじいものであった寒波も通り過ぎ、その反動だと言わんばかりに気温が跳ね上がった、1月半ば。寒いのは変わらないが、降り積もった雪が解け始めて見え始めて地面の数に比例するかのように、鬼姫の機嫌は良くなっていった。


 本当に、新しく完成した神社を前に、鬼姫の機嫌は常時上がりっぱなしであった。お由宇から『締まりんせんお顔だこと』とたしなめられるぐらいであったが……とにかく、鬼姫の機嫌は良かった。


 まあ、無理もない。いくら幽霊であるとはいえ、住むのなら綺麗に越したことはないのは生者と同じ。しかもそれが、長年住み続けたボロ屋となれば、だ。何もかもが真新しくなった神社の姿に、気持ちが昂るのはある意味当然のことであった。


 と、いうか、それまでが酷すぎたのだ。障子は破れて風化し、腐食した柱は異臭を放ち、板には大小様々な穴が開き、社や境内や鳥居には塵やら何やらが積もり積もっている中。むしろ、口や心にこそ出なかったものの、何百年と小汚くも古臭い中で過ごした上でのこの度なのだから、嬉しく思わないわけがなかった。


 ……ただ、そのかわり。


 新装開店(という言い方も何だが)してからは、以前と比べて参拝客が目に見えて激減した。加えて、以前のように出店が用意されるようなこともなくなり、新しくなったというのに、客足が減るという現象が鬼姫の神社に訪れていた。


 ――いちおう、御供えだけは以前と変わらず置かれているが、それにしてもいったい、何故だろうか。


 これに関しては、鬼姫も首を傾げるばかりであった……が、それは致し方ないことである。鬼姫からすれば理解し難い話なのだろうが、古臭いからこそ、鬼姫の神社には人が集まっていたのだ。古臭いからこそ、注目されていたのだ。


 しかし、その古臭さがなくなればもはやそれは……辺鄙な場所にある、どこにでもありそうな神社の一つでしかなくなる。いくらテレビで紹介されたことで人々の興味を引いたとはいえ、だ。


 まさか参拝客が離れる理由がそんなものであるとは、さすがの鬼姫は夢にも思わなかったことだろう。(お由宇は薄々察していたが、あえて言おうとはしなかった)しかし、皮肉な話だが、それが事実であった。


 そう、オンボロなのが、売りだったのだ。


 手入れがされて少しばかり綺麗にされていたとはいえ、ボロ神社はボロ神社。その物珍しさがなくなれば、引き留めておく何かがこの神社にはない。


 只でさえ人気は一過性のものでしかなく、移ろいやすいブームの中。半年ぐらいとはいえ、工事という形で水を差せば、人々の興味も別の場所へ移る。


 訪れていた9割以上の参拝客が、元々信心深いわけでもなかったのだから、客足が遠ざかるのは当然の話であった。


 おまけに、だ。『売り所』の一つでもある神社の始まりが、主である鬼姫の一方的な都合という身も蓋もないもの。歴史がなければ著名なところと縁もない。むしろ、あの時が異常であって、これこそが本来の……というだけのことであった。


 ……しかし、だ。


 けれども、だからといって、だ。ただ、手をこまねいている鬼姫ではない。ピンチはチャンスという言葉は誰の言葉だったかは思い出せないが、鬼姫は愚図でもないし愚鈍でもなかった。


 この千載一遇の転機を逃がすつもりは毛頭ない。今こそ千年の時を経て熟練された知恵と経験を振り絞り、いざ、時の帝すら恐れた鬼姫の名前を世に知らしめよう。この、新しくなった神社にて、計画を練り上げよう――。


「のう、お由宇よ。お主にはコレが何か分かるか? おそらく、あの若造共がばら撒いた物ではないかと思うのじゃが」

『……ああ、それでありんすか。それは『うぇぶまねい』とかいうやつでありんすよ』


 ――などと、あの鬼姫が考えているはずはなかった。


 これを見てくれと『名雪の身体に憑りついた鬼姫』が取り出したのは、デザインマークが印字された山吹色の紙切れ。それは、お由宇も話した通り、所謂ウェブマネーと呼ばれる類の代物であった。


 大きさにして、定期券ぐらいだろうか。『10000Yen』と印字されたその紙切れをぺらぺらと振った鬼姫は、ほう、と首を傾げた。




 ……。


 ……。


 …………時は、3月半ば。天気は、澄み渡った夜空。雪もすっかり町中かから消えた。神社が新しくなったことで、すっかりさっぱり客足がまばらになって何時ものように暇になった鬼姫。自然と、鬼姫が自分の神社に帰る回数は減っていた。(まあ、いちおうは山々の様子を見に行くのだが……)


 神様としてどうなんだと言われそうだが、まあ、鬼姫は『神』ではない。『神』の恰好をした真っ赤な偽物である。今更、体裁を取り繕う必要はない。


 良くないやつが溜まりやすい山々の状態さえ安定していれば、鬼姫もそこまで神社に戻ることは固執しない。その上、お由宇の神社の方がずっと居心地が良かったから、基本的にここ最近の鬼姫は自らの神社から離れっぱなしであった。


 こいつ、以前もそれで御札を張られただろう……学習しないやつだな。


 そう言われれば……ぐうの音も出ないが、まあ、今はよい。その鬼姫が、どのようにしてソレを手に入れたのか……それは、時間にして十数分程前にさかのぼる。


 いつものようにお由宇の神社にやってきて、いつものようにだらだらと過ごして、気付けばすっかり日が落ちて。さて、酔いも回ったし寝ようかな……そう思った途端、ガヤガヤと神社の前を通り過ぎていく若者の集団の姿があった。


 別段、それ自体は鬼姫もお由宇も特別気にしなかった。いくら普段は静かな住宅街とはいえ、静かであることが絶対というわけではない。酒に酔って騒ぐ声も聞こえるし、喧しいバイクの騒音も時折聞こえる。むしろ、それらの騒音は鬼姫とお由宇にとってはある意味、風鈴の音色と似たような捉え方であった。


 いつもなら、それらの騒音の感想を幾つか言い合ったぐらいで終わらせるところである。しかし、その時は何時もと少し様子が違っていた。神社を一瞥して離れていくのはいつも通りなのだが、その若者たちの話し声が……何というか、いつもよりも騒々しかった。


 言うなれば、怒っている……というのだろうか。特に盗み聞きするつもりはなかったから詳細は聞き取れなかったが、だからこそ鬼姫の注意を引いた。『どうせゴミですよ』呆れたように身体を起こしたお由宇を他所に、社奥にて保管してある『名雪の亡骸』に乗り移ったのは、若者たちの声が聞こえなくなってすぐのこと。


 ……何で名雪の亡骸がまだここにあるんだ。


 仮に名雪の事柄を知る者が見れば、そう言って気になる者もいるだろう。答えは、単純。亡骸を埋葬する場所(あるいは、火葬する場所)がまだ決まっていない。そして、思いのほか生身の身体が惜しくて、埋葬するタイミングを逃してしまった……ただそれだけのことである。


 いずれは埋葬してやろうという気持ちは変わっていない。ただ、それがいったい何時になるのかという話なわけで、持ち主も好きに使って良いと言っていたわけだし……さて、話を戻そう。


 コレと決めた時の鬼姫の行動力は、本当に素早かった。物音を立てないようにふわりふわりと御扉をすり抜け、辺りの気配を探り、目も耳も無いことを確認してから、若者たちが騒いでいた道をするすると回る。


 時間にして、2~3分も掛かっていなかっただろう。やれやれと居住まいを正して待っていたお由宇の元に、不思議そうに首を傾げながら戻って来た鬼姫が、これは何だと見せたのが……これまでの経緯であり、件の紙切れであった。


「『うぇぶまねい』……とな?」


 お由宇が住まう社の中は、相も変わらず暗くて静かである。締め切った御扉の中は、もはや暗黒空間と言っても差し支えないぐらいに真っ暗だ。


 その暗闇の中で胡坐を掻いている鬼姫(in名雪)は、これまた暗黒へと向かってヒラヒラと紙切れを見せる。その光景は外部からすれば、こいつ頭おかしいと断言されそうなものだが……あいにく、社の中にいるのは鬼姫だけ。そして、常人には見ることも触れることも叶わない、この神社の主であり『神』でもあるお由宇だけ。


 つまり、この場の、この空間の異常さを訴え出る者なんぞどこにもいない。この状況に疑問を抱く者など存在せず、一見すれば(まあ、真っ暗闇で確認することすら困難だが)日常の出来事のように、鬼姫とお由宇は会話を続けていた。


『はい、『うぇぶまねい』、でありんすぇ。わちきもくどうは知りんせんえ、お金みたいなものでありんすよ』

「ほう、これが金か……今の金子(きんす)は、何とも鮮やかな模様が施されておるのじゃな」


 興味深そうに『紙切れ』を見やりながら、鬼姫は感心したように目を瞬かせる。たかが『紙切れ』に鬼姫がそうまで感心するのも、鬼姫の事情を顧みれば仕方がないことであった。


 鬼姫の神社に人々が訪れていたのは、今から数十年以上前のことだ。最近になって参拝客が激増したり激減したりと忙しないものの、それでも定期的に人々が神を敬う気持ちを込めて訪れていたのは、それこそ戦後間もなくぐらいまでである。


 つまりは、鬼姫が記憶している『通貨』は現在の銅や亜鉛、錫(すず)やニッケルを混ぜ合わせた硬貨ではない。物資が不足する前に見ることが出来たアルミ貨や、錫貨幣。あるいは、今よりもずっと粗末な材質を用いて作られた紙幣。それが、『鬼姫が知っている通貨』なのである。(女に転生する前は現在と同じ貨幣に囲まれていたが、記憶の彼方に抹消されている)


 当然、鬼姫とて記憶している『通貨』が、何時までも流通しているとは思っていない。しかし、一度頭に沁みついてしまった通貨のイメージは、そう簡単には消えてくれない。特に、神社そのものが町から離れた場所にあったこともあって、人々との交流が立たれたからこそ余計に、だ。


 おまけに……今の鬼姫は亡者だ。


 生前ならまだしも、今の鬼姫に『貨幣』なんぞ、ちり紙以下の価値しかない。ぶっちゃけ、最近になってやって来ていた参拝客の何人かが賽銭箱(の、成れの果て)に放り入れてくれてはいたが……鬼姫は全くと言っていい程『現代の通貨』を記憶していなかった。


「と、いうことは、これらも金子なのかのう?」


 そんなわけだから、鬼姫の知識の大半は、その時代で止まっている。で、あるからして、鬼姫がウェブマネーを知らないのも、それを通貨と勘違いするのも、仕方がないことであった。けして、鬼姫が馬鹿だからというわけではない。


『ええ、それらは、しとつして残さず『うぇぶまねい』でんす……って、おやまあ、残さず拾って来んしたんすえ?』

「なんぞ綺麗な模様じゃったからのう。それにしてもお由宇、前から思っておったのじゃが、お主はワシよりもずっと物知りじゃな」

『まあ、神社から離れることは出来んせんが、耳を澄ませることは出来んすからぇ。さすがに生きてありんす者たちと同じとまではいきんせんけど』


 そう言われて、鬼姫は「なるほどのう」深々と頷く。その間にも、鬼姫はぺらぺらと拾って来た『紙切れ』を数え、似たような模様同士で纏めていく。


 そして、最後にとんとん、と角を揃えると……さて、と腰を上げた。それを見て、おや、とお由宇は首を傾げ……一纏めにしている『紙切れ』を見て、おやおや、と再度首を傾げた。


『どちらへ?』

「思いかげず金子が手に入ったからのう。それに、せっかくの生身じゃ。ちょっと、今の街並みを見物しに行こうと思うてな」

『まあ……ぬし様が外出なさろうとするなんて、いったいどうしたんでありんすかぇ?』


 本当に驚きました。そう言いたげに口元を袖口で隠しながら話すお由宇に、「いやなに、ただの気紛れじゃよ」鬼姫は苦笑しつつも、お由宇の言葉をあえて否定しなかった。


 実際、出不精なのは鬼姫自身、自覚している。一時期は神社を離れてぶらぶらしていたこともあったが、それも今は昔のこと。すっかり時代から取り残されてしまっている鬼姫は元来、調子に乗りやすいが活動的な性格をしていないのだ。だから、お由宇が驚くのも無理はないなあ、と、むしろ内心では頷いたぐらいであった。


 しかし、考えてみれば……町に出るなんて、何十年ぶりだろう。いや、それこそ都……神社から一番近い場所にあった村とは別の、人々が行き交う都市部ともなれば、何百年ぶりになるだろうか。


 戦時中、神社の頭上を通り過ぎていく飛行機にビビったのが、おそらく『最先端の科学』に触れた最後の機会だろうか。少なくとも名雪の件を除けば、まともに町へと降りたのが、どれぐらい前になるかがすぐに思い出せないぐらい前なのは、確かであった。


「たしか、今は夜でも店をやっているのが普通なのじゃろ?」

『ええ、まあ、そうでありんすが……まこと、行くんでありすか?』

「何じゃ、そんなに心配か?」


 不安気に視線をさ迷わせるお由宇に、鬼姫はにんまりと笑みを向ける。鬼姫からすれば、それはからかいのつもり……だったのだが。


『あい、はっきり申し上げさせて貰うならば、心配でありす』


 こうも真正面から、それも、まるで初めてお使いに出した幼子を見守る母親の如し視線を向けられれば……さしものの鬼姫も、かくん、と肩の力が抜けた。怒る気にはならなかったが、何というか……体の力が抜けた。


「そ、そんなに心配かのう、ワシ?」

『あい、心配でありす。だって、ぬし様、土地勘が無いのもそうでありんすが、ぬし様……わちきの思いんすに看板だってまともに読めないと思いんすよ』

『な、何じゃと?』

『それに、わちき以上に『常識』といわすやつがありんせんから』

「ば、馬鹿にするでないわ!」


 あまりと言えばあまりな言い様に、さしものの鬼姫もむかっと腹を立てる。親しき仲にも礼儀ありと言うが、それは鬼姫とお由宇の間でも例外ではない。いや、むしろ感覚的には『昔の人』に分類される鬼姫にとっては……侮辱以外の何物でもなかった。


「疎いのは自覚しておるが、じゃからといって常識外れになった覚えなどないのじゃ!」

『ほんにかえ?』

「もちろんじゃ!」

『ほんにかえ?』

「もちろんじゃ!」

『ほんに、ほんにかえ?』

「も、もちろんじゃ!」

『ほんに、ほんにのほんに……信用して、いいのでありすね?』

「……も、もちろんじゃよ」

『ほれ、見なんし。心の奥底でぬし様も自覚していんすから、そうやって言葉尻が逃げ出すんでありす』


 けれども、怒りもそこまでであった。ぐぬぬ……鬼姫は言葉こそ出さなかったが、言い返せないことに内心、歯軋りしていた。言い訳など、全く思いつかなかった。


 事実、『力』という点では鬼姫が圧倒していたとしても、現代の知識はお由宇の方が上である。そのお由宇が、心配だとはっきり述べるぐらいなのだから、本当に鬼姫の『常識』はヤバいのだろう。


 いや、というか実際、鬼姫の『常識』レベルはヤバい。なにせ鬼姫の常識は数十年前でピタリと止まっている。『車』に対する認識すらその当時に止まっていて、現在の車を見てもそれが『車』であるということが分からなかったぐらいである。


 それで少しでも外に出ていれば話は別なのだろうが、あいにく鬼姫が神社から自由に出られるようになったのはごく最近のこと。おまけに、元々引きこもっているばかりだったから……新たな知識が入ることが全くなかった。例えるなら、数十年前からいきなりタイムスリップしてきた人と同じ程度である。


 それが分かっていたからこそ、お由宇は心配しているのだ。そして、鬼姫も薄らと己が世間知らずであることは自覚していた。昔ならいざ知らず、今の自分は常識知らず以外の何者でもない、と。


 しかし、だからといって、だ。はいそうですねと踵を翻すのは……些か矜持が揺さぶられる。なまじ出かけると宣言した後だから余計に、である。


「……何か、欲しい土産はあるかのう?」


 けれども、その発言は。


『……そう、でありんすね』


 話を逸らした時点で、暗に認めているも同じでは……お由宇は、あえてそれにまで突っ込もうとは思わなかった。伊達に、鬼姫と気の置けない間柄ではない。彼女なりに、引き際はここ得ていた。


『では、お土産に『ぽけぇもん』を買ってきてくんなまし』

「『ぽけぇもん』? 何じゃそれは、菓子か?」


 聞き慣れない単語に、鬼姫は首を傾げた。名前の響きからお菓子か何かだと踏んだ鬼姫だが、『いえいえ、食べ物ではございんせんよ』お由宇はそう言って首を横に振った。


『わちきもくどうは知りんせん。時折こなたの傍を通って行く童たちが話していたんでありすが、どうやら今の童たちは『ぽけぇもん』なる玩具で遊ぶようでして』

「ほう、玩具か……して、その姿かたちは?」

『大きさは、ちょうどぬし様が持っている『うぇぶまねい』を3枚ほど並べたぐらいでありんしょう。そいでまあ形でありんすが……こう、なんといわすか……ぴこぴこ、していんした』

「ぴこぴこ?」

『あい、ぴこぴこ、でありすぇ。ぺかぺかと光っていて、それを童たちはぴこぴこしておりんした』


 ふむ……なるほど。『ぽけぇもん』の名を幾度か呟きながら、鬼姫は顎に手を当てて思考を巡らせる。


 その姿かたちが全く想像出来ないが……それよりも鬼姫は、お由宇の意外な一面に内心笑みを浮かべる。意外と言えば意外だが、まあ、お由宇の気持ちが分からないわけでもなかった。


 考えてみれば、今は鬼姫の生前からおおよそ千年だ。『玩具』という単語を耳にするまで気にも留めていなかったが、千年も経てば……かなり様変わりしているだろうことは、想像するまでもない。


(……ワシも、『ぽけぇもん』とやらにちょっと興味が湧いてきたのじゃ)


 お由宇が使い終わった後、貸して貰おう。密かにそう計画を立てた「それでは、行くとするかのう」鬼姫は、早速外へ出ようと……した。が、そこで、鬼姫はまたもや足を止めた。


 別に、気が変わったわけではない。ただ、鬼姫には土地勘がない。以前、『名雪』の両親に復讐を果たした時、その名雪から家の場所を教えてもらっていたから鬼姫はそちらへ行けたが、今回は漠然としたもの。少なくとも、あの時のようにスムーズな行動は無理だろう。


「買って来てやりたいのは山々じゃが、その『ぽけぇもん』か……それだけで探すのに手間が掛かるのじゃ。もそっと、手掛かりは無いかのう?」


 せめて、目印……いや、その『ぽけぇもん』というやつが、どういう店に売られているものなのか。それだけでも知っておきたかった……のだが。


『わちきも『ぽけぇもん』がいったい何なのかまでは……童たち一人一人が持っていんしたから、多分、一人に一個の玩具なのは分かんでありすが』


 申し訳なさそうに首を傾げるお由宇の口からは、有益な情報は得られなかった。まあ、詳しくは知らないと予防線を張っているぐらいだから、それも致し方ないことである。


 ……まあ、適当にぶらぶら歩いていればその内見つかるじゃろう。


 結局はそう結論付けた鬼姫は、「吉報を待っておれ」未だに思い出そうと考え込んでいるお由宇によく分からないフォローをすると、たったかたったか社の御扉をすり抜け、鳥居を通り……静まり返った住宅街へと、繰り出したのであった。


『わちきの事は気にせず、ぶらりと楽しんでくんなまし。土産など、ものの次いでなんだえら』


 お由宇のその言葉を、背中に感じながら。





 ……。


 ……。


 …………そして、まあ。案の定というか、やはりと言うべきか。


「玩具屋の看板が、見当たらぬ。どういうことじゃ、まさか玩具屋がないわけではあるまい……何故じゃ?」


 お由宇が危惧していた通り、鬼姫はものの見事に……目的地が分からずに困り果てることとなっていた。


 無理もないことである。なにせ、鬼姫が記憶している街並みというのは、まだまだ木造住宅が一般的であった時代のこと。おまけに、鬼姫が住んでいた場所は、お世辞にも都会とは言い難く……はっきり言えば、田舎も田舎。


 蛍光灯なんてものは周りに存在せず、ランプなどという上等な代物など、数えるぐらいしか見たことがない。辛うじて……本当に辛うじて、山の麓を通る『車』や、休憩している商人たちの荷物から『ラジオ』なんかを見たぐらい。


 そんなわけだから、人々とのまともな交流が全くなかった鬼姫が、コンクリートジャングルと揶揄されることもある現代の街並み、地理に適応出来るわけもなく。かつては帝すら恐れさせた鬼姫も、今は途方に暮れるしかない田舎者でしかなかった。


 現在、鬼姫が居る場所は、繁華街から少し離れた場所に位置する雑居ビルの屋上。当然、姿を消しているだけでなく、『力』も極限まで抑えている。そのことに、特別深い意味はない。ただ、下手に見咎められて面倒事を避けようと思った結果、そうなっただけであった。


 ……いや、別に鬼姫は姿を変えられるし、以前にもそうなったように大人の姿になればいいだけではないか。と、鬼姫の行動を見ている者がいたら、思うかもしれない……いや、思うだろう。


 だが、それは難しいことなのだ。何故ならば、大人状態……つまり、『本気状態の鬼姫』は……言うなれば、歩く災害なのである。


 ただ、そこに居るだけ。ただ、無意識に垂れ流される『力』だけで、危険なのだ。ほんの少しでも『力』を感じ取れる者が鬼姫から放たれる『力』の余波に触れたが最後……まず、無事ではすまない。鬼姫の神社がある山の中ならまだしも、こんな街中で本気状態のまま出歩けば……その被害は、それこそ100や200の命では収まらない大惨事となっていることだろう。


 その危険性が分かっているからこそ、鬼姫は子供の姿のまま来たのだ。まあ、『手段がないわけではない』が……隠れて移動するのも、鬼姫は自らの見た目を自覚しているからだ。いくら鬼姫の中身が1000歳を超えているとはいえ、その見た目はせいぜい高く見積もって……中学入りたての少女だろうか。


 いくら鬼姫が常識からズレているとしても、だ。『夜間に子供が出歩くのは厳禁』という程度の常識は今も昔も変わらず、そしてそれを鬼姫もしっかり持ち合わせていた。


 ……だが、しかし。


「弱ったのう。『ぽけぇもん』が買えないばかりかソレが何なのかすらも分からず、このまま右も左も分からないまま逃げ帰っては、お由宇に笑われてしまうのじゃ」


 今回ばかりは、それが悪い方向へと動いてしまった。


 今の時刻は、21時過ぎ。どう甘く見ても子供が出歩いても良い時間ではない。いや、21時ぐらいなら出歩く子供はいるぞと思われるかもしれないが、鬼姫の『常識』では、21時というのはもう、『子供は寝る時間』なのである。


 鬼姫が姿を隠して移動しているのも、常人には見えないように気を使っているのも、そんな時間であると思っているからこそ、である。しかし、いくら鬼姫がそう思っていたところで、だ。


 実際に町を歩いてみれば、子供の一人や二人は見付けられる。昔と違い、今は多少なりとも出歩けるようになっていると分かりそうなのだが……それも、やはりというべきなのだろう。昔とは違う現代人の出で立ちやら風貌が、鬼姫に誤解させていた。


 と、いうのも、だ。鬼姫が記憶している子供たちは、何というか……子供こどもしていた。少なくとも、一目でガキだということが分かる雰囲気を発していて、恰好も年相応なものであった。


 だが、それが今はどうだろう。確かに子供っぽい人影がチラホラと見受けられるが、その誰もが鬼姫の記憶にある『子供のイメージ』よりも背が高く、あるいは大人びた雰囲気を出している。恰好だって、鬼姫の記憶にあるそれとは全く違って、実に子供らしくない。そのうえ、夜だというのに夜を怖がる素振りを見せないばかりか、むしろ夜だからこそと言わんばかりに騒いでいる子さえ見受けられる。


 そんなのばかりなのだから、勘違いするのも仕方がない。鬼姫がそんな彼ら彼女らを見て、この場には大人しかいない、あるいは大人の仲間入りを果たしたばかりの若造しかいない、と誤解するのも、ある意味では致し方ないことであった。


「しかし、夜だと言うのにペカペカとやたら眩しいのう。この中から『ぽけぇもん』を探すのは大変じゃが、さて、どうしたものか……」


 眼下の光景を見やりながら、鬼姫はキョロキョロと手掛かりを探す。その顔には苛立ちこそなかったものの、困惑の色が多分に浮かんでいた。


「しばらく見ない内に、異国の言葉が随分と……茶色い髪のやつもそうじゃが、まさかこうまで世が変わっているとは思わなんだのじゃ」


 鬼姫の言う外国の言葉とはつまり、和製英語やカタカナ表記された英語のこと。英語なんぞ記憶の片隅にすら残っていない鬼姫の頭では、日本語以外は全て異国語であり、未知の言語なのである。


 そんなものだから、英語(カタカナ)で書かれた看板は全く読み取れない。辛うじてカタカナが読み取れても、それがいったい何を表し、どんな店なのかが全く分からないのだから、読めないも同然である。


 よくもまあそれで、何とかなるだろうと思えたものだ。


 まあ、金子が手に入ってそのまま機嫌よく調子に乗ったからなのだけれども……鬼姫は、迷うべくして迷った。結果だけを見れば、今の鬼姫はそうでしかない状況であった。


「……こうなったら、適当なやつを見付けて教えてもらうとするかのう。町の中じゃし、探せば自我を残しているやつの一人や二人は見つかるじゃろう」


 と、いうわけで、鬼姫は最後の手段に打って出ることにした。まあ、最後と言っても『他者に道を尋ねる』というだけのことなのだが……実はこれ、鬼姫の言う『適当なやつ』というのは、ただの通行人のことではない。


 はっきり言えば、死者の……死して成仏出来ずにさ迷っている幽霊に聞くというものなのだ。


 ……いや、それなら生者に聞けば良いだろうと思われる方がいるかもしれないが、先述の通り、鬼姫の外見は子供だ。下手に見咎められようものなら、面倒事は必至。万が一にも捕まるようなヘマはしないが、お由宇に迷惑が掛かるかもしれない可能性を考えたら……必然と、鬼姫の選択肢は『死者』に限られるのであった。


 何とも斜め上な判断だが、鬼姫自身はこれ以上ないぐらいに真剣である。キョロキョロと、先ほどよりも真剣な生ざしのそこには一部のおふざけもない、十割混じり気なしの大マジしかなかった……が。


「う~ん、しかし、そう簡単に見つからないものじゃのう。これだけ人が多いのじゃから、『話せるやつ』の一人や二人はいそうなものじゃが……」


 そう易々と目的が果たせられるはずもなかった。


 と、いうのも、だ。基本的に『力を持つ幽霊』は、『人々の手が入っていない、霊的な磁場』に集まりやすい。これは様々な要因が重なった結果そうなるのだが、とにかく、そういう場所に集まってくる。


 裏を返せば、人々の手が入って、霊的な力が溜まり難く流れやすい場所。つまり、人々が暮らす町中には、そういった『力』を持つ幽霊は寄って来ない。もちろん例外はあるが……基本的にはそうなっているのだ。


 そして、鬼姫が探しているのは後者の方、『力』を持つ幽霊である。


 何故かと言えば、放っておいても成仏する幽霊は大体の場合、思考力が失われていることが多い。これは、既に『魂』の幾らかが黄泉の国へと渡ってしまっているからで、本来は喜ばしいことである。だがしかし、今回の件に限れば駄目であって、不適応なのであった。


 ――むう、見つからんのう。


 一向に見つかる気配がないのを察した鬼姫は、そう言ってため息を零してビルから別のビルへと飛び移る。生者ならまず重傷を負う高さであっても、鬼姫にとっては大したことではない。


 このままココで探していても埒が明かない。面倒だが、人々の往来の少ない場所に行けば、多少なりとも話が出来るやつが居るだろう。そう結論を出した鬼姫は、たったかたったか市街地の中心から離れ始める。


 その速度は、もはや幽霊であっても異常な速さである。下手すれば車よりも早いのではないかと思えるほどの速度で移動する鬼姫の身体は、次の瞬間には……中心地から離れた郊外の、大型ホテルやら何やらが見受けられる場所を歩いていた。


 その気になればこのままもっと行けるが、あまり離れるわけにもいかない。離れすぎると今度は、『面倒な奴』にジョブチェンジしたやつらばかりになってしまう。まあ、そういうやつらが束になって掛かって来ても鬼姫にとっては物の数ではないが、それでは本末転倒というやつだろう。


 出来ることなら、その中間。中心から少しばかり離れ、住宅街からも少しばかり距離がある場所。そう、例えば、大型ホテルや大型施設といった、少しばかり離れた場所に居る幽霊とかなら、土地勘もあって会話も――。


 アハハハハハハハハハハ!! アハハハハハハハハ!!


 ――出来そうなのがいるだろう。そう、鬼姫がつらつらと考えた途端、思考の穴を貫くようにして響いた子供特有の甲高い笑い声に、ビクッと鬼姫は肩を震わせた。あまりに突然なものだから、身構えることすら出来ず……少しばかり、鬼姫は苛立ちを覚えた。


「ワシがこうして頭を悩ませている時に、何ともまあ気楽に笑いおって……!」


 何を隠そう、鬼姫は我慢強くないだけでなく、けっこう嫉妬深い。転生する前も、女として生まれた生前も、まともな青春を送れないまま没したからだろう。


 特に、楽しそうに笑い合う集団や、仲睦まじく肩を寄せ合う男女に対してはよりいっそう、そういう思いが強くなる。仮に目の前でその光景を見ようものなら、嫉妬と羨望に地団太を踏むぐらいに怒り狂うだろう……というか、鬼姫は怒った。


 幾らなんでも怒りに変わるのが早すぎである。ふんす、怒りを露わに鬼姫は鼻を鳴らす。これでもし恋する男女なら、一晩下痢が止まらない呪いを掛けてやろう。そんな思い満々で、鬼姫は声がした方へと振り返り……んん、と目を瞬かせた。


 そこに居たのは、予測していた通りの少年たちであった。


 だが、様子がおかしい。笑っているのはその少年たちの内の一人だが……それ以外の全員が顔を引き攣らせていた。誰も彼もが嗚咽を零しながら、笑い続ける少年を必死になって引っ張っている……何とも、異様な光景であった。


 おそらく、少年たちを見た者の9割はその異様さに目を見開き、怖気づくだろう。あるいは、驚いて警察を呼ぶかもしれないが……とにかく、異常な事態に陥っていると判断するのは確実な光景であった。


 わあわあ、ぎゃあぎゃあ、あははははは。泣き叫ぶ少年たちが、笑い続ける少年を半ば引きずるようにして、鬼姫の傍を通り過ぎて行く。その方向から考えれば……行き先はホテル。


 ……おそらく、とにかく人の居る場所へと助けを求めて向かっているのだろう。


 『ホテル』そのものは分かっていないが、でかい建物であることだけは理解している鬼姫は、一つ、ため息を吐いた。次いで、やれやれと言わんばかりの胡乱げな表情のままに笑い続ける少年の背中に駆け寄ると……ぱん、とその背中を叩いた。


 アハハハハハハハ、ハハハハハ、ははは、はは、はは……はれ?


 すると、笑い続けていた少年が、笑う事を止めた。そればかりか正気に返ったのか、己の身に何が起こったのか分からないと言いたげに辺りを見回して――。


「……さて、と」


 ――おそらくは友達であろう少年たちから揉みくちゃにされているのを他所に、鬼姫の視線は少年の後方。距離にして数十メートル先にある、暗がりの向こうに見える……廃屋らしき二階建ての一軒家へと向けられていた。


 一見するばかりでは、人手に渡ることなく長らく放置されているだけの建物である。かなり、広い敷地を持つ建物だ。一階も二階も窓はしっかりと閉じられ、玄関へと続く正門には、雑草がこれでもかと生い茂っている。まあ、何というか……不気味という言葉が当てはまる雰囲気を醸し出す一軒家であった。


 けれども、鬼姫はそんな雰囲気など気にも留めずに家へと歩み寄る。季節が季節なのを差し引いても、不思議なぐらいにその家は静かであった。そして、正門へと到着した鬼姫は、するりと門をすり抜けて玄関へたどり着くと。


「――開けろ」


 玄関の扉に向かって開口一番、その言葉を叩きつけた。けれども、扉は開かれなかった。外観から想像出来る通り、中は無人である。なので、開かないのは当然と言えば当然な話……なのだが。


「……聞こえんかったかのう」


 不思議なことに。米神に血管を浮き立たせた鬼姫が。


「ワシが大人しくしておる内に、開けろ」


 ほんの、ちょっと。全力の1%以下の『力』を、ふわりと立ち昇らせる。


「それとも、このちんけな結界ごと消し飛ばされたいか?」


 鬼姫がしたのは、たったそれだけのこと。けれども、たったそれだけのことなのに。


 かちり、と。玄関の鍵が開かれた。


 それを聞いた鬼姫は、ふん、と荒く鼻息を吹くと、またもやスルリと玄関をすり抜けて中へと入る。そして、二階へと続く階段の半ばにて静かに見下ろしている『人形』を見上げると、もう一度、ふん、と荒く鼻息を吹いて。


「降りて来い」


 そう、命令した。


 ……。


 ……。


 …………沈黙が、一人と一体の間を流れた。『人形』は、ピクリともしなかった。ただ、目玉のない空虚な眼孔を鬼姫に向けて、「ホホホ……ホホホ……」薄気味悪い笑い声をあげるばかりで、下りる気配は微塵も感じられなかった。


 いや、それどころか、だ。


 ホホホと笑い続ける『人形』は、鬼姫に対して率直に見下している……そんな気配すら滲ませていていた。角度によっては、嘲笑っているようにすら見えただろう。


 まあ、『人形』からすれば、鬼姫は『突如押し入ってきた闖入者』でしかないから、その反応もある意味当然である。鬼姫から感じ取った『力』に驚いて思わず結界を開いたが、所詮はその程度でしかない。むしろ、この場においては鬼姫の方が狼藉者なのである。


「ホホホ……ホホホ……っ!」


 そして、狼藉者である鬼姫に対して『人形』が取った行動は……『攻撃』である。にゅい、と不自然なまでに首を伸ばした『人形』は、空虚な眼孔をさらにまん丸に見開くと、鬼姫へと向けて……『力』を飛ばしたのであった。


 それは、先ほど少年たちを恐怖のどん底に陥れた、ある種の呪いであった。まともにそれを受ければ涙を流しながら笑い続け、最後には正気を失って自殺を図る。そうしてから、肉体から離れた『魂』を引き寄せ食らう。


 言うなればそれは、『人形』が『人形』として誕生した時から習得している『狩りのやり方』であった。そして、その『狩り』は今まで幾度となく成功を繰り返し、此度も今までと同様の結果をもたらす――。


「何じゃ、いきなり目を見開いて……痒いのか?」

「ホホホ、ホホ、ホッ!?」


 ――はずだった。そう、『人形』は確信していた。けれども、確信は現実へと至らず、『人形』にとっては信じられないことが眼前に起こった。だから、眼前の光景を何かの間違いだと思った『人形』は、再び鬼姫へと『力』を放った……のだが。


「ホホホ……ホホホ……」

「…………」

「ホホホ……ホホホ……っ!」

「…………?」

「ホホホ……っ! ホホホ……っ!」

「……ふざけておるのか?」

「ホホホ、ホッ!?」


 結果は、悲しいまでに変わらなかった。そしてそれは、『呪いが全く通じていない』という現実を明確にした。すなわち、『人形』が放った『力』が、鬼姫に対して全くの無意味。ノーダメージどころか、『呪い』を受けたことすら気づいてもらえないという……『人形』からすれば、悪夢としか言いようがない光景であった。


 ……『人形』は気付いていなかったが、実はこの時、『力』は、『呪い』は、確かに鬼姫へと届いていた。それは、『人形』も確認していて、だからこそ『人形』は混乱した。


 そこに、落とし穴があった。実はそれ、届いただけなのである。その身体を蝕まんと鎌首を持ち上げた『呪い』に、鬼姫が意識を向ける、ただそれだけで……『呪い』が霧散してしまっていたのだ。


 原因は、単に力量の差であった。


 鬼姫と『人形』とでは、『力』の差があまりに有り過ぎたのだ。そして、そこから考えれば、だ。力量の差はおろか、届いているだけということすら気付いていない『人形』からすれば、鬼姫は単純に『呪いが通じない相手』と判断するのも、無理はない話であった。


「ホホホ……ホホホ……」

「――あ、おい」


 そんな状況を前にして、『人形』が取った行動は……逃避であった。がらりと独りでに開かれた窓から、ひらりと『人形』は飛び降りる。気づいた鬼姫が階段を駆け上がった時にはもう、ぴしゃりと窓は閉じられていた。


 当然、ただ閉じられているわけではない。先ほどの玄関と同じく、窓には既に結界が張られていた。いや、窓だけではない。おや、と鬼姫が気付いた時にはもう、結界はこの家全体へと広がり、『並の者』には入ることも出ることも出来ない状態になっていた。


「……ふむ」


 なっていたが、鬼姫は無造作に腕を振るう。ただ、それだけで、家そのものが悲鳴を上げたかのように軋み……ぱきん、と結界が弾け飛んだのであった。鬼姫の前ではただの結界なんぞ、濡れた薄紙も同じ、破れた障子でしかなかった。


 さて、あやつはどこぞへ行ったか。


 一つ鼻を鳴らした鬼姫は、ふわりと、窓をすり抜けて敷地内の庭先へと降り立つ。次いで、『人形』の足跡とも言うべき気配を探って……家の裏手へと回る。途中、蜘蛛の糸のように『力』が鬼姫へと降りかかったが……それら全てを、鬼姫は気にするそぶりもなく進んだ……と。


 ふと、鬼姫は足を止めた。


 別に、危険を感じたからではない。鬼姫の視線の先、明かり一つ無い暗がりの中に、ふわりと浮いている『人形』を見つけたから。そして、その『人形』の足元にひっそりと姿を見せている……『井戸』が、目に留まったからであった。


 『井戸』の大きさは、大したものではない。外から見る限りの穴の直径は、せいぜいが幼い子供が手を広げた程度。蓋がされているので中は確認出来ないが、その風貌からしてそれほど深くもないだろう。


 だが、しかし。鬼姫の興味を引き付けたのはそこではない。鬼姫の興味を引いたのは、その、蓋を閉じられた井戸の中に居るであろう、『何か』であった。


「ほう……淀んでおるのう」


 鬼姫は一目で、それが『ただの悪霊ではない』ことを見切っていた。まあ、『井戸』から立ち昇っている『力』が、おおよそこんな場所には似つかわしくない程に強大であったから、常人でも普通ではないということは分かるが……とにかく、鬼姫はその井戸を前に、「それで、何がしたいのじゃ?」一つ、ため息を吐いた。


「ワシが怖気づくとでも思ったのか? あいにく、相手が悪かったのう。その程度、千年前には掃いて捨てる程おったからのう……少々、見飽きておるわ」


 ふわりと、鬼姫の髪が舞い上がった。いや、髪だけではない。鬼姫の身体から立ち昇る『力』に押し流された巫女服の裾も、ふわりふわりと舞い踊る。それは、先ほど『人形』が見せた『力』とは格が違う。『大人と子供』の言葉を思い浮かべてしまう程の、膨大な『力』であった。


「ホホホ……ホホホ……」

「……ん?」

「ホホホ……ホホホ……」

「何が可笑しいのじゃ?」

「ホホホ……ホホホ……」

「おい、聞いておるのか?」


 けれども、不思議なことに。『人形』は鬼姫に対して怯える素振りはおろか、逃げようとすらしなかった。それどころか、先ほど相対した時と同じように、どこか嘲笑うかのように笑い始める始末であった。


 いったい、何を考えているのやら。所詮は人形だから、力の差が理解出来ないのだろうか……そう、鬼姫は首を傾げ――た、直後。その、瞬間であった。


 それまで大人しく『井戸』から立ち昇っているだけだった『力』が、目に見えて増大し始めたのは。


 おや、と鬼姫がそちらへ目を向ければ、それまで閉じていた『井戸の蓋』が、嫌な音を立てて開こうとしていた。


 おやおや、と目を瞬かせている鬼姫の視線を知ってか知らずか、ごとん、と重い音を立てて蓋が地面に落ちた。独りでに、蓋が落ちた。


 おやおやおや、と面倒事に首を突っ込んでしまったことを今更ながら気づいた鬼姫を他所に、ほう、と異臭が立ち昇った……『井戸』の縁に、黒い手が掛かった。


 おやおやおやおや、と鬼姫が思った、次の瞬間。にゅるりと『井戸』の中から姿を見せたのは、『黒い影』であった。人間の輪郭をそのまま黒く塗りつぶし、薄らと青色を混ぜ合わせたかのような、不思議な色合いの『黒い影』をしていた。


 それが、一つ、二つ、三つ……七つ、八つ、九つ。どんどん、どんどん増えていく。いったいどうやって入っていたのか、次から次へと『井戸』から這い出てきた『黒い影』が、鬼姫の前に立ち並ぶ。気づけば、その数は優に20を超えようとしていた。


 それは、目にしただけで影響を受けてしまうタイプの悪霊であった。並みの霊能力者では近づくことすら出来ず、祓うなど夢のまた夢。悪霊の中でも最も厄介な、命を無差別に貪り食らう悪霊の登場であった……のだが、しかし。


「何だか御大層な登場じゃのう」


 どれだけ派手な言葉が付こうとも、結局のところ鬼姫の前では雑魚がぞろぞろと増えただけ。所詮は、どんぐりの背比べでしかなかった。


「それなら、ワシもちょこっとだけ本気を見せてやるのじゃ」


 そう告げると同時に、鬼姫は手を合わせて……印を結んだ。


 瞬間――鬼姫の身体に起こった変化は、劇的であった。


 まず、背丈が一気に伸びた。次いで、その風貌は美少女から美女へと変わり、それに合わせて巫女服も大きくなり、鬼姫の頭部に生えていた角が、にょきにょきと太く大きくなった。


 変化は、まだ終わらない。巫女服の広い袖から新たににゅるりと飛び出したのは、左右二対の腕。元の腕と合わせて計6本。それらの腕に淡い光が灯ってぐにゃりと形を変え……その次にはもう、それぞれの手には神具と魔具が収まっていた。


 右側が握り締めるは、己を成仏させんが為に使わされた神から奪い取りし武器。右上腕が掴むは、神の力が宿る銅鏡。右中腕が掴むは、魔を貫き払う神の槍。右下腕が掴むは、冥府の瘴気をも防ぐ神の盾。


 左側が握り締めるは、己を取り込んで力を付けようとした魔より奪い取りし武器。左上腕が掴むは、魔の力が灯る燭台。左中腕が掴むは、神をも堕落させる魔の斧。左下腕が掴むは、聖域すら干渉する魔の盾。


 それらの中で、最初に動きを見せたのは神の盾と魔の盾であった。この二つは、霊気も邪気も押さえ込み、空間をも遮断する最強の盾。持ち主である鬼姫の意志に従って、この家を中心にして結界を瞬時に張り巡らせる……のを確認した鬼姫は、ほう、とため息を零した。


「はあ、やはりこの姿の開放感は言い表せられぬ。普段のアレも嫌ではないが、少々窮屈であるからな……しかし、この状態になっても『名雪』の身体は平気なのじゃな」


 本気状態になった鬼姫は、ごきり、ごきり、と首を鳴らす。少しばかり不安だったが、『器』が壊れる気配は全く感じられない。そのことに、鬼姫は安堵のため息を零すと、さて、と『黒い影』へと目を向け――。


「……ん?」


 ――あれ、と首を傾げた。


 と、言うのも、だ。今しがた、たった今までそこに居たはずの『黒い影』が、一つも居なくなっていたのだ。文字通り影も形も……いや、冗談ではない。本当に、こつ然と鬼姫の前から姿を消していたのである。しかも、よくよく見れば『人形』も同様に姿を消していた。


 はて……どこへ行ったのだろうか。


 本気状態の余波で消し飛んだ……いや、それは違う。それなら、薄らとではあるが手応えのようなものを鬼姫は感じる。今回は、そんなものは感じなかったし、そもそも本気状態にはなっているが、本気ではない。


 いちおう、不意打ちへの警戒を怠らないように気を付ける。まあ、例え不意打ちされたとしても、今の鬼姫に触れることすら困難だろうが……鬼姫は、キョロキョロと辺りを見回した。


 逃げた……いや、それも無理だろう。鬼姫の目を欺いて逃げられる程素早くはなさそうだし、既にこの家を中心にして強力な結界が張られている。脱出は、不可能だ。


 しかも、この結果は普通の結界ではない。神の盾と魔の盾を用いた、鬼姫基準における『強力な結界』、である。とてもではないが、『黒い影』と『人形』如きにどうにか出来る代物ではない……と。


 不意に、鬼姫の視線が『蓋が閉じられた井戸』へと止まった。


「はて、蓋は先ほど開けられたような覚えが……」


 そう、鬼姫は誰に言うでもなく呟いた。


 ――がたん!


 瞬間、『井戸』の蓋が音を立てた。


 ……。


 ……。


 …………無言のままに、鬼姫は『井戸』へと歩み寄る。合わせて、『井戸』はまるで怯えているようにカタカタと蓋を揺らし始める。それを見た鬼姫は……おもむろに蓋に手を掛けた。


 瞬間、がちん、と蓋は『井戸』の縁にへばり付くようにして動かなくなった……が、鬼姫は気にした素振りもなく、あっさりと……それはもう、シャモジでご飯を掬うように容易く、蓋を開けた。そして、開かれた隙間の向こうにある暗闇の奥を見やった鬼姫は……ふむ、と頷きながら神の槍を差し込んだ。


 ――っ!? ――っ!! ――っ!!!


 直後、辺りに声なき悲鳴が木霊した。とはいっても、声なき悲鳴なので常人には聞こえない。ただ、ガタンガタンと蓋が激しく揺れるばかりで、何とも哀れな……いや、薄気味悪い光景が繰り広げられていた。


 そんな中で、鬼姫は無表情のままぐりんぐりんと槍の刃先を回し捲る。その度に、まるで断末魔のように蓋が激しく揺れて、声なき悲鳴が木霊し続ける……けれども、それもそう長くは続かなかった。


 徐々に、徐々に、振動する蓋の動きが緩慢になっていき、声も小さくか細くなり……不意に、止まった。


 いったい、中で何が起こっているのだろうか……無表情のままに槍を引き抜いた鬼姫が蓋を閉じれば、もう……蓋はピクリともしなくなっていた。


「……さて、先生様は朽ち果てたぞ」


 鬼姫の言葉に、『井戸』の後ろにひっそりと隠れていた『人形』が、ビクリと震えた。直後、『人形』はかたりと『井戸』にもたれ掛り、そのままぱたりと地面に倒れた――。


「そうか、踏み潰されたいようじゃな」

「ホ、ホホホ!?」


 ――が、あっさり成仏したフリは見破られた。すぐさま『人形』は飛び起きて逃げようとした……が、「何処へ行くのじゃ?」無駄だった。これまたあっさり捕まってしまった『人形』は、もはやこれまでと言わんばかりに、だらりと四肢を投げ出して大人しくなった。


 ……。


 ……。


 …………沈黙が、鬼姫の前を通って行った。既に観念しきっている『人形』は最早、逃げる素振りすら見られない。なので、このまま煮るも焼くも鬼姫の自由である。


 まあ、鬼姫が選ぶとしたら『消滅』の一択で、実際に鬼姫はそうするつもりであった。元々この家に乗り込んだのも、それが目的であったし、放っておいたらまた何か悪さをするかもしれない……と、考えていたのだが。


「――お前、もう子供は襲わぬと誓うか? 誓えるのなら、一つ、ワシの頼みを聞いてもらおうぞ」


 ふと、思い浮かんだ妙案(あくまで、鬼姫の中では)に、鬼姫は『人形』の頭を掴んでいた手から、するりと力を抜くと。


「なに、難しいことではない。さっきのやつ以外にも、『お仲間』はおるのじゃろう? そいつらの力も借りて、少しばかり道案内を頼むだけじゃよ」


 物言わぬ『人形』の耳元で、そっと囁いたのであった。





 そして、鬼姫はやってきた。ついに、鬼姫は辿り着いた。


 鬼姫基準では紆余曲折だった道のりを辿り、ついに……鬼姫は、現代の玩具屋の前に到着したのであった。


 ちなみに、今の鬼姫は元の子供の姿……ではなく、本気状態である『大人』のままであった。しかも、一般の人にも姿が見えるようにしたうえで、6本あるうちの2本の腕に盾を掴んだままという、何とも物騒な姿であった。


 ……今まで(戦う時は別として)頑なに子供の姿でいたのに、何で今になって……そのわけは、これまた至極単純な話であった。


 ずばり、そもそも子供の姿で出歩くのが駄目なのだから、子供の姿で店に入るのは本末転倒ではないか……ということであった。


 ……お前、そんなの最初に気付く所だろう。


 おそらく、一連の行動を見た者の大多数が同じことを思うだろうが……まあ、とにかく鬼姫は考えた。大人の姿になれば見咎められることはないが、しかし、大人の状態では周囲に与える影響があまりに大きすぎる。


 ならば、どうするか。


 しばし頭を悩ませ続けて、ようやく思いついた答えが、鬼姫が消すことなく構え続けている『神の盾』と『魔の盾』であった。


 この二つの盾は先述した通り、霊気も邪気も押さえ込む。それは、本気になった鬼姫の『力』とて例外ではない。言い換えれば、この二つの盾を用いて鬼姫の身体を覆うようにして結界を張れば……垂れ流される『力』を押さえ込める、というわけであった。


「これが……今の玩具屋か。他の店と比べても、ひと際強くペカペカしておるのじゃ」


 眼前にて輝く『○○ゲームショップ』のネオンの眩しさに目を細めながら、鬼姫は大きく息をつく。長かった……実に長い道のりだったと、鬼姫は感慨深く何度も頷いた。まあ、ただのゲームショップですけど。


 『○○ゲームショップ』は、どこにでもありそうなお店であった。大きくもなければ小さくもなく、外観は小奇麗で、店の横側に駐車スペースが二台用意されている程度の、普通のお店であった。


 ネオンの光に神々しさすら覚えるのは、鬼姫の気のせいか……気のせいだろう。いや、この場合は気の迷いが正しいのかもしれないが、とにかく鬼姫は『ぽけぇもん』があると『人形』とその『お仲間』から聞き出した店へとたどり着き、感動しているのは事実であった。


 その鬼姫の後ろで、憔悴しきった様子で『人形』と、その『お仲間』たちが離れて行ったが、既に鬼姫の頭からは彼らのことは消え去っていた。


 ぶっちゃけ、これからのことを考えれば、だ。彼らのことなど気にしている余裕が鬼姫にはなかった。と、言うのも、鬼姫にとってはここからが本番であったからだ。


(暖簾が見当たらぬ。どうやって入るのじゃろう)


 なにせ、最初の一歩で既に出足が挫かれているのだから、前途多難である。まあ、鬼姫が困惑するのも無理はない。現代常識に対してはほとんどビギナーと言ってもいい鬼姫にとって、実は既に『入口』が視界に収まっていて、あと十数歩前に進むだけで自動ドアが開かれるということなど気付くわけがなかった。当然、『自動ドア』という言葉自体知らない鬼姫に、それを見て察しろというのも無茶な話であった。


(すり抜けろ、ということなのかのう?)


 とはいえ、何時までも見ているばかりでは話が進まない。ひとまず中に入らねばどうにもならないと決断した鬼姫は、するりと中に――入ろうとした瞬間。


 気の抜けるBGMと共に開かれた自動ドアに、ビクッと……それはもう大げさに、鬼姫は肩をビクつかせて後方に飛んだ。反射的に取り出した獲物をズラリと構え、鬼姫は反撃の為に備えた。


 ……。


 ……。


 …………訪れた沈黙を前に、鬼姫は目を瞬かせた。当たり前の話だが、そのまま何かが起こるようなことはなかった。しばし、注意深く自動ドアを観察した後、危険がないことを察した鬼姫は、武器を消して大きく息を吐いた。


 驚愕に高鳴っていた鼓動を抑えながら、鬼姫は再び……恐る恐る、自動ドアの前に向かう。そして、再び成り始めたBGMと勝手に開かれた自動ドアに、鬼姫はまたもやビクッと肩を震わせ……意を決し、中へと入った。





 ――瞬間、鬼姫は……言葉を失った。溜息すら、出なかった。


 店内は、何処にでもありそうなゲームショップ、そのままであった。掃除はされているものの綺麗ではない床に、鬱陶しいぐらいに点けられた照明。ふわりと届く、暖められたエアコンの風。


 天井近くまでとはいかないが、数段にも重なって作られた棚に押し込まれたゲームソフトのパッケージ。よくよく見れば、あいうえお順に並べられ、機種ごとに分けられたうえでデコレーションされているのもある。


 レジ横に設置されたテレビに映し出されている、最深ゲームのCM。鳴り響くのは、CMの効果音。店の奥に、チェーンで繋がれた携帯ゲームが置かれ、まだ学生に見える若者たちが屯していた。


「……あの、ちょっと退いてもらえます?」

「――ん、あ、ああ、済まぬ」


 そんな、有り触れたゲームショップの光景を、どれぐらい見つめていたかは鬼姫には分からない。ただ、横から掛けられた声に反射的にその場を退き、「――なにあれ、コスプレ?」背後から聞こえたその呟きを耳にして……ようやく、鬼姫の心は現実に戻ったのであった。


 ――いかん、いかん。呆けている場合ではないのじゃ。注目を集める前に『ぽけぇもん』を手に入れなければのう。


 そう、気を取り直して、鬼姫は改めて店内へと進む……が。


(……どれが、『ぽけぇもん』なのじゃ?)


 並べられたパッケージを前にして、鬼姫は首を傾げた。そんなの、あいうえお順になっているうえに機種別に分けられているんだから、すぐに見つけられるだろう……というのは、常人の考えである。


 何度も言うが、鬼姫の常識は数十年も前で止まっている。だから、あいうえお順に分けられていることはおろか、機種別にブースがあることすら知らないしかも、英単語はおろかローマ字読みすら鬼姫は出来ない。そんな鬼姫に、数百にも達するパッケージからそれを見分けろというのが、土台無理な話であった。


(……致し方あるまい。出来ることなら生者との接触は最小限にしたかったのじゃがな)


 と、なれば……鬼姫が取る手段は、一つしかなかった。それは、ずばり――。


「もし、そこの人。この店の主人かな?」

「――あ、はい、いらっしゃいま――せ?」


 一番近くに居た人。すなわち、レジ内にて監視カメラを見ていた店員に尋ねることであった。


 鬼姫が知る由もないことだが、偶然にもそれが正しい方法であった。そして、「おお、そうか。それではお主に一つ、用意してもらいたいものがあるのじゃ」鬼姫の全身を上に下に見つめながら呆気に取られている店員を他所に、鬼姫はレジテーブルを挟んで店員の前に立った。


「実はな、この店に『ぽけぇもん』なる玩具があると聞いて参ったのじゃが……心当たりはあるかのう?」

「え、は、はあ、ぽけぇもん、ですか?」


 目の前の光景が信じられないと言わんばかりに、幾度となく視線を逸らし、目尻を擦り、鬼姫の姿を凝視する。店員が取ったそれらの行動は無作法を通り越して失礼でしかなかったが、「うむ、そうじゃ!」鬼姫は気にした様子もなく店員を見つめた。


「詳しくは知らんが、大きさは、ちょうどコレぐらいでのう。何でも、ぴこぴこしていて、ペカペカしておるらしいのじゃ」


 手ぶらの4本の腕を使って、長方形を作る。2本の腕は盾を構え、残った4本の腕で行うジェスチャーを、ごく当たり前に披露する。どう見てもそれは異常な光景であり、ともすれば悲鳴の一つは上げられそうなものだった。


「えっと……それってもしかして、ポケモンのことですかね?」

「『ぽけもん』、とな? やはり、心当たりがあるのじゃな?」

「いや、心当たりも、それ以外に思いつくのが無いんで……えっと、御所望なのはポケモンで間違いないんですか?」

「間違いないかどうかは分からぬが、おそらくその『ぽけもん』とやらが、ワシが探しておる『ぽけぇもん』じゃろうな」

「は、はあ、そうですか……分かりました、それなら在庫がありますよ」


 けれども、店員は悲鳴を上げなかった。ただし、それは目の前の状況を受け入れたからではない。あまりに非現実な光景を前にして、考えることを放棄したからであった。


「えっと……そ、それではどれを御所望でしょうか? 人気シリーズになりますので、新作の『オメガルビー』と『アルファサファイア』、前作に当たる『X』と『Y』の他に、『ブラック』と『ホワイト』も置いていますよ。ただ、こちらは中古になりますが……どう致しましょう?」

「……? どう致すも何も、ワシが欲しいのは『ぽけもん』じゃが?」

「え、いや、だからポケモンですよね? でしたら、該当するシリーズを仰って頂かないとご用意出来ないのですが?」

「んん? 『しりーず』とは、何じゃ?」

「え?」

「ん?」


 …………ま、まさか。


「いや、あの、シリーズを……」

「だから、『しりーず』とは何じゃ?」

「え?」

「ん?」


 ……沈黙が、お互いの間を流れた。


 流れるBGMと、レジの様子に気付かずに体験用に置かれたゲームに熱中する若者たち。不幸中の幸いと言うべきか、運が悪いだけなのか。いつもなら多少なりとも入って来る客の足が、ピタリと止まっていた。


「…………」

「…………」

「……あの、それでしたら」

「ん、何じゃ?」

「所持しているゲーム機本体を教えてもらえないでしょうか? それさえ分かれば、御所望のソフトを絞れ――」

「『げーむきほんたい』とは、何じゃ?」

「――ますが……あ、いや、あの、持っているのは3DSでよろしいんですよね?」

「……すりい、でぃ、えす?」

「…………ま、マジですか」


 局所的に発生し始めた異様なプレッシャーに、店員(29歳、清らかボディ)はゴクリと唾を呑み込んだ。


 対して、鬼姫の方も雲行きが怪しくなってきたのを察したのだろう。どこか困った様子で店員の言葉に首を傾げ……ごそごそと、懐を探った。


「その、『しりーず』とかいうのを言わないと駄目なのか?」

「え、あ、はい、そうですけど……」

「よく分からんが、これで買えるだけ買うのじゃ……出来るかのう?」

「――あ、ああ、カードですね。はい、大丈夫ですよ。サインさえいた――だけ――れ、ば……」


 マジかよ、おい。


 喉まで出掛った言葉を、店員はギリギリのところで呑み込んだ。店員は頭を下げていたので鬼姫は気付いていなかったが、笑顔と共に鬼姫からカードを受け取ったその顔は……目に見えて引き攣っていた。


 まあ、そうなるのは無理もないことであった。何せ、鬼姫が取り出して見せたのはクレジットカードではない。実質、ただの紙切れでしかないギフトカード、しかも、二桁にも及ぶ枚数を大事そうに取り出したからであった。


「『うぇぶまねい』とか言うのであろう? これで『ぽけもん』の代金に事足りるかのう?」

「あ、いや、その、足りないとか、そういう問題では……」

「む、むう、もしや、た、足りないのか? それは困ったのじゃ……『ぽけもん』とは、そこまで高価じゃったのか」


 ――あ、これマジだ。からかっているわけでもなく、本気で言っているんだ、この人。


 困り顔で視線をさ迷わせる鬼姫を見て、積み上がろうとしていた疑念が瞬時に瓦解していくのを、店員は感じていた。


 というか、この短い会話の間に、気にするだけ無駄だということを、店員は理解した。なので、店員はもう商品を売るとかを考えずに……お引き取り願う方向で誘導することにした。


「……え、えーっと、とりあえずですね、そのウェブマネー……正式にはギフトカードと言いますが、ここでは使えません」

「なぬ、そうなのか?」

「はい。それはコンビニで決済した後、ネット通販に利用するのが一般的でして、基本的にはインターネット上で使用されるお金みたいなものでして――」

「いんたー……ふ、ふむ。『いんたあねっと』、じゃな? そこに行けば、この金子が使えるのじゃな?」

「ああ、今度はそうきましたか……いえ、これはどこかに行けば使えるというものではなくてですね――」


 結果だけを見れば、それが正解であった。結局、『これでゲームを買うことは出来ない』ということを理解させる為だけに、10分近く要したのだから。





 ――けれども、鬼姫にとっては不正解以外の何者でもなかった。何故ならば、理由は何であれ『お由宇のお願い』であるお使いが果たせなくなるから、である。


 せっかくのお願いなのだから、叶えてやりたいと思うのは、幽霊である鬼姫も同様。だから、鬼姫は頑張った。何とか持ち合わせているギフトカードと交換出来ないか頼み込んだ……しかし、現実は変えられなかった。


 残念ながら当然の結果である。実質紙切れでしかないカードで数千円もするソフトと交換しろというのが無理な話である。むしろ、根気強く説明してくれた店員に対して、鬼姫は頭を下げるべきな話であった……今の鬼姫は、そのことに思いを馳せる余裕がなかった。


「弱ったのう……まさか、この『うぇぶまねい』が『いんたあねっと』でなければ使えぬ引き換え券じゃとは思わなんだ」


 少し違うのだが、使えないと教え込めた店員は有能だろう。ゲームショップを離れて、幾しばらく。トボトボと重い足取りで鬼姫は、町から離れて……お由宇の神社ではなく、己の神社に戻っていた。


 何故そちらの神社に戻っているのか。それは単に、鬼姫が元の姿に戻る為に必要なことだからであって、神の盾と魔の盾を使用し続けていた為でもあった。


 と、いうのも、だ。


 神の盾と魔の盾はあくまで封じ込めて遮断するだけで、『力』そのものを浄化するわけではない。つまり、抑え込んだ『力』はそのまま内側に内包されたままだ。


 普通の幽霊が同じようになったところで影響は全くないが、今回抑え込まれているのは、あの鬼姫である。それも、本気状態になった鬼姫だ。


 元々、垂れ流される余波だけで周囲の幽霊を消滅させるだけの『力』だ。短時間とはいえ、抑え込まれた『力』の量は桁が違う。最悪、盾を外した途端に周囲の霊的存在を消滅させかねない。


 その危険性を重々承知しているからこそ、鬼姫はある程度落ち着くまでこうして己の神社に自主退避した。そして、周囲に人がいないことを確認してから盾を外して、元の子供の姿に戻り……それが、今の鬼姫の現状であった。


 ちなみに、本気状態の鬼姫の移動速度は子供状態の比ではない。高速飛行なんてこともやってのけるので、ほとんど直線距離を移動する分、掛かる時間はかなり短く済むのだ。もう、何でも有りである。


「これでは菓子も買えぬ。手ぶらで帰るのもそうじゃけど、じゃからといってここの御供えを持って帰った所で気付かれるしのう……」


 コロコロ、コロコロ、と。ゲームショップの店員から『僕のですので、気にせず』と、お情けで貰った『モンスターボールの玩具』をお手玉のように転がしながら、鬼姫は深々とため息を吐く。盾を外した余波によって色々な意味で静かになった神社に、鬼姫の独り言はよく響いた。


「かといって、これを元手に何かをしようとしてもなあ。玩具一つ買えぬのに、他の何かが買えるとも思えぬしのう」


 その言葉と共に、ごそごそと鬼姫が懐から取り出したのは……総額891円になる小銭の山。これは、鬼姫の神社に戻ってすぐに賽銭箱を漁って手に入れた金である。


 当然、現在の物価など知る由も無い鬼姫にそれが高いか低いかは分からない。だが、記憶に有る、パッケージに張られていた値札から比較する限り、全く足りてないであろうことは想像が付いた。


(しかし、どうしたものか)


 う~ん、鬼姫は腕を組んで、頭を悩ませた。意味もなくパカパカとボールを開閉しながら、妙案を思いつこうと懸命に頭を悩ませる……が、そんなすぐに思いついたら、誰も苦労はしないだろう。


 小銭とボールを交互に見やりながら、鬼姫はう~ん、う~ん、頭を捻る。どうにかしてこれを錬金して御札に変えなければ、『ぽけもん』は買えない。


 しかし、時の帝を恐れさせることは出来ても、札束を生み出す術を鬼姫は持ち合わせていない。


 そう、恐れさせるだけだ。言うなれば、攻撃である。何かを呪い、災厄を撒き散らし、恐怖をもたらし、死を与え、消滅させる。


 鬼姫が持つ『力』とは、どこを切っても攻撃的だ。間違っても、お由宇のように何かを守る『力』では……『力』では……ん?


「――そうじゃ!」


 瞬間――鬼姫は、閃いた。キラリと、脳裏(今は生身)に閃光が走った。


 ――そうなれば、鬼姫の行動は早かった。調子に乗った時の行動力はずば抜けているが、実はこういった時の行動力もずば抜けている。善は急げと言わぬばかりに鬼姫は店員から貰ったボールの玩具を地面に置くと、その上に指を置いた。


 直後、ボールに置かれた指の爪が、割れた。合わせて、ぷしゅりと噴き出した鮮血がボールへと滴り落ちる。だが、それだけで終わらなかった。滴り落ちた鮮血が、しゅるりしゅるりとボールを囲うように円を描き……陣を形成した。


「我願う、我望む、我焦がれる」


「我が痛み汝へと繋がるべし、我が苦しみ汝へと伝わるべし、我が悲しみ汝へと受け継ぐべし」


「我が憎悪が汝の頭を砕く時を、我が憎悪が汝の臓物を腐らせる時を、我が憎悪が汝の命を呑み込む時を――」


 パカリと、ボールが勝手に開かれる。途端、鬼姫の呪文に合わせて、円陣から伸びた鮮血の帯が、音もなくボールの中に吸い込まれていく。


 それに合わせて、鬼姫の目の色も緋色に染まっていく。ほう、と零れた吐息は瘴気にまみれ、ボールの傍に生えていた雑草が、『力』の余波を受けて……静かに、枯れ始めた。


「苦しめ、怯えろ、悶えろ、滅びろ。男を殺せ、女を殺せ、幼き命を、老いた命を、力強い命を、柔らかき命を、我が呪いを受けし汝を殺せ、殺せ、殺せ――」


 『力』が、込められてゆく。呪文と共に定められた『呪い』が、満たされてゆく。気づけば、ボールを囲っていた円陣は消え、その鮮血の全てがボールの中へと……納まった。


「――我が絶望、汝の絶望をもって拭い去らん」


 瞬間、ボールは音もなく閉じられ……かちりと、安っぽいプラスチックの留め具がハマる音が、した。


 その直後、ふわりと夜風が頬をくすぐった……のを感じ取った時にはもう、鬼姫の目の色は元に戻っていた。しばし、鬼姫は術の余韻に目を瞑る。


「……よし!」


 一つ息をついて、意識を切り替える。鬼姫は素早く印を組んで……本気状態になると、神の盾と魔の盾を用いて周囲への影響を抑える。次いで、地面に転がったボールを手に取った……その次にはもう、鬼姫の身体は地面を離れ、空を飛んでいた。


 その行き先は、デタラメではない。確かな意志と目的によって決められた鬼姫の身体は、夜空を駆け抜けて行った。




 ……。


 ……。


 …………そして、その足が止まった……その場所は。


「おお、ようやく見つけたぞ」


 あの、『人形』たちとやり合う前にこっそり除霊した、あの少年の前。もっと正確に言えば、少年が寝泊まりしている、広いが古臭い感じの合宿所。その、3階に当たる……寝泊まりする部屋の、窓の外であった。


 どうやって見つけたのかと言えば、除霊した時に感じ取った少年からの『繋がり』を辿って来たのである。


 本来は呪術に用いられる技であり、呪う相手がどこに居るのかを探る為のものだが……まあ、今はそんなことはどうでもよい、重要なことではない。


 既に、消灯時間は過ぎているようだ。部屋の中は真っ暗で、所狭しに並べられた布団から寝息が聞こえる。するりと壁と窓をすり抜けて室内に入った鬼姫は、少年たちの寝顔を順々に確認していく……見つけた。


 あの時出会った少年たちも、他の少年たちと同じように寝息を立てていた。恰好は、一律にジャージである。おそらく、決められた寝間着なのだろう。件の少年の他にも、その時一緒に居た他の少年たちを含めて、数名程。パッと見ただけでは、十数名ぐらいがその部屋に居た。


「ふむ……寝た子を起こすのは忍びないが、こちらも止む負えない事情じゃ。年寄りの頼み事と思うて汲んでおくれ……ほれ、起きよ」


 誰を起こすか迷ったが、とりあえずは少年たちの中で、『人形から受けた力の名残』を一番強く感じる一人の肩を揺さぶる。


 いちおう、周りの子供たちを起こさないよう声を潜めていたが……幸いにも、少年は思いのほかあっさり目を開けた。次いで、鬼姫へと振り返り……寝ぼけ眼が、ギョッと見開かれた。


「え、えっ――!?」

「シッ、声を潜めよ。安心せい、悪さをしに来たわけではない。ワシは、お前を助けに来たのじゃ」

「――っ!? ――っ!?」

「お前があの家で見た、『人形』に付いて話がある。心当たりは、あるはずじゃろう?」

「――っ!? ――っ、――っ」

「驚くのも分かるし、怯えるのも分かる。じゃが、ここはどうか年寄りの意を汲んで静かにのう……不安を覚える必要はないのじゃ」

「――っ、――っ、――っ」

「……よしよし、話が出来る程度には落ち着けてきたようじゃな。そのまま鼻から息を吸って、吐いて、吸って、吐いて……よいよい、その調子じゃぞ」


 飛び出し掛けた少年の悲鳴を己が掌で抑え込みながら、鬼姫は屈んで少年と目線を近づける。自然と、少年の視線も鬼姫へと注がれる。恐怖を覚えるよりも何よりも、今の状況を呑み込めない少年は、呆気に取られた様子で突如現れた謎の女を見つめていた。


 まあ、少年が驚くのも当然である。何せ、あんな事が有って、まだそう時間は経っていない。そんな時に、これまた日常から掛け離れた異様なやつの登場である。いくらその姿が麗しい女とはいえ、6本の腕やら構えた盾やら……少年の幼いヒューズが飛ぶのも、仕方がないことであった。


 だが、当の鬼姫には関係のないことだ。少しも気にした様子もなく、しゅるりと鬼姫は腕を伸ばす。「――っ!?」我に返った少年が飛び退こうとしたが、「まあ、落ち着け、怖がる必要はないのじゃ」それよりも速く伸びた鬼姫の腕が、少年の肩を掴んで押さえる。


 そのまま、幾しばらく。掌から伝わってくる少年の動揺が徐々に静まってゆくのを感じ取った鬼姫は、「良いな、静かに、声を潜めるのじゃぞ」そう言って少年から手を外す……言葉を聞いて静かになったのを確認してから、鬼姫は単刀直入に話を切り出した。


「お前、『人形』に目を付けられたじゃろう?」

「――っ! な、何でそれを……?」


 鬼姫の言葉に顔を引き攣らせる少年を前に、鬼姫は「委細承知しておる」訳知り顔で頷いた。この女(精神的には男だが)、役者である。


「ワシの問いに答えよ。お前、『人形』をあの家で見たか? もそっと詳しく言うなれば、あの家で……『人形の顔』を見たか?」

「……うん」


 ――よし、思った通りじゃ。


 その言葉と、思わず出し掛けたガッツポーズを寸でのところで抑え込む。まだだ、笑うのはまだ早い……そう、己に言い聞かせながら、鬼姫は何食わぬ顔で「それはいかんのう」その子を見やった。


「今はまだ良いが、このまま行けばお前も、お前の友人たちも、無事では済まなくなる。一度はワシが祓っておいたが、あやつみたいなのは兎に角しつこい。食らいついたが最後、何処までも追いかけてきおるぞ」

「えっ、そ、そんな……」

「じゃが、安心せい。ワシも、あやつとは因縁があってのう。今回ばかりは、お前に手を貸そう……ほれ、これをやるのじゃ」


 そう言って、鬼姫が差し出して見せたのは……件の『モンスターボール』であった。当然、大なり小なり見覚えのあるソレに、「……ええ?」少年は目を瞬かせた。


「これにはワシの『呪(まじな)い』が込められておってな。もし、お前の前にあの『人形』が現れても、これを投げつければ安心じゃぞ」

「ほ、ほんと?」

「ああ、大船に乗ったも同然よ……まあ、その代りと言っては何じゃが、一つ頼みがあるのじゃが……聞いてくれるか?」

「え?」

「安心せい、命とか、そういうものではない」


 途端、不安げに顔を曇らせた少年の頭を撫でながら、鬼姫は室内を見回す。誰も置き出してきていないことを確認した鬼姫は、そっと少年へと顔を近づけた。


「お前、『ぽけもん』なる玩具を持っておるか? 何でも、『すりいでいえす』とか、『でいえす』とか、『しりーず』だとか言うらしいのじゃが……」

「それって、ゲームのポケモンのこと? それなら家にあるけど……」


 ――よっしゃあ! 狙い通りじゃ!


 鬼姫の言葉に首を傾げた少年が恐る恐る頷いた瞬間、鬼姫はギリギリのところでその言葉を堪える。声色が興奮で振れないよう気を付けながら、「ワシの頼みとはな、その『ぽけもん』をワシに譲ってほしいということなのじゃ」鬼姫はそう言った。


「そんな、急に言われても、僕は……」

「安い対価じゃろ? 玩具一つで、お前の身の安全が保障されるのじゃぞ」

「でも、お母さんにバレたら……」

「この際、古物だろうと手垢が付いていようと構わぬ」

「そんなこと言われても……」

「なあ、良いじゃろう。ワシに『ぽけもん』を譲ってくれぬか……な、頼む。どうか、この通りじゃ」


 鬼姫とて、ポケモンが子供たちの心を掴んでいる玩具であることは既に把握している。当然、少年が渋ることも想定していた。だから、鬼姫は少年の両親に訴えかける為に、「な、な、どうか頼みを受け入れてくれぬか?」さらに屈んで目線を合わせた。


 ……。


 ……。


 …………沈黙が、流れた。それは嫌な沈黙ではなかったが、どこか気まずさと何とも言えない緊張感を孕んだ、独特の静寂であった。


「……うん、分かった」

「おお、本当か。恩に着るぞ」


 時間にして、おそらく5分程だろうか。迷いを見せていた少年が、了承した。それに安堵のため息を零した鬼姫は、「それでは、交渉成立じゃな」そう言って少年にボールを手渡した……と。


「……どうしたのじゃ? やはり、嫌になったか?」


 受け取った少年が浮かない顔をしていることに、鬼姫はチクリと胸が痛む。薄々分かってはいたが、やり方が少々汚かったかと後悔の念が沸々と湧き起こる……だが、しかし、「――ううん、そうじゃないよ」少年が気に病んでいたのは、そうではなかった。


「ゲームは家にあるんだけど、どうすればいいの? 僕、ここには野球の合宿で来ているだけだから、明日には帰らないと駄目なんだ」


 ああ、なるほど、そういうことか。少年の気掛かりを察した鬼姫は、「いや、それには及ばぬ」そっと少年の頭を撫でた。


「お前はただ、ワシに譲るソレを思い出しながら、心の中で念じるだけでよい。『わたしへ譲る』、ただ、そう思うだけで良い」

「え、それだけでいいの?」

「ああ、それで良い。それだけで、ワシの手にそれが届く……さあ、早う念じよ」


 うん、分かった。そう少年は頷くと、目を瞑って静かに念じ……初めてすぐ、「あ、あのさ……」少年は再び目を開けて鬼姫を見やった。


「ソフトだけでいいの?」

「ん?」

「ゲームソフトだけで、いいの?」

「え?」

「もしかして、本体の方は持ってないの? 充電ケーブルとかは?」

「……あっ」


 ――そ、そういえば、『ぽけもん』で遊ぶには、『ぽけもん』以外にも幾つか必要な物があると玩具屋の主人に言われたような覚えが……!


 少年の言葉に、鬼姫は思わず出かけた声を手で押さえる。幸いにも声はほとんど漏れることなく抑えられたが……果てさて困ったぞ、と、鬼姫は内心頭を抱えた。


 思い返してみれば、そうだ。鬼姫は、店員から教えられていた。『ポケモンを遊ぶ為には、3DS本体と付属品一式が必要』だということを、親切丁寧に教えられていた。


 それなのに、鬼姫は忘れていたのだ。完全に、少年から尋ねられるまで、すっかりさっぱり記憶の彼方にやってしまっていた。今更……そちらまで強請るのは強欲というやつだろう……と。


「あの、兄ちゃんから貰った古いやつなら全部あげられるけど……そっちでもいい? 電池を入れ替えて使う古いやつだけど……」

「――っ!? ま、まことか!?」

「う、うん。何時か必要になったら人に譲ってもいいし売ってもいいって言われていたやつだから……あ、あの、肩、放して……痛い……」

「お、う、す、済まぬ」


 思わず、鬼姫は少年の肩を掴んだ。直後、少年が痛みに顔をしかめたのを見て我に返った鬼姫は慌てて少年から離れ……一つ咳をして、誤魔化す。


「『ぽけもん』が手に入るのであれば、何でも良い。ワシは玩具には疎くてな……お前に任せる」


 鬼姫の言葉に、少年は再び目を瞑って念じ始める。変化は、思いのほか早く訪れた。ふわりと、鬼姫の手に光が灯った……次の瞬間にはもう、鬼姫の手には少年の言う『兄から貰った物』が入った、小さな段ボール箱が載せられていた。


 おおお……これが『ぽけもん』か。


 ようやく、手に入れた。


 感動で打ち震える鬼姫の姿に、「ゲームの箱はもう潰れて無いんだ。いちおう説明書は残っているから、大事にしてね」少年の方も嬉しくなったのだろう。にっこりと年相応の笑みを浮かべるその姿に、鬼姫も満面の笑みを向けた。


「恩に着るぞ、童よ。今は感謝の言葉しか出せぬが、何か褒美が欲しければいつかお前に渡そう……何が良い?」

「え、いいよ、別に。もう、コレを貰ったから」


 コレ、とモンスターボールを指差した少年に、「お前は欲のない子じゃな。よし、ワシはお前が気に入ったのじゃ」鬼姫はますます笑みを深めた。


「もし、お前が心の中でもう一度強く……心から強くワシに何かを頼みたいと願った時、ワシが力を貸そうぞ」

「え、そんなことしなくても……」

「なに、気にするでない。ワシが勝手にそうしたいだけじゃ……ではな、童よ。悪さをせず、まっすぐに育つのじゃぞ」


 これで、鬼姫の目的は全て済んだ。


 最後にもう一度眼前の少年以外が起きていないのを確認した鬼姫は、ふわりと少年から離れる。あっ、と少年が腰を上げた時にはもう、鬼姫の身体は窓の外へとすり抜けて……夜空へと、とび立っていた。


 ……。


 ……。


 …………寝息だけが静かに響く室内に残された少年は、しばしの間呆然としていた。ぼんやりと、鬼姫が消えた虚空を見つめたまま、5分、10分と時間が流れた後。


「あ、名前……」


 ポツリと、少年はその事を思い返し……大きく欠伸を零して、布団に横になったのであった。そして、翌朝になって……手元にある『モンスターボール』を見て、少年は騒ぎ立てるのだが、それはまた別の話。





 ――。


 ――。


 ――――そして、夜が明けて。相も変わらず人通りもなく静まり返ったお由宇の神社の中。そして、これまた相も変わらず手元すら確認出来ない程に真っ暗な社の中……では、なかった。


 外からの明かりが入っていないのは同じであったが、不思議なことに、社の中はぼんやりと明るかった。と、言うのも、青い光が灯された蝋燭が、ぼんやりと社の中を照らしていたからである。


 ……その、何とも妖しい社の中には、いつも通りの二つの気配があった。


 一つは、『名雪』の身体か抜け出て霊体のままとなっている鬼姫。そして、もう一つは、その『名雪』の身体に憑りついている、お由宇。つまり、昨日とは逆に、鬼姫の代わりにお由宇が名雪の身体に乗り移っているのであった。


 何故そうなっているのかと言えば、単に霊的状態のままではまともにゲーム機に触れないからである。いちおうは触ることだけが何とか可能であったが、ボタン操作といった細かい作業は難しい……という問題の末に、こうなった次第である。


『――とまあ、それを手に入れるまでに随分と遠回りすることになったのじゃ』

「まさか、軽い気持ちでお頼みしたことが、そうまでお手を煩わせることになろうとは……申し訳ありんせん」

『いやいや、気にするな。ワシがそうしたかっただけじゃからな……ところで、点きそうか?』

「あい、もそっとで……しかし、今の玩具はまこと、ややこしい造りをしていんす。思っていたよりも重いんすよ……腕が痺れてきそうでんす」


 辺りには、箱から取り出されたビニールやら新聞紙やらが散乱している。これは、あの少年から譲り受けた段ボール箱に入っていたもの。ゲーム機への衝撃を和らげる為に使われていたものである。


 とりあえず、片付けは後で。そう判断した二人が説明書に目を通しながら、あーでもない、こーでもない、と互いに意見を言い合う事、幾しばらく。二人は未だゲームの電源すら、入れられていなかった。


 いくら何でも時間が掛かり過ぎだろう。二人のモタモタっとした作業を見た者は、何とも歯痒い思いを覚えたに違いない。


 けれども、考えてみて欲しい。見た目こそ可愛らしい二人だが、その中身はシニアを通り越して化石級の年寄りである。辛うじて……辛うじて、叩いて起動しようとしない点だけでも、褒めてあげるべきである。


 そんなこんなで、実はゲーム機はおろか機械に触れることすら初めてだというカミングアウトの後。おっかなびっくりのお由宇の手付きが偶然にも電源スイッチを探り当て、カチリ、と動かした。


 ――ピロリン。


「あっ」

『あっ』


 瞬間、二人は同時に動きを止めた。けれども、動き出したゲーム機は止まることなく画面を暗転させ……ふぉん、と音もなく光を灯らせた。


「――ど、どうしんしょう!? つ、点いてしまいんしたよ!? まだ心の準備が、あ、あの、ちょいと深呼吸をば、させていただいても……!」

『――お、落ち着け、大丈夫じゃ! 説明書にあったじゃろう、電源とやらが入っただけじゃ! ほれ、早う『ぽけもん』の『そふと』を入れるのじゃ!』

「あ、あい、分かりんし――あ、あれ?」


 説明書の内容を確認し、鬼姫から手渡されたゲームソフトを挿入口へと差し込む為に、お由宇はくるりとゲーム機をひっくり返し……思わず、目を瞬かせた。気づいた鬼姫もそこに目をやり……はて、と目を瞬かせた。


 何故かと言えば、本来、空になっているはずのそこには既にゲームソフトが収まっていたのだ。しかも、そのソフトは見慣れぬ外国語が印字されたシールが張られていて、二人にはそれがどういうソフトなのかがさっぱり分からないという状態であった。


 もう、それだけで……年寄り二人はパニックであった。


「あ、あの、これ、入りんせんよ? ど、どうしたら、は、外してもよろしいんでありすえ!? 壊れちゃったりしんせんよね!?」

『いや、待て! いきなり抜いてはならぬと説明書にあるのじゃ。と、とりあえず、そこの『そふと』に書いてあるか文字は読めるか?』

「わ、わちきが分かるわけありんせんえ! カタカナならまだしも、異国の横文字なんて、そねぇなの……ぬ、ぬし様は!?」

『ワシが読めるわけがなかろう! 知っておったら初めから苦労せぬわ!』


 あたふた、あたふた、あたふた。

 もたもた、もたもた、もたもた。

 あたふた、もたもた、あたふた、もたもた。


 ……化石ども、ああじれったい、歯痒さよ。


 この場に小学生……いや、子供でなくてもいい。ゲーム機に慣れ親しんだ誰かが二人の姿を見たら、そのじれったさに、さぞ悶えたことだろう。


 10秒……いや、5秒あれば、たったそれだけの時間で解決する。二人が四苦八苦しながら格闘している相手は、その程度の問題であった……けれども。


 ――ショーターイ!!


「ひぇ!?」

『ぬぉ!?』


 二人がその問題を倒すには……まだまだ時間が掛かりそうで。どうしたらいいか分からず焦っている二人を他所に、蝋燭の傍に置かれたポケモンのソフトは……静かに、その時を待ち続けていた。

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