第5話(裏):なお、当の本人は迷惑に思っているうえに一切合財関与していない模様

 

 私が神官の子供として生まれたのは、今から80年も前のこと。いずれは父の後を継ぐ者として、『見える者』として、父から最初に教えを受けたのは、私が小学校に入ってすぐの時。以来、『力』を持つ者として自覚を促され、本格的な修行を始めたのは……高校を卒業した頃だった。


 そして、先代……父が亡くなったのは私が40歳になった頃。死因は突発性の心不全ということになっているが、実際は精神病を患った果ての入水自殺……まあ、それは後にしよう。


 父の死後、私は40という若さで神官を務めることとなった。世間一般から見れば若くはなかったが、私たちの世界では若造もいいところ。私自身の未熟さもあったが、神官になってから初めて体感する『この世界特有のルール』に困ったことは一度や二度ではなかった。


 時には怒りを堪えて酒に逃げることもあったし、時には物に当たったこともあった。けれども、そんな私も神官になってから40年目の夏を迎えられた。


 曲がりなりにも私がこの世界でやって来られたのは、単に家族の手助けと、父の友人である……さんのおかげである。そして、『優秀な祓い師でもあった』父の背中を、誰よりも間近で見ていた私だったから……というのは、まあ、自惚れか。


 とにかく、40年。今では特別誰かと比べられることはなくなったが、『さすがはあの○○の息子だ』と言われたのは、もうだいぶ前のことだ。直接確認したわけではないから所詮は私がそう思っているだけだろうが……かつての年寄り連中も、あの世で少しは私を認めていることだろう。


 自分で言うのも何だが、私は自信があった。父から受け継いだこの『力』もそうだが、周囲から向けられる色眼鏡に負けるかと奮起し、誰よりも厳しく己を苛めたからこそ……私は、『祓い師』として大成出来た。そう、私は思っていた……20年前までは。


 ……もし、これを読んで気を悪くしたのなら先に謝っておく……すまない。


 だが、どうか読み終えずに待ってほしい。先述したとおり、あくまで、当時の私は『思っていた』のだ。それで分かってくれると思うが、今は違う。所詮、私は『井の中の蛙』であった。そう、20年前に心から思い知らされる出来事があったからこそ、私は『思っていた』と記述したのだ。


 ……歳を取ると話が長くなるとは……さんの口癖だったが、なるほど。こうして筆を取ってみて、それが痛い程分かる。しみじみと、あの時の言葉が身に沁みる。


 あの時……さんは、それが歳を取るということだとしみじみと私に言ってくれたが……それが、今になってよく分かる。


 年を取ったからこそ、多くなるのだ。伝えたいこと、記しておきたいこと、残しておきたいことが多過ぎて、まるで石鹸を泡立てるかのように、次から次へと『書きたいこと』が溢れて筆が止まらなくなってしまうのだ。


 ……しかし、何時までもただ長々と惰性に書き連ねるわけにはいかない。年老いた今の私の手では途中で力尽きてしまうし、そもそも何を書こうと思ったのかすら忘れてしまうかもしれないから。


 ああ、嫌だ嫌だ。年は取りたくないものだ。父の顔も忘れ、母の顔も忘れ、一日一日が光陰矢のごとし。なのに、あの時のことだけは昨日のように思い出せてしまう。何時まで経っても、忘れられない。


 閑話休題。


 これ以上無駄に長くなっても仕方がないので、さっさと本題に入ろう。あんまり気が滅入ると、いよいよもって書く気が失せてしまう。私の思い出日記でしかないこれを、資料代わりに後世へと残すらしいので、締めるところはしっかり締めないと、な。


 さて、それでは。私がこれから語るのは、『井の中の蛙』であることに気付かない哀れな蛙の身で、大海を制覇したつもりになっている……馬鹿な男の話であります。(注)





 始まりは、20年前。そう、まだ夏の暑さも明けない蝉の声が喧しい私の神社に、父の友人である……神社の……さんが、父の墓参りがてらに私を訪ねてくださった時……今でもはっきり覚えている。


 その……さんが、父の墓参りがてらに私を訪ねてきて、さあ茶でも一杯と唇を湿らせた後。


「――坊、おめえさん、○○山のアレのことは――から聞いてるかい?」


 そんな感じで。ポツリと、まるで昨日のニュースを尋ねるかのように口火を切ったのが、そもそもの始まりだった。


 お前も知っている通り、私にとっては、この……さんだが、これまで幾度となくお世話になった恩人である。父が死去し、まだまだこの世界では青二才もいいところの私が矢面に立たされたとき、表で私を庇い、裏でも庇い、私を一人前の神官として、『祓い師』として育ててくださった大恩人である。


 当時、……さんは御年91歳。ボケてもいない(注2)し、足腰もしっかりしていらっしゃった。けれども、世間一般から見ても、私たちの世界から見ても御高齢であり、既に『祓い師』を引退している御身分であった。


 ただ、この世界から身を引いたわけではない。そんな……さんは、父の友人を務め、私の倍以上この世界に身を浸していることもあって、あらゆる場所に顔が訊き、至る所に耳を傍立てている御人だった。


 と、言うのも、『祓い師』としての『力』は私より弱くとも、その幅広い知識は金には換えられない貴重なモノだったからだ。


 また、……さんが持つあらゆる情報網のおかげで私のみならず、御同業も利用することが多く、皆が皆、……さんには一目置いていた。


「○○山……ですか?」


 だからこそ、この時の私は、首を傾げながらも何か重大なことがあったのかと居住まいを正した。


 それは何も、父、――の名を出した、それだけが理由ではなく、――坊、と口にする時は決まって、何か重要なことを話すことを知っていたから、だけでもない。


 ……さんは、けっこうな冗談好きである。けれども、『祓い師』に関することだけは絶対に冗談を言わない。『やつら』の危険性と哀れさを知っているからこそ、……さんは『やつら』が関わることだけは絶対にふざけたことを口にしない人であったからだ。


 それを知っているからこそ、当時の私は真剣になって……さんの言う『○○山のアレ』が何なのかを考えた。幸いにも仕事柄、『○○山』自体はすぐに思い出せた。だが、それだけだ。『アレ』がいったい何を差した言葉なのかは、このときの私はまだ思い出せなかった。


「すみません、……さん。『アレ』とは、いったい何のことですか?」


 私としては、分からないから分からないと答えた。下手に取り繕うようなことをしなければ、……さんは特に咎めないことを知っていたからこそ、私は素直にそう言ったまでであった。


「なに、――坊、お前、聞いていないのか?」

「聞いて、というのが何のことかは存じませんが、私が知っているのは、あそこが『力』がこもりやすい場所の一つであるということぐらいですが……違いますよね?」

「違う! 本当に、――から何も聞いておらんのか?」


 けれども、……さんの反応は、私の予想とは違っていた。私の言葉によほど驚いたのか、……さんは目を向いて私を見つめた。この時の……さんの形相は今でも思い出すことが……まあ、とにかく、当時の私は予想外の……さんの剣幕に、首を横に振るばかりであった。


「そいつは変だな……俺はてっきり、――から聞いていたと思っていたのだが。あいつも、アレのことは全て――坊に話したと言っていたんだがなあ」

「はあ、……さんのご期待に沿えなくて申し訳ないですが、あいにく心当たりが……」

「本当に知らないのかい? ほれ、○○山の、××神社だよ。今はもう寂れて誰もいない、『鬼姫伝説』の鬼姫が封印されているっていう、あの××神社さ」


 ××神社。聞き覚えのない名前であった。仕事柄、幼い時から神仏関係に触れる機会は嫌になる程あった。そのおかげなのだろうが、私は同業者から見ても驚かれる程に神社や寺に関する豊富な知識があった。まあ、知り合いからは『歩く辞書』だなんてからかわれたもんさ。


 信じられないだろう。今はパソコンだとかインターネットだとかですぐに目当てが見つかるようになっているが、当時は……私がまだ悪戯盛りのガキだった時は違っていた。


 神社の所在地や由来、名前に始まる様々な事柄は『問い合わせ』しないと分からない時代であった。また、諏訪や伊勢といった大御所は別格として、木端な宗教施設なんて掃いて捨てるほどあった。


 理由は様々だが、人知れずこっそり断絶してしまった寺や神社なんてけっこうあったんだ。そんな馬鹿な話がとお前たちは笑うだろうが、当時はそう珍しい話じゃなかった。


 今みたいに気軽に電話すら出来なかった時代だ。それこそ宗教関連の連絡先なんて、一般の人達は知らない。葬儀こそ村やら何やらのしきたりで済ませ、建物自体は掃除なり何なりしてくれただろうが……どうしても、発覚するのが5年後、10年後なんてのがザラだったんだ。


「××……××……」


 だもんで、『歩く辞書』と言われて、ちょいと有頂天になっていた私にとって、知らない神社の名前があるってことがちょっと悔しかった。だから、何度もその名前を口走ってはうんうんと頭を捻った……まあ、それが良かったんだろう。


「ああ、もしかして、あの××神社ですか? 確か、刀が御神体になっているとかの……」

「おお、ようやく思い出してくれたか? そうだよ、その××神社だよ」


 ……さんの吹かした煙草の吸殻が三本目になった時ぐらいに、私は思い出せたんだ。まあ、今になって白状するが、当時、そりゃあ忘れるだろって思ったもんさ。


 何故かって?


 そりゃあお前、私が父から××神社に関して教えてもらったのは、私がまだ寝小便垂れていた頃だぞ。おまけに、父は酒に酔ったうえで寝入りばなに話してたんだ。お前、そりゃあ思い出せただけでも凄いってもんだろう。


「あの、その××神社なんですけど、私が覚えているのは刀が御神体になっていることと、立地の関係から神官も派遣されないまま放置されている神社がある……ってぐらいで……」

「――て、ことは、『鬼姫伝説』については何も、かい?」

「はい、その鬼姫伝説って言葉も、聞いた覚えがなくて……」


 私の言葉に、深々と。それはもう深々と……さんがため息を吐いたのが、今でも印象に残っている。当時の私は、覚えていないことを責められているものだとばかり思っていたが、実はこの時……さんは別にそういうつもりは全くなかったらしい。


 後日、父について……さんから話を聞く機会があったので、その時に私は申し訳ないと頭を下げた。だが、当の……さんが驚いて理由を尋ねて来たので素直にそっくりそのまま私の気持ちを答えた結果、判明したことなのだが、どうやら父は……さん曰く、けっこういい加減な性格だったらしい。


 この時の……さんは、ほとんど何も知らないに等しい私の姿を見て、そんな父のいい加減な性格を垣間見たせいでため息を零してしまった……ということらしい。


 けれども、当時の私がそんなこと知る由もない。そんなものだから、私は「それじゃあ、一から話そうか」……さんのこの言葉を聞いて、汗を掻いて柄にもなく真剣になっていた。


 それで、肝心の××神社なんだが……先に言っておく、すまない。当時はしっかり記憶していたんだが、何分、何十年も経つと記憶も定かでなくて……な。


 今は私も、うろ覚えだ。まあ、……さんも、もしかしたら他の人の話とは少し違っているかもと一言私に告げるぐらいだから……まあ、大目にみてくれ。


 というのも、この××神社の由来は諸説あるらしく、資料となる書物は何一つなく、口伝として残されたそれも一度途絶え掛けた。その上、辛うじて××神社のことを記憶している方々は皆、御高齢で、所々内容が違うときた。


 その為、どれが正しくてどれが間違いなのか(あるいは全部が間違いで、全部が正しいのか)が全く分からない。


 だから、どれが正しいのか分からない以上、……さんから聞いた××神社のことを思い出せる限り書いていく。それしか、ないと私は思う。色々と矛盾が出て来ると思うし、まあ分かり難いだろうが、我慢してくれ。本当なら、こういう資料を作るのだって私は嫌なんだから……さて、それでは始めよう。


 ……あ、そうそう。説明が遅れたが、(注)、と書かれているやつは補足説明なので、あしからず。





 ――まず、……さんが話した『鬼姫伝説』だが、これは件の××神社がある地域にのみ口伝として語り継がれている代物らしい。そして、この『鬼姫伝説は』、『鬼姫(注2)』と呼ばれる強大な『力』を持った悪霊が生まれるにまで至る経緯と、それを封じ込めて静めるまでに至った経緯を表したものらしい。


 ――この『鬼姫』は、他の悪霊と違って、基本的には他者を積極的に呪うようなことはしないらしい(注3)。しかし、その身から放たれる『力』は害悪で、ただ傍にいるだけで何かしらの祟り(注4)を引き起こしてしまう程であったらしい。


 ――その為、当時(神社が出来た何百年以上も前の、人々だ)の人々は『鬼姫』を恐れた。何度か『鬼姫』を退治しようと陰陽師たちも出てきたらしいが、どうにもならなかった。なので、何とか『鬼姫』の機嫌を良くして悪さをしないよう、あらゆる手(注5)を使ったらしい。


 ――××神社が建てられたのも、そういった理由かららしい。なので、あの神社は他の神社とは違い、神様を祭るのではなく、この『鬼姫』という悪霊を祭っている。だから、あの神社には一見するばかりでは御神体もないそうだ


 ――何故、当時の人々がそんなことをしたのかと言えば、神様に仕立て上げて拝み倒し、良い気持ちのまま健やかに静まっていてくださるように……とのことらしい。まあ、これが正しいわけじゃないから、そういう仮説があるとだけ思っていてくれたらいい。


 ――この神様として奉る作戦は、思いのほか上手い事いったらしい。長い間『鬼姫』は静まってくれていたらしく、時には逆に天変地異を防いでくれたり、豊作をもたらしたり、病気を治したこともあったらしい。


 ――ただ、善神になったわけではない。それでも時々は祟りを起こしたこともあったが、辛うじてと言える程度の平和はそれなりに長く続いた。だが、そんなある日、その××神社がある山のふもとの村に、『名のある法師(注6)』がやってきた。名前は、分かっていない。口伝として残されている言葉も、『名のある法師』だったらしいから、おそらくその法師は名を名乗らなかったのだと思う。


 ――その法師はどうも、山を見上げただけで『鬼姫』の存在に気づいたらしく、やってきて早々村中の人々を集め、『あの地災いなるもの有りけり、某が封じてしんぜよう』と持ち掛け、『それはそれは美しい刀(注7)』を村人たちに見せたらしい。


 ――驚いた村人たちは、『鬼姫』の怒りを買うことを恐れて法師を止めた。だが、村人たちも本当は『鬼姫』が封じられることには賛成であった。なので、おおよそ三日程経った頃、村人たちは法師にお願いし、村中からかき集めた金を法師に渡した。


 ――法師は早速、山に登って××神社に祭られた『鬼姫』の下へ向かった。『常人には障る、迂闊に見れば命なし』という法師の言い付けの下、村人たちは誰一人法師の後を追い掛けなかったらしい。


 ――そして、さらに三日後。山から下りてきた法師を見た村人たちは、仰天した。何故なら、法師の顔はまるで『二十年』の時を経たかのように皺くちゃになっており、村人たちも最初はその人が法師なのかが分からなかったらしい。


 ――山から下りてきた法師は、特に何も語ることはなかったらしい。しかし、くれぐれも守ることとして幾つかの決まり事を伝えた後、こう告げて村を去ったらしい。


 ――『某の宝剣にて『鬼姫』を封じけり。しかし、いずれは打ち破られる。ゆえに、酒と馳走を季節ごとに捧げものとして神社に供え、静めること。けして途絶えさせぬよう肝に銘じておくべし。そうすれば、今後は祟りが起こることはないだろう』


 ――その後、法師がどうなったのか、記録はおろか口伝にすら残っていない。唯一分かっているのは、その時法師の手には『刀』はなくなっており、法師の顔は死人のように青白かった……ということらしい。



 注1.これでも若い頃は小説家というものに憧れていてな。らしくない、とは思っているが、これぐらいは、いいだろう? まあ、ちょっとキザな書き方だったとは思うが。

 注2.元々は違う名前だったらしいが、少なくともかなり早い時期から『鬼姫』という名前が定着していたらしい。当時は、良からぬ者には大概『鬼』と名付けたらしいから。

 注3.あくまで、基本的に、である。言い換えれば、気紛れ一つで災厄を撒き散らしかねないということを肝に銘じておかなければならんぞ。

 注4.言っておくが、悪い事全てに『鬼姫』が絡んでいるわけではない。あくまで、『鬼姫の仕業』と思われていた、というだけだ。ちなみに、この『鬼姫』が引き起こした悪い事は口伝として残っている限りでは、地震や疫病、飢饉や水害といった天変地異である。

 注5.しきたり(子供が生まれた年には、その生まれた分だけの御供えをする等)は色々あったらしいが、天変地異が起こった時には生贄(生娘や童貞といった年若い子供が捧げられた)なんかもやっていたらしい。

 注6.一説では阿倍清明の子孫だとも、法師に化けた御仏とも言われている。とにかく、ただ者ならない雰囲気の者(男か女なのかも不明)だったのは、確からしい。

 注7.おそらく尾ひれが付いただけなのだろうが、この『刀』は常に光を放ち、夜になってもまるで太陽のように小屋の中を照らしたのだとか。村人たちが法師を信用したのも、もしかしたらこの『刀』を見たからなのかもしれない。



 以上が、『鬼姫伝説』について、……さんが語ってくれたことの全てであった。途中、そういえばと何度か思い出せそうな気がしたが、うっすらと覚えていたのを思い出したからなんだろう。まあ、それはいい。


 今だから言えることなので、正直に記そう。その時、……さんの話を聞き終えて私が最初に思ったのは……『まあ、よくある話』だな、という程度のものだった。


 別に、珍しいことじゃないんだ。今でもそうだが、言い伝えってやつは尾ヒレ背ヒレどころか手足が引っ付いて伝わることが多い。天変地異が起こるとか、疫病が流行るとか、全部が全部そうではないが……とにかく、昔は何でも大げさだったんだ。


 とはいえ、だ。だからこそ、その時の私は心の中で首を傾げた。何故なら、……さんは、この仕事に関しては誰よりも厳しく、誰よりも冗談が通じない御人だと私は知っていたからだ。


 そんな……さんが何故、こんな『よくある話』をわざわざ私に言い聞かせたのだろうか。いや、それどころか、私の父も何故私に言い伝えたのか。それが分からなかった私は、おそらくよほどの馬鹿面を晒していたことだろう。


 その時の……さんは、しばしの間何も語らなかった。ただ、黙って茶を飲んで私の反応を伺うばかりで、それ以上は何も言わなかった。今にして察することが出来たが、たぶん、この時の……さんは、私がその結論に思い至るのを待っていたのかもしれない。


 その結論とは、お前も察している頃だろうが、つまるところ。


「もしかして、『鬼姫伝説』は本当に実在した話なんですか?」

「正確に言えば、『鬼姫』の方は、だな。伝説の方は、眉唾ってところだ」


 そういうことだった。


「だが、『鬼姫』……つまり、○○山の××神社に、『鬼姫』は今も封印されている。とにかく、現実にあるのはそれだけだ」


 嫌な予感が、私の脳裏を過った。今でも、この時の嫌な感覚ははっきりと覚えている。


「それを私に聞かせるということは、もしかして……」

「馬鹿野郎。いくらお前であっても、アレを祓おうなんざ考えるな。あれはもはや、人が手を出してもよい相手ではねえんだ」


 では、いったい……逸る私を遮って、……さんは私に言った。


「様子を、見て来てほしんだ」

「様子?」

「封印が解けていないか、あるいは解け掛けていないか。それを、確認しに行ってほしい」

「……なぜ、それを私に?」

「――坊にしか、頼めないことだからだよ」


 危険であるのを承知の上で。


 この時、ギリギリのところで呑み込むことが出来たこの言葉を、私は今になって記す。あの時は、とてもではないが……さんには言えなかった。顔色こそ変えなかったが……さんも、きっと辛かったのだと思う。


「鳥居から向こう、社へと近づけるのは『力を持たない一般人』か、鬼姫の呪力に抗える『強い力』を持つ者に限られる。だが、封印の状態を確認出来るのは『力を持つ者』だけだ」

「…………」

「当日、俺を含めた皆で、山のふもとで祭りを開く。言い伝えによれば、『鬼寄せの舞』と呼ばれる儀式を行えば、鬼姫の注意をある程度は引き付けることが出来るらしい」

「……では、私はその間に?」

「ああ、そうだ。加えて――坊には、『黙秘の秘術』を用いて現地に向かってもらう。これなら、さすがの鬼姫も――坊を見付けられはしないだろう」


 そう言うと、……さんは計画の具体的な――。




 ……。


 ……。


 …………。


「――さん、下りないんですか?」


 掛けられた声に、私はハッと目を見開いた。顔を上げれば、既に車は現地に到着しており、誰も居なくなった運転席の向こうには青々とした景色が見えていた。


 おそらく、かなり私に気を使ってくれたようで、今の今まで車のエンジンをかけっぱなしにしてくれていたのだろう。車の中はヒヤリと涼しかった。


 フロントガラスの向こうには、他の人達全員が立ち並び、私の方を見つめている。その中に、不機嫌そうに目じりを釣り上げている△△神社の△△さんが居ることに気づき、ようやく状況を呑み込めた私は、声を掛けてくれた……君を見やった。


 ……君は、祖父の代から付き合いのある……さんの孫にあたる、私よりも少し年下の御同業だ。……君は彼の祖父である……さんよりも『力』は弱いが齢が近いせいか、いわゆる飲み仲間という間柄である。


 多分、……君は何時まで経っても車から出てこない僕を、代表して呼びに来てくれたのだろう。本来なら……君ではなく、△△神社の△△さんが怒鳴りつけに来ているところだ。


 ああ、いけない。


 とんだ失敗を仕出かしてしまったことに思い至った私は、声を掛けてくれた……君へと頭を下げた。「いや、気にしなくていいですよ。さあ、行きましょう」本当に気にしていないのか、……君は苦笑して私が車から降りるのを待って……そして、また、……君は苦笑した。


「――さん、それ、持って行くんですか?」

「え?」


 ……君からの視線を受けて、私はようやくソレを手に持ったままであることに気付く。「いや、ごめん」今時子供でもしない失敗を続けた私は、もう恥ずかしいばかりでソレを車の中へ放り入れて、閉める。


「車に乗ってからずーっとアレに目を通していましたけど、よほどアレが気に入ったんですか? わざわざそんなものを用意するぐらいには」


 ……君の視線が、私の全身を舐める様に行き来する。そんなもの、とは、服の裏地に貼り付けた大量の護符のことを言っているのだろう。


 まあ、言いたいことは分かる。


 今の私は、いくら何でも重装備過ぎだろうと言われれば、そうだろうなあ、と納得してしまうぐらいに着込んできている。言うなれば、東京タワーを上るのに登山用の装備をして乗り込んでいるようなもの。自分で用意しておきながら、私は着て来るんじゃなかったとどこか後悔しているぐらいだった。


 この○○山は、一般人からすればなんてことはない山々の一つ。しかし、私たち『祓い師』にとって見れば、ここは『なんてことはない』、の言葉で片付けられる山ではない――


「でも、心配は杞憂でしたね。正直、拍子抜けしましたよ」


 ――ということに、今までなっていた。そう、『今まで』は、だ。辺りを見回しながら、……君はやれやれとため息を吐いた。


「話には聞いていましたけど、言われていた程じゃないですね。霊的地場も安定していますし、悪霊の気配も感じませんし……結局、眉唾は眉唾に終わっただけでしたね」


 ……君の言葉は、確かであった。


 実際、この○○山は『理由なき立ち入りを禁じられている』とこの業界では公然の認識であったぐらいだが、いざ、戦々恐々としながらも蓋を開けてみれば何てことはない……という程度でしかなかったのだ。


 さすがに街中よりは霊的地場は不安定だが、それでも自然界の中では安定している方だ。加えて、悪霊の気配も痕跡も全く感じ取れないばかりか、浮遊霊の気配も感じ取れない。


 おかげで、……君に始まり、この仕事の為にやってきた皆様方の気も緩みっぱなしである。まあ、それも仕方がない。何せ見える範囲だけでも、まるで、クレーター跡のように空気が落ち着いているのだから。


「……それじゃあ、行きましょうか」


 とりあえずは、そう言って私は言葉を濁す。その私の言葉に、たぶん、……君は口が過ぎたと思ったのだろう。「それも、そうですね」フォローにもなって無いフォローで私を肯定すると、さっさと車の鍵を閉めて……君は先に行ってしまった。


 私も、その後に続く……のだが、ふと、足を止めて振り返る。今しがた車に残したソレは、今回の仕事の資料であり、父の遺品でもある。○○山の××神社についてが記された現存する唯一の代物である。


 外面が良いので誤解されがちだが、父はけっこういいかげんでいい性格をしていた。それこそ、重要な資料となる記録を、こともあろうか小説形式で書き残すぐらいには、いい性格をしている。


 おかげで、この資料が保管庫から引っ張り出されて表に出て来た時にはもう、顔から火が出るぐらいに恥ずかしかったが……まあ、今はいい。私が気になっているのは、そこではない。


「何事も、起きなければいいんだが……」


 先に行っている皆様方もそうだし、……君にもあえて言おうとは思わなかったが、父はいいかげんな性格はしていたけれども、この仕事に関しては超が付くぐらいに真面目な人だった。


 人に誇示することを良しとしないタイプだったから、家族以外は知らないだろうが……本当に、糞真面目と揶揄されても仕方がないぐらいの大真面目であった。だから、私はどうしても気になっていた。


 いくらあんな文体で残したとはいえ、あの父が中身までいいかげんなことをするのだろうか。他の人達は、あの人にもそんな茶目っ気があったのかというぐらいにしか捉えていないが、私は……父を知る私は、むしろ逆の印象しか覚えなかった。


 茶目っ気から、あのような書き方にしたわけではない。むしろ、あのような書き方をしないと書けないぐらいの『何かがあった』のではないか。あるいは、『何かを見た』のではないか。


 予感にも似たその疑念を、私はどうしても拭い去ることが出来ず、無視することも出来ないでいた。




 ……。


 ……。


 …………そして、今。話で聞いていた以上にボロボロになっている神社の中に、私はいる。鳥居を通り、境内を進み、賽銭箱(の、成れの果てだろう)らしきガラクタの横を通り、社の中へと進んだ私は……全てを、察した。


 はっきりと、父が書き残した遺品を見てから抱いていた疑念が確信へと変わるのを胸の奥で感じた。それが、分かった。そして、中々社に近づけないでいる……君や、青ざめて動けないでいる皆様方を背後にして、父が見たであろう『何か』の前に……いや、違う。


 これが……父の遺品に記されていた、『鬼姫』か……!


 ごくりと、唾を呑み込む。それが、嫌なぐらいに頭の奥で反響する。私は、いつ何時何かをされても対処できるように『力』を全身に巡らせながら……眼下にて眠りこけている、『力を持たぬ者には見えない少女』を見つめた。


 姿かたちは、人と変わりなかった。背丈もうちの娘ぐらいで、見た目は美少女と断じて間違いない。裸のまま大の字になっているという理解し難い体勢を除けば、一見するばかりでは特別人間に対する害意は感じられない。


 『鬼の姫』と名付けられたにしては些か可愛いというか、幼いというか、まあ……拍子抜けした。そう、その姿を見た者は思うのかもしれない。


 だが……それは間違いだ。そんな評価を下したやつは、まず間違いなくインチキ野郎だ。私は、誰に言うでもなくそう心の中で吐き捨てて、また、唾を呑み込んだ。


 何故か、その理由は簡単だ。『鬼姫』の身体から放たれている『力』が、尋常ではない……その一点に尽きた。少しでも『力』を持つ者が『鬼姫』の姿を直視すれば、まず冷静ではいられないだろう程の、強大な『力』だ。


 おそらく発狂とまではいかなくとも、長時間その姿を直視すれば魂そのものにダメージを負ってしまう。もはや人知を超えていると言っても過言ではないぐらいのソレが、『鬼姫』からは放たれているのだ。


 幸いにも、ソレには『邪気』や『害意』は感じない。そのおかげで、『鬼姫』の『力』に反応してしまう私のような者たち以外には、ほとんど無害と言っていいだろう……あくまで、現時点では。


 そんなのは、大した問題ではない。ただ、そこにいるだけで周囲に影響を与える。目の前の少女はまさにそれで、もはやそれは、『自然災害』にも等しい存在ではないかと……私は思わずにはいられなかった。


(明確な邪気を抱かなくとも、息を吐くだけで他者を殺め、摂理を捻じ曲げてしまう。もしかすれば、『鬼姫』とはそういう存在なのかもしれない……!)


 仮に『鬼姫』が、人間に対して敵意を抱けばどうなるか。封印が解け、その『力』が辺りへ吹き出し、それが広まり続ければ……有り得るかもしれない想像に、私は思わず背筋を震わせる。そして、その視線は自然と『鬼姫』から……『鬼姫』の向こうにて鎮座されている、『刀』へと向いた。


(『神』のそれとは少し違う……『力』とも違う。『神』のソレに似ている、不思議な気配を感じる。父の記したアレが全て真実なら、あれこそが『鬼姫』を封じている『宝剣』に違いない)


 言い伝えにある法師の言葉を事実とするなら、いずれ『封印』は破られると言う。以前は、そうさせないよう『鬼姫』の気を静める為に色々とやっていたが……今、それが途絶えてどれぐらいになるだろう。


 あの『刀』が何らかの形でその力を失くせば、事は百人や二百人の話では済まない。それこそ、万単位で人が死ぬ。いや、人だけで収まれば御の字だ。『鬼姫』が本気で人間を、生物を、この世全てに祟りを振り撒けば、その時にいったい何が起こるのか……私は、それ以上の想像を止めた。


 だって、どうしようもないのだ。どうにかしないといけないということは分かっているが、下手に手を出すことは出来ない。手を出した相手は絶対に殺され、それだけに収まらず爆発してしまえばもう、取り返しが付かないからだ。


 処置に失敗すれば最悪、この山……どころか、この山を中心にして数十キロを閉鎖する必要すら出て来る。いったい誰が、そんな危険な賭けに打って出よう。


 今は亡き父が、どうしてあのような文体で資料を残したのか、その訳が痛い程分かった。本当は、うろ覚えなどではなく、しっかりと覚えていた。でも、書けなかった……いや、書かなかった。


 それは、何故か。そんなの、考えるまでもない。


 目の前で寝息を立てている少女が……『鬼姫』が、怖かったのだ。この、だらしない寝姿を晒し、あどけない寝顔を見せている女の子を……恐れ、思い出すことすら苦痛だったのだ。


 考えてもみてほしい。これは、言葉を変えれば隣の県に何時発射されてもおかしくない、大量の核弾頭を保有した施設が放置されているようなものだ。しかも、それを防ぐ手立てはなく、それこそ明日にでも発射されても不思議ではない。つまり、そういう状況なのだ……と。


「いやあ、すみません! お暑い中、わざわざお越しくださって!」

「――っ!?」


 社中に響いたその声に、私は思わず肩を震わせた。いや、私だけではない。振り返った私の目には、私と同じような表情を思い浮かべている皆様方と、……君。そして、私の背後にて眠り続けている『鬼姫』のことなど気付いてすらいない、現場監督の□□さんが笑みを浮かべて社の中に入って来ていた。


「お、大きな声を出さないでください! こ、ここは神様の御前ですよ!」

「え、あ、ああ、すみません! 不作法でした!」


 青ざめた顔で諌める……君に、□□さんは慌てた様子で頭を下げる。たぶん、□□さんは……君のただ事ならない反応を見て、神様へ不遜な態度を取ったことを怒られたのだと思ったのだろう。『鬼姫』の姿が見えない□□さんからすれば、まさか、『鬼姫』を起こしかねない大声に対して怒られたとは……夢にも思うまい。


(『鬼姫』から放たれる『力』は強大だが、邪気はない。だから、□□さんは平気でいられるのか……)


 作業着姿の□□さんは、見た所『力』を持っているようには見えない。まあ、持っていたら『鬼姫』から放たれている『力』に反応して、こんな冷静には振る舞えないだろうけど……私は、改めて『鬼姫』を見やった。


(肝心の『鬼姫』は、気づきもせずに眠っているか。封印は……まだ、弱まってはいないと見ていいのか)


 先ほどの大声にはヒヤリとしたが、幸いにも起きる気配は見られない。これはおそらく封印の影響だろう。とりあえずは、今すぐ何かをして封印が解かれるような状態ではない、というのは確かだ。今回の仕事を終えるに当たって、それが知れただけでも良かった。


 というのも、今回の仕事は『寂れて久しい神社の神様を、別の神社へと移して欲しい』で、あるからだ。言い換えれば、無理やり別の住宅に間借りさせるようなもの。まあ、珍しいことではない。


(……見た所、この神社にはあの『刀』以外の『神』の気配は感じられない。『神として崇めることで鬼姫を静める』という言い伝えも真実なら、『神』がいないこと事態は何ら不思議なことではない)


 やること事態は、手慣れたものだ。しかし、今回に限って言えば、だ。その前提が問題になってしまうことになろうとは、夢にも思っていなかった。


 何故なら、あくまで『神』として敬っているだけで、『鬼姫』は、『神』ではない。いつも通りに済ませたとしても、『鬼姫』はここに取り残され、『刀』だけが向こうに行ってしまう……そんな結果に成りかねないということだからだ。


 ――いったい、どうするべきか。


 いちおう、『その地に縛られた幽霊』を移す術は私のみならず、この場にいる皆様方も心得ている。しかし、それを行うには些か勝手が違うし、時間もかかる。だからこそ、一人で判断するにはあまりに思い責務に、私は呆然と佇む皆様方と……君を呼んだ……のだが。


 ――私たち全員でやれば、移せそうか?

 ――いや、無理だ。

 ――ならば、一時神社を閉鎖して、時間を掛けて移すのは?

 ――それも無理だ。そんなことしたら、次から仕事が来なくなるぞ。

 ――事情を説明すれば、理解してくれるかも……。

 ――無理だ。工事の人達は『鬼姫』の姿は見えないし、感じないんだぞ。


 結果は、私が思っていたこととそう変わりなかった。しかも、より悪い現実を突きつけられる形で。こんな仕事、受けるのではなかったと、心の底から私は思った。


 だが、所詮は私たちも人間だ。霞を食って生きているわけではない。神職に就く者としては何と畏れ多い話だが……神職に就く私たちもまた、金が無ければ生きてはいけないのは同じである。所詮は金かと嘲られるのも、今更な話だ。


 引き受けてしまった以上は何とかしなければならない。その上、この後、少なくともここでは何事も起こらないようにしなくてはならない。今後も、仕事を回して貰いたいのなら……何が何でも、成功させるしかない。


 しかし、どうすればいい? どうやれば、そんなことが可能なのだ?


 何もかも、投げ出したくなる。今すぐにでも逃げ出したい気持ちを堪えながら、打開策が無いか社の中を見回し……ふと、開け放たれた廊下の向こう。工事機材が積まれているの中に、ポツリと置かれている幾つかのビニール袋に目を止めた。


 近寄って、見てみる。透明なそれの中身は、ビール缶や焼酎瓶を始めとした、様々な飲み物の空き缶空き瓶。その隣にあるのはペットボトルか……工事の人達が出したにしては、やけに量が多過ぎる気がする。気になって、私は□□さんに尋ねた。


「ああ、あれですか。あれはこの神社に供えられた物で、中身は全部空ですよ。夜の内にホームレスとかが中身だけくすねたんでしょう」

「え、中身だけ? あの量を?」

「驚くでしょう? でも、実際に全部空だったらしいですよ。正直、持って行くなら全部持って行けって話ですよ。破棄するのもタダじゃねえっていうのになあ」


 すると、返ってきた答えがそれであった。


(もしや……偶然にも……?)


 自然と、私たち(皆様方と、……君)は顔を見合わせ……その瞬間、私の脳裏に、父の遺品の中に記されていたソレらが濁流のように私の中を通り過ぎて行った。


(『鬼姫』の気を静める為に、かつては生贄が捧げられていた。それがどのように作用したのかは分からないが、結果的には『鬼姫』が荒ぶることも少なくなり、平和が続いた……それが事実なら、また、生贄を捧げさえすれば……)


 と、同時に。私は閃いてしまった。それは、雷鳴のような、という可愛いものではない。まさに、悪魔の囁きとしか言いようがなく、その方法を思いついた瞬間……私は、そんなことを思いついてしまった己が怖くなるほどだった。


(しかし、数百年前ならいざ知らず、現代で生贄なんて所業……出来るわけがない。犬や猫や牛……果たして、それで大丈夫なのか。もしそれでどうにかなるなら、とっくの昔に試されているはずだ……人でないと、最低でも人でないと駄目なのかもしれない)


 今ならまだ間に合う、違う方法を探そう、外道に堕ちてはならない。様々な言葉が、私の中に木霊する。


(それに、一人や二人生贄に捧げたとしても、次はどうする。しきたりとして残っていたぐらいなのだから、おそらく定期的に生贄を捧げ続けなければならない……そんなの、用意出来るわけが――)


 けれども……けれども、もう、私は私自身を止められなかった。


(――人で、生き物でさえなければ……問題はない?)


 それだけは踏み越えてはならない。神職に就く者ならば絶対に犯してはならない禁忌に……私は、縋ってしまった。


(生き物が駄目なら、死者……『神』や『幽霊』ならば捧げても……咎められることは……)


 もう、止められない。いや、もはやこうするしか、方法はない。


(今後、『鬼姫』の『力』が外へと向けられないように……そう、これは適切な対応……)


 並のやつでは、駄目だ。御同業たちにも手におえないぐらいの厄介なやつを、『鬼姫』に……そうすれば、きっと『鬼姫』も満足してくれる。


(こうするしかないんだ。もう、こうするしか……これしか……)


 そう、これしかない。もう、これしかないんだ……これしか……。


 …………。


 ……。





 俺が神官の子供として生まれたのは、今から80年も前のこと。いずれは親父の後を継ぐ者として、『見える者』として、親父から最初に教えを受けたのは、俺が小学校に入ってすぐの時。以来、『力』を持つ者として自覚を促され、本格的な修行を始めたのは……高校を卒業した頃だった。


 そして、先代……親父が亡くなったのは、俺が40歳になった頃。死因は突発性の心不全ということになっているが、実際はアルコール中毒から来る……まあ、それは後にしよう。


 親父の死後、俺は40という若さで神官を務めることとなった。世間一般から見れば若くはなかったが、私たちの世界では若造もいいところ。私自身の未熟さもあったが、神官になってから初めて体感する『この世界特有のルール』に困ったことは一度や二度ではなかった。


 時には怒りを堪えて趣味に逃げることもあったし、時には逃げ出したこともあった。けれども、そんな俺も神官になってから40年目の夏を迎えられた。


 曲がりなりにも俺がこの世界でやって来られたのは、単に家族の手助けと、親父の友人である……さんのおかげである。そして、晩年こそ酷かったものの、『優秀な祓い師でもあった』親父の背中を、誰よりも間近で見ていた俺だったから……というのは、まあ、自惚れか。


 とにかく、40年。今では特別誰かと比べられることはなくなったが、『さすがはあの○○の息子だ』と言われたのは、もうだいぶ前のことだ。


 直接確認したわけではないから所詮は俺がそう思っているだけだろうが……かつての年寄り連中も、あの世で少しは俺を認めていることだろう。


 自分で言うのも何だが、俺は自信があった。親父から受け継いだこの『力』もそうだが、周囲から向けられる色眼鏡に負けるかと奮起し、誰よりも厳しく己を苛めたからこそ……俺は、『祓い師』として大成出来た。


 そう、俺は思っていた……20年前までは。


 ……もし、これを読んで気を悪くしたのなら先に謝っておく……すまない。


 だが、どうか読み終えずに待ってほしい。先述したとおり、あくまで、当時の俺は『思っていた』のだ。それで分かってくれると思うが、今は違う。所詮、俺は『井の中の蛙』だった。そう、20年前に心から思い知らされる出来事があったからこそ、俺は『思っていた』と記述したのだ。


 ……歳を取ると話が長くなるとは……さんの口癖だったが、なるほど。こうして筆を取ってみて、それが痛い程分かる。しみじみと、あの時の言葉が身に沁みる。


 あの時……さんは、それが歳を取るということだとしみじみと俺に話してくれたが……それが、今になってよく分かる。


 年を取ったからこそ、多くなるのだ。伝えたいこと、記しておきたいこと、残しておきたいことが多過ぎて、まるでボディソープを泡立てるかのように、次から次へと『書きたいこと』が溢れて筆が止まらなくなってしまうのだ。


 ……しかし、何時までもただ長々と惰性に書き連ねるわけにはいかない。年老いた今の俺の手では途中で力尽きてしまうし、そもそも何を書こうと思ったのかすら忘れてしまうかもしれないから。


 ああ、嫌だ嫌だ。年は取りたくないものだ。親父の顔も忘れ、母の顔も忘れ、一日一日が光陰矢のごとし。なのに、あの時のことだけは昨日のように思い出せてしまう。何時まで経っても、忘れられない。


 そんなわけだから、長くなったけれども本題に入ろう。あんまり気が滅入ると、いよいよもって書く気が失せる。俺の思い出日記でしかないこれを、資料代わりに後世へと残すらしいので、締めるところはしっかり締めないと、な。


 さて、それでは。俺がこれから語るのは、『井の中の蛙』であることに気付かない哀れな蛙の身で、大海を制覇したつもりになっている……馬鹿な男の話であります。




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