2巻


「伝令!!」

伝令がいつものように高台へと韋駄天のように走りこんでくる。

「報告!敵損害率低!!わが軍は死者は出ていないものの、負傷者も多く、物資もつきかけているためこれ以上戦線を維持できません」

いつものことかと言わんばかりに、凛とした落ち着いた態度で伝令を横目で見るルディル。

「よし、敵の攻撃を抑えつつ第二防衛ラインまで撤退。敵が追撃の様子を見せたら射撃部隊を全員高台へ移せ」

「はっ!それから…非常に申し上げにくいことですが…」

「どうした?」

「退却した負傷兵の情報によりますと、ラース氏が突然倒れ、何者かにさらわれる様子を目撃したとの報告が…」

「なんだと!!」

ルディルはそれを聞くと、目を見開いて伝令のほうを見る。

「それはいつ!どのあたりだ!!答えろ!!!」

「い…いえ…私もそれだけしか聞いておりませんので…」

「そうか…」

ルディルは肩を落とす。

「ともかくさっきのことを全軍に伝えてくれ…それから、その負傷兵に後で話があることもだ…」

声のトーンを明らかに落とし、震えながら伝令に伝える。

「はっ!」

伝令は再び、韋駄天のように高台を飛び出していく。

「ルディル…」

明らかに豹変するルディルの様子を威厳のある顔で見つめるカーク。

「今は…」

「わかっている…。私はいくつもの命を預かっているからな…」

ルディルはカークの言葉を切り裂くようにさえぎる。

「ああ…今はとにかく前へ進め」

「わかっている…わかっているさ…」

高台の下では、続々と人の群れが自分の陣営に下がっていく。

その様子をルディルは憂いた表情で眺めた。



「ん…くっ…」

視界が徐々に明るくなり、瞼を無理やりにあける。

そのぼやけた視界が徐々に鮮明になり、目に飛び込んできたのは木でできた天井だった。

ラースは思考にかかった霧を払い、辺りの状況を確認しようとする。

「くっ…いだっ!」

しかし体を起こそうとすると体に走る痛み。鉛のように重たい体を起こせずにいた。

仕方なくベッドへと再び体をゆだねる。ふと耳をすますと、どこからか足音が聞こえる。

その足音は楽しそうなリズムを踏み、どうやらラースへと接近しているようだ。

ラースはその足音に警戒し、様々な危険を脳内で駆け巡らせる。ついに扉の前へと来た。

錆びたヒンジの音が聞こえ、扉が開く。

「やっと起きた?もー大変だったよ」

現れたのは、小さな少女だった。ラースはその顔に見覚えがあった。

「お前は…あの時の…いつっ!」

「まだ動いちゃだめだよ!!」

少女は起き上がろうとするラースを制止する。

その少女は、ラースの意識が途切れる前に目に移った少女だった。

「間に合ってよかったよ、本当に。見つけたときは心肺停止っ。調べてみれば強力な神経毒!よく生きてたよまったくもー」

「あのクソヤロウ…帰ったら殺してやる…」

「とにかく今は安静にしてなきゃだよっ。強力な強心薬と中和剤使ったから、今日中は痛みさが続くかな。あなたの武器もあんなだし」

少女が指をさした先に、ラースは目線を向ける。そこにあったのは長年の相棒の無残な姿だった。刀身は真っ二つに折れ、鞘にはひびが走っていた。

「くっそう…ありゃ修理俺には修理できねーな…」

死者を弔うように、憂いて長年の相棒を見つめる。

「それよりここはどこだ?」

「んー…ちょっと言いにくいんだけど…」

少女は困ったような顔をしてどもる。

「ここは『フロストの森』ってところで…人間界での呼び方は…『魔境の入り口』かな…」

「なに…!?」

ラースは驚き目を見開く。

「魔境の入り口っていや魔界の端っこにある森じゃねぇか…ってことはあんた…」

「えっと…そのー非常に申し上げにくいのですがー…」

少女は肩を少し動かす。その背後から、少女の身の丈ほどあるカラフルな翼が逃げ場をふさぐように現れた。

「おいおい冗談…だろ…?」

「えへへ…まあ人間の間ではハーピーって呼ばれる種族になる…かな」

ラースは再び驚く。ここは敵陣の中、それも敵であるはずの者に助けられていたのだ。今まで倒してきた者が、命の恩人になってしまったのだ。

「俺をどうするつもりだ」

「そうだねー…鍋で煮込んでたべちゃおっかなー」

「冗談になってねーぞったく」

ラースは彼女から殺意が全く出ていないことを感じ取っていた。

「うそうそ。ただ、たまたま見かけたから、ちょっと連れてきただけだよ。治ったら帰るのも自由だし、ここに残るのも自由だよ。明日には治るでしょ」

「そうか…」

「それまでおとなしくしててねっ」

「へいへい」

ラースは再び天井を見つめ、まどろみに沈んで行った。



騎士団宿舎の一室。ルディルはベッドの上でクッションを抱きしめていた。力いっぱいにクッションを抱きしめ、震えていた。

ルディルは個人的に近しい人物を亡くしたことがなかった。その震えは、時間がたつたびに大きくなっていった。

ルディルの心の中は、まるで竜巻のように様々な思いで渦巻いていた。

ラースはまだ生きているかもしれない。彼が直接誰かに殺されているところは、誰も見ていない。そう合理的に考えようとするも、最終的にたどり着くのは魔物どもに拷問され、情報を吐き出すまでいたぶられ、そしてまるで生ごみのように捨てられるのではないか、という考えだった。そう考えたほうが、認められないが納得がいく考えだった。ラースに生きていてほしい、生きている可能性があるという願いと、ラースが死んでいる、もしくはいたぶられているという納得が、ルディルの心を、まるで十字架に磔にされ火に炙られているかのように、じわじわと追い詰めていった。

テーブルの上にある、カークがルディルを心配して持ってきたスープは、すでに冷めている。夜も更けている。ルディルは翌日は全くの休日だったのが幸いだろう。

ルディルは枕を抱きしめ、その表面を濡らしていた。

すると…。扉を誰かが強くノックした。

「カークか…入れ…」

ルディルは震える声を押し殺し、何とか凛とした声を出す。

「はいるぞ。まったく。食堂のおばちゃんがお前のためにこめて作ったスープだぞ」

「すまない…。食欲が全くわかないんだ…」

「まあ無理もないがな」

カークは椅子を引っ張って座る。ルディルを見下ろすように眺め、その表情は一寸の心配の色を帯びていた。

「心配か?」

ルディルはさらに枕に顔を突っ込む。

「素直じゃないな。まあ心配だってのはお前の様子を見ればわかるさ」

「何の用だ…しばらく一人にしてくれといったはずだ…」

「飯も食わずに引きこもられたら、そりゃ心配になるさ」

ルディルは少し腕を緩める。埋めていた顔を少し上げ、光る目をカークに向ける。

「はぁ…めそめそしている暇はないぞ」

「わかっている…わかっているさ…」

立ち止まれない。そんなわかりきったことはルディルが一番よく知っていた。しかし彼女の心を、太く鋭い杭が刺さり、地面へと磔にしていた。

「なぁルディル」

「なんだ…?」

「一人で悩むなよ…」

「私個人のことだ…。騎士団に背負わせるわけには行けない…」

「まったく…お前は騎士団の頭だぞ?お前の悩みは騎士団の存続にかかるんだ」

「また説教か…?なら出て行ってくれ…」

「説教じゃないさ…。まだラースは死んだってわかってるわけじゃないんだろ?」

それを聞くと、再びルディルは枕を強く抱きしめる。

防御を固めるように外からの音や景色をシャットアウトしようとしているようだ。

「ラースが生きているか死んでいるか。それを確かめてから悩んでもいいんじゃないか?」

ルディルはさらにクッションを抱く力を強める。

「もし…」

かすかな弱々しい声で口を開く。

「もし…ラースが死んでいたら…私はどうしたらいい…」

「それは、お前自身が決めることだ」

カークは冷たく、突き放すように言い切る。

「だがさ」

その突き放した距離を詰めるように言葉を重ねる。

「今はまだ確定していないことを考えても、よくなることも前に進まない。違うか?」

ルディルはその言葉を聞いたとたん、枕を抱く腕の力を一気に緩めた。

「カーク…」

「なんだ?」

「すまない…」

「いいさ。あんたが落ち込んでたら、俺たちも心配だからな」

「すまない…。少し、整理させてくれ…」

「ああ、せめてスープは飲めよ。冷めててもうまいぞ」

カークは椅子から立ち上がり、静かに部屋の外へでた。

カークが去ると同時にルディルはクッションを横に置き、スープへと口をつけた。



同じころ。

ラースもスープに口をつけていた。燭台のわずかな光が、部屋の壁を濡らす。

ラースは何とか起き上がり、小さなテーブルに置かれたスープにスプーンを差し込む。その様子を、同じテーブルに腕を置き、楽しそうに見つめるハーピーの少女。羽をたたんでにこにことラースの様子を見つめる。

「どーおー?スープは」

「うん。うまいな。今まで食ったスープの中で二番目の味だ」

「ちなみに一番はなぁに?」

「ある人が作ってくれたスープだ。僅差だがな」

「ふーん。いいなぁ」

ラースは不思議な思いであった。本来敵であるはずの魔物に、命を救われ、さらにはスープをふるまわれている。

不思議な気分だった。なぜ俺を殺さない。なぜ救う。なぜ?なぜ?と…

「ねえねえ」

先に声をかけたのはハーピーの少女だった。

「どうして人間は私たちを傷つけるの?」

「戦争だからだ。戦わなければ、俺たちがやられる」

「ふーん」

ハーピーは興味津々にラースの話を聞いている。

「俺のほうからも聞きたい」

ラースはすっかり気を許し、ハーピーに質問を問いかけた。

「どうしてお前たちは、俺たちの領地に侵攻してくる?」

「ふえ…?」

少女はとても不思議そうな顔でラースの質問を聞く。

「軍が攻めたって話は聞いたことないけど…。むしろ人間からの侵攻がヒドイって話をよく聞くけど…」

「なに…?」

ラースは情報の食い違いに違和感を覚えた。情報が全く逆なのだ。つまりどちらかが嘘でどちらかが正しい。もしくはどちらも間違いということになる。

「そんなはずは…」

ラースは少女の反応を否定したかった。しかし否定しようとすればするほど、少女の反応がすとんと納得のいくものだった。

今まで参加していたラースの戦いは、ほとんど両者ともども損害がない。そのうえ魔界の軍団は、一定ラインからは侵攻してこない。これらの点から、人間が攻撃しているという事実のほうがすんなりと受け入れられたのだ。

「いや…だとすれば…」

「…?」

少女はコテンと首をかしげる。

方やラースの思考は今や崩壊を迎えていた。自分が思考を止めて、ただただ続けてきた戦いが、嘘と虚構にまみれたものかも知れないという考え。

しかしそれはラースには信じがたいことだった。今まで魔物どもは悪だ、奴らが攻めてきた、だから討てと教え込まれてきたラースは「人として」信じることができなかった。

「うーむ…」

確かめねば。ラースはそう確信した。事実はその場にあって、片方の目線からでは見えないということをラースは悟った。

「行かねば…なあ」

「なぁに?」

「明日には動けるんだな?」

「うん。治りの感じを見ると、明日には動けそうかな」

「君らの国まで案内できるか?王がいるところだ」

「王都かぁ。うーん入れるかなぁ…」

「どうしてだ?」

「うーん私たちは人間は基本恨んでない人たちが多いけど、それでも戦争中だからねぇ…。二度と出れない覚悟で行かないと」

「それでも構わない」

即決だった。行かない、真実から逃げるという考えは、ラースには存在しなかった。事実を確かめれば、あとでどうにでもなる。最悪、脱出すればいいことだ。ラースはそう考えていた。

「んじゃ、明日の朝に出発ねっ」

「おう」

ラースは、もう一口、スープに口をつけた。



翌朝。帝都の騎士団宿舎のルディルの部屋に昼頃、突然ノックの音が響いた。普段休日は町中を歩くルディルも、昨日の今日でクッションを抱いて寝転がっていた。

「誰だ…入れ…」

声に反応し、とある一兵が部屋の中に恐れ多そうに入る。

「伝令。皇帝陛下より召集状が届いております。本日いつでもいいので城に来てほしいとのことですが」

いつも韋駄天のごとく高台に走りこんでくる伝令だ。召集の書状を片手に、ルディルの部屋に飛び込んできたのだ。

「皇帝からの召集か…わかった。すぐに準備する」

「はっ。失礼します」

ルディルはベッドから起き上がり、ぼさぼさの髪を手で少し整える。クローゼットを引っ張り出し、正装へと着替える。クローゼットの開き戸の裏側についた鏡を眺め、身だしなみを細かく整える。長い髪の毛をポニーテールの形で高めに止め、細かいしわを軽く手で伸ばす。細かいところまで身だしなみを整えて、部屋の外へと出る。

宿舎入り口には皇帝用の馬車が止まっていた。

「ルディル様。こちらへ」

「ああ。わかった」

誘われるまま、ルディルは馬車へと乗り込んだ。



「おいハーピー!こっちであってるんだろうな?」

「まっかせなさいってー。何年住んでるとおもってるの-?」

「ってもよー。ずっとやぶんなかじゃねーか」

「私はいつも飛んでいってるから、徒歩は久しぶりなのー!」

「やれやれ…そうだったな」

ハーピーとラースは、道なき道、藪の中をかき分けて進んでいった。折れた剣は細身だったため、包帯によってまとめられ、背負う形で縄でラースの体に縛り付けられていた。

「どうしてその武器手放さないの?」

ハーピーは興味ありげに、武器を眺めながらラースに問う。

「悪いな。こいつとは長年の付き合いでな。お前だって腕を切り落とせと言われたらいやだろ?」

「そりゃそうだけど…」

ハーピーは納得いかなさげにラースの顔を覗き込む。しかしそれ以上追及することはしなかった。ラースの顔が懐かしむような憂いた顔で、前へと進んでいくからだ。

ハーピーは先導する足を速める。

「あ、あの藪の先を出れば森を出られるよ」

「そうか。やっとだな」

「歩くとなかなか距離あるねー」

藪を抜けると、丁寧に整備された街道があった。

景色は全くの快晴で、空に一羽の白い鳥が風を切るように飛んでいた。

「すげぇ…帝都のは大違いだ…」

「こっちだよー」

少女は指をさして、街道の先へと案内した。



王城の謁見の間にたどり着いたルディルは、再び軽く身だしなみを直し、謁見の間の扉をゆっくりとあける。そのまますたすたと足早に歩を進め、玉座の少し手前でぴたりと止まり、その場にひざまずく。

「騎士団将軍ルディル。ただいま馳せ参上いたしました」

「ご足労賜り感謝する。ルディル将軍」

玉座に座っていたのは、ルディルより少し、1、2歳違うくらいの青年だった。ゆったりと玉座に腰かけ、ルディルを見下ろすように座っている。

「しかし皇帝陛下からのお呼び出しとは、火急のことでございましょうか」

「いやルディルよ。ユリウスでいい。ここには今、一人の男と一人の女しかいない」

「しかし」

「構わぬ。皇帝直々の頼みだぞ。それから敬語もいらない。気を遣うな」

「では…ユリウス。何の用だ」

ルディルが顔をあげてふてぶてしく尋ねると、ユリウスは同じくふてぶてしい笑みを浮かべたあと、ルディルに目線を向ける。

「大事な人を失ったそうだな。カークから聞いた」

「まだ死んだと決まったわけではない」

「しかし、その可能性は低いだろう?」

ルディルは拳を強く握る。ルディルのわずかな遠慮が、湧き上がる怒りを押しとどめていた。

「ふ…あっはははは」

ユリウスは突然笑い出した。

「なにがおかしい」

ルディルは凛とした、しかしドスを聞かせた声でユリウスをにらみつける。

「いや失礼。君の気持は本当のようだな。すまない、煽るような真似をして」

「まったく…」

ルディルは拳をほどき、あきれたようにため息をつく。

「なあルディルよ。この国をどう思う」

「この国…か…民が民らしく生きている国だと思う」

「ほう、では民のらしさとはなにかな?」

「それは…」

ルディルは突かれたくないぶぶんに鋭く食い込まれ驚いている。

「世事はいい。正直なところを答えてくれ」

「どこか欺瞞と嘘にまみれ、明るさのメッキの中に不安と恐怖があるように見える」

「そうだなルディル。君のいったとおりのありさまだ。今や荒れ果て民たちは苦しむばかりだ」

「なぜ手を打たない」

「打てないのさ。皇帝とて民の信頼なくしては王とてただの飾りにすぎんのさ」

「うーむ…では徹底抗戦宣言はなんだったのだ。民の信頼を失うばかりだったではないか」

「そんなわかりきったことを把握しておいて、あのような宣言を私から出すと思うか?」

「では誰が…?」

ルディルは鋭く切り込むような眼光をユリウスへとむける。

「議会の老いぼれどもだ。奴らは目先のことしか考えていないからな」

「なぜ飲んだ。皇帝ならばそれを蹴ることもできただろうに」

「民衆の力には勝てないのさ。誰しもがこの戦争にうんざりしている。それを早く解決できる手段を棄却したとあれば、民衆はたちまち暴徒と化すだろう。なんたって500年間つもりに積もったうっぷんが炸裂するのだ。もしかしたら帝国分裂もありうるだろう。皇帝といえど、国の歯車の一部にすぎないのさ」

「ふぅむ…しかしなぜその話を」

「うむ…さて、本題に入ろう」

ユリウスは前かがみに体を傾け、ルディルの鋭いまなざしを覗き込む。

「ルディル。次の兵役まで、通常の警備兵とともに都市の巡回に回ってくれないか?」

ルディルにとって、突然の通達だった。それも予想にもない通達に、ルディルは驚きを隠せなかった。

「いや…!しかし…私には将軍としての仕事が…っ!」

「それはカークに任せろ、すでに本人の承諾はすんでいる。あとはお前次第だ」

「なぜだ?」

「ルディル。最近鏡をみたか?ほとんど寝ていないだろう」

ルディルの赤くはれた目の下には、まっくろなクマがあった。

「今日は休んで、明日から巡回だ。次の兵役はいつになるかはわからん。向こうの出方次第だからな」

「はっ」

ルディルはその場で跪いた。

「おいおい、跪くなよ」

「すっすまん。つい癖なものでな」

「くくく…まったく面白いやつだなお前は」

「なっ!何をっ!どこが面白いというのだ!」

「その慌てふためくところがだよ。知らんのか?お前の休日の過ごし方やカークとの会話は、騎士団の中でひそかに語り草になっているぞ?」

「奴らめ…三日間の地獄の訓練を受けたいようだな…」

「そういじめてやるな。信頼の証拠だ」

「ならもっと信じれるようにしてやろう…」

ルディルは怖い笑みを浮かべている。

「くっくっく…少しほぐれたか?」

「ああ、ありがとう」

部屋に入ったときは硬かったルディルの表情が、曇り空が晴れるようにほぐれていた。

「ではルディル将軍。明日より頼むぞ」

「はっ」

ルディルは再び跪く。

その時、小窓に白い鳥がとまっていた。その足には、封をした手紙らしきものがくくりついていた。

「その封は…見たことのない紋章だな…」

ルディルは、封の紋章を見たことがなかった。

「ああ、偶然紛れてきた伝書鳩から文通が始まってな、相手の顔は見たことがないが、いい人だ。この鳥も相手方のものだが、かなりの力持ちだ。いい家柄なのだろう」

「そうか。いい鳥だ…」

鳥は羽を広げると、人間の顔二つ分ほどの大きさとなった。鳥はそのまま、小窓から飛び出して空へと飛び立っていった。

「いいのか?」

「ああ、こちらから送る時は、こちらから鳥を遣わす。以前あの鳥と一緒に飛ばせ、道を覚えさせた」

「そうか」

「悪いが私はこの手紙の処理をするのでな。失礼するよ」

「はっ」

ユリウスは玉座から立ち、その後ろにある扉へと入っていった。

一人残されたルディルは、再び、不安そうな顔つきに戻って、謁見の間の出口へと向かった。



「へぇ…すごいな」

「そうでしょー。この辺りならなんでもそろうよー」

ラースとハーピーは、魔物たちの王都についていた。彼らは商店街を歩いている。白昼堂々と敵である人間が歩いているにもかかわらず、大きな鼻が目立つふとっちょの女形のオークのおばちゃんが、自分たちに向けて手招きをしている姿に、ラースは驚きを隠せなかった。

「いつもこんななのか?」

「うーん。雨が降らない限りは、いつもこのぐらいにぎやかだねー」

「そうか」

その時だった。金色の甲冑を着込んだ衛兵らしい人物が、ラースとハーピーの少女を囲むように、人ごみから現れた。周辺の魔物たちも、その様子に驚き見ている。

「そこの人間」

「なんだ。俺に用か?」

「国王の命により、お前を王城に連行する。おとなしくついてくることを勧めるぞ」

「ふんっ。そっちから迎えに来てくれるとは…手間が省けたぜ」

「生意気な野郎だ…まあいい。ついてこい。お前も一応ついてこい。事情を聴かせてもらう」

「ふぇ!?あたしも?」

「ああ、ついてこい」

「うぅ…」

「ほら、早く行こうぜ。日が暮れるぞ」

「この野郎…」

ラースたちは、囲まれたまま街中を進んでいく。川のように流れていた人々は、彼らの通る道を開けていった。

王城に近づくにつれて、衛兵が逃げられないようにと密着していく。

「ハーピー。お前はこっちだ」

「じゃぁねー!」

ハーピーは悲しそうな顔で別室に連れていかれた。

「人間。お前はこっちだ。粗相のないようにな」

「ふんっ」

衛兵に囲まれながら城のなかへと入る。ラースは落ちついた様子で城の様子を見渡す。

帝都の城とは違いピカピカに磨き上げられた白い石の壁ではあるが、帝都の城にくらべ質素で簡素だった。美術品のかずかずが飾られる帝都の城とは違い、必要なもの以外は置かれていない。

ラースはそのまま、謁見の間であろう部屋に通された、そこは狭く、石で作られた玉座があった。ラースを囲んでいた衛兵は、出口をふさぐように立ち、跪いていた。

ラースは玉座をにらみつける。玉座の奥からは、二本の非常に小さい突起のような角を生やした老人と、その前には細く長い尻尾を浮かせ、翼を広げた威厳ある女性がゆったりと現れた。

女性はそのまま余裕ある態度で玉座へと座り、にらみつけるラースを上から見下ろしている。

「サリー。下がれ。例の準備、頼んだぞ」

「かしこまりましたお嬢様」

サリーと呼ばれた老人は、玉座の後ろへとさがっていった。

「手荒な真似をしてすまないな。お前を知らないがための、念のための用心だ」

「手厚い歓迎をどーも。あんた誰だ。俺はラース、傭兵だ」

「ああ、貴様のことは知っている。よくも何人もの国民を倒してくれたな。死者と生者との対話の技術がなければ、私はお前を斬り殺しているところだ」

「ふっよく言う。かくいう今は殺意を全く感じない。あんたらなりのジョークか」

「楽しんでいただければ幸いだ。さて本題に戻ろう。私はザリア。この国の一応王を司っている。まとめ役といった方が的確だが」

「自己紹介も済んだところで、要件を聞こうじゃないか」

「ああ、を呼んだのは一つ、伺いたいことがあってだな」

「なんだ、悪いがこっちの出方とかは話せねーぜ。俺も知らねーしな」

「そのようなちんけなことではない。人間はなぜ、我々の領地へと侵攻してくるのだ。我々は特にお前らに手出しをした覚えはないぞ?」

「何をバカな…先に仕掛けてきたのはそっちだろう。少なくとも、俺の知ってる歴史ではそうだ」

「ふむ、なるほどな」

ザリアはクスリとほほ笑んだ後、ラースを鋭く見つめる。

「どうやらお前らの支配者は、情報を操っているようだな」

「ふん、たとえそうだったとしても、俺に信じろと?笑えねぇジョークだぜそりゃ。俺の知ってる歴史をひっくり返すようなことがなきゃ、あんたの話を信じらんねぇな」

「こんの…言わせておけば…」

衛兵の一人が、ラースに向けた槍を腰に構えた後、勢いよく突進した。

「見え見えなんだよ」

ラースはその槍を体を横にそらして避け、その槍の持ち主に体を当てて倒す。それと同時に槍で衛兵の腕をひねり槍を奪うと、倒れた衛兵の情けない兜の真横に突き刺した。

「部下が失礼したな」

「あんまり鍛えられてねぇぞ。もっと鍛えてやれ」

「我々はもともと戦争をするようなタチではないのでね」

「どうだか」

「ならば真実を見せよう。奥の間へこい。心配するな、危害を加えるつもりはない」

「良いだろう。その真実とやらをみてやろうじゃねーか」

ラースはザリアに連れられ、玉座の奥にある部屋へと消えていった。



同じころ、帝都では王城から自室から帰ったルディルがベッドへと横たわっていた。ラースのことが気がかりな気持ちは少し落ち着いていたが、その心の雲は晴れることはなかった。

外はすっかり夕暮れで、オレンジに燃える空が、締め切ったカーテンの隙間からでもよく見えた。

ルディルは衣服を脱ぎ棄て、だらしなく床へと放り投げる。

普段から衣服を脱ぎ棄てる癖はあったが、この日はまるでゴミでも捨てるように投げていた。

状況が依然としてよくならず、手も打てないため、ルディルは焦っていたのだ。もしかしたら…もしかしたら…という感情がふつふつと湧き上がってくる。

その時だった。

ドンドンとドアをノックする音が聞こえた。そして勝手に扉は開かれる。

「入るぞー」

侵入者はカークだった。まるで己の部屋のようにずかずかと入り込み、ルディルの投げ捨てた服を拾い上げる。

「下着姿の女がいるのに、よく入ってこられるな」

「もうなれたよ。全く、いつまで落ち込んでいるんだ」

「…しばらくは立ち直れんかもな…」

カークはうつむくルディルを憂いた目で見つめる。

「なぁ…ルディル。この戦争にかったら。ラースは戻ってくると思うか?」

「え…?」

「いや、ラースは生きているとしてだ。魔物どもをすべて蹴散らせば、ラースは戻ってくると思うか?」

「……わからん……。もしかしたら廃人になっているかもしれん…」

「それでも、死んでいるよりはましだろ」

「それに生きている保証もないだろ。その姿を見るまでは私は信じないぞ…」

「全く…。そうだ。お前明日から一時いっとき警備に回るんだろ?」

「…ああ…」

「ならそうだな…。としてに命令する。今夜酒場にいってこい。ラースのよく行ってる酒場だ。知っているだろ?」

「ああ…。だがなぜだ…?」

「夜の街を知って来い。ここに閉じこもりじゃ、いつまでたってもよくならん。それに、ヤケ酒でも煽っていったんすっきりして来い。お前がダメでどうする。いいか?これは命令だ」

「ああ…わかった…」

「お前がここを出るまで見てるからな。わかったか?」

「ああ…わかった」

「よし。じゃあさっさと着替えろ。だらしないぞ」

「うるさい。着替えるから出ていってくれ」

「はいはい」

カークはにやりと笑いながら部屋を出る。

ルディルはカークが部屋を出たことを確認すると、クローゼットを開け、外出用の地味な服装を取り出した。



玉座の裏へと招かれたラースは、真っ暗な部屋へと通された。一寸先も見えず、ラースはザリアの気配を探って、危害を加えないかと警戒している。

「ラースといったか?」

「なんだ。王サマ」

「ザリアで構わん。これを見ろ。サリー!頼む!」

「かしこまりました!」

広い部屋なのか、ザリアとどこからともなく聞こえるサリーの声がこだまする。

その時だった。ラースの目の前に突然が現れた。

その景色は見覚えのある草原だった。そこはラースの職場だった。いつも魔物どもを切り裂いている草原だった。

だが視点が違った。その景色の遥か遠くにあったのは、見覚えのある騎士団の鎧だった。鎧たちは列をなして、壁を作っている。

突然。中央にいる馬に乗った鎧が、剣を空に掲げ一気に振り下ろした。

直後、数々の鎧たちが走り出した。徐々に迫りくる鎧たちは、数多くの修羅場を潜り抜けたラースでも、背筋の凍るような恐怖が走る。

ついに鎧たちが目の前に来ると、槍が突き刺さる。直後、槍が抜かれると同時に飛ぶ血しぶき。まるで自分が槍で貫かれたような感覚にとらわれるラース。

血しぶきを浴びながら、歩む鎧たち。その姿は、正に人間だった。

「これは、初めて人間がこちらへと侵攻をしてきた映像だ。魔法の力によって、当時の様子を残したのだ」

「これは…本当なのか…?お前たちが…虚構を見せただけではないのか…?」

ラースは呆然としていた。今まで生きて培ってきた常識が、一瞬にして崩れ去っていく。ラースは今見たものが嘘だと思っていた。思い込もうとしていた。だがそう思うたびに、納得がいく。今まで不自然だったものがすべて、納得がいくのだ。その納得を、ラースは拒否しようとしていた。納得の津波が、ラースの心を飲みこんでいく。

「もし嘘だったとしたら。我々がお前たちの領土に侵攻しないのはどうして説明できる?戦力を蓄えているとでも言うか?そういえば、お前は納得できるか?」

「うそだ…。おい…冗談だろ…?」

「そうだ。一つ面白いことを教えてやろう」

「え…?」

「どうしてお前と私が、今こうして会話ができていると思う?」

「それは…それは…」

「それはな、はるか昔、お前ら人間と、我々がともに歩いていたからだよ」

「なっ!!!!」

ラースの顔は白く染まり、2、3歩後ろへと後ずさる。

「おいおい……うそ…なんだろ…?うそだっていってくれよ…おい…おい!」

ラースは混乱していた。自分の信じてきたことがすべて嘘だということが信じられなかった。この目の前にいる魔物が、自分に嘘をついて惑わそうとしているのではないか。魔法を使えることから、幻惑でも見せて洗脳でもしようとおもっているのではないか。心をかき乱して、情報を吐き出させようとしているのではないか。

ありとあらゆる疑念が、ラースの頭と心をかき乱していく。

疑心暗鬼。

疑心暗鬼が、ラースを乱していく。

「ありえない…ありえない!!」

「これが現実だ傭兵。いや、今はラースという一人の男か。お前が渡り歩いてきた幾万の戦場は、結局のところ、ただ無駄に剣を振るっていたにすぎないのさ」

「くっ…だとしたら…なんで未だに…戦いは続いているんだ…」

「そんなことは我々にわかるはずなかろう。その様子だと、お前も知らされていないようだが」

ラースに良心の呵責があったわけではない。戦場で死ねば、人間だろうが怪物だろうが、屍になり土へ還るからだ。

ただ確固たる事実と、人間が原因だったことに、驚きを隠せないのだ。元来がんらい帝国にも騎士団の正義とやらにも興味のなかったラース。ただその日の暮らしの為だけに戦ってきたラース。

そしてそんな生活を肯定しようとする心。

だがそれは別のラースが許さなかった。

人間としてのラースが、それを許さなかった。

自分が悪人であったこと。自分のしてきたことは、自分たちから種をまいたことだったこと。自分が悪と呼ぶべきこと。そしてそれを正義と信じこませられ、戦ってきたこと。

ラースにはそれが許せなかった。

すべて納得がいった。

なんとなく戦ってきて、なぜ正義に疑問を持ったかを。そしてその疑問が、怒りに変わった瞬間も。

すべて納得がいった。いってしまったのだ。

ラースは戦場で長らく生き残るほど勘のいい男だ。そして今、その勘の良さが裏目に出てしまったのだ。

「これをどうとらえるかはお前次第だラース。ざまあみろとこの光景をあざ笑うのか、それとも凄惨な過去として受け止めるのか。お前次第だ」

ラースはその場に崩れ落ち、手をついて跪いた。

その時だった、その景色から声が聞こえてきた。うめきと血の混じった、死人の声だった。

「助けてくれ…まだ死にたくねぇよ…助けて…助けて…助けて…助けて…」

助けて…助けて…たすけて…たすけて…タスケテ…タスケテ…タスケテ…

ラースの心に無限に反響する助けて。

死にたくない。それはラースがついさっき経験した恐怖にも似た感情だった。

もちろんラースが現在進行形で味わっているわけではない。

他人の感情が、ラースの中にドロッとした液体のようにゆっくりと、這うように、張り付くように流れ込んでくる。

「わああああああああああ!!!」

ラースは頭を抱えた。何者かを殺すということを改めて実感する。いっそ、死んでしまいたいと思うほどの感情のヘドロ。

血と悲しみと苦しみと死が煮詰まったスープを、無理やり飲まされているような感覚だった。

「衛兵たちが怒るのも無理はない。我々はお前たちに恨みはない。なにか事情があったと信じている。だがな、我々はどちらも存続の道を歩みたいのだ。他人が他人を傷つけあわないような未来をな」

「…」

ラースは何も語れなった。自分のしてきた悪が、今まさに白日の下にさらされたのだ。その血みどろの手のひらには、無数の助けてがこびりついて離れない。

その手で握った酒のグラスは、きっと血と悲しみと苦しみと死が詰まった酒を飲んでいたのだろう。その陰で、魔物たちは悲しみに暮れていたのだ。

「サリー。もう止めろ」

「かしこまりました」

景色が消え、あたりに明かりが灯る。景色のあった場所には、すでに見慣れた白い壁があった。

「ラース。よく考えろ。これからどうするかを。無数の同族を斬ってきた男だ。ここで立ち止まるほどやわではないだろう」

ラースは蹲り、頭を抱えてしばらく震えていた。



地味な服を着てフードを被り、慣れない道を歩くルディル。酒に酔った放浪者が、酒瓶を片手にうわごとを言うさまを見つめながら通り過ぎ、暗い道に明るく灯る酒場へと入る。

扉を恐る恐る開けると、屈強な男たちが見つめる中、まっすぐ進んでカウンターにちょこんと座る。

その様子は実に不格好で、一言でいえば場違いだった。

「いらっしゃい。何飲む?」

「あ…ああ…。すまない…。こういうところは初めてでな」

「ふーん、なるほど…ご婦人がこんなしがない酒場に来るとは珍しいこった」

酒場の店主は、大笑いしながらルディルを軽くあしらう。

その時だった、松葉づえをついた傭兵であろう男が、ルディルの横にドカンと座る。膝に包帯を巻いており、膝を負傷しているようだ。

「ようねえちゃん。ここは女子どもがくる場所じゃねえんだ。帰んな」

「…」

ルディルはがちがちに固まって緊張している。こんなところに来るのは、ルディルにとっては初めてだからだ。

「ちっ、しけた面しやがって。おいマスターこいつにビールでも見繕ってくれ。俺の払いだ」

「はいよ」

店主はそそくさとビールを注いで、ルディルの前にドンと置く。

「すまない」

「いいってことよ。そんなしけた面ぁされちまったら、俺の酒がまずくなっちまうからな」

男は野蛮な笑い声を高らかに出す。

そんな男をよそに、ルディルはビールをちびちびと飲み始める。

「なんだぁ姉ちゃん。もしかして酒のめねぇのか?」

ルディルは男の言葉などよそに、ちびちびとビールを飲み続ける。ルディルはこれまで、立場の関係上ワインなど儀礼的な酒しか飲んでこなかったため、ある意味での酒場での作法を知らないのだ。

「そんなに飲めないようじゃ。彼氏にもアイソつかされちまうかもな!アッハッハッハ!こいつは傑作だぜ!!」

ぷち。

ルディルの眉間にしわが寄る。そうして男の方を見るとぎろりと鋭い眼光を刺す。

「なんだぁ姉ちゃん。そんな目ぇされたって、俺にはちいっともこわくねぇぜ」

ぷちぷち。

ルディルはフードを取ると、席からガタッと立ち上がりビールジョッキの中身を一気に飲み干した。

その様子を見て、男は驚いた。女の飲みっぷりではない。自分がナメてかかった相手が、帝国騎士団将軍であることを知ったからだ。驚いたのは男だけではない。帝国騎士団将軍の顔は誰でも知っている。特に傭兵だの汚い仕事をしている輩が集まる酒場ではなおさらだ。

ルディルはビールを飲み干すと、カウンターに勢いよくたたきつける。その衝撃で、ジョッキはまるで飴細工のように粉々になる。

「言わせておけばごちゃごちゃと貴様…。その言葉に二言はないだろうな」

男は顔を青くしていた。

しかし、相手が帝国騎士団将軍と言えど、この男にもメンツというものがある。もはや後には引けないのだ。

「あ…ああもちろんだ。そんなへぼい飲みっぷりじゃあ、たとえ魔物だろうと振り向かねぇだろうな!」

二人のやり取りをみて、騒々しかった酒場は一瞬にして凍り付く。普段なら余計に活気つく酒場も、国家戦力のトップとそれを相手にタンカを切る男に、周囲は異様な雰囲気を感じ取っていたのだ。

「おいマスター」

「へっ…へい!」

「この店で一番強い酒を持ってこい。2人分だ。早くしろ急げ」

「へいいいいいいいいいい!」

「なんだぁてめぇやろうってのか」

「なんだ、怖気づいたか?」

「んだと…!」

二人はカウンターのど真ん中で目線をぶつけ合う。

そんな切迫した空気の中、一人の男が大声で叫ぶ。

「おっしゃああ飲み比べだあああ!!!」

その男の一言で、静まり返った酒場は一斉にこれまでにない歓声を上げる。

「うおおおおおおおおおおお!!!!!」

中にはこれを賭け事にしようとたくらむ輩がいた。

「さあさあカードは松葉づえの傭兵と将軍サマ!両者怖気づかずにらみ合う!さあ賭けた賭けた!」

「将軍に10!」

「いやいや傭兵に5かけるぜ!!」

「うおおおやれやれえええええええ!!!」

その時、奥から店主が現れた。その様子を見るなり、騒がしかった酒場が再び静まり返る。店主は汗だくながらも冷や汗ではない。むしろ興奮と狂気が入り混じった笑顔を見せる。

「こいつは特別つええ酒だぜ…。俺の奢りだ!さあ勝負勝負!!」

店主の掛け声に、一同そろって歓声をあげる。

「野郎どもおおお!耳の穴ァかっぽじってよおおおおおおおおおおおくききやがれ!!!」

店主の一声に、再び静寂に包まれる。

「こいつはなぁ、フレイムスピリットっていう俺の秘蔵の酒だ。こいつで勝負がつかなかったらこれ以上つええ酒はねえからできることならこいつが終わるまでにけりぃつけてくれよな!てめぇら!今度は目ぇかっぽじってよくみやがれ!」

そういうと店主はきゅぽんと豪快にコルクを抜き、鉄のグラスへと注ぐ。そうして日本のマッチを取り出すと酒の表面に青白い炎が高らかと上がる。

「こいつが酒の名前の由来さ!さあ腹ぁ決まったら火を消して飲みな!」

ルディルと男は、同時に火を消す。

「同時にだ。いくぞ」

「ああ、姉ちゃんが先にぶっ倒れるのは目に見えているがな!」

両者は同時にグラスに口をつけ、一気に飲み干した。



同じころ、ラースは見慣れぬ街をふらふらと歩いていた。王城からおぼつかない足取りで正門から出て、あたりの様子をうかがいながら街を歩く。帝都とは違い明るい光が道を照らす。だがラースの視界はまっくらだった。

今の彼には何もない。何もかもを失ってしまったかのようだった。そのラースの視界に、ひときわ大きな光を放つ光があった。まるで虫のように、ラースはその光に吸い寄せられていく。

入り口をくぐると、カーンカーンと高い音が建物内に鳴り響いていた。その音の合間に、しゃがれた声が現れた。

「なんだ。珍客か」

ラースは音のする方向へと向かう。

そこにいたのは、小柄な、魔物には疎いラースですら高齢とわかるゴブリンがいた。顔は赤茶けており、熟練であることがうかがえる。ゴブリンはその使い古したハンマーで、赤熱した薄い金属を叩いている。

「なんじゃ…ワシは忙しいんだ。出て行ってくれ」

ラースは動けなかった。その老いたゴブリンが魅せる火の粉と、その響く音に釘付けにされていた。その様子から、ラースは何かを感じていた。具体的には言い表せない、羨望のような何かを。

「ふん。動けないならそこらへんに座っとれ。邪魔にならんようにな」

ラースは言われるままに、その場へと座る。

ラースにはなんとなくわかっていた。その鉄の塊が武器であることを。そしてその赤熱がたかまっていることを。カーンカーンと、高い音が響く。そして…期は熟した。

「今だ!」

ラースが思わず掛け声を挙げる。同時にゴブリンは赤熱した塊を振り上げると、一気に水につける。

辺りは暗闇に包まれ、水が沸騰する音と、鉄が軋む音がこだまする。

ゴブリンは手直にあったランプをつけると、その出来上がった剣を確認する。

「お前さん。もしかしてこいつの声がわかるんか?」

「あ…いや…すまねぇ…。つい…な」

「構わんよ。お前さんの声で気合の入ったモノが作れたからな」

「そうか…」

「おい、小僧」

「なんだ…?」

「目ぇみせろ」

ラースはそのゴブリンの顔を見つめる。ゴブリンはラースの様子を見つめ返す。

「なんもねぇ燃え尽きちまっ灰のような目ぇしてやがんな」

「ああ…俺はもう、俺がわかんねぇよ…」

「だらしねぇ…。お前さん行く当ては」

「あるわけねぇだろ…?こんなとこに人間がいるんだ…」

「そうか…」

ゴブリンは少し声をあげて考えた後、再びラースの顔をみる。

「お前さんここに居候しねぇか?なぁに家賃とかはとらねぇよ。ただ仕事を手伝ってもらうだけだ」

「仕事か…。飯と寝床さえくれりゃ文句はねぇ…」

「それとお前さんの持ってるその剣、少し預けちゃくれねぇか?なぁに心配すんな。たとえそいつが多くの仲間を斬ってたところで、勝手に捨てたり溶かしたりしねぇからよ」

「ああ…むしろやるよ。俺にはもう…必要ねぇもんだ」

ラースは折れた自分の相棒を、ゴブリンの足元へ投げた。その目はうつろで、何もなかった。



帝都の酒場は、いよいよ最大の盛り上がりを見せていた。同じ酒をもう3本も空けており、2人はもうふらふらだった。

「にゃんだぁおらぁ。いいかげんくたばっちまえよぉ」

「きしゃまこそ、さっさと倒れることだぁ」

ルディルと男は、泥酔もいいところで意地の張り合いはまだ続いていた。

両者がちょうど17杯目のグラスに手を付けた時だった。

松葉杖の男がグラスをもったままその場に倒れてしまった。

「うぅぅ…もうのめねぇ…俺が悪かった。だからもう勘弁してくれぇ」

「勝者ー!将軍んんんん!!!」

店主が声をかけると、夜中にも関わらず大歓声があがった。

「わあああああああ!!!」

「将軍が勝ったぞおおおお!!」

「ふふん。やわにゃ男どもにゃんぞには負けてらりぇんからの」

「いいぞおおお将軍さまああああ!!」

「おい野郎どもぉー!よおおく聞きやがれぇ!」

ルディルはすっかり上機嫌だ。頬を真っ赤に染めて、千鳥足でグラスをもっている。

「帝国にぃ!騎士団にぃ!そしてここに集った勇敢なクソ野郎どもに乾杯!」

「かんぱあああああああああああい!!!」

そうグラスを高らかに掲げると、グラスに口をつけ一気に飲み干し、その衝撃でルディルは床へと倒れてしまった。

その様子を、酒場の外で一人の老兵が嬉しそうに見ていた。





























一人の老人が、酒場を後にして人気のない裏路地へと入っていく。カークだ。夜の闇に紛れるように、暗闇の中を進んでいく。

そうして突き当りで立ち止まると、そこには一人の黒いローブを来た人間がいた。

「調子はどうだ?カーク」

「はっ、順調にことを進めている次第でございます」

「ふむ、その調子でたのむぞ。お前を将軍の代理にするのは、なかなか骨が折れたよ。あの無駄に正義感の強い皇帝を相手するのは、なかなかに骨の折れる」

「心中お察しします」

「まぁそんなことはいい。ともかく一刻も早く、ルディルを戦争のための狂戦士へと仕立て上げるのだ。そのために莫大な金と時間をかけているのだからな」

「はっ、承知しました。帝国議会議長。マルクス様」

「よろしい。これは礼金だ。取っておけ」

そういうと、黒いローブの男は小さな袋をカークへと渡した。

その中身をあけると、まばゆいばかりの金が入っていた。

「ありがとうございます」

「うむ、では下がれ」

カークはそういわれると、すぐさまローブの男から離れ、大通りへと戻る。

空を見上げると、曇りがかった夜空に、一羽の黒い鳥が空を飛んでいた。

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