THE HOLY WAR
つばめ
1巻
緑が生い茂る平野。そよ風が吹き抜けて草が涼しげに揺れている。
だが次の瞬間。
「はあああああああああああああ!!!!」
細身の剣を鞘に入れ、腰に構えた男に草は踏みにじられる。
目の前には多数のオークが彼に向って襲い掛かってきた。
「援護するぜ!傭兵!!」
細身の剣を持った男の横に、身の丈と同じくらい大きい盾を持った重装備の男が叫ぶ。
「傭兵じゃねぇ。俺にはラースって立派な名前があるんだ。わかったか?」
「おっとすまねぇなラースさんよ!先行するぜ」
重装備の男はラースの前に立ち、オークたちが放つ矢やクロスボウのボルト、魔法によってできた火球をはじき返しながら進んでいく。
「敵戦列まで少し!行けるか?!」
「十分よ。ありがとなおっさん!死ぬんじゃねぇぞ!」
「てめぇも死ぬんじゃねぇぞラース!生きて帰ったら一杯おごってやるぜ!」
「わりぃな!」
ラースは敵戦列へ突っ込む。一筋の光のように戦列へとおもむき、その腰にある鞘から目にもとまらぬ速さで刃をぬく。同時に敵の体を撫でるように斬り裂く。
「ゴガァ…」
オーク一匹が、口からよだれをたらして倒れる。
ラースは次にと言わんばかりにオークの懐へと体を当てるように接近し、そのどてっぱらを斬っていく。
するとラースの後ろに巨大な剣を持った大柄な怪物が現れる。トロルだ。
トロルは人間二人分ほどの大きさのある巨剣を、軽々と横に振り払う。
土煙が上がり振り払われた場所には、土がむき出しになっていた。しかしそこにラースの死体はなかった。
なぜならラースはその巨剣の上へと乗っていた。ラースはトロルの肩に剣を深々と突き刺す。たまらずトロルは、その巨剣を地面へと落とす。
そのときだった。
「がっ!足が!!!」
先ほどの重装備の男だ。ラースが目をやると、右ひざにクロスボウのボルトが刺さっており、しりもちをついて動けない状態になっていた。
ラースは駆け寄ると、重装備の男の肩をもって支える。
「すまねぇなラース。恩に着るぜ…」
「なに言ってんだおっさん。あんたに一杯おごってもらうまで、死んでもらったら困るぜ」
「はっはっは。そりゃそうだ。特上の酒をおごってやるぜ」
そうして二人は戦場から撤退していく。
同じころ、高台から戦場全体を見下ろす若い女性と、その隣に老いた老兵がいた。
「カーク副将。どう思う」
若い女性は、隣にいる老兵へ声をかける。
「伝令が来ていないので何とも言えませんが、いつも通りおなじみの戦場といったところでしょうか」
「ああ、それについては同意見だ」
するとその高台に一人の男が、息を切らしながら走りこんできた。
「戦況報告!敵損害率低!やられたものの後ろから次々に沸いてきやがります!わが軍については、どの部隊も残存しておりますが、物資の消耗が激しく、負傷者も多いためこれ以上交戦を続けることは難しい状況にあります!」
「ルディル将軍…」
カークはルディルと呼ばれた若い女性に目線を向ける。
「ああ…。伝令!疲れているところ悪いが、伝令全員を使って全軍に連絡しろ。全軍敵を抑えつつ撤退。負傷者を優先にし、帝都へと帰還せよ!」
「はっ!」
伝令は韋駄天のごとく高台を去る。
「これもいつも通りの展開…ですか」
「ああ…500年近くこの戦いが続いているとなると、恐ろしいな。さぁ我々も帰るぞカーク副将。今日は議会招集があったな」
「【任せた】はやめてくださいよ。将軍をだせだのなんだの、議会もうるさいんですよ」
「全くあの老いぼれどもめ…。悪いな。私はこの後図書館で調べものをした後に、人と会う約束をしているんだ」
「はぁ…わかりましたよ。適当に話をつけておきますから、安心して読書にふけっててください」
「感謝する」
「ただし次回は逃がしませんからね。将軍だろうが何だろうが、す巻きにして議会へと連行しますからね」
「はいはいわかったよ」
こうして二人は高台を後にした。
数時間後、ルディルは帝国図書館にいた。円柱状の建物には、帝国に存在するありとあらゆる本が並べられている。
「あらルディルじゃない。今日は会議じゃないの?」
中年の図書館司書が、カウンターの前を通りかかったルディルを呼び止める。
「ああ、カークに任せて私は調べものだ」
「人使いが荒いわねぇ。たまには気遣ってあげなさい。ところでどの本をお探し?」
「帝国の歴史について詳しく書かれている本が、どこにあるか知りたい。探せるか?」
「もちろんよ。伊達に20年も司書やってないわ」
司書はルディルを目的の本がある場所まで案内する。円柱状の建物に、どこまでも続く螺旋階段をのぼりつめていく。
「ここよ」
目的の場所には、帝国の歴史について書かれている本がいくつも並んでいた。右上から左下に行くにつれて、児童向けから研究書までずらりと隙間なく本棚を埋め尽くしている。
どの本もかなり年期が入っており、多くの人に読まれ続けてきたことがわかる。
「んー…あった。これだ」
ルディルが手にした本のタイトルは、【帝国建立と
ルディルはその本を手に取り、近くの机に座って本を読み始める。
その本の内容はおおむねこのような内容だ。
今から約1000年前、小さな部族間の集団に過ぎなかった人類を、武力によって統制し、今日ある【ハイドランド帝国】としたのが、初代皇帝、アルバート=ハイドランド一世である。
それから500年後、帝国西側に巨大な人ならざる者の軍勢が現れる。当時の皇帝はこれを【西の魔界】と名付け警戒していたが、魔物側が西の魔界とハイドランド帝国の間にある大平原に陣を置き、帝国を威嚇したため皇帝は反撃として騎士団を設立。人間と魔物の間で戦争の機運が高まり、後に
ルディルはそれを真剣に目を通している。
続きは、近年になりその勢いは増し、第213代皇帝ユリウス=ハイドランドによる徹底抗戦宣言により、魔の軍勢に対しやや優勢に戦っている、と書かれている。
ルディルはこの文章が目に入ったとき、額にしわをよせる。
「あの老いぼれどもめ…情報を統制して何の利益があるのか…。結局のところ戦争は終わらず、負傷者が増えるばかりではないか…」
ルディルはそれ以上読み進めることはなかった。
「騎士団の士気を高める手がかりがあると思ったが…とんだ収穫だったな」
彼女は最近、もっぱら兵からある質問をされている。「この戦争に果たして意味はあるのでしょうか?」という質問だ。それに対しルディルは「民が望んでいる。我々は民のために勝利しなくてはならない」としか返せなかった。彼女自身もそれを感じていたことだからだ。彼女が将軍という軍のトップの座についてからまだ数年。500年の歴史をもってしても終わらなかったこの戦争に対して、疑問を感じていたのだ。それは市民たちも同じだった。いつまでたっても敵を倒せない騎士団に、市民の関心は消えていた。市民の期待にも、あまつさえ騎士団の期待にもなかなか応えられないルディルは、歯がゆさを感じていた。
「すまない…私はまだ答えを見つけられそうにない。ただ民のために戦うしかないのだろうか…」
ルディルはそうつぶやきながら、図書館を後にした。
同じころ。大理石でできた床の上に、カークは立っていた。その目の前には、楕円形の机に8人のかなり老いた老人たちが座っていた。
「全くルディルの奴め…。議会招集をまたすっぽかしおって…」
「カーク、どうなっているんだ。騎士団のトップはどこで油を売っている」
「はっ、帝国騎士団の士気をあげるために、その資料を探しに図書館にて調べものをするとの仰せでした」
カークはもちろん適当に物を言っていた。ルディルが将軍に着任してから数年の間、ずっと付きっ切りで副将をしてきたせいか、カークもルディルと似たような思考になっていることを、カーク自身が感じていた。
「はぁ…全く。だが、騎士団全体が彼女について行っているのは確かだ。あとは騎士団のトップとしての自覚があればいいんだがな…」
「君もそう思うだろう、カーク」
カークは黙し、ギロリと老人たちを見つめている。
「まぁいい戯れはここまでにしよう。カーク副将。本日の戦績はいかがか」
「はっ。敵損害は見られません。わが軍も死者は出ておりませんが負傷者が多数発生し、物資も足りない状況にあります。当面は魔物どもの侵攻がないことを祈りながら、軍の立て直しが必要になるでしょう」
「またその展開か、いい加減聞き飽きた。傭兵で
「いいえ、傭兵をいるだけ投入してこの結果です。傭兵だけでは押し返せません」
「兵器運用はどうだ?」
「やはり兵器は効果的ではございますが、敵側の魔法によって、破壊されてしまうでしょう。効果的な配置をしたとしてもです」
「うーむ…」
「そもそもメインである騎士団の士気が特に低下しており、各部隊内で戦意を喪失するもがいるありさまでございます」
静まり返る空気。皆が皆思考を巡らせている。そんななか、カークが口を開く。
「なぜ魔物は攻めてくるのに、この帝国まで攻めてこないのでしょう」
その質問をした瞬間、明らかに議会の空気が凍り付いた。そしてすぐに空気を戻そうと、ある老人がフォローをする。
「君ら騎士団の奮闘によるものだよ」
カークは知っていた。それは全くの的外れであることに。現に敵は全くダメージを追っておらず、そのまま進軍すればこの帝国とて長くはもたないはずである。
しかしそんな戦力を持ちつつも侵略をしない魔物たちの動きに、カークは少し不気味さを覚えていた。
「ありがとうございます」
カークは立場上そう返事を返すも、目の奥では疑問の色が燃えていた。
同じころ、帝都郊外の路地を、一人の男が歩いていた。
ラースだ。彼はあたりを見回す。汚れた壁、あたりに散乱する酒瓶。何かの犯罪のあとであろう壁に、べっとりとついた大量の血の跡。その壁に寄りかかる年老いた浮浪者。さらにその壁には、
ラースを含め、そういった景色を見渡しはするも、誰も関心は持っていなかった。あたかもそれが街の一部と言わん限り、無関心だった。荒れ果てていた。
ラースは路地を横切り、大通りにあるひときわ大きく、ひときわ煌く建物へと入った。
中では武器をもった屈強な男や、真っ黒な服装であたりを見渡す人々、とにかく賑わっていた。みなそこで酒を飲み交わしていた。酒場だ。
ラースは奥にあるカウンターの一つへ座る。
「よぉーラース。今日はおせぇじゃねえか。どうしたんだ?」
ちょびひげを生やした店主が、カウンターを挟んでラースのもとへやってくる。
「ちょっと
「はいよ!ちょっとまちな!」
店主はカウンターの端へ少しの間消えると、ジョッキに泡の山を載せたビールを、ラースの前にドンと置く。
「ほらよラース。たんと飲みやがれ」
「ありがとうマスター」
ラースはそのジョッキの取っ手を乱雑につかむと、豪快に飲み干す。
「かぁーっ。こいつのために生きてるってもんよ」
「よぉーラースさんよぉ」
ラースの後方より聞き覚えのある声と、何か先が細いものを地面にたたきつけるようなカツカツといった音が聞こえる。
振り向くと、そこにいたのは松葉杖をつく、重装備を着ていた男がいた。
「おっとおっさん。ひでぇざまだな」
「ああ膝の骨に穴ぁ開いちまった。当分は歩けねぇとよ」
「そっか。そいつはついてねーな」
「ま、そんなわけだ」
男はラースの隣にどしりと座る。
「おっさん!ウィスキ―2つ!」
「おっさんじゃねぇマスターだ!あいよっと」
「おっとすまねぇな」
「言ったろ?おごるってよ」
「へへ、そうだったな」
ことっと二人の前にグラスが置かれる。
「へへっ、膝に穴あき記念だ。カンパイ」
「カンパイっ」
チン、と二人はグラスを交わし、一気に喉に流し込む。
「ところでラースさんよ。あんた昔どこに居やがった。あれは絶対素人の戦いじゃねぇ」
「昔騎士団にいたのさぁ」
「ほうエリートコースじゃねぇか。やめちまったのか?」
「まぁな。正義とか市民のためとか、馬鹿らしくなっちまったのさぁ。俺は俺のために戦う。俺の信じるモノのために戦うって決めたんさ」
「ちげぇねぇ。誰でも騎士団に入れるっつっても、俺らみたいなのにゃ合わねぇな。そんなあんたに、乾杯だ」
男は天高くグラスを掲げ、酒を煽る。
ラースは物憂げそうにグラスを傾けていた。
少し時間がたったころ。地味な恰好をしたルディルが、夜の裏路地を歩いていた。彼女は軍のトップ、いわば帝都全市民の希望だ。派手な格好で外にでられない。
すると路地を歩く彼女に複数人の雰囲気の悪い男たちがルディルを取り囲む。
「ようようねーちゃん美人じゃない。俺らと遊ばない?」
「悪いが先を急いでいる。そこをどいてくれ」
「そーんなことどーでもいいじゃん。楽しませるよぉ」
先頭にいた男がルディルの腕をつかもうとした時だ。
瞬時に隙をつき、つかもうとした腕を振り払うと、そのまま拳を相手の腹へねじ込ませる。
「カ…ハ…」
強烈なボディーブローを食らった男は2、3歩下がってから地面に臥せる。
「てめぇ!!」
倒れた男を乗り越え、もう一人の男が粗悪なナイフを逆手に持ち、ルディルに振り下ろす。
「遅い!」
ルディルは振り下ろされたナイフを紙一重でよけ、その腕をつかむとそのまま腕をひねり、ナイフを落とさせる。
「ぐああああ!!」
そのまま男の腕を、本来曲がらない方向へ無理やり曲げる。
「そいつを連れて失せろ。次私の前に現れたら、首の骨を折るぞ」
「ひいいいすいません!!!」
腕の骨を折られた男は、今だうめいている男を置いていき逃げていく。
「ふん…」
ルディルは何事もなかったように歩く。
そうしてルディルは、帝都の郊外にある、一本の広葉樹が生えた川辺へと現れた。
「まだあいつは来ていないな…」
あたりをきょろきょろと見回す。
あたりには誰もいなかった。ただ星の明かりと静寂だけがそこにあった。
「それにしても暇だな。夜だというのに暑い…。こんな時は…」
ルディルは服を脱ぎ始めた…
酒場ではラースが席を立とうとしていた。
「わりぃな。このあとちょっと待ち合わせしてんだ。そろそろ行くぜ」
「ああそうかい。また飲もうぜ」
「ああ、マスターわりぃ。水一杯もらえるか」
「なんだよラース。デートか?はいよっと」
「ちげぇっての」
店主はにやけ顔になりながら、ビールジョッキいっぱいの水をラースに出した。
「ほらよ。ちょっとでも酒気が飛ぶといいな」
「ありがと。ごちそうさん」
ラースは水を飲み干すと、勘定をカウンターの上において酒場をでた。
寒々としたほこりまみれの空気が、ラースの肌にまとわりつく。酒で温まったラース自身の体も、夜風の冷たさで少しずつ冷えていく。
少し体を震わせてラースは足を速める。
「やべぇな…。あいつを待たせちまってるかもな…」
小走りで待ち合わせ場所に向かう。すると、一本の広葉樹が生えた川辺についた。
そしてそこにはたたまれた地味な衣服がワンセット。
「はぁ…やっぱりか…」
ラースは目を川辺に移すと、さも当然のようにラースに背を向けて川の中で水浴びをしている女性がいた。
「お前はどこででも水浴びをするのな、ルディル」
「何だ、いたのか。余りに暑かったからつい…な」
「だからってどこででも水浴びするなし」
「どこででもはしないぞ。こういった
「ここに約一名男がいるんですがそれは」
「ん?どこだ?」
「この野郎…。でなんの用だ?」
「ああ、ちょっと後ろを向いててくれ。服を着るから」
「へいへい」
ラースは後ろを向く。あたりは、布のすれる音が響くほど、静寂に包まれていた。
「よし、いいぞ」
ラースはルディルの方向に向き直る。軍のトップは思えないほど、地味な恰好だった。
「でどうしたんだ?」
「あの…な、ラース。騎士団に戻らないか…?」
ルディルは懇願するような顔つきでラースに視線を向ける。
「またその話か…。悪いな」
言われなれているのか、少し間を置いた後、ラースはルディルにこうきっぱりと返した。
「お前は強い。私より騎士団を率いるのに向いている。私なんかより、お前が将軍の座に就いた方が、すべての民のためになる」
「はぁ…。わりぃなぁルディル。俺は人の上に立つなんてことはできない。なんでかって言ったら、俺は自由でいたいからだ。自由であるからこそ俺であるからな」
「そうか…」
ルディルはやや残念な顔つきで俯く。一瞬悲しそうな顔をした後につぶやいた。
「ならば…」
ルディルは近くに落ちていた太い枝を二つ拾い上げると、一つはラースに投げた。
ラースはそれを無言で手に取る。
「せめて手合わせ願いたい」
「まったく…。結果は見えてるだろ?」
「手を合わせることが大切だ。さあ…行くぞ」
2人は全く同じ体勢で枝を構える。正中線に枝を向ける。幹の太さもほぼ同じ程度だ。
あたりには静かで、それでいてどっしりと重たい雰囲気が漂っていた。
2人ともただ動かない。ただ動けない。互いが互いの全体を見つめ、どんな小さな隙も見逃さないよう観察している。
じりじりと、雰囲気が二人を圧迫していく。
突然、そよ風がふく。カサカサと葉が揺れ、ルディルが視線を木に向ける。
「はああああ!!!」
隙ありと言わんばかりに、ラースはルディルに対して枝を振る。空気すら斬り裂くような剣速でルディルの首筋を狙う。
「ふん!!」
ルディルはそれをよみ切り、剣筋に合わせて体を這わせるようにラースの一太刀をかわす。
そのままくるりと回転し、ラースの首筋へ枝を添わせる。
「勝負ありだな。ラース」
「くっ。ブラフだったか」
「お前の動きはわかりきってるからな」
「これで戦績はどうなった?」
「騎士団の頃の分も含め、699戦698勝1引き分けだ」
「しかも引き分けは一番最初に戦った時だしな」
「ふふ…。お前は何も変わらないな」
「それは皮肉か?」
「ほめ言葉さ」
ルディルは枝をおろす。
「ただ実力は上がったな」
「それでも、お前にはかなわんよ」
「それは買い被りさ。私は依代に過ぎん。言われたことを言われたとおりに実行しているだけだよ」
「それはそれですごいことさ。ただ利用されないように注意しろよ。ただでさえ単純なんだから」
「なっ!!誰が単純だ!!」
ルディルは顔を真っ赤にして抗議する。手足をばたばたと振り、ぽかぽかとラースに拳をたたきつける。
「ほら、そういうところが単純なんだってば」
「うぐっ…」
顔を真っ赤にしたルディルは一歩下がり言い返せない悔しさにラースを見つめる。
「さて、夜も更けてきた。俺は帰るぜ」
「まってくれ!」
ルディルに背を向けて歩こうとしたラースを、ルディルが呼び止める。
「来週また進撃をする。夜明け集合だ。追ってまた通知する。いいか?」
「ああ、じゃあな」
ラースは夜の帝都へと消えていった。
一人残されたルディル。寂しそうな面持ちで
消えるラースの背中に手を伸ばす。まるでどこかに行ってしまって、もう戻ってこないのではないかという気分に襲われる。
「ラース…」
伸ばした手を自分の胸に当てる。揺れる。彼女のココロが揺れていた。彼女の中で、見えていない何かが。頭でいくら合理的に考えてもわからない何かが。
熱
彼女の中にわからない熱があった。ラースが頭から離れないといった、そんな想いが。
ルディルは思い返す。いつからこの熱があったのか。
「あのとき…どうしてあいつを…」
ルディルは思い返す。炎が付いた、その瞬間を。
数々の思い出が、泡のようにルディルの心の中を漂う。その中でもひときわ大きい泡。
最初の手合わせ。ルディルははっとした顔になる。
「あの時だ…」
ルディルは深く思い起こす。
ルディルにとって最初の、最初の人との戦い。騎士団学校の卒業試験だ。騎士団になるための学校には12歳から入ることができ、三年目で卒業でき、晴れて騎士団員となれる。その卒業試験に1対1の模擬戦が行われるのだ。当時のルディルは神童と呼ばれ、騎士団からも将来が期待されていた。そんなルディルの前に、初めて立ちふさがった巨大な壁。
それがラースだった。武闘派の名家に生まれ、騎士団の道一筋に育てられたルディルにとっては、初めての同じ年代くらいの異性だった。
ルディルは、ある話を小耳に挟んでいた。この模擬戦は二つの意味で恐ろしい戦いであるといわれていた。
一つは全く無名の叩き上げと、名家の令嬢が同じ場に立つこと。騎士団は家柄は関係はないが、ある程度は家柄で役職が決まる。だが相手の男は全くの無名だったが、そのかわった剣の腕前で将官の道へと進んだ男だったという。
もう一つは騎士団設立以来例を見ない、我流のものが騎士団の首席を倒してしまうのではないか、という懸念。
ゆえにルディルは、彼に負けるわけにはいかなかった。自分の家と、騎士団のメンツが、まだ幼かったルディルの背中にかかっていた。
闘技場で、お互い剣を取り向かい合う。模擬戦開始の合図が、審判によって告げられる。
しかしルディルは剣を構えたまま動けなかった。蛇ににらまれたカエルのように。相手の気迫に押されていた、というところもあったが、自分にかけられた重圧、そして異性という関わり。
ルディルはこの時初めて、緊張していた。相手をみる余裕などなかったのだ。
(どうしよう…。私が負けてしまったら…)
ルディルのココロに、重い雲がかかる。
ラースはそれを見逃さなかった。腰に構えた模擬専用の剣を、鞘から抜きながらルディルに斬りかかる。
そのときルディルは何度も教官との手合わせによって慣れたその目で、ラースの間合いを予測しいた。
だがルディルの目に見えた物は違った。剣が伸びたのだ。ラースの剣が、本来届かないはずの間合いから、剣が伸びてルディルに襲い掛かってきたのだ。
本能。ルディルの本能が体を動かした。ルディルは後ろに飛びのいた。追撃される可能性もあるが、当たるよりはマシという本能だった。ルディルが後ろに飛びのくと同時に、鎧すれすれにラースの剣の切っ先が横切っていく。
後ろに飛びのき、剣を構えなおしたとき、ルディルははっと気づいた。息切れをしていた。自分自身が荒い呼吸をしていたのに、ルディルはやっと気づいた。改めてラースに目を向ける。彼は剣を再び鞘に納めていた。
(同じ手だ…きっともう一度同じ手でくる)
ルディルはすぅっと深く息を吸い。肩の力を抜いて再び相手を見る。
(あれだけの大技だ。きっと何か予備動作があるはずだ。
ルディルは落ち着いて相手の様子を観察している。
長い時間がたっていた。お互いに動けず、気が付けば日が沈みかけていた。
審判が二人から目を離し、夕日をちらりと見た時だ。
ラースが動いた。伸びるように突進しながら再び剣を抜きながらルディルに左から右へ斬りかかった。
(動いた!)
ルディルは相手の動きに合わせて、自分の剣を相手の剣筋を阻むように切っ先を地面に向け待つ。
ラースにはもう剣をとめることはできなかった。ガンッとルディルの剣にはじかれてしまった。ルディルはその衝撃を利用し、切っ先を空に向けラースに斬りかかった。しかしラースは剣を振り上げ、ルディルの剣を弾き飛ばしてしまった。
「くっ」
さらにそのまま、ラースは体当たりをし、ルディルを地面に倒してしまう。
しかしルディルは諦めなかった。倒れた状態でラースの足を払い、ラースもまた転んでしまう。
その時だった。
「時間切れだ。お前らのせいで試験が明日まで伸びてしまったではないか」
審判が苦笑いしながら二人に時間切れを告げる。
「はぁぁぁぁぁ…」
ルディルは緊張から解き放たれ、闘技場に大の字になって寝転んでしまう。やっと終わったといわんばかりに盛大な溜息をつきながら。
その時だった。
「いい戦いだったよ」
ラースが、ルディルに手を伸ばしていた。夕日を背にしていた彼の顔はよく見えなかったが、それでも誰かは理解できた。
「ああ…あんな剣は初めてだ。いい体験だった。えっと…」
「ラースだ。俺も避けられたのは初めてだったよ。こりゃ改良が必要だな。ありがとう…うーんと…」
「ルディルだ」
ルディルはラースの手を取った。
「あの時だ…」
ルディルは思い出した。その時に、初めて同世代の異性というものに出会って、初めての剣を受けて、初めて異性の手を取った。それがルディルには衝撃的で、今でも忘れられなかったのだ。
ルディルは少し、その場で立っていた。自分の中にある、よくわからない熱が冷めるのを願って…。
同じころ、ラースは自宅へと帰っていった。彼の家は寝るためのベッドしかなく、武器すら壁に立て掛けてあった。
そして彼の家には、特に戦場から帰った日には議会からラースあての大金と、ほとんど脅しともとれる騎士団復帰への要求があった。
ラースは黙して手紙に目を通す。
手紙の内容はこう書かれていた。
ラース様へ
拝啓
貴殿の戦場での活躍は、帝都の隅々まで響き渡り、今や市民の希望となっております。貴殿が帝国騎士団へと戻られた暁には、市民たちはより確固たる安心を得られることでしょう。つきましてはその報酬として、将軍補佐のポストと多額の報酬を保証いたします。
付属いたしました金につきましては、我々から貴殿への今回の戦いの報酬です。
もし騎士団に復帰なされないのであれば、市民たちは不安に駆られ、あなたにも不幸が訪れるでしょう。
ぜひご一考されることを願います。
敬具
中央議会より
「クソジジイどもめ…。邪魔なら邪魔っていえばいいのに。どうしても俺を飼い犬にしたいってか。確かに帝都の奴らは騎士団なんか信用しちゃいねぇ。俺ら傭兵を手駒に加えて、奴らを納得させたいらしいな。ったく老害のインテリどもめ…。さっさとくたばれっての」
ラースは手紙を破り捨て、ベッドへと仰向けに寝転がる。
目をつむると、すぐにまどろみへと落ちてしまった。
ラースがまどろみへ落ちたころ、ルディルは騎士団宿舎の自分の部屋へと籠っていた。
「はぁ…ルディル将軍。こんな夜中に何の用ですか?」
カークはルディルに呼び出されて、夜中にもかかわらずルディルの部屋へと来ていた。
「なぁカーク…お前の人生訓を見込んで相談したい。上下関係はなしでだ」
「なるほど…で、どんなことなんだい?また女らしくなるにはどうしたらとか…かな?」
「ばっばか!そんなことではない!!」
ルディルは自分の枕を抱きしめ、顎を載せてぶつぶつと語る。
「ラースを知っているか…?」
「ああ、あの騎士団あがりの傭兵か。彼がどうしたんだ?」
「私はあいつと同期なんだ…ただなぜか、どうしてもあいつの前に行くと体が熱くなってドキドキするんだ…。なぁ、どうしてだと思う?」
それを聞いたとき、カークは年甲斐もなくにやりといたずらじみた顔でルディルを見る。
「ふーん、ラースのことが好きなんだな?」
「くっ…この!!そんなことではない!!奴は友人だ友人!!それ以上でもそれ以下でもない!!!」
ルディルは顔を烈火のごとく赤く染め、枕へと顔を埋めてしまう。
「なるほどなるほどー。ルディル将軍。ラースへの思いを手紙か何かに書いてみたらどうですか?」
カークはわざと下でに出て、にやにやとした顔つきでルディルを見る。
「このっ、やめろ!!恥ずかしい!!」
「まあまあ【将軍】。私はこれにて失礼しますので、ゆっくり【ご自分で】よくお考えください。では」
ラースはその嫌味ったらしいにやけ顔で部屋から出る。
「カークのやつ…後で覚えてろよ…」
ルディルは枕を抱きしめたまま固まる。
「書く…か…」
ルディルは思い描くだけならと思い、ラースに関する自分の気持ちを脳裏に書く。
思い描くうちにココロの熱はどんどんと温度を増していく。
(ラース…ラース…ラース…)
「くぅぅぅぅ!!!」
ルディルは枕を抱えたまま、ベッドの上でじたばたともだえる夜を過ごした。
「騎士団諸君!今日こそは醜い魔物どもを土に還すときだ!!」
一週間後の夜明けごろ。
ルディルが木でできた古い演説台に立ち騎士団に演説をしている。
その傍らで、数多くの傭兵たちが思い思いのことをしていた。
素振りをするもの、武器の手入れをするもの。なかにはほかの傭兵と殴り合いをしているのもいた。
その中でラースは木陰に背を当て座り、目をつむっていた。寝ているのだ。
「よぉ、あんたがラースさんか?」
ラースはゆっくりと目を開ける。目の前には出っ歯でいかにもずるがしこそうな男がたっていた。
「ああ、そうだ。で何の用だ?」
「へっへっへ…。あんたよっぽどつええらしいじゃねぇか。だからよ、ちょっとばっかり恩をうっときゃご利益があると思ってよ。朝飯まだだろ?ほれ」
すると男は、ラースに肉や野菜が挟まったパンをよこした。
「言っとくが俺に泣きついても助けてやれねぇからな?」
「ひっひっひ…こいつぁ俺のおごりってことにしといてくれや」
「へいへい」
男が去ってからちょうどよく、ラースの腹がなる。男がいなくなった頃合いを見計らって、ラースはそのパンにかじりついた。
開戦。
両軍が東と西から真正面からぶつかり合い、雄たけびや肉の斬れる音、鉄と鉄がぶつかり合う音があたりに響く。
ラースもいつも通りの日常として、敵陣へと突っ込み、オークやトロルなどの腹に穴をあけていく。
ちょうど一つの集団を倒した時だ。
「うぐ…なんだこいつは…」
ラースの体が急激に重みを増す。同時に胸に剣を刺されたかのような痛みが走る。ラースは重みと痛みに耐えかね、そのまま膝をついてしまった。
「くっそ…どうしちまったんだ…」
ラースは思い返す。今朝…あの出っ歯の男からもらったパンのことを…。
「あのクソヤロウ…俺をハメやがった…な…」
ついにひざまずくこともできずに、そのまま地面へと倒れこんでしまう。
「ちくしょう…毒で終わっちまうとか…なっさけねぇな…」
意識が遠のいていく。自分の目の前を走り抜けていくオークやトロル、そして騎士団たち。
死へのまどろみの中、走馬燈がラースの頭の中を駆け巡る。花々と穏やかなせせらぎの川が見え始めたころだった。ラースの意識が一瞬この世に戻る。そのとき、目の前に見たこともない少女が現れた。その子はラースをのぞき込むと、にこりと微笑んだ。
(くっそ…いよいよ終わりか…)
ラースはそう思いながら、闇へと意識を手放した…。
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