第3話 かつての聖戦

 『彼』は夜の草原を歩いていた。

頭上には満月が輝き、月光をさえぎる物が無ければ足元を照らすにはそれだけで十分だった。

 月明かりが草原の惨状を映し出した。

草原には、数え切れないほどの屍が横たわっていた。

屍は、人間の物から異形の物まで様々なものがある。

 また、屍の状態も腕が欠けたものから全身に火傷を負った物中には原型をとどめてない物もある。

 この草原を表現するには一言で事足りるだろう。

 『地獄』と。

 『彼』はむせ返る地獄の中を堂々と歩く。

まさに、自身こそがこの『地獄』の主であるとでも言わんばかりに。

 雲の流れが、草原と月を隔てた。

『地獄』は少しの間だけ、夜闇の中に姿を隠す。

雲は止まることなく流れ、再び月明かりが『地獄』を照らした。

 『彼』は足を止め月を見上げて一言だけ呟いた。


「神が死んだか」


 それだけ言うと、『彼』は視線を正面に戻す。


「ダンタリオン」


『彼』は正面の虚空に向かって呼びかけた。

そこには、人の影など無い。

 だが、虚空から『彼』に返事が返ってきた。


「御前に」

 

ほんの、一瞬前まで何者も存在しなかった彼の視界に、一人の男が写る。

 『彼』は男…ダンタリオンに尋ねた。


「敵と味方の戦力比は?」

ダンタリオンは迷う素振りも、考える素振りも見せずに、即答した。


「味方が2で敵が3、と言った所で御座います」


 『彼』は満足げに頷いて言った。

「上出来だ」

 ダンタリオンは、少し躊躇った後言った。


「父よ、このまま行けば、戦力比は直ぐに逆転します

貴方が何かをされる必要は無い」

 

『彼』の口元に笑みが刻まれる。

ダンタリオンには、『彼』の考えが解ったらしい。


「短い命など惜しむ必要もあるまい」


『彼』の言葉にダンタリオンが寂しそうな顔をした。


「父よ、短くとも無駄にされる事は有りません」


「そうかも、知れんな」


『彼』は表情を変えないまま言った。


「来たか」


 『彼』はそう言って、振り返る。

 すると、後ろには二十人前後の男女が立っていた。

それも、ただの人間では無い。

 背中に純白の翼を生やした天使だ。


「貴様も案外、手が早いな愚兄よ」


『彼』先頭にいる男の天使に話しかけた。

 その天使はほかの天使とは違い、背中には3対6枚の翼を持っていた。

さらに、翼の色はほかの天使は純白なのにたいし、その天使の翼だけは赤い光を帯びている。


「天使長ミカエル!!」


 ダンタリオンが戦慄と共にその名を呼んだ。

最大の敵を前に緊張の色を見せるダンタリオンに対して、『彼』は余裕の笑みを浮か

べていた。

「貴様と交わす言葉など無い」


ミカエルは無表情のまま言った。


「……」


 『彼』とミカエルの間に沈黙が下りた。

 ミカエルは無表情のまま、『彼』に殺意のこもった視線を送る。

 それとは、対照的に『彼』は笑みを浮かべていたが、ミカエルを見るその目には一切の感情が感じられなかった。

急に一陣の突風が吹いた。

 風は『彼』の後ろで渦を巻き、直ぐに消えた。

そして、そこには先ほどまで居なかった男が立っていた。


「遅かったな、フォルネウス」


『彼』はミカエルから視線を外さずに男に言った。


「申し訳ありません父よ」


フォルネウス感情の篭らない声で言った。

 また、『彼』もフォルネウスを咎める意思はなく、特にそれを咎めるようなことは言わなかった。

 ミカエルが手を前に翳して唱えた。


我がエリ 手にはアウルト ミード ナ あるルーテ


それは、ただの言葉ではない。

 天使がその父たる神から与えられた、世界の理に干渉する権限。

それを、行使する為の『天使の言葉』だった。

 ミカエルの手に両刃の体剣が生成される。


「来るがよい、愚兄よ」


『彼』は嘲る様にミカエルを見ながら言った。


「全力で相手をしてやろう」


 『彼』の背中に3対6枚の翼が出現した。

その翼は夜闇を煮詰めたように黒い。


「この、ルキフェルがな」


 『彼』の名はルキフェル、全ての悪魔の父にして、神への反逆者。

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