第25話 あんな大人にはなりたくない
昔の悪行を、さも『武勇伝』かの如くに語る人がいる。
恐らく、これを読んでくださった方の周囲にも、そういう人がいるかもしれない。
「昔、俺が若かった頃はー」なんて枕詞で続けられる話なんてものは、大体が過去の栄光と、悪行についてだ。
特に、悪行を長々と話す人間が苦手だ。
偏見かもしれないけれど、そういう人間に限って俗に言う『パワハラ』を自覚なしに平気でする人間のように思える。
なぜ、昔にやった『悪いこと』をそんなにも自慢げに話せるのか、甚だ疑問だ。
珍しく東口の前の喫煙所で煙草を吸っていると、
「昔、中学の頃は、俺の地元はみんなワルで、原付乗りながら煙草吸ってたもんだ」
という会話が聞こえてきた。
随分と年配の方かと思って声のした方を見てみると、一回り程しか歳が変わらなそうな男性の話だった。
30半ばだろうか。
そんな人が、堂々と過去の軽犯罪について同僚に話している。
衆人環視の中で、大きな声で堂々と。
これが全く理解できない。
その『武勇伝』を語ることによって、一体何が得られるんだろう。
俺からすれば、『あぁ、アホの子なんだな』
としか思えない。
『昔はワルやって俺も、今ではこんなにまじめに仕事してんだぜ』
ということなんだろうか?
過去の悪行の自慢は、過去の美化ではなく、自分比による『今』に掛かっているのか?
せめて、中高年を過ぎた人たちなら
『時代だなぁ』
という感想で済ませられるといのもあるが、30そこらの人がそんな話をしているのを見ると、むしろ『よく社会人になれたな』という感想を持ってしまう。
そういう話は、勢いで何とかなるお酒の席ですればいいのに…、と。
喫煙所で、『未成年のうちから煙草吸ってたぜ』なんて話を聞かされても
『かわいそうな人』としか思えない。
個々人の価値観、人生があるから、突っ込むべき話ではないのかもしれない。
それでも、腑に落ちない人種だ。
そんな人たちが今の俺たちの社会を支えているらしい。
成人してから、煙草を吸い始めたとはいえ、ふと、自分が煙草を吸っているのが恥ずかしくなったのは、なぜなんだろう。
煙草は嗜好品の括りに入る商品だ。
だけど、成人して、買うお金さえあれば気軽に買える。
吸うのは個人の自由だが、もしかしたら、吸うことを許される時期や、肩書き、身分なんてものが必要なのかもしれない。
それは、例え20歳を超えていようが、関係なく。
昔、とある小説で『大人免許』というタイトルの本を読んだことがある。
『大人』として認められるには、試験と面接を受け、合格した者だけが『大人免許』を手に入れることが出来る。
その免許が無ければ、年齢は20歳を超えていても、お酒を飲むことすら出来ない。
そんなものがあってもいいのかもしれない…
今日の喫煙所教訓【煙草が吸えるのは、『大人』になってから】
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