第37話 雪片の踊り-08

 朝食は各自好きなようにと告げてある。

 早起きのレフや、疲れて眠っているはずのメイベルと時間を合わせるのは困難だろうとの判断だった。

 アレックスがダイニングへ行くとジゼルと鉢合わせた。

 上等そうな布地の寝間着にストールを巻きつけて、体の陰影が強調されている。

「おはよう、アレックス。ちょうどよかった、何か飲み物を頂戴な」

 自分が働くつもりはない口ぶりだ。

 彼女は客人だからアレックスは大人しく従った。

 ジゼルと違い、彼はすでにきっちり着替えてすぐにも出かけられる格好だ。

「何が出ても文句言うなよ」

 そう凝った淹れ方もせず紅茶を用意する。

 温めたミルクを添えて、椅子に掛けてゆったりと待ち構える彼女へ差し出した。

「ありがとう。この家、コーヒーはないの?」

 カップに口を近づけ、言う。

 ちょっとした疲労感を覚えて答えられずにいると、ジゼルは言葉を続けた。

「あなた、以前までずいぶんコーヒーに執着していたじゃない」

「ああ……。べつに、こだわりはないよ。今の気分じゃなかっただけ」

 ついでに自分のカップにも注いだ紅茶を、飲むでもなしに眺めている。

「そう。ついに悪あがきをやめたの」

「勝負を挑むには分が悪い相手だから」

「挑む前に気付けばよかったのだけど」

 来客用の繊細なカップから指を離して、ジゼルは息を吐く。

 アレックスがコーヒーを愛飲していたことを、その理由を、彼女は知っている。

 成長する己の肉体へのささやかな抵抗だったが、効果のほどは定かでない。

 そういえば――と思い出して、アレックスは非難を口にした。

「レフに言っただろ、そのこと。彼、面白がっていた」

「あなたとコーヒーの話?」

 答えるかわりに頷いた。カップに口をつける。

「言いがかりね。私じゃありません」

 ずるい言い逃れだと思ってそれ以上は追求しなかった。

 とりわけ腹を立てていると思われるのも心外だ。



 出かける支度をするからとジゼルは部屋へ戻った。

 アレックスも食べ物を胃に入れる気になれず、お茶だけの朝食を済ませる。

 部屋に帰ると、待っていたのはフランだった。

 すぐに見分けがつくほどに、今の《フランチェスカ》とフランには差がある。

 表情を作ることにまだ躊躇いがある、どこか己を制するような遠慮がちな顔をしている。

 対して《フランチェスカ》は遠慮がない。

 素直に思ったまま、感じたままを顔に出す。

 だから、どことなく明るいのが《フランチェスカ》。

 怯えたようにも見えるのがフランだ。

「《フランチェスカ》は?」

「はい、あの、今は眠っています。多分……」

 フランと話すのは葬儀のあとはこれがはじめてだ。

 アレックスはソファへ掛けて、充電椅子に座る自動人形メイトを見やる。

 昨日フランチェスカが選んだ明るい服を着たまま、どこか居心地が悪い様子でフランは戸惑っている。

「フラン」

「はい」

「きみの機体の扱いを検討している。きみのデータのバックアップをとって、《フランチェスカ》へ機体を譲るかもしれない。そうなったとき、僕は、きみに新しい機体を与えるつもりはない」

 もとより、フランチェスカ捜索のために用いた自動人形だ。

 その目的は永久に達成されないと判明した今、コストをかけて自動人形を稼動する理由は、アレックスにはない。

「はい。すべて、アレックスの望む通りに」

 何度も繰り返し聞いた言葉が、いつもとはまったく違う響きを持って揺れる。

 少し俯いて、フランの眼差しはどこか低い場所を見ていた。

「きみは、どうしたい。フラン」

 思いがけない言葉だったのか、自動人形は戸惑う顔を見せる。

「僕の望みに適わないことでもいいから。きみの、正直な希望を聞かせて。今日いっぱいは考えるつもりだから」

 戸惑うのはアレックスも同じことだった。

 今までこんなふうには自動人形を扱っていなかった。

 意思を問うなど、不毛なことだと思っていた。

 だから、違和感は拭えない。

 それは気恥ずかしさとも言うかもしれない。

「きみは――どうなれば良いと思う? きみの立場からの意見で構わない」

「そんな」

 フランは言葉を失くして、ただ主を見つめた。

 やがて俯いて、まるで落涙を隠すように手で顔を覆う。

 思わぬ挙動にアレックスは身構えて自動人形の答えを待った。

「そんなふうに、言ってもらえて……わたしは、恵まれた自動人形です」

 当然、隠しているのは涙ではない。

 フランには涙を流す機能はそもそも付いていないのだ。

 彼女が手のひらで覆い隠しているのは綻んだ笑顔だった。

 いつかアレックスの気分を害したことを覚えているのだろう。

 見せまいと努めるのはそのせいだ。

《ボックス》で暴かれる身の内を、フランは今も主の目に触れぬよう気遣っている。

「望むことは何もありません。アレックス、わたしはほんとうに、あなたの望む通りにして欲しいんです。それが、わたしの望みです」

 彼女は答えた。

 幸せそうな顔を隠したまま。



 昨日クララを葬ったばかりの墓前へ、ジゼルを案内した。

 鬱蒼とした木々に覆い囲われた墓地は、中天からの日差しを受けて明るく、今だけは寒々しい印象が薄らいでいる。

 幸い雪は降らなかった。

 前日までに降り積もった雪は墓守たちに除けられていて、足元も確かだ。

「一月に二回もお葬式があるとはね」

 つとめて軽くメイベルが呟く。屋敷にいてもやることもないから、と付き添いで来た彼女はアレックスと一緒に邪魔にならないようにベンチに掛けて、ジゼルがクララとの別れを済ませるまで待っている。

 屋外サロン風の休憩所はヒーターで温められて、きっちりと着込んできたアレックスには暑いくらいだった。

 フランは留守番だ。必要のない時に雪道を歩かせたくない。

 家でレフと共に待っているというのも、なんだか快くない状況だが致し方ない。

「葬式って――ああ、トレシャの」

 フリーク・フェアでトレシャを見送ってから、もうすぐ二週間が経つ。

 たったの二週間前をずいぶん遠くに感じた。

「人のお葬式もあれくらい簡単にできればいいけどな」

 はじめて身内の葬儀を終えて、アレックスが素直にぼやく。

 メイベルも同調して嘆息したが、そこは大人の分別でもって「こら」と表面だけで怒ってみせた。

「生きてると、色んな人と関わるから。手短にってわけにもいかないよ。関わった人たちのほうがさ、気がすまないっていうか。分からないけど……」

 そう言うメイベルはまだ身内の死は経験しておらず、葬式にここまで深く関わるのも初めてだった。

「自動人形は、そうでもないからな。個人的な持ち物の範疇だし。ああ、でも、ほら。人気オーナーの自動人形の葬儀は、すごく派手だって聞くよ」

 ネットを介した人形愛好家のコミュニティは規模を増す一方らしい。

 生活に馴染んで、飽きられ、一時は業界全体の業績が落ち込んだこともあったが、新たに異なる価値を見出す消費者が現れたため、最盛期の勢いを取り戻すのではと期待する声もよく耳にする。

「それもなんだか滑稽だよ。だいたい、どうしたら死んだことになるのかな、自動人形は」

 まだ自動人形に対する認識が浅かった頃は、自動人形は死なないと思っていた。

 彼らが死ぬ状況がいかなるものか、想像が及ばなかったのだ。

 メイベルは明確に自動人形に死の線引きをした。

 それは、アレックスには納得のできない判断だった。

「あたしは、トレシャと相談したよ。お互いに悔いのないようにって」

「自動人形と対等な相談なんか、できないよ」

 メイベルは穏やかに笑う。

 アレックスの断言に異を唱えず、話を続けた。

「どういう自動人形ならトレシャなのかって考えた。あたしはトレシャのどこを好きだったのかって。あたしはね、トレシャが、あんな使い古しの部品ばかりで出来た機体で動いてくれるトレシャが好きだった。関節の曲げ方とか、歩き方とか、表情のつけかたを機体に左右されている、不自由な体でも器用に手伝ってくれたトレシャが好きだった。あたしには、それがトレシャだった。あの機体で動く、ちょっと口うるさくて皮肉っぽいあの子が、トレシャ」

 一度、言葉が区切られる。

 冷たい空気を吸って、代わりに温かな吐息をもらす。

「勿論、新しい機体を用意して、バックアップデータをインポートして、そうして存続するっていうやり方も考えたよ。でも、もうきっと不器用に動いたりしないし、あたしが好きだった癖ぜんぶなくなっちゃってる、新しい自動人形かもしれないから。トレシャもそう理解していた。だからトレシャのほうから、もういいって言ったんだと思う」

「データ、ほんとにバックアップもないのに、葬礼堂に?」

 トレシャの全データは記録媒体に保存して、今は葬礼堂の定められた墓地に安置されている。

 一年のあいだに引き取り手続きがなければ処分される予定だ。

「うん。いいんだよ。機体はもうばらしちゃったし。二度と同じトレシャには会えないから。……お別れは済ませたのに、やだな、未練が湧いちゃう。あのね、ずっと手元に置いてあっても、同じことだと思う。自動人形の人格データは、人格を育んだ機体とセットじゃなくちゃ、意味がないと思うの」

 ふと二人の足元へ影が落ちる。

 いつのまにか別れを済ませたジゼルが合流する。

 雪除けの、今は日除けの用を成す彼女の傘が日差しを遮っていた。

「そうねえ。データを媒体に保存しているだけの状態では、何の発展性も生じない。それって、自動人形が死んでいるのと同義だわ。控え目に言っても仮死状態ね」

「ジゼル、もういいの?」

「ええ。気は済んだから」

 アレックスはひそかに彼女を心配していたが、ジゼルは予期通りと言うか、平素と同じ調子に見える。

 発見当時、クララは死後十日が経過していた。

 ジゼルがメールを確認した日は、クララの死の四日前になる。

 僅差でタイミングを逸したことを、ジゼルは悔やんでいるのでは、ひいては己を責めているのではないかとまで案じたが、すべてはアレックスの思い過ごしのようだ。

「心身の一致を自動人形に求めるなんて野暮ったいのね。人間じゃないのだから、どの機体に何のデータでも入れて動かせばいいわよ。それこそが自動人形の利点でしょうに」

 自宅で複数の自動人形を同時に保持し、それぞれの機体にデータの互換性を持たせるジゼルは、メイベルの考えを一蹴した。

「あたしもそう思うし、それがいいのも理解している。でも」

 メイベルは彼女の異論を受け止めて、けれど譲らない。

「――思い入れがあるから」

 ジゼルは日傘を下して畳んだ。

 にわかに日が差し、メイベルは眩しそうに目を細める。

「自動人形の扱いは本当はもっと自由で手軽なはずなのに、人がそうやってどんどん不便なものにしていくんだから、惜しいったらないわ」

 気まぐれに自動人形を壊すことも珍しくはないジゼルは、きっと思い入れを作らぬよう努めている。

 彼女はメイベルの考えを理解するからこそ、対策を講じている――アレックスにはそう思えた。

「帰りましょう。きっとレフを退屈させているわ」

「確かに。家が心配だ」

 年長者を相手にする心配ではないなと、三人ともこの瞬間だけ気持ちを同じくして小さく笑った。思いがけず空気が和む。

「アレク。あんたは、あんたの信じたい通りにフランを扱えばいいと思う。けど……今の状況は、ちょっと特殊だからなあ。分からないな」

「自動人形の体しか持たないなら、それはもうただの自動人形だわ。今まで通りで構わないでしょう」

 あてにならない忠告を聞き流し、門へと向かう。

 気付けば雲が空を覆いはじめている。

 夜までには雪が降りそうだ。

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