第35話 雪片の踊り-06

 くまなく雲に覆われた重たげな空の下に平板な駅舎が横たわっている。

 二年前と変わらずロウェルの印象は冷たい。

 はじめての町に《フランチェスカ》は興味を示した。 

 寄りたい場所もいくつか思い浮かぶが、ホテルに荷物だけ預けて、まずはまっすぐ目的地へ向かう。

 工業島ロウェルの付属浮島にこぞって工場が移転して以来、稼動を停めた工場たちがいくつも立ち並んでいる。冷たくて空っぽな建築物はしんと黙り込んでいて、風景をいっそう寒々しくしている。

「――次の角、左」

 道案内をするのは《フランチェスカ》だ。

 あらかじめ自動人形メイトに登録した住所までのナビゲーション機能を用いたまでだが、まるで彼女の既知の場所へ誘われている気分になった。

「自動人形の機能も応用できるなんて、便利だな。本当に精神移植ができるなら、人間はみんな身体を機械にしてしまえばいいのに」

「思ってもないことを言うのね。いじわる」

「失言を詫びるよ」

 それこそ思ってもないことを口にした。

 そうと気付いて《フランチェスカ》が気分を害したような表情を大げさに作ってみせる。別段腹は立てていないが、彼の軽口に呆れる気持ちを表した。

 アレックスは肩を竦めて受け流す。

「半分は冗談だけど、半分は真面目な気持ちだ。現状、自動人形の機体は人間より繊細で、自己治癒もしない。整備にかかる手間は人間の健常者よりは多い。でも、傷病者にとってはどうか分からない」

 彼女は言葉を返さなかった。

 立ち止まり、アレックスを振り返る。

「――あれが、そう」

 駅から徒歩で二十分ほど歩いただろうか。

 彼女が示す先に無機質な建造物が並んでいる。

 三階建ての棟が横ばいに並ぶさまは、あたかも空に押しつぶされているような、息苦しい圧迫感を抱く眺めだった。

 門扉に鍵はかかっておらず、ほんのわずかだけ開いている。

 大人一人が通り抜けられる幅を、アレックスは《フランチェスカ》を率いて進む。

 防犯報知器の類は作動しない。敷地にはいくつかの建物が点在して、どれにも人の気配もなく、静まり返って、よそよそしい。

 根拠なく選んで、一番近くの建物へ歩んだ。

 入り口は厚いガラスの嵌ったドアだが、鍵がかかっているようだ。

「開いているドアがないか、調べる」

「はい。……手分けしますか?」

「いい。全部、自分で確かめる」

 棟は四つ。

 そのうち、正面ドアと複数の出入り口が全部でいくつになるかは見当がつかない。

 日が暮れる前に済ませたい、というアレックスの願いは割合早くに叶った。



 ドアは開いた。

 二棟目の建物を点検し始めてから三つ目の、鉄製のドアだった。

 棟から棟への連絡に使うものらしい。

「――開いたね。……行くの?」

「中を調べる」

「危ないよ。誰か、大人と一緒に」

「不法侵入の協力を頼んで、承諾してくれる大人と?」

「もう。ねえ、せめてメイベルに連絡を入れて」

「そうする」

 ロウェルに着き次第一報を入れる、という取り決めも忘れていた。

 はやる気持ちを抑えて手短にメールを送る。

「行こう」

 端末をポケットに戻して再びノブを掴んだ。

「ねえ。……怖いよ」

《フランチェスカ》の呟きが妙に新鮮で、アレックスは反応に迷う。

「手を繋いでいてもいい?」

「好きにすればいい。僕はもう行くよ」

「あ、待って。待ってアレックス」

 追いすがって、両手で彼の手を掴む。

 アレックスは片一方の手でノブを回し、鉄の扉を押し開けた。



 屋内に他に人の気配はない。

 遠い昔に立ち去った痕跡だけが目に触れる。

 足下にとられた採光窓のかすかな明かりで屋内の様子が辛うじて見通せた。

 ひどく寒かった。

 空調のきかない施設内は底冷えして氷の洞のようだ。吐いた息がはっきりと白くなるのが鬱陶しくて、アレックスはこの瞬間だけ自動人形を羨む。

「ここへ来た覚えはないの?」

 首を振る動作が視界の端に見えた。

 アレックスの手を取って、一歩後ろを《フランチェスカ》がついて来る。

 二人分の足音と話し声、それだけが建物内で聞こえる音の全てだった。

「誰も……居ないのかしら」

「今のところ、ここで誰かが何かをしているようには思えないな」

 手当たり次第にドアノブに手をかけて、開く部屋があれば中をあらためる。

 室内では埃の積もり方が所々で異なる。

 置き去りにされた什器を誰かが持ち出して転売でもしたのだろうか。

 それも最近の話ではない。

「レフの言ったとおり、取り壊す予定の建物だったのかもしれないな」

「じゃあ……何の手がかりもない?」

「そう決めるには早いけど。まだ全部見回ってない」

 自分へ言い聞かせる言葉だった。

 一足先に気持ちが落胆して見切りをつけている。

 念のため踏み込める場所は全て確かめる。そう意識して足を動かす。

 無機質な通路を歩んでほどなく、エレベーターホールに出た。

 確認のつもりで、期待の欠片も抱かずコンソールに触れた。

 その指先でボタンが光った。扉が開き、空っぽの荷室を露わにする。

「動いた」

 驚いて思わず言った。これがレフの前向きな推察を裏付けるものなのか、単なる偶然の符合かは分からない。

 確かめるために、荷室へ踏み入った。

「上へ行くの?」

「いや――地下がある。そこへ」

 階数表示を見てはじめてその存在に気付く。

 ボタンを押すが、今度は反応しなかった。

「……鍵がかかっている」

 スライドカバーに覆われたタッチパネルに触れると、四桁の数字を求められた。

 パネルに電卓型に数字が並んで入力を待っている。

「分かるの?」

《フランチェスカ》がたずねた。アレックスは首を横に振る。

 それから、気まぐれにパネルを叩いた。

 半ば冗談のつもりで、揶揄のつもりで数字を選ぶ。

 結果として、キーは受け入れられて、エレベーターは降下を始めた。

「動いた」

 さっきとまったく同じことを、まったく別の驚きをもって、呟いていた。

「パスを知っていたの?」

「いや。でたらめだ」

「でも、動いたわ。なぜ?」

 動悸を自覚する。胸の鼓動が強く打つ。

 じっとりと後頭部に汗が滲むような感覚に陥って、舌が乾いて、すぐには言葉を返せない。

「〇六〇二。そう入力した」

 やっと声になった頃、エレベーターが地下一階へと到着する。

「――姉さんの誕生日だよ」

 扉が開いて通路へ繋がる。

 エレベーターの照明だけで照らされた通路の先は闇に飲まれている。

《フランチェスカ》の強張った表情が、灯りの加減で血の気が失せて見えた。

 元より血など通っていないはずなのに。

「アレックス。嫌な予感がする」

 繋いだままの手から、少しだけ力が抜ける。

「予感か」

 人間みたいな言い草に笑った。

《フランチェスカ》の手から抜けたぶんだけの力を込めて、彼女の薄い手を引いて、荷室から通路へ踏み出す。

 地下に潜ると空気は一層冷たくなった。

 アレックスはコートの襟を立てて顎まで埋める。

 背後でエレベーターの扉が閉じると通路は真っ暗になった。

 自動人形の瞳が一瞬、赤く光る。

 まるで警告灯だ、とアレックスは思う。

「行こう。……きみの目なら見えるだろ。僕が障害物を避けるように案内するんだ」

「うん。わかった、やってみる。――こっち」

 自動人形の手がしっかりとアレックスの手を握り、恐々と前へと歩む。

「足元に何もない。そのまま歩いて大丈夫」

 真っ暗な通路に時々赤い光が広がって、《フランチェスカ》が絶えず状況を認識しなおした。アレックスは彼女に案内を任せ、平素と変わらぬ足取りで進んでいく。

「突き当たり。止まって。右と左に道が分かれている。どっちへ進むの?」

「きみは、どっちがいいと思う?」

「――右に……、何か見える。何かわからないけど、色が違って見えるの。何かの形をしている。機械?」

「熱を感知しているんだ。右へ行こう」

「うん。曲がるわ、壁に気を付けて」

 歩調を緩め、障害物を避け、角を曲がる。

 角を曲がった先、通路の奥、一部分だけが明るく照らし出されていた。

 視界に光が戻って咄嗟に目を眇める。

「明るくなった」

 もう案内なしに歩けるほどだ。

「熱源はドアの向こうに。人の形は見えないわ。何か、機械が動いているみたい。PCかしら」

「確かめよう。ドアが開けばの話だけれど」

 さっきよりも大胆な足取りでドアまですぐにたどり着く。

 部屋の利用者にとって用心はエレベーターの施錠だけで足りたのか、ドアは難なく開いて室内へと客人を招いた。

 途端に何か生活感が見て取れる。

 簡易食品のゴミで溢れたプラケース、隣には衣類の詰め込まれたバスケット。

 誰かが生活していた――生活と言うほど質の良いものではない。ここで日々を過ごしていた。その気配が生々しく感じられ、空っぽの地階よりも居心地は悪かった。

「誰か、いるの?」

《フランチェスカ》が誰にともなく問いかける。待っても返事は聞こえない。

 生活感漂う物品の向こうにはデスクが並び、複数のPCが稼動しているようだ。

 モニタも点いたままで、アレックスは何か情報は得られないかとデスクへ近寄った。タッチパネルモニタに触れPC内のフォルダを漁る。メールボックスを開くと、スノウリング夫妻共用のアカウントを示した。

 果たして本人か、夫妻を騙るものかは分からない。

 送信フォルダを見るとジゼルへ宛てたメールも確認できた。

 他にも何人かへ宛ててメールを出しているようだ。

 受信フォルダのうち、十日前の日付までは未読のままになっている。ほかにもメッセージを送受信するアプリケーションを起動すると、過去ログが読み取れた。

「アレックス。何か分かった?」

 部屋を見渡していた《フランチェスカ》がいつのまにか傍にいて、アレックスを心配そうに覗き込んでいる。

「ねえ、何か分かったのね。とても怖い顔をしている」

「……多分、ここで暮らしているのは、クララ・スノウリングだ」

 ログから読み取れたのは、このPCを用いた発信者を、相手がそう扱っていることだ。クララか、あるいはクララを騙る何者かが、このPCを用いて他者とメッセージを交わしていた。

 その相手はもしかしたらエルンスト・スノウリングかもしれなかった。

 表示されるものを、見たままに信じるならば、そういうことになる。

「ママが、いるの?」

 アレックスは答えなかった。

 ログを遡る手はいつしか止まっていた。

 重たい疲労感に襲われて目を固く閉じる。

 そうしていても、瞼の裏には文字が歪んで焼きついた。


≪CRL:あなたが無関心だったから、あの子は苦しんだのよ。≫

≪CRL:あなたがもっと愛情を示してくれたら、まだあの子は生きていたかもしれない。≫

≪ELN:僕たちは同罪だよ。お互いを責めてもあの子は戻ってこない。クララ、もう諦めなさい。≫

≪ELN:これ以上損害を作りたくない。フランチェスカのためにも。≫

 

 モニタの上に表示される文字列が、デスクに飾られた幾枚もの出力画像が、事実を告げている。ログに連なる不毛な応酬から目を逸らすと、デスクトップ上の音声ファイルのアイコンが目に付いた。

 考えるより先に手がクリックしていて、ウィンドウが開いて波形を示した。

『ママ。ママ、あのね――』

 モニタ脇のスピーカーから、思いがけず、懐かしい声が響く。

 急いでウィンドウを閉じても、声は耳の奥に幾重にも反響する。

 自動人形用の発声プログラムで再構成される声が、いくらモデルの肉声を再現するとは言っても限度があった。

 姉の肉声を記録したファイルを開いて、如実に理解できる。

「フランチェスカはいない」

 声にするまで苦労した。知りえた事実を《フランチェスカ》へ伝える。

「この工場内に、クララはまだいるかもしれない」

「ここ、ママの仕事場?」

「おそらく。個人的な研究所として利用したみたいだ。他に人はいないんじゃないかな、この調子じゃ――」

「アレックス。ねえ、一体何を知ったの」

《フランチェスカ》は歩み寄って、アレックスの額へ手を伸ばす。前髪を除けて顔を見ようとしたのか、しかしその手は拒絶され、弱々しく空を掴む。

「アレックス」

 躊躇いがちに呼ぶ。

「ここにある情報を信じるならば、姉さんはもういない。どこにも」

 アレックスは感情の揺らぎなく答える。

 いくつもの感情を身の内に押し留めたためか、あるいはまだ、文面上だけで捕らえた情報を信用しきっていないのか。デスクを離れてドアへ向かった。

「クララを探す。説明を聞かせてもらう」

《フランチェスカ》が後をついていく。

 アレックスの歩幅はいつの間にかフランより大きくなっていて、意識せずに歩くとすぐ距離が開いてしまう。

「待って、アレックス」

 ドアを開け放って、部屋の明かりで通路を照らした。

 薄灯りの中を足音が反響する。

 アレックスは目にしたドア全てをノックして、ノブを引いた。施錠されているのが分かっても何度もノブを回し、不快な金属音を立てる。

 セキュリティロックの施されたドアの、小さな操作盤に先刻当たりを引いた数字を入力する。

 暗号不一致の警告音が一際耳障りで、アレックスは焦る気持ちを煽られる。

「くそっ」

 ドアを殴りつけようと振り上げた手を、後ろから《フランチェスカ》に止められた。拳を両手に包まれ、己の子供じみた行動を自覚させられる。

 繰り返しドアを叩いた拳はとうに赤くなっていた。

 熱い疼きが、冷たい手に触れられ次第に引いていく。

「……落ち着いたよ。問題ない」

《フランチェスカ》の手をやんわり振りほどく。

 言葉を先回りされて自動人形の唇はもどかしそうに吐息を漏らした。

「ここには居ないのかもしれない。他の棟、まだ残っていたでしょう」

「うん。でも、全部は見ていない。奥にほら、まだ部屋がある」

 部屋の明かりも届かなくなった最奥に、ひとつ、ドアがあった。

 施錠を示す赤い光がドアノブの横で光っていて、自動人形のセンサー・アイの発光を思わせる。

 誘うような明滅は、何かがある目印のように思えた。

「あれが最後。開かないって確認したら、次の棟へ向かう。いい?」

「うん。わかった。そうしましょう」

 アレックスは自動人形に背を向け歩み出す。

 靴音が通路に大げさに響いた。

 結果を待って自動人形は動かない。

 操作盤に入力するコードはひとつだけに決めていた。

 それ以外に考えられないし、あとは試しても時間の無駄だ。

 〇六〇二。

 それから、入力完了ボタンを押す。

 赤い光が瞬いて消え、緑の光が点灯した。

「開いたよ、《フランチェスカ》」

「あなた一人で、行ってきて。私はここで待っているから」

「だめだ。何があるか分からない。なるべく離れないで」

「……はい」

 恐る恐る踏み出して短い距離を歩くあいだ、アレックスは再びロックを解除する手間がかからぬよう、ドアを半開きにして待っている。

「行こう」

 アレックスは《フランチェスカ》の到着を待って部屋に入る。

 そこは元はオフィスであったらしい。今はパーテーションを取り払い、デスク等の什器を全て一角に追いやって、代わりにパイプベッドやシャワーブースを入れた寝室になっていた。いずれも無機質なインテリアだ。

 無頓着に寝起きしていた生活が見て取れる。

 ひときわ目を引くのは一脚だけ置かれた二人がけのソファだ。

 向かいの壁に投影機の映像投射が可能になっているようだ。

 おそらく束の間の休息をここで動画視聴でもしながら過ごしたのだろう。

 きっと、愛娘の記録映像を。

 執着的に娘を愛していた、クララ・スノウリングはソファの上にいた。

 少し休憩でもする調子で気だるげに身を預けている。

 アームレストにそって首が仰け反っている。ひどく疲労したように大きく口を開けていて、そこから不健康そうな口腔の色が覗いていた。

 乾ききった口腔の中で舌がなにかの幼虫みたいに見えて、嫌悪感が身を震わせる。

 立ち尽くして、アレックスは《フランチェスカ》の歩みを遮った。

「もういい。この先へは僕だけで行く。通路で待っていて」

「どうして?」

「いいから」

 アレックスの背中が部屋の様子を隠している。

 彼女はまだ気付いていない。

 だが、じきに知るだろう。

 クララ・スノウリングが死んでいる、ということを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る