第34話 雪片の踊り-05

 日が暮れる前にレフは到着して、夕食までにフランを調べた。

 ジゼルがメイベルに貸し出す工房のうち、ひとつがソフトウェアやプログラムを専門に扱うための作業室になっている。

 誰よりも早くその部屋で仕事をしたのはレフだった。

 フランはいまだ臍から管を伸ばしたまま、己の状態を確かめようとモニタを仰ぎ見ている。同席しているのはアレックスとメイベルのほかには居ない。あとで結論だけ聞けば充分だと言って、ジゼルは己の仕事をしている。

 引っ越して間もない部屋にはまだいくつもの未開封の箱が散らばって、アレックスはそのうち『衣類』と表記のあるものに座っていた。

 工房では自動人形メイトにとりあえず着せるためのジャンク品を大量に有しているのだ。

「ようし。もういいよ、よく頑張ったね」

 検査に備えて、フランの装いは普段とは異なる。

 ブラウスとスカートは今朝フランチェスカが工房の所蔵から選んだものだ。

 全体の色合いが明るく、いつもより軽やかな印象だ。

 ブラウスの裾から伸びるコードを自動人形自ら引き抜いて、レフへ手渡す。

 回収して、コードを巻きながら、レフは言った。

「精神移植実験とは――また久しぶりに聞いたな。理論自体は存在するが、実現したとは聞いていない。せいぜいが身体の拡張に留まっているはずだ。それも、やはり身体とダイレクトに繋がるものではない。自動人形の体感をPC越しに体験するとか、逆にこちらから遠隔操作を加えるような、そういう使用法は可能だろう。精神の移植となると、ずっと延長線上にある。が――」

 コードをデスクに重ね、PCをシャットダウンする。

 回転椅子に再び腰掛けてゆったりと背もたれに身を預けると、椅子ごとアレックスへ向き直った。

「夫妻が実現させていたなら、今起きていることの説明にはなる。そこにあるのはフランチェスカの肉体から切り離され、自動人形へと移された精神体だ、とね」

「では、まさか、本当に彼女がフランチェスカだと言うんですか?」

「言っておくがどんな手段を用いても《フランチェスカ本人かどうか》なんて疑問は解消できないよ、アレク」

「なぜですか」

「きみが今も確かにきみ自身であることを、他人の目から量ることが困難なように」

 何の話だ、とアレックスは怪訝に眉を寄せる。

 彼の反応は予想通りだったようで、レフは頷いて話を続けた。

「――まず、私たちは『本物のフランチェスカ』を知っている必要がある。でなければ、何が偽物か、何であれば本物か、区別をつけようがないだろう」

 それは、と言い掛ける寸前で言葉を飲み込む。

 あとに続く言葉が不確かなまま胸の内に渦巻いていて、他者に伝えるための形を得ていなかった。

「メイベル嬢から見て、フランチェスカ・スノウリングはいかなる娘だったかな?」

「え? あたし? えっと……」

 突然話題を振られ、見学者の立場で構えていたメイベルの返事が跳ねた。

「えっと、あたしにとっての、フランはね……意地っ張りな子、っていう第一印象だった。ううん、いっちばん古い印象はツンと澄ましたお嬢様って雰囲気だったの。でも話しかけてみて、ちょっとずつ親しくなって、なんだかこの子は不器用だな、って思った。へんな意地張って、無理して、人を遠ざけていた。でも……打ち解ければ普通の女の子ってかんじ……だったかな」

《フランチェスカ》が頬を手で覆っている。

 お構いなしに、レフはアレックスへも同じ問いかけをした。

「きみはどうだ、アレックス」

「メイベルの印象は、僕には意外です」

 想像もつかない。誰かと友達でいるフランチェスカ。

 学校でどう過ごしていたのか、アレックスはまるで知らない。

「僕にとっての姉は――」

 フランチェスカは、家で唯一、アレックスに関心を向けてくれた。

 唯一の、そして最大の庇護者であった。

 彼女に望まれて生まれたのだから、それは最も収まりのいい形なのだと思う。

 いつだって彼女の帰りを待ち遠しく思っていた。

 触れて、撫でる手を待っていた。

 その時だけ、アレックスは己自身に伴う異物感から逃れられる気がした。

「明るい人でした。笑顔が温かくて、頼もしく感じた。家では、父や母よりも、姉への親愛が勝っていました」

 アレックス、と名を呼んだのは《フランチェスカ》だった。

 表情を隠すように頬に手を添えたまま彼を見ている。

 アレックスは気付いていながら知らぬ振りをした。

《フランチェスカ》を喜ばせるつもりで言ったわけじゃない。

 だから彼女の感激した態度を不本意に感じた。

「ここで既に印象は食い違っているね。きみたちから見て、彼女をフランチェスカだと断言できるかな?」

「あたしは、そうだといいなって思ってる。正直に言うと、たしかに当時と印象は違うよ。でも、多分こっちのほうが素なのかなって思う。アレクがそばにいるわけだし……あたしが知ってるフランよりやっぱりちょっとお姉ちゃんな感じ?」

「ふむ。アレックスはどう思う」

「断言はできません。まず精神移植実験が実現可能な技術かどうか、確かめるべきだと思う。可能だと分かってはじめて検討すべきです。彼女がフランチェスカ自身か否か」

「なるほど、もっともだな」

「だからこそ、僕は両親の所在を知りたい。彼らから説明を聞きたい」

「ともすれば、彼らも彼女の行方を求めているかもしれない」

「もしフランの中にフランチェスカの精神が存在するとして、残された肉体の状態も気がかりです」

「急いだほうがいいな、アレックス」

 今更言うまでもないことをレフは口にした。

 あとに続く言葉はアレックスには予期せぬことだった。



 レフを夕食に迎え、ジゼルはいつになくリラックスした様子だ。

 今朝見たアレックスの寝姿をしつこく話題にして笑いものにする。

 レフとジゼルが揃うとアレックスは己の調子を取り戻せずに余計に疲れた。

「ごちそうさま。失礼するよ」

「あら、気を悪くした?」

 悪びれもせず、心にもなく、ジゼルはうわべだけの気遣いを向ける。

「いや。列車の時刻に間に合わなくなる」

「もう発つのね。慌ただしい」

「急ぐ理由があるから」

 詳しい説明をレフに譲ってアレックスは食卓をあとにする。

 メイベルが気遣わしげな目で姿を追うのも気付かない。

 荷物を取りにゲスト・ルームへ戻り、待機状態のフランを起こした。

「行くよ」

「はい」

 答える調子から彼女がフランだと判断する。

《フランチェスカ》は先の検査以来眠っているようだった。

 食休みも挟まず玄関を目指して、途中、ダイニングからメイベルが姿を現した。

「アレク。もう、行くの」

「メイベルも聞いていただろ。急いだほうがいい」

「そうだけど……無理して体調崩しても、元も子もなくなるよ。休んでいけば」

「列車に乗れば座りっ放しだ、充分休めるよ」

 頑なな言葉に呆れてメイベルは嘆息する。

「そういうところ、フランそっくり」

 不意に口をついた言葉に、メイベル自身が一番戸惑って口元に手を当てる。

 失言だと思ったらしい。

「だろうね。……姉弟だから」

 答えたときには、アレックスはもうメイベルに背を向けている。

 だから、どんな感情が伴った言葉かメイベルには分からない。

「行って来る。すぐに帰るよ。向こうに着いたら連絡を入れる」

「ん。分かった。気をつけて。フラン、彼を見てやってね」

「はい。仰せ付かりました。行って来ます、メイベル」

「うん。……帰りを待ってるから」

 ぺこりと頭を下げて、フランは数歩先を行くアレックスを追う。

 小走りの足音が彼に追いついてペースを落とす。

 玄関が開くと途端に外気が滑り込んで廊下が冷えた。思わず震える肩を抱く。

 メイベルは彼らが去った後もしばらくドアを眺めていた。


 * 


 ――レフの説明によると、一体の自動人形を二つの異なる人格に適応させると機能に多大な負荷を強いるという。

 フランは、例えるなら『二重人格』の状態だ。

 このまま二重人格の自動人形として使い続けることは難しい。

 そう遠くないうちに演算処理装置の限界に達するためだ。

 とりあえずの解決策としては、《フランチェスカ》との競合を避け、フランのバックアップデータを保存し一時的に機体から削除することだが――現在フランチェスカの機体への適応は不安定で、いつ機体とのアクセスが切断されるか分からない。

 歩行中に突然フランチェスカのアクセスが途絶えた場合、フランの支援がなければ、機体が物理的損傷を受け、データにも悪影響を及ぼすかもしれない。

 だから、『とりあえずの解決策』を実行するのは不可能だ。

 あるいは、機体からフランのデータを取り除きさえすれば、不意のアクセス途絶現象は解消されるかもしれないが――それを試す時間も、今は惜しかった。



 リルからクロステルへ向かった列車と同じく、ボックスシートに斜向かいに座っている。四人掛けの席を二人で占領できるのは最終列車の利用者が少ないためだ。

 他に誰も乗客はなく、声を落とす必要もなく、他者のいびきや鼻歌に煩わされることもない、快適な条件が揃っている。

「私がいると、元々この機体の持ち主である《フラン》が、危ういのね」

 心配そうに《フランチェスカ》が問いかける。

 列車の窓は夜を映して鏡面のようだ。

 車内の光景が反射して、己の顔が視界に入るせいで落ちつかない。

 ふいに《フランチェスカ》はカーテンを引いて窓を隠した。

 アレックスの居心地の悪さを悟ったためかは分からない。

「ジゼルが一時的な機体をフランに用意してくれるって、そう言っていた。戻る頃には予備が準備されている。だから心配することはない。戻ったら移し変えて様子を見よう」

「そう。……」

 列車に乗ってほどなく目覚めた《フランチェスカ》が、検査の際にレフに受けた説明について、アレックスへ確認をした。

 フランの機体にとって《フランチェスカ》が負担になっていると聞いて以来、彼女の表情は曇ったままだ。

「これから訪ねる工場にパパやママが居るかもしれないのね?」

「居るかもしれない。居ないかもしれない。話が聞けたら何よりだと思う。……僕は真相が知りたい。あの家に誰も帰らなくなった理由。姉が、いつからか自動人形と入れ替わっていた理由――」

 ――そして、自分が置き去りにされた、その理由を。

 ただ、確かめたかった。自分で考えて導き出した答えが、もし異なっているならば、あるいは正しいのだとしても、誰かにそう言ってほしかった。

 抜け道のないひとりだけの思考回路に、終わりを示してほしいのだ。

「私もすべてを把握しているわけじゃないの。ごめんなさい。答えられることは、少ない」

「何もきみに説明を求めてはいないよ。きみが詳細に答えてくれたとしても、内容にどれだけの信憑性があるかも分からないんだ」

 冷たく言ったつもりだった。

 だというのに、《フランチェスカ》はほっとしたように表情を和らげた。

「なに?」

「いいえ。――嬉しいの。あなたと、また、こうしてお話ができて」

 まぶしいものを見るように目を細めて笑う。

 それこそが、アレックスには目が眩む思いで、視線を落とす。

「僕はまだ、そうは言い切れない」

「うん。分かっています。いいの」

 フランチェスカは健在なのか、あるいは病体なのか。

 病体だとしても、意識の有無はどうか。

 意識があるとすれば、それは、フランの中にある《フランチェスカ》とは別の存在だろう。

「……肉体を離れ自動人形の中を旅した《フランチェスカ》と、肉体にあり続けるフランチェスカの精神は、別々に発展する。僕にとって、当然、姉――フランチェスカ本人と認めるべき存在は後者だ」

 断言することで考えを確かにする。

 もし仮に前者しか現存しない場合、どう判断すればいいのか――。

 まずは思い悩むより、一刻も早く確かめたかった。

 両親がいるのか。

 そこに、フランチェスカもいるのか。

「勿論、私も、私が無事だといいなって思ってる。今この状態の私なんかそっちのけで、元気に過ごしていて欲しい。でもね、そうだと分かったとき、私はどうなるのかなって、ちょっとだけ怖い。私はフランチェスカの複製精神体で、つまりコピーで……オリジナルが居るなら、私は要らないよね。維持する理由もない。そうなったら削除されるのかな」

 カーテンを開け、窓に映る自身の姿を見つめて、そっとガラスに触れる。

 確かにそこにあることを確かめるように。

「どんな感じだろう。それは死なのかしら。それとも、もっと気楽なものかしら」

「それは今考えることじゃない」

「そうだね。うん……」

 語尾が沈んだ。

 アレックスは端末をポケットから引き抜いて、画面を見る。

 メールをチェックする素振りで会話を遠ざけた。

《フランチェスカ》は外を眺めている。

 あるいは、己の顔を見ているのだろうか。

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