第33話 雪片の踊り-04

 現時点で分かることは全て、漏れなく伝えたつもりだ。

 ジゼルがすっかり冷めた紅茶の替えを言いつけると、ドアのそばで待機していたエレシアがすぐに運びこむ。

 メイベルが受け取った、せっかくの淹れたてのそれは、カップを包む指先を温めるだけに留まる。

「レフが来るのはこのためね。彼、突然明日世話になるって連絡を寄越してきたから。てっきり、とうとう彼の自動人形メイトを完成させるのだと思っていたけれど」

「ジゼル。協力を頼める? 確かめたいんだ。彼女の訴えが正しいかどうか」

「レフが居るなら、私の手は要らないでしょう。専門家は彼よ。私はただの化粧師」

 細い指でカップの取っ手をつまんで、落ち着いてお茶を楽しむ。

「《フラン・ドール計画》ではフランチェスカの個性、人格の再現も検討していたから、ある程度彼女の情報がデータになっていても不思議はないと思うわ。思考パターン、振る舞いや癖、彼女を構成する要素の一部を自動人形に与えることは想定していたかもしれない。だから、ありえない事態ではないでしょう」

 上品な所作でカップをソーサに戻す。勿論音は立たない。

「だとしても、自動人形をフランチェスカ本人だとは言えないわ」

「そんな――」

 断言するジゼルへ、メイベルが抗議じみた声を上げる。

 ジゼルは柔らかな笑みでそれを受けた。

「メイベル。マチルダそっくりの自動人形は居ても、マチルダと同じ歌声を持った自動人形は居ないでしょう? マチルダの歌声を素材に使って組み上げたデータで歌ったとしても、同じ歌とは言い難いでしょう」

 希代の歌姫、マチルダ・マカロワを例に挙げる。

 マチルダの外見や声を模した自動人形は数多く作られたが、彼らがマチルダと同じ活躍をしたかというと、決してそうではない。

「人の経験や技術を、自動人形を用いて再現する方法は、まだ存在しないの。いくら外見がマチルダそっくりな自動人形でも、彼女と等しく歌えなければ、マチルダとは言えないわ。私は、言いたくない。自動人形を恐れる人が誤解する部分だけれど、人間の完全な模倣は今の技術では無理よ。せいぜいが外側だけの似せ物。言動に類似性を感じたところで、それは見た目に騙されているだけよ」

 声色こそは穏やかだが、揺るがない響きだった。

 メイベルは食い下がって、少しでも希望をつなぎとめようとする。

「でも――そうとも限らないかもしれない、でしょ? あたしたちの知らないところで技術が確立したのなら……」

「そうね。知らないところで実現していたら、フランチェスカ本人に限りなく近いと思う」

 本人ではない・そんなことは有りえない、と含みを持った表現だったが、メイベルは安堵して表情を和らげた。

「ね、そうでしょう。そうだとしたら――嬉しいよ」

 震える声を飲み込んで、改めて言い直す。

「また会えて嬉しいよ、フラン」

「ええ、私も……そうだと良いと思っているの。まだ不確かなことばかりだから、中途半端な気持ち」

「そっか。でも、あたしは信じるよ。アレクはすごいね、本当にお姉ちゃんと再会したじゃない」

「僕はまだ確信していない。だから調べたいんだ。慎重に考えたい」

「あ、ごめん、先走ってた。分かった。あたしにも何か手伝えることがあったら言って」

「うん。そのつもり。ありがとう、メイベル」

「いいの。じゃあ、ちょっと工房へ行ってくる。パブロの仕事が終わったか、様子見てくるね」

 溌剌と立ち上がって、はりきって出て行く。フランは手を振って彼女を見送った。

 遠ざかる足音を聞き届けてジゼルが席を立つ。

 自動人形に程近い席に移動して、顔を近づけてたずねた。

「仮に貴女の言葉を信じるなら、自動人形のなかに人間の精神があるのね。不謹慎かもしれないけれど、楽しい事態だわ。興味深い。ねえ、その機体はどんな具合なの?」

「ええと、どんな……、どう説明したらいいか、分からない」

 顔を覗き込まれて自動人形は視線を泳がせている。

 無遠慮なほど間近に注がれるそれを受け止めかねている。

「何も、意識して動かしているわけでもないの。専門知識も持っていない。そうしたいと思ったとき、自然とそうなっているわ。以前と同じように」

 言葉を探り探り、自分でも理解しきれないことを説明した。

「そうね。人間だって人体の仕組みを理解して身体を動かすわけじゃないものね」

「そう……なのでしょうね、きっと。あなたの知的好奇心を満足させてあげられなくてごめんなさい」

「結構よ。おもしろいわね。あなたが本当にフランチェスカで、あなたの主観的言動に価値があると認められたら、是非時間をとってゆっくりお話が聞きたいわ」

「ええ、勿論。私こそ、そうしたい」

 圧倒されて戸惑う自動人形の返事に微笑みを返して、ジゼルは身を引く。

 呆れてカップをあおっていたアレックスを振り返った。

「レフの到着が待ち遠しいわ」

 アレックスも同じ気持ちだったが、多分、両者の理由は異なる。

「部屋は昨日と同じよ。まだ全部そのままになっているわ。好きに使って。夕食は自由にエレシアへ言いつけて頂戴。私は仕事があるから明日まで顔を出さないわ。でも、なにか新しい展開があったら呼んでちょうだいね」

「どうも。分かったことがあれば教える」

 ジゼルの微笑みはどこか嘲るような、冷たい目をしている。

 心を頑なにして、容易には再会を認めない、彼女の心境にアレックスは同調した。

 分かっている、事実かどうかはまだ不明だ。

 諸手を挙げて感激するにはまだ早い。

「ああ、でも、あなたたち。今のほうが似ていないわ。各々が独立している印象ね」

 自己満足に呟いて、ジゼルもまた客間を出て行った。



 初めてジゼルの家に滞在した時から、いつも同じ部屋に寝泊まりしている。

 フランチェスカが過去に滞在したゲスト・ルームだ。

 懐かしがるかと思ったが、ドレッサーの側のチェストに腰掛ける彼女は、すでにフランへと操作権限を譲っていた。

 再び、唐突に、フランチェスカの応答が途絶え、代わりにフランが答えたのだ。

「今はまだ用はない。……待機状態に移行」

「あ、はい。わかりました。でもその前に、ひとつ推測を言っても構いませんか?」

「何?」

「ええと。《フランチェスカ》は不規則的に、身体の操作権限を手放します。その状態は、人間に例えるなら、睡眠に近いものだと思うんです。だから、わたしの経験は《フランチェスカ》とは共有されません」

「眠ってるって? どうしてそう思う」

「あの――わかりません。なんとなく、そういう感じがして」

 自動人形の口から発せられる曖昧な表現の繰り返しが、アレックスに疲労感をもたらした。

「無益なことを喋るな。もういい、待機状態だ」

「――分かりました。失礼します」

 謝罪の言葉を、『不要だ』と言われたから堪えたようだ。

 言葉に迷った一瞬に申し訳なさそうな素振りを見せて、フランは大人しくなった。

 発話を介さない、仕草だけで、アレックスへ『申し訳ないと思う』彼女の態度が伝わる。《ボックス》の性能に改めて驚きを禁じえない。

 静かになった部屋で、ため息だけが大きく響く。

 気晴らしに何か音楽でも聴こうと思って端末を手に取る。ポケットの中で何度か振動していたことを今になってようやく思い出してメールボックスを開いた。

 レフからのメールが数通入っている。

 有用な情報がないかと期待し慌てて本文を開いた。

 もう一度、ため息が部屋に響く。

『久しぶりに列車に乗るのでランチボックスを買った』という旨が、画像つきでアレックスへ宛てられていた。



 脱力して、それをきっかけに疲れが出たらしい。

 毛布の上に横になったまま、束の間、眠っていたようだ。

 ちょうど目を覚ますと、どうにかしてアレックスへ毛布をかけようとフランが四苦八苦しているところだった。

「……《フランチェスカ》?」

「あ――起こしてしまったみたいね。ごめんなさい」

《フランチェスカ》だ。そう感じた。

 そもそも、待機を命じたフランが能動的に動き出すとは考えがたい。

「風邪を引くといけないから、毛布をかけたかったのだけど、力が入らなくて」

 アレックスの下敷きになった毛布を引き抜けなかったようだ。

 フランの機体には特に握力については補強を加えていないから、持てても二泊分の旅行鞄が精々だ。

「心配いらない。寒くないよ」

「そうだ、なにか飲む? エレシアへお願いして来ましょうか」

「気遣いもいらない」

 落ち着かない様子でいるのは、見知った場所へ来たせいか。

 知人と再会したためか。

「懐かしい」

 彼女はチェストに腰掛けた。

 再訪が叶った喜びを噛み締めて、眩しそうに部屋を眺める。

「一度に二人の友人と再会できて、二人とも元気そうで、本当に嬉しい。でも、驚いちゃった。二人が出会っていたなんて」

「二人とも、姉を案じていた。二人を繋いだのは彼女だ」

「いいえ。きっと、あなたが動いて繋いだのでしょう。私じゃないわ」

 当然のように、『私がフランチェスカ』だと言葉を受けている。

 少しは試す意識があった。

 だが、この結果をどう判断していいか、アレックスにはもう分からない。

「私だったら、きっと、二人を出会わせたりしなかった。……そうすると、都合が悪かったから。別々の態度で接した。その人に対して都合よく振る舞った。だから、二人が一緒にいると、一体どういう『私』でいればいいか、戸惑ってしまう。……そう思っていた」

「接する人によって態度を変えるなんて、ちっとも変なことじゃない。悩むことじゃないよ」

 そんなくだらないことで思い悩むなんて無益だと感じて口を挟む。

 まるで励ましているみたいだと後から気付いて落ち着かない気持ちになった。

「そうだね。悩んでいたけど、どうでもいいね。もう一度会えたんだもの。それだけで嬉しくって」

 笑う。

 彼女は朗らかな笑顔を浮かべて、もう一度部屋を見渡した。

 部屋の中央、ベッドに腰掛けるアレックスを見て、そこに彼がいるだけで幸せであるように、やっぱり笑うのだ。

「ねえ。アレックス」

「なに」

「今夜、一緒に寝てもいい?」

 咄嗟に思考が追いつかず、言葉を忘れた。

 次に『いやだ』と回答が頭に浮かぶ。

 けれど、彼女の笑顔を見ているとどうしても声にならなかった。

「……別に」

 好きにすれば。

 素っ気無く、そう答えていた。

 彼女は予め答えを知っていたみたいに「うん」と頷いた。



 ゲストルームのベッドはアレックス一人で使うには広すぎて、もう一人並んでもまだ全然スペースが余っている。

 枕の追加を申し付けるのは憚られ、クッションを椅子から運んで代用した。

 不意に触れるたび、緊張している。気付かれていないだろうか。

 この状態で、再び眠るまでにずいぶん苦労しそうだ。

 アレックスは唇を引き結んでいる。

 どこを見ていいか分からず目のやり場に迷う。

「ふふ」

 アレックスの心境を知ってか知らずか、《フランチェスカ》はとても機嫌が良い。

「アレックス。いつのまにそんなに大きくなったの? 昔はもっと、これくらいだったのに」

 毛布のなかで彼女が腕を動かすと、布ずれの音がした。

「いつまでも子供じゃないよ」

「少しずつ大人になっていくのを、見たかったの」

 不意に視線が重なる。《フランチェスカ》の真摯な目と合って、そのまま顔を逸らせずにいる。

 ぴかっ、と瞳が赤く瞬いた。

「わっ。びっくりした。目、光った?」

「自動人形のセンサー・アイだよ。物の認識を更新するときに光る」

「今、あなたのことをじっくり見ていたの。そういうの、バレちゃうのね」

「なるほど……」

 センサー・アイも四六時中明滅しているわけではない。

 視界の変化や対象を分析する際に反射的に光る。

 人間との区別を容易にするため搭載を義務付けられているのだ。

「だって、もっとよく見たいよ。アレックス。ずっと会いたかった。ずっと、こうしたかったんだから」

 そうっと、腕が伸びて、アレックスは予感して頬をひきつらせた。

 身構えた彼に躊躇いがちに触れる、手のひら。

 重なると、次第にぬくもりを感じる。

 それはアレックス自身の体温が移ったものだ。

「大きくなったね。アレックス」

 改めて言う。答える代わりに目を閉じた。

 彼女の手のひらは頬から髪の中へ移動し、いつしか頭を撫でている。

 そんなことをされるのは、一体何年ぶりだろう。

 居心地の悪さと、懐かしい思いがこみあげて、益々眠気なんて霧散してしまう。

 そうっと胸に抱かれる、この感触を知っていた。以前、まだこの自動人形より背が低かった頃、不安定な精神をなだめるためにフランに命じた。

 彼女を自動人形だと明確にするために、人との差を思い知るために。

「――あのさ」

「なあに?」

「ずっと謝ろうと思っていたことがある」

 瞼を開くと、良く知った顔が見慣れない表情をしてこちらを見ていた。

 疑問を浮かべ、問いかける顔だ。

「昔、まだ僕が歳を数えるのに両手で足りた頃の話。姉さんの私物を勝手に持ち出して壊した」

 オルゴールだった。

 人形がふたつついていて、箱を開けると音楽が流れる。

 曲にあわせて、人形が踊る。

 箱が閉じている間、人形たちがどう過ごしているのか、素朴な疑問を浮かべて中を覗こうとした。子供の他愛ない好奇心を抑制できず、ついには分解して、元通りには出来なかった。

 アレックスは箱の細部の説明を終えて息をつく。

《フランチェスカ》は穏やかに笑う。

「随分昔の話をするのね。いいよ。そんなの。怒ってない。だって、小さなあなたが何をしたって微笑ましくて、私は許さずにはいられなかったのだから」

 愛おしげに抱き寄せる。

 自動人形の良く出来た身体が押し付けられて、意外なほどの柔らかさに戸惑う。

 アレックスには躊躇われるほどの距離を彼女のほうから詰めて来て、お互いの隙間を埋める。

「ずっと謝りたかった」

 アレックスの言葉に頷きだけを返して《フランチェスカ》は身を寄せた。

 広いベッドの上なのに、二人は中央で寄り添って、ほとんどの空間を無駄にしている。自動人形の腕の重さが存外心地よくてもうすぐ眠れる気がした。

「……ねえ。あの曲名、何だったか、覚えている?」

「当然でしょう。覚えているわ。大好きな曲だもの」

 耳朶に穏やかな囁き声が届いた。

 彼女は曲の名を答えた。

 


「アレックス、あの。アレックス」

 名を呼ぶ声で目を覚ます。悠然とした《フランチェスカ》の口調ではなく、恐縮したような控え目な呼び声だ。

「フラン」

「はい。あ、おはようございます。あの。設定されていた起床時刻になりました」

 昨夜あのまま眠って、今朝になっても自動人形が隣にいる。

 いつ二人が入れ替わったのかは分からない。

「それから、申し訳ないのですが――」

 フランは困り果てた顔をして、遠慮がちに切り出した。

「腕が抜けません」

 どこからと疑問に感じるアレックスの頭の下に、答えが横たわっている。

「……。悪い」

 身体を起こし、そのままベッドを降りる。

 ようやくフランが安堵した。

 彼女もまた一足ずつ慎重に足をおろして立ち上がる。

「いいえ、お手数おかけしました。気付いたらこの状態で……」

「気付いた? 何時に」

「ええと。ほんの一時間ほど前です」

 起こしてくれてもよかったのに。

 そう思って、頭を振った。自動人形はそれほど臨機応変には動けない。

「腕、……異常は。負荷をかけた」

「大丈夫です。許容範囲です」

 心配無用とばかりに手を振ってみせた。確かに問題はないようだ。

「《フランチェスカ》は?」

「眠っているみたいです。反応はありません。アクセスも感じません」

「起きたら、彼女に替わってくれ」

「はい。畏まりました。あの、先刻ジゼルがやってきて、朝食は各自部屋でとの伝言を承りました」

「ジゼルが、来た? 部屋の中まで?」

「はい。入室の要請を受けました。彼女は家主ですので、承諾しました」

 ため息も出なかった。

 顔を合わせることを思うと気が重い。

 賭けても良い。絶対に、彼女は今朝の光景をからかうだろう。

 アレックスには容易に想像がついて、沈痛なため息をこぼした。

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