第32話 雪片の踊り-03


 帰りの列車に乗る頃には夜になっていて、窓の外の景色も定かではない。クロステルへ向かう列車は祭りの最終日も過ぎると利用客が減って、空席が目立つ。

 ボックスシートに斜向かいに腰掛けて、アレックスは普段よりも膝を引いた。

 フラン――否、フランチェスカと名乗る何者か――は、興味深そうな目を窓へ向けている。僅かばかりに輝く町の明かりを瞳に映しては、不意の瞬きで隠す。

「さっきの町、リルね。アレックス、よく来るの?」

「列車の中継駅だから立ち寄る機会は多かったよ」

「そうだったのね。私は、町まで降りたのははじめてだった」

 新発見をした顔で振り返る。

 アレックスはさりげなく視界から自動人形メイトの姿を外した。

「どうしたの? ……やっぱり、何か変?」

 努めて何気ないふうを装ったはずなのに、彼女はアレックスの動作を見受けて不安そうにたずねる。

「いや。変だ、それは間違いない」

 彼女の唇から吐息が漏れた。

 たったそれだけで意気消沈を感じ取れたから、アレックスは取り繕うように言葉を続ける。

「さっきまで自動人形だと思っていたのに、急に振る舞いが変わったんだ。戸惑うくらいはしてもいいだろう」

 自動人形相手に言い訳なんてしたくない。

 彼らへ気を使って自分の神経を消耗させるなんて本末転倒だ。

 そう考えてきたのに、調子が狂って仕方がない。

 いつも通りのフランを扱うように出来たらいいのに、懐かしい声調が、仕草が、微笑みが、それを許さないのだ。

「そうだった。私、自動人形の中にいるんだ。あんまり自然でいられるから、つい忘れてしまう」

「自然でいられる?」

「うん。今まで、何度も、違う場所で目覚めて、でもいつだって不自由な心地がした。サイズの合わない服を無理に着ている感じ」

 己の身体を確かめ、彼女は顔の前に手をかざし、指を曲げ、広げ、手のひらを返す。そのまま顔に触れ、頬を包んだ。

「今は違う。ようやくぴったりの服を着ているみたいで……心のままにお喋りができる。強張りが解けて自由になれた、そんな気分よ」

《ボックス》の使用感を主観的に述べるとそうなるのだろうか。

 アレックスは再び視界に自動人形をとらえている。

 いつもより大げさな挙動をつくるせいで、つい目をひかれてしまうのだ。

《ボックス》は自動人形の感情表現を支援する基本的な機能だ。

 人工知能の発達に応じた表情変化を可能にした。スノウリング夫妻――アレックスの両親が開発した製品で、今では量産自動人形の初期オプションとして搭載は必須になっている。

「あなたが仮にフランチェスカだとしたら、彼らの居場所を知らないか? ……スノウリング夫妻の居場所」

「ごめんなさい。分からない。私も、常に状況を把握していたわけじゃないの。最後の確かな記憶はフォルテノルドの研究所で……でも、不確かだけれど、私が今のような状態になる直前は、別の場所に居た」

「《旅》をする以前の記憶が曖昧なの?」

 自動人形は頼りない頷きで答える。

「全く覚えていない? 少しも?」

 今度は小さく首を振って否定した。

「ただ、どこまで確かか分からないから、余計に混乱を招くかもしれない」

「いいよ。どうせ、列車に半日乗っているんだ。時間はある。情報は多いほうがいい」

 俯いていた顔を上げ、彼女はにっこりと笑う。

 アレックスは眉をひそめて問いかけた。

「何?」

「いいえ。しっかり者になったね、アレックス。驚いちゃったの。嬉しいの。すっかりお兄さんだ」

「そういう話をされても困る。ただ情報だけ伝えてくれればいい。僕は判断を保留しているんだ。あなたをまだフランチェスカ・スノウリングだとは認めていない。まだ、そう扱うつもりもない」

「うん。それで大丈夫。ごめんなさい。慎みます」

 そうは言っても、言葉の端から喜びが滲んでいる。

 アレックスも、だから冷徹になれない。

 そんな自分を嫌悪した。

 勝手に嬉しくなってしまう己の精神を切り離してしまいたかった。

 言うとおりにしろ、命令どおりに動け。己にそう念じてもまるでだめだ。

 まだ早い。――まだ。

 今、喜ぶのは早計だ。

 幾度望みをかけて、裏切られてきたか。

 今度こそはと願いながら、何も掴めず踵を返した。

 有益に思えた情報も、有力だと信じた手がかりも、全て過大評価だったのに。

 ――慎重に検討しなくてはだめだ。

 喜んだ分だけ、深く落ち込むのだから。

 わざわざ、今の内に自ら深い穴を掘ることはないのだ。

「この子には随分驚いたでしょうね」

 出し抜けに自動人形が言った。胸のあたりに手を重ね、自らを示している。

「フラン・ドール。私の複製人形フェイク・メイト。あなたはいつ、どこで出会ったの?」

「僕からの情報が必要? 僕があなたの話をたずねているのに」

「そうだった。ただ、あなたの話を聞きたくなって。まさかこの子の傍にあなたがいるなんて、考えたこともなくて」

「僕の話は、今はいい」

 言い切って、けれど思い直して短く付け足した。

「人相書きにと思って連れていたんだ。画像で見るより、印象が一致する」

「確かに、そうね、便利ね」

「思ったほど便利じゃないよ。自動人形なんて」

「そう……。そうなの。便利じゃないわ、自動人形なんて。道具にしてはかさばるし、話し相手にしては飽きが来る。自動人形って、とびきり便利ってわけじゃないよね。どうしてこんなに普及して、誰も彼もがそばに置くのか不思議よ」

 アレックスにとっての正しい認識を、彼女の口から聞くのは妙な気分だった。

 状況を見ると自動人形が自虐しているようで皮肉に感じる。

「だからね、自動人形の別の使い道を探している人もいた。パパやママみたいに」

「別の使い道?」

「身体感覚の拡張として。例えば事情があって寝たきりの毎日を過ごす人が、機械の身体と精神を繋いで、また出かけられるようになったら素敵じゃない? 身体の一部や感覚を失った人が、自動人形を介して再び身体を取り戻す。そういう使い道」

「聞いたことはある。でも実現していない」

「うん。でも、ママたちは本気で実現しようとしていたみたい」

 今の彼女の状態が、その結果である。そう言いたいのだろう。

「病気がとても酷くなって、一日のうちにほんの束の間だけ目を覚ますような日々が過ぎて、その間に私は何らかの実験を受けていた。説明をすべては理解していないけど、病んだ身体から自由になる、とママは言っていた。傷病者にとって自動人形が有用かどうか、検討されているのは知っていたから、大体の察しはついた」

 喋り疲れることはないはずだ。

 なのに、彼女は深く吐息して、言葉を選んでいるようだった。

「精神移植実験――人の意識を丁寧に電子データにする。データを自動人形に移して、それで終わり。もっとも、私は身体の複製へたどり着くまで、ずいぶん遠回りをしてしまったみたい。驚いた、本当に成功したなんて。時間はかかってしまったけれど……」

「同じ話を、レフが合流したらもう一度説明して。僕から伝えたんじゃ不足があるかもしれない」

「うん。ちゃんと、丁寧に話すわ。今あなたへ話していて、自分の中でも整理がついたみたいなの。次はもっと分かりやすく伝えられると思う」

 微笑が浮かぶ。

 何を意図したものか、アレックスは戸惑う。

 嬉しいわけではないだろう。何か感情を誤魔化すものでもない。

 それが相手を安心させるためのものだと気付いて、アレックスは困った。

 姉はこういうふうに、自分を喜ばせてくれる人だった。

 そう鮮明に思い出して息が詰まった。

「姉さん」

 堪え損ねた声が漏れ出て焦りが身体を熱くする。

 咄嗟に彼女を見ると、そこに表情の抜け落ちた顔があった。

 二度、瞳が赤く明滅する。

「――フラン?」

「はい。アレックス。……あの。すみません。《ボックス》が有効になっていますが、これは意図したことでしょうか?」

 フランだ。

 答えたのはフランチェスカを自称する何者かではない。

 はっきりと、声のトーンや仕草が異なる。

 恐縮したようにフランは俯いて、なるべく表情を見せまいとしていた。

 アレックスが《ボックス》を嫌うと知っているのだ。

「今、事情があって《ボックス》を起動している。気にするな。事情は知らなくていい」

「いえ、あの――大体は把握しました。わたしの中に臨時的なデータが生成され、別の人格が操作権限にアクセスしていました。ええと……」

「何だ?」

「データに名前がついています。《フランチェスカ》と。……以後、呼称に同じ名称を用いても構いませんか?」

 遠慮がちに問う。

 フランに気遣われたことが妙に腹立たしかった。

 だからつい素っ気無く返してしまう。

「好きに呼べ」

「はい。《フランチェスカ》はわたしから操作権限を奪い、身体を操作していましたが、その間にもわたしは外部の情報を感知し、入力を受け付けています。だから……」

「ぜんぶ聞こえているんだな。じゃあ《フランチェスカ》にもこの会話が聞こえているのか?」

「ごめんなさい、分かりません」

「構わない。向こうの応答がないなら話しかけても無駄だ。情報収集は一区切りだな」

 気付けば全身を支配していた緊張が解れて、背もたれに体重を預ける。

「フラン。もし、その領域からアクセスがあったら受け入れて、《フランチェスカ》に権限を替われ。それまでは待機状態で、エネルギー消費を抑えること。この異変についてお前から何か理解したことがあれば、報告しろ」

「了承しました。待機します」

 シートに背を預け、俯いて、目を閉じる。

 待機状態の自動人形の姿は、仮眠をとる乗客と何の差もない。

 吐息して、アレックスも目を閉じた。

 眠れるはずもない――と思っていたのに、存外気疲れしていたようで、幸いにも眠りについた。



 列車で眠るのはずっと苦手だった。

 気付けばいつの間にか、苦手は克服していた。

 旅の道のりを振り返れば、いくつもの克服の軌跡が描かれている。

 大人と喋るのは苦手だった。同じ年頃の子供と喋るのも苦手だった。

 自動人形が苦手だった。

 自動人形に人格を認めるのが苦手だった。

 総移動距離が増すごとに、苦手なものは減っていった。

 あるいは、鈍くなっていったのかもしれない。

 それでも、相変わらず好ましくないものは沢山ある。

 誰かを心配させることも、その一つだ。

「アレックス。どうしたの、何かあったの」

 迎えはいらないと断ったのに、駅ではメイベルが待っていて、案じる顔で一人と一体を見比べた。

 フランの《ボックス》が起動状態にあると気づくまでにそう時間は必要ない。

「アレク、あんた、普通じゃないよ。どうしたの?」

 アレックスの《ボックス》嫌いを良く知っている彼女が血相を変えてたずねる。

「普通じゃないのは僕じゃない。フランだ」

「そりゃ、《ボックス》の起動は普通じゃないけど、でも――」

「話は落ち着いてからにしよう」

 メイベルは動揺を引っ込めて保護者の顔で頷く。またどれだけ不安な思いを彼女にさせていたかと思うと、アレックスは居た堪れない。

「フランを調べるんでしょ? PCのセッティング、間に合ってよかった。昨日のうちには荷解きできて、今朝からパブロが頑張ってたよ」

「手間掛けさせてごめん。ありがとう」

「いいよ。遅かれ早かれやることだったし、むしろ尻叩かれて良かった。先延ばしにしちゃいそうだったから、面倒が早く片付いて、あたしのほうが感謝したい」

「開業、いつなの?」

「準備出来次第、だったから、早まりそう」

 駅前からはすっかりフリーク・フェアの装いが拭い去られ、学術と工業の町としての日常を取り戻し始めている。

 未だに延長戦を試みる出店もあるようだが、客入りは芳しくない。

「《幕間座》って、来てたのかな」

「ああ、あの人形劇団。居たみたいな情報、ネットじゃ見た気がするけど、あたしは公演見損ねちゃった」

 何となく気になって問いかけたが、アレックスもさして関心があったわけではない。

人形歌劇団≪幕間座≫インテルメディオ・ギニョル

 祭りのあとをひく駅前の景色に、不意に彼らを思い出したのだ。

 彼らは不規則に巡業を行う人形劇団だ。

 以前、偶然にも行き先が重なって、行く先々で彼らを見た。それを自分を追っているからだと訝ったのも、今思えば恥ずかしいほどに子供じみている。

 気付けば彼らの姿は見なくなり、今ではネットや人づての話に聞くまでだ。

「ジゼルさんも心配してるよ。急ごう」

「うん」

 町並みから装飾が失せ、店や客の姿が引いても、まだ色濃く祭日の気配が残っている。浮ついた空気は必要以上の思案から引き上げてくれる気がして、今だけはありがたかった。



 メイベルの言葉通り、本当に心配していたようで、ジゼルは門の前まで来て帰りを待っていた。

「心配したわよ、アレックス」

 そう迎える一言こそ添えるものの、彼女の視線はアレックスを素通りしてフランをとらえる。分かっていたから、心配していると聞いても焦りはなかった。ジゼルはいつだってフラン優先だ。

「あら。《ボックス》、あんなに嫌がっていたのに」

 すぐに変化を見抜いて言い当てる。遠慮なくフランの顔を覗き込んで、俯こうとする自動人形の顎に指を添えて上向かせた。

「やっぱり、言った通りね。《ボックス》あってはじめて真価を発揮するでしょう」

 感情表現に制限のなくなった自動人形の顔に戸惑うような、何かを堪えるような曖昧な表情が浮かんでいる。

 言葉を発すまいと頑なに唇を閉ざしているのも、変な顔に拍車をかけていた。

「あなたが自分を曲げるなんて珍しい。興味深いわ、何があったのかしら」

「話すと長くなる。家に入ろう」

 メイベルにジゼル、二人の知人を前にして彼女の物言いたげな気配がアレックスには分かる気がした。

 混乱を招かぬよう、落ち着くまでは何事も喋らないようにと取り決めて来たのだ。

 彼女もそろそろ喋りたい頃合いだろう。

 素っ気無い客間には、既にエレシアたちの手によってお茶の準備が整っていた。

「どうぞ。フランは充電椅子へ」

「お気遣い、ありがとうございます」

 返事をしたのは誰だろう。すでに《フランチェスカ》が身体を動かしているのか、アレックスには判断できなかった。

「あの。……もうお喋りしても構わない? アレックス」

 ようやく分かった。《フランチェスカ》だ。

「構わないよ。どうぞ、好きに喋って。説明をして」

「うん。ええと……まずは、ジゼル、メイベル、二人にもう一度会えて、私、ほんとうに嬉しい」

 勧められた椅子には掛けず、ジゼルへ抱きつく。

 ジゼルは涼しげな顔に一振りの怪訝さを滲ませて自動人形の抱擁を受けた。

「メイベルも――アレックスに聞いたの。色々面倒を見てくれたのでしょう。ありがとう」

「え、え? なに?」

 右手を自動人形の両の手でしっかりと包まれて、メイベルは一歩だけ足を引いた。

「どうなってるの? 変だよ、フラン」

「なんて懐かしいの。私を呼ぶ声」

「え? いつも通りだよ、どうしたの。なに、まるで」

 寸前でメイベルは言葉を飲み込む。

 アレックスを気遣って、彼を傷つける言葉は言うまいと努めた。

「まるでフランチェスカ自身のように振る舞っているのね」

 ジゼルが言葉を継いだ。

 メイベルは焦りを浮かべて自動人形の主を見やるが、彼はただ冷静に頷くだけだ。

「フランチェスカ本人だと主張する人格データだ。不正アクセスでフランの中に入って、昨日から機体に干渉している」

「まあ、すごい」

「ほんとだよ、すごい! フラン――フランチェスカなの? 本当に?」

 さして感慨なく言うジゼルに対し、メイベルははっきりと感激を示す。

 今度はメイベルから自動人形の手を取って上下に振った。

 はしゃぐ彼女を横目にジゼルは冷たく呟く。

「巧妙なウィルスね。へんなサイトにアクセスしたんでしょう」

「してない」

 きっぱり断る。

「《フランチェスカ》、説明を」

 促すと、神妙な顔で頷いて、自動人形は充電椅子についた。

 腕に輪状の燐光が浮かび上がる。

 エネルギー残量三割を示す赤い光は、しかしすぐにエネルギーを補充し、残量五割を示す黄色へ変化する。

《フランチェスカ》の話は、充電が完了するまでに終わった。

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