第31話 雪片の踊り-02

 自動人形メイトを同行させて、それを『二人連れの旅』と言えるのか、アレックスには疑問だった。本来なら道具をひとつ携えているだけの状況だ。

 それが傍目に人の形をしているから、誤解を招く。

 自動人形の厄介なのは、彼らが人の姿を持っているところにあるのだ。

 けれど、人の姿をしていなければ、この道具を選んで使うこともなかったはずだ。

 割り切れなくなってしまう。

 それは、人が人の形に思い入れるせいだ。

 自動人形が人に似ているせいだ。仮に服を棄てるときに、服に対して『お前は棄てられたくないか』なんて、尋ねる奴が居たらどうかしていると思う。

 だからアレックスは自分で決めた。

 一人で、決断をしたのだ。それが責任だと思った。

 見上げたレフの家はいつも通りに古ぼけて、両隣の派手なビルに挟まれひっそりと建っている。

 レフの言葉に捕らわれる己を自覚して、思考を断ち切るために彼の家から視線をそらした。ただ前だけを見て、アレックスはガラス屋根越しの空の下を歩いていく。

 耳慣れた足音が聞こえなくて振り返った、ちょうどその時だ。

「アレックス」

 フランが呼ぶ。

 彼女は問いかけたときと同じ場所で立ち尽くしていた。

 歩みだそうとせず、まっすぐアレックスを見ている。

「フラン?」

 最初に疑ったのは指示の誤認識だ。

 稼動年数を重ねた自動人形に時々起こる、ありもしない命令に縛られているというありふれた誤作動だ。

 そうではないと判明するまで、時間はかからなかった。

「アレックス。私がわかる?」

 平素と異なる、起伏のある声が問う。

 戸惑ううちに一言、また、フランが喋った。

「お姉ちゃんだよ。フランチェスカだよ。わかる?」

 背を向けていた僅かな間に、いかなる操作も加えていない。

 しかし自動人形は先刻と明らかに異なる挙動を示していた。

ボックス感情表現機能》が有効になっている。

 一杯に喜びを滲ませたその表情を、アレックスはまっすぐに見ていられない。

 絶対に、それが『お姉ちゃんのフランチェスカ』であるはずがなかった。

 だからアレックスが最初に感じたのは苛立ちだった。

 へたくそな物まねを見て馬鹿にしているのかと不快に思う。

 勿論、彼女にそんな振る舞いが出来るはずもない。

 次いで思い浮かぶのは、妙な不具合を来した自動人形に対する心配だった。

 フランに細工をしそうな人物と、たった今別れたばかりだ。

「フラン、黙って。僕が許可を出すまで発話を禁じる。レフの家へ戻る」

 きっと彼のいたずらに違いない。

 苛立ちも心配も、通り越して呆れてしまう。

 彼は子供じみた方法で気を引いて思い通りにしたいのだ。

 手段の稚拙さに、侮られているように感じて腹が立った。

 アレックスは感情丸出しの足取りで、大股歩きで道を行く。

 つい先刻出てきたドアをもう一度くぐって、物を踏むのも構わずに巣穴めいた通路を行く。



 彼はデスクの前で、椅子に矮躯を収めている。

 モニタの青白い光が眼鏡に反射していた。背を向けたまま問う、彼の仕草がアレックスの訪問を予め知っていたのだと感じさせる。

「アレックス。忘れ物かな」

 その態度にアレックスは確信を深めて、自動人形を前へ出した。

「妙な仕掛けを解いてください」

「なに?」

「フランに何か、仕掛けをした。違いますか?」

「私が? フランに?」

 回転椅子に背を預けたまま振り返る。

 レフは不可解そうにフランを見上げ、首をかしげた。

「どこも妙なところはないが」

「とぼけないで下さい。フランが変な自己主張をはじめました。僕は指示していない。変調の原因の心当たりは一つだ。レフ、あなたに前例がある」

「ふむ。推論の方向性は間違っていないね」

「やっぱり――」

「しかし、誤りだよ、アレックス。先の邂逅のどこに、私がフランを弄る隙があったかな?」

「僕には分からない手段で実行した。違いますか」

「参ったな、やっていない証拠を出すのは難しいが、まずは……私の目にフランが変わりなく見えることから説明してもらおうかな」

 先刻の食器もまだ片付いていないテーブルについて、アレックスは深く息を吐く。

 レフが自動人形に椅子を勧め、己は両者の間に腰を落ち着かせた。

「フランに何かあったのかい?」

「ありました。彼女は自ら僕に問いかけました。私がわかるか、と。自称したんです、フランチェスカだと」

「ふむ」

 ひとつ唸って、レフがフランを見上げる。重たそうなレンズのはまった眼鏡を押し上げて、今一度よく観察するように顔を近づけた。

「フラン。もう喋っていい」

 アレックスが短く指示をすると、閉ざされていた唇がにわかに開いて、しかし言葉に惑い震える。

「――お久しぶりです、クランコ博士。覚えておられますか、フランチェスカです」

 耳にした言葉を慎重に検討する調子でレフは大きな目を細めた。

「白々しい演技はやめてください。フランが勝手に喋るだけでも異常だ」

「冷静に判断しなさい、アレックス。私は手を加えていないよ」

 じゃあ他に誰が。

 問い質す眼差しを受け止めて、レフは今一度フランを見やる。

「あの。突然ごめんなさい。どうか怒らないで、私の話を聞いてください」

「フランチェスカ? 君が?」

「はい。私はフランチェスカ・スノウリングです」

「そうか。――そうか、そうか。やあ、久しぶりだね、お嬢さん。こんな形で再会するとは驚きだ」

「お世話になったお礼も出来ず申し訳ありません」

「いいや、きみが健勝ならそれが何よりだ。まずは再会を喜ぼう、お嬢さん」

 頭を下げたフランに応え、レフも深々と礼をする。

「何を真に受けているんですか」

 二人のやり取りをアレックスは疑惑の目で窺っていた。

 フランはアレックスへ向き直って、少しだけ首を傾けた。

「ねえ、あなたはアレックスでしょう。見てすぐに分かった。……驚いたけれど、私、とっても嬉しいの」

 どんなにか待ち望んだ言葉だ。

 フランチェスカ本人がそう言ったなら、どれだけ救われたか分からない。

 今は全く逆の心境だった。

「レフ。これでも、異常じゃないと思いますか?」

 彼へ問うことで、フランへの応答を避ける。フランは唇を閉ざしてレフを見た。

「異常は異常だが。なんとも分からない。ひとつ、彼女の話を聞いてみようか。その後で中を見てみよう」

 PCに繋がっている自動人形用のコネクタを引き寄せる。

「私に、何が起きているんでしょうか?」

「それはお前が話すことだ。聞くだけは聞く。とりあえず話せ」

 表面上は落ち着いて、アレックスは指示を終えると唇を引き結んだ。余計な言葉を防ぐように。

「せっかくだ、お茶を淹れよう」

 場違いに浮かれた態度で椅子を下り、楽しげな歩みでキッチンへ向かう。

「あの、お構いなく」

「いいや、久しぶりのお客様だ。おもてなしをしないとな」

 レフは本気か冗談か、彼女をすっかりフランチェスカだと、そうでなくてもフランではない客として扱った。

 ほどなくティーセットを運んで、レフが雑な手つきでカップに注ぐ。雑なりに良い香りが漂うことが一層腹立たしくて、アレックスはカップを遠ざけた。

 ふと見るとフランがこわごわとカップに手を伸ばしている。

「飲むんじゃない」

 熱湯を受け付ける器官は彼女の中には備わっていない。

 アレックスの命令に、フランの指がぴくりと強張った。

「いいから、話すんだ、フラン」

「お嬢さん。話せることからでいい、お話をしてください」

 レフに促され、フランはようやく小さく頷く。

「あの、混乱させていますよね。ごめんなさい。私も、でも、そうなんです。わからなくて……。ずっと、私は弟を――アレックスを探して旅をしていました。旅をしたと思います。いつも、目が覚めると知らない場所にいて、私のそばには知らない人が居ました。聞いたことのない名前で私を呼んでいました。そこは居心地が悪い場所で、私は心許ない気持ちになりました」

 迷い、不安、疑問、それから、少しの安堵。

 複合的な感情を答えに載せて、自動人形は細やかに感情を表現した。

「居心地が、今は、悪くないのかな?」

 レフが問う。フランは控え目に頷いて、話を続けた。

「いつも窮屈だったり、広すぎたり、私の居場所じゃないって強く感じるんです。怖くなって、ぎゅっと目を瞑ると、私はまた意識を失って、気付けば知らない場所に居ました。その繰り返しを、ずっと、重ねて……」

 息を吐き、目を伏せる。

 感情を伴わないはずの自動人形のくせに、ほんの些細な仕草だけで心境を表しているように感じられて、アレックスは胸の悪さを自覚する。

 ただ目を伏せた、それだけで彼女の心中の苦しみを想像してしまう。

「やっと、会えた。アレックス」

 不意に顔を上げて彼女は言った。その一言はアレックスの胸を打つ。

「ふむ、話を聞いていると想像力をかきたてられる。フランチェスカ、きみの精神は何らかの理由で身体から分離して、ある時自動人形のなかで目覚めた。その自動人形はきみの知らない人が所有する、きみの知らない自動人形だ。きみはその自動人形を拒絶して、また次の自動人形へと移る……そういう具合に旅をしたんだ」

「自動人形から、自動人形へ?」

「そうだ。なぜそう思うか説明すると、今きみが動かし喋っているその身体は、我々にとってはほんの少し前まで、きみそっくりの容姿を持つ自動人形だったのだからね」

「私は今、自動人形の中に?」

「ああ。待ちなさい、鏡を持ってこよう。――ううむ、丁度いいものがないな」

 席を立ち、壁掛けの鏡を外そうと苦戦を始めるレフを脇目に、アレックスはフランの様子を窺った。

 表情はまるで変わらない。

 視線だけが、いつもより能動的に動いて、周囲をとらえている。

「あった、あったよ。鏡だ。割れているが、見る分には充分だろう」

 レフが持ってきた大ぶりの三面鏡をテーブルの上で開く。

 蝶番で止めただけの、触れれば縁で怪我をしそうな、粗雑な品だった。

 彼女は躊躇いがちに受け取って鏡を覗き込む。

 驚いて唇を開くさまが鏡に映し出された。彼女は指先で顔に触れる。

 鏡に映るものが間違いなく自分自身だと確かめて、やっと言葉を発した。

「私……じゃない。自動人形ね。フラン・ドールね……。私、本当に自動人形の中にいるの」

 その語尾が納得を示したものか疑問を浮かべたものか判別がつかない。

 ただ彼女はじっと、魅入られたみたいに、鏡に映る己と見つめあっている。

「興味深い。フランチェスカ、きみの話をもっとよく聞きたいな」

「待ってください。僕はまだ納得していません。言い分はわかりました。けれど、自動人形の主張を鵜呑みにはできません。レフ、中を調べてください」

 レフは今思い出した顔で頷いた。

 テーブルの上のコードを掴みフランを見上げる。

「そうだ、そういう約束だったな。いいかな、お嬢さん、少し失礼しても?」

「はい。お願いします。私も、自分の身に起きていることを理解したいです」

 ようやく鏡から目を逸らし、レフの眼差しを受け止める。

 レフは安心させるようにゆっくり頷き、フランの肩を叩いて励ました。

「よろしい。では、アレク」

「――フラン。休眠状態に」

「了承しました」

 今の状態のフランに指示が通るか気がかりだった。

 が、意外にもフランは平素と同じ応答をして、異常など感じられない正常な動作で休眠状態へ移行する。

「指示は受け付けるんだな」

 アレックスは確認のつもりでレフの呟きに答えた。

「自動人形の機能は残っている。だから、この中にフランチェスカ・スノウリングがいるなんて信じられない」

「調べるまでは判らんさ。お嬢さん、失礼するよ」

 もう聞こえないのにレフは律儀に断って、フランの襟足をそっと手で分ける。

 髪の下に隠れていたボタンを外して袖から腕を抜く。上体だけ肌着の姿になって、それでも人体の生々しさが薄いのは、匂いも汗も持たない自動人形だからだ。

 レフは彼女の肌着の裾を捲くって、コードを臍へ接続した。



「再会を喜んでもいいじゃないか、アレックス」

 モニタに視線を注いだまま、レフは言う。

 アレックスは無音の嘆息をもらす。

「彼女の言葉が全て事実でも、この再会の形は、喜ばしいものではないでしょう」

「だが、存在はする。フランチェスカという個と、意思疎通ができる。最悪の形ではない」

 モニタに表示される全てをアレックスは理解できない。

 機体の状態と、記憶情報のログ、損耗箇所や更新データの有無、自動人形のコンディションチェックに必要なデータが一通り示されているようだ。

「これを再会とは、まだ認められません。調べて、事実を確かめて、喜ぶのはその後です」

「あとで落胆することになっても、今この瞬間の喜びまで嘘にはならない」

 同意しかねて、アレックスは口を閉ざした。本当にそう言えるか分からない。

 今喜んで、あとで裏切られたら、それは滑稽なことだと思う。

 とても腹立たしくて、悔しくて、悲しいと思う。

 だから慎重に検討している。喜んでもいいのか、落胆すべきか。

「ここでは機械が古いから、簡単なチェックしかできないよ」

「とりあえずの確認だけでいい。僕は列車の切符を取る。何か判ったら教えてください」

 ネットを介して帰りの列車の席を取る。

 予定が変わって引き返す旨をメイベルへ連絡した。

 このまま目的地へ進むより、一度戻って事態の様子を窺いたかった。

 レフの背中を見る。

 老齢にしては姿勢がよく、そこだけ見れば自動人形みたいだ。

 打鍵音が部屋に小さく響く。ひとつ、区切りのように、キーの音が強く響いた。

「膨大なデータ受信のログがあるな。フランの中に領域が出来て、そこに全てダウンロードされている」

「僕は受信を許可した覚えはない」

「不正アクセスだな。このデータ受信で〈人格が形成された〉と説明できるかもしれない」

 画面から顔を離し、アレックスを仰ぎ見る。

「これが本当にフランチェスカなのか、あるいはフランチェスカを装った何者か、まだ判らない。無害なものか、害意があるかも不明だな。うちの機械ではこれ以上の調査は難しい。きみがいつも頼っている技師に相談しなさい」

「メイベルは外装技師です。中身の専門家じゃない。マシンは揃っていますが――」

「なら、私が行こう。今日は無理だが明日には向かう。構わないか?」

「勿論です。感謝します」

 結論は先延ばしになったようだ。

 レフは自動人形の臍からコードを外し、丁寧に衣服を整える。

 髪を挟まないようボタンを締めて、見目が乱れていないかをチェックし、満足そうに頷いた。

「よろしい。ひとまず、深刻な害はないようだ。フランを起動して運びなさい。あと――《ボックス》の起動に制限がかかっている。起動の停止指示を受け付けない」

「何?」

「ふむ。露骨に顔に出たな、アレックス。きみの《ボックス》が起動したのか」

 拒否感が顔に表れたらしい。

 故意にそうしたわけではないが、伝える手間が省けたとアレックスは思う。

「そういう冗談は不快です」

「冗談だと理解する相手にしか、冗談は言わないよ」

「それは結構ですね」

「《侵入者》は《ボックス》に常に働きかけている。感情表現を用いたいようだ。害はない、むしろ細かいニュアンスを理解するためには有用だ」

「オフに出来ないんですね?」

「試してみてもいいが、何にどんな影響を与えるかもわからない」

「それなら、触らずにいます。仕方ありません」

 レフは歯を見せて笑う。

 子供みたいな無邪気な笑顔に毒気を抜かれ、そっと息を吐く。

「フラン、休眠状態を解除」

 顔を上げ、瞼を開き、瞳が赤く明滅した。

 瞬きをして、自動人形は視界に主をとらえる。

 目を閉じ、再び開く。

 一度――そしてもう一度、瞳が赤く明滅する。

「あ……アレックス」

 消え入りそうな呼び声だった。

 落ち着きなく彼女は瞬きをする。

「――終わったの?」

「きみはフランチェスカ?」

 訪ねたのはレフだ。彼女はレフの姿を探した。

「博士。ええ、私はフランチェスカです。調査は終わったのでしょうか」

 不安や怯えを含んで揺らぐ、控え目ながらに感情の乗った声だった。

「ひとまずの調査はしたよ。判ったことはひとつ。これだけは確かだ。きみは、本来その自動人形を動かす《フラン》とは異なる構成をもつ《人格》だ。だが、それがフランチェスカ・スノウリングかどうかはまだ判らない」

「そうですか……お手数をおかけして、ごめんなさい」

「いいや、気に病むことではない。共に事実を確かめていこう。協力するよ、お嬢さん。アレク、君もね」

「当然だ」

 動揺が声に滲まなかったかと心配した。

 フランはアレックスを見とめ、不安げな顔ににわかに微笑みを滲ませる。

 不意の仕草に息を呑んで、胸の内のざわつきを自覚した。

 こんなのは嫌だと思う。

 本物かどうか判らない姉の笑みに、喜んでしまうのは嫌だった。

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