第29話 【幕間】私のためのお人形-02

 アレックス・スノウリングは行方知れずの家族を、とりわけ姉を、探している。

 捜索は四年ほど前に始まって、今も続いている。

 見つからない限りいつまでも旅は終わらない。

 けれど、生きて日々を暮らして大人になるためには、旅だけに時間を割くわけにはいかない。だから、旅には刻限が定められていた。

 姉の身長を越すまで。

 姉、フランチェスカ・スノウリング、当時十七歳の彼女の身長は一六二センチ。

 現在十五歳のアレックスの身長は、もうすぐ一六〇センチと、男の子にしてはまだ小柄なほうだ。

 挨拶から発展した世間話を重ねる大人たちを残してアレックスは客間を出て行く。

 後姿まで似通った自動人形メイトを引き連れて遠ざかる背中を、メイベルは追いかけた。

「アレク。部屋へ戻る? あたしも行く」

 振り返った少年の眼差しは冷めていて、だけど拒絶を感じないからメイベルは隣に並んで歩く。

 そうだな、こんな身長差だった――懐かしく、過去を思い出した。

 まだ学校に通っていた頃。

 フランチェスカと並んで廊下を歩いた。

 少しだけメイベルのほうが背が高いから、上目遣いでこちらを見るのだ。そうすると、いつもは少し冷たい顔立ちも幼さを滲ませて、親しみが湧く表情になる。

 ――そんなことまで鮮明に思い出す。

 今、ほとんど同じ表情をして、アレックスがメイベルを見上げた。

 姿を重ねていたと悟られたくなくて、メイベルは誤魔化すように話題を振る。

「あのさ、アレク、ありがとうね。ジゼルさんのこと……紹介してくれなかったら、今頃、路頭に迷っていたよ」

「大げさだよ。僕のほうこそ驚いた。まさか、ジゼルの工房を間借りするなんて」

「それは、あたしたちもびっくり」

 ジゼルの業務形態は固定されておらず、必ずしも自前の工房だけで作業をするわけではない。邸に付属した工房はあくまで個人的な作業室らしい。私的な空間を切り分けてくれたことも驚きだ。メイベルは同じ世界で働く大先輩を、あらゆるメディアで目にした彼女の肖像写真を思い浮かべてしまう。憧れの立場、実力、評価と認知。

 今はまだメイベルが持っていないものを、すべて、ジゼルは持っている。

 もしかしたら、友人が向けた好意の深度だって――

 卑屈になる考えを打ち切って、息を吐く。

「部屋、寄っていい? もっと話がしたいよ。久しぶりだし」

「いいけど」

 短い無骨な許可がなんだか嬉しい。アレックスの使うゲストルームにお邪魔して、勧められるまでもなく椅子に腰掛ける。

 彼は自動人形を充電椅子に掛けさせ、休眠を指示した。

「いつまで滞在するの?」

「明日には……っていう気分だけど、生憎だ。まだ行き先が定まらない」

 メイベルは内心で安堵してしまう。

 それを彼に対する不義理だと思うから、表面上ではアレックスの心境に同調して嘆息を漏らした。

「そうか。むずかしいね……」

 二年前、一度は家に戻ってきたアレックスを送り出して、その後すぐに彼は事件に巻き込まれた。連絡がつくまでの数時間、生きた心地がしなかった、あの夜のことは今でも夢に見る。

 もしかしたら彼は命を落としていたかもしれない。

 無事で済んだのは幸運だった。

 フランは軽微な損傷を受けて修理の必要があったけれど――。

 無理やり連れ戻したことを彼は恨んでいるかもしれないが、メイベルはあの選択を後悔していない。

 フランチェスカのように取りこぼすのは嫌だった。

 だから今も、再び彼を送り出すのは本意ではない。

 ――諦めて、と。

 彼にたった一言を伝える練習を頭の中で繰り返すたび、メイベルは傷つく。

 それは友人への裏切りだ。

 もう無事ではいないのだとメイベルは諦めている。

 二度と会う事はないと薄々は納得している。

 フランチェスカの不在が示す意味は、ひとつだと思う。

「……定まらないってことは、行き先の候補はいくつかあるんだ?」

 また、たった一言を伝え損ねる。

 言わずとも、その時は近づいている。

 彼は大人になっていく。

「でも、あまり期待できそうにない。何度も足を運んだ場所と、関連性の薄い場所。『念のため』程度の……いつもの通りだ。そこに居ないことだけ、確認する」

「……実家にも、戻った跡、ないんだよね」

「実家も。別宅も。いくつかの研究所にも、入れてもらったけど……。どこにも、両親や姉が立ち寄ったような痕跡はなかった。研究所の場合は、誰かが共謀して、口裏を合わせているかもしれない。彼らの居場所を知られると都合の悪い奴がいて――って、そんなことまで考える」

 疲れた、という言葉を寸前で飲み込んだような調子だ。

 彼自身も、裏腹な感情に戸惑っているように見える。

 視線は求めるようにフランへ向けられた。

 彼女の姿を見て決意を確かめたようだ。もう瞳に迷うような色は浮かんでいない。

 ふとメイベルを振り返って控えめに問いかける。

「……新しい自動人形を、作る?」

 不完全な問いだ。

『トレシャの代わりに、新しい自動人形を作る?』

 正しくは、そう聞きたかったのだろう。

「うん。作るよ」

 メイベルは短く答えた。

「って、今、決めた。今日までは……トレシャが、まだそばに居たから、考えてなかったけど……。でも、作るよ。作るの、楽しいし。前より腕も上がっただろうし、それを確かめるためにも」

 葬礼堂でお別れをした。

 その区切りをつけたことが、期待した以上に良好な効果を生んでいたようだ。

 言葉にして誰かに伝えた途端に、それは現実感を持ってメイベルのなかに根ざす。

 作る。作ろう、自動人形を。

「ほとんどは、ミカエラにあげちゃったけど、まだいくつか生きてるパーツもあるんだ。再利用しようと思ってる。二世、ってわけじゃないけど……ううん、それでもいいかな。トレシャ二世」

 まだ見ぬ自動人形を思い描く。

 トレシャとは、全然違う姿かたちにしてみよう。いっそ男性型でもいいな。

 使ってみたい部品やシステムもいくつか思いつく。例えばエメス社の新型ボックス――フランにも搭載されている品だ。エワルド・ワークスが復刻させた強化軽量造膚十九二八型。あのマチルダ・マカロワの自動人形、ヘデラが使っていた丈夫で長持ちする素材。最近は見かけは綺麗でも脆い素材ばかりが出回っていたからありがたい。

「そういえば、ヘデラを見てなかった。せっかく行ったのに」

「あの混雑のなかを掻き分けていくつもりだったの?」

「ああ、そうだったね。いいや。これからいつでも行けるから。これから……この町で暮らすんだもの」

「家はこの近く?」

「通り一本向こうかな。一軒、ちっちゃいけど」

 新しい地で、再び始める。

 いつまでも不在の人物に関わっていることは、メイベルには難しかった。

 勿論状況が許すならば、メイベルこそが旅立って、方々を探し回りたかった。

 でも、メイベルには生きていくために成すべきことがある。

 結局、彼を旅へ送るのは、メイベルだって願っているからだ。

 フランチェスカとの再会を。

 彼だけに、その可能性を追わせている。

「そう。今度来たときは家を見せてよ」

「何言ってるの。アレックスの部屋も用意してあるんだから。見るんじゃないよ、暮らすんだよ」

「なにそれ。初耳だ」

 そっけなく、でも口の端をちょっと歪めて、アレックスは判りにくく笑っていた。

 せめて彼が帰る場所に迷わないでほしいとメイベルは願う。



 積もる話の裏でメイベルは少年の過去を思い返していた。

 あの小さな男の子がよく無事に育ったものだと感心する。

 彼がはじめて旅立ってから、もう四年も経ったのだ。

 他愛ない会話が途切れると、二人して視線はフランに向いた。

「アレク。フランの調子はどう?」

「悪くないよ。頻繁に調整しているし、外装のほうもジゼルが手を加えて劣化を防いでいる。フランの調子ならメイベルのほうが詳しいんじゃない? 直接中身を見ているわけだし」

「あたしが見られるのは基本的な範囲だけだし、実際動いてみないとなんとも言えない部分もあるし。部品の強度には何も問題ないよ。磨耗した部品は取り替えたから――空管は一昨年大幅な付け替えをしたっけ。あれでしばらくは持つはず」

 以前フランを壊してしまった一件を思い出してアレックスは苦い顔をする。

「あとは記憶、データ保存、経験の蓄積。そのへん、不具合もないかな……。データ量が多いかも? でも、個人差、使い方次第だからな、フランは移動が多いしそのせいかも。うん、問題ない。丈夫な自動人形だよ、フランは。まだしばらくは余裕で動くでしょ。そのあとは使い方次第だ」

「そう」

 曖昧な答えがあった。視線を自動人形からその主人へ移すと、ベッドに座る彼の横顔が見える。

「どうした? なにか気がかり?」

「いいや。ただ、近頃よく考えるんだ。姉と再会した後、僕はフランをどうするんだろう。その時にフランがそばにいたら、姉は不快に思うんじゃないかなって」

 彼の考えにメイベルは驚きを抱く。

 だって、彼は本当に、まだ、フランチェスカと再会が叶うと信じている。

 その後のことまで考え悩んでいる、なんて――

 メイベルがとうに止めてしまったことを、彼は続けている。

 フランが不要になる日が来るのだろうか。

 メイベルには想像がつかない。

 彼のそばにはずっと、この人形の姿があるのだと漠然と考えていた。

 まったく想像力が足りていない、と己を省みる。

「……その時は」

 特に考えもなく、メイベルはただ反復した。

 ふいにノックの音がする。開かれた扉から、ジゼルの声が響く。

「その時は私に譲ってくださらない? ――って、以前から打診しているでしょう」

「……盗み聞き」

 アレックスが呟いた。

 ともすれば独り言のような声量のそれにジゼルは鋭く言葉を返す。

「ええ。楽しそうなお話、拝聴していたわ」

「呆れた」

「嘘よ。でも、しているんじゃないかと思って。積もる話があるでしょうから」

 アレックスとジゼルの応酬を眺めて、メイベルは割り込むこともできない。

「メイベル。ちょっとアレックスをお借りするわね。すぐ済むからここで待っていてちょうだい」

「あ、はい、どうぞ」

 本人の意思を無視して交わされた合意に、不服そうにアレックスは立ち上がる。

 抵抗はジゼルにからかいの材料を与えるだけだと理解しているらしい、大人しく廊下へと出て行く。

 扉は閉ざされ、言葉を交わす気配だけを壁越しに感じた。

 二人は互いに嫌い合っているようなのだが、それでも互いを遠ざける気はないらしい。不思議な関係だ。

 少しだけジゼルが羨ましいのは、メイベルがアレックスへ対して飲み込む言葉のいくつもを、彼女は素直に投げかけるからだ。アレックスとの関係を良好に保とうなんて思っていないから彼を傷つけるような言葉を躊躇わない。

 結果として、アレックスがその言葉に救われることも、少なくはないのだ。



「お返しするわね、メイベル」

 言葉の通り、短い間だった。

 アレックスを部屋に帰してジゼルは去っていく。

 ドアの隙間から翻る髪の毛が見えた。視界から彼女の姿を追い出したがっているように、アレックスはドアノブを引き寄せた。

 ドアが閉まる。

 彼は立ち尽くしたまま黙り込んでいる。

「話、何だったの?」

「次の行き先が決まった」

 今度はメイベルが黙り込む番だ。

「明日の列車でロウェルに行く」

 ジゼルから何か情報がもたらされ、アレックスは行き先を決めたのだろう。

 居ても立ってもいられない、落ち着かない様子が見て取れる。

 ロウェルへ行くのはこれが二度目ではない。

 知り合いも出来たし、割合頻繁に足を運ぶ土地でもある。

 でも、二年前にアレックスに危険が及んだのもあの町だ。

 だからメイベルは快くは送り出せない。

 案じる気配を察して、アレックスが吐息した。

「メイベル。心配しないで、連絡は欠かさないから」

 気遣うような調子に、メイベルは立場の逆転を自覚する。

 なだめられているのは自分のほうだ。

「それにさ、これを最後にしようと思うんだ」

「――え?」

「これでだめなら、もう、旅をやめる」

 吐息が笑うように揺れた。

 アレックスの眼差しはフランへと向けられる。

 いまは眠っている彼女を、尊いものを見るように眺めている。

「約束も迫っている。分かっているよ」

 いずれ彼は、あの自動人形の背を越していく。

 スノウリング夫妻はどちらも長身だ。

 きっとアレックスもこれからまだ大きくなる。

 メイベルだって追い抜かされてしまうだろう。

「待っているよ、アレックス。フランチェスカと一緒に帰っておいでよ」

「そうなることを僕も願っているよ」

 いつのまにそんなふうに笑うようになったのか。

 目を細めて、柔らかく、困ったように彼は笑った。

 それがどんな心境を表しているのか、メイベルは想像で補うだけだ。

 覚悟を決めた人間のそれには見えない。

 もしかしたら彼自身、これでお終いにできることに安堵しているのかもしれない。



 アレックスの出発と入れ替わるようにして、空っぽのアトリエに荷物が運び込まれた。メイベルはまず作業台を設置して、持ち前の仕事道具を並べて、一通りの仕事を始められるだけの設備を整えた。ほかの荷物は後回しだ。

 新居の荷解きはまったく進んでいない。

 だから今日は床で寝ることになるだろう。

 それでも構わない。

「さあて、どんな子が待っているのかな」

 まだ人の形にもなっていない、これからそうなるはずの部品たちを作業台に広げてたまらずため息が出る。どれもこれも磨き甲斐のある、薄汚れてどこかしら欠損した、不完全な部品たちだ。

 いままで地道に集めたジャンクがこの瞬間は宝の地図みたいに思える。

 この地図をたどって、いつかまためぐり合うのだ。

 とっておきの《あたしのためのお人形》に。

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