第20話 透明な足跡-03


 名前を呼ぶ声は、夢の中で響いた音か現実に聞いた声なのか。

 判別のつかないまま、まどろみの中で毛布をたぐる。

 寝返りを打って、ふいに額にひやりとした感触が触れた。

 重たい瞼の隙間からぼんやりと輪郭を捉える。

 それは姉の顔と良く似ている。

 否、姉そのものの姿をして、微笑んで、こちらに手を伸ばす。

 そっと慮るように手のひらを額に重ねた。

 幼子を心配する母のように。

 瞼に鋭く日の光が差したため急激に頭が覚醒する。

 間近に迫る自動人形を捉えて、思わず毛布を跳ねのけ体を起こした。

「フラン」

 勝手に動いたことを咎めるように呼ぶ。

 フランは振り払われた手を緩慢に引き戻した。

「おはようございます、アレックス。設定の起床時間を三十分過ぎたため、体調管理機能を起動致しました」

「体調管理機能? そんなの設定した覚えはない。いつ有効にした?」

「二月一日、午後四時四十七分に設定を受けました」

「分かってるよ。メイベルだ。また余計なものを」

 メイベルが調整のついでに余計な機能を足すのは今までにも何度かあった。

 大抵アレックスにとっては不要の過保護な子守機能を追加するのだ。

 何度も断っているのに、メイベルは依然としておせっかいを止めない。

 心配されることがアレックスには居心地が悪かった。

 メイベルにそこまで面倒を掛けて良いのか分からない。

「いい、僕は起きた。健康体だ、問題ない。エネルギーの消費を抑えたい。フラン、休眠状態へ」

「了承致しました」

 椅子へ戻って、フランは休眠の体勢を取った。

 ようやく一息つく。頭はとっくに覚めていた。

 今になって窓から忍び込む冷気に気がつく。

 窓の外はうっすらと明るく、昨日の吹雪によって雪のこびりついた家々が反射する光がきらきらと輝いて眩しい。

 冷たく清浄な空気には神様が住んでいるという。

 冬しかないこの土地に伝えられる、意地のようなありがたみを、アレックスには理解できない。ただ寒いだけだ。

「アレックス、アレックス」

 ノックの音が短く二回、呼ぶ声は急いている。

 アレックスは慌ててドアへ駆けた。

「ニネット。ごめん、今起きたよ」

 ドアの向こうのニネットは出かける支度を万全に調えている。

「エドリスは、夜のうちには帰って来なかったのか」

「うん……」

 ニネットがこうして訪ねて来たのだから、聞かなくても理解できたことだ。

 改めて問いかけ、彼女の表情を曇らせてしまった。

 軽率な言動の代わりに『大丈夫』と励ますこともできない己の口を嫌悪する。

「待ってて。すぐ準備を整えるから」

「朝ごはんは?」

「あとで良いよ」

「だめ、朝ごはんちゃんと食べなきゃ。パパがもう用意してるよ」

 時間が惜しいと思ったがせっかくの好意を受け取ることにした。

 着替えて降りるとダイニングから暖かい湯気が流れ込む。

 昨夜の口喧嘩の気配もなく、エリックもニナも仕事に勤しんでいた。

 テーブルに並ぶパンと何種かのソーセージ、卵の炒め物。朝食は、シェフというよりは『ニネットのお父さん』が作ったのだなと感じる素朴な味だ。

 アレックスが食事をする間、ニネットは家の周りを点検していた。

 夜のうちにエドリスが帰って来た痕跡はないか、もし誘拐だとしたら犯人からの連絡があるかも、近所で見かけた人が居ないかどうか――休みなく動き回っている。

「おはよう、アレックス。昨夜はよく眠れた?」

「はい、おかげさまで」

「隙間風が寒いでしょう、ごめんなさいね。建物が古くなっていて、あちこちがたついちゃって。何せ私の父親の父親から受け継いだものだから」

 ニナの話へ曖昧に頷く。

「今日はニネットと出かけるの?」

「はい」

「そう。外は道が凍っているから、気をつけてね」

 皮の柔らかいソーセージをかじって熱い肉汁にあやうく舌を火傷しかけた。

 無言でエリックがカップに水を注ぐ。

 ニナは使う客のいないテーブルの掃除を始めて、二人に背を向けていた。ちょうどアレックスの食事が済むころ、ニネットが近所の点検を終えて戻ってくる。

 頬や鼻の頭を赤くして、どれほど外が寒かったのかと体中が訴えているようだ。

「ニネット。ごめん、待たせた。行こう」

「うん。行こう!」

「あ――待ってて、フランを連れてくる」

 置いて出かけても構わないくらいだが、アレックスの旅の信条として、なるべくフランを人目に触れさせたかった。それが己の探し人へ繋がる方策の一つだと考えている。些細な可能性でも検討の価値はある。

 だから、不本意ながら、いつだってフランを傍に連れて歩きたかった。

 急いで部屋へ戻る。

 開いたドアの正面で、それは眠ったように椅子に掛けて機能を最小限に絞って待機している。

「フラン。出かけるよ」

 俯きがちな顎が上がって、開いた瞼が対面する対象をとらえた。

 瞳が一度、赤く輝く。

 主の姿をみとめ、フランは慎重に立ち上がる。

「了承致しました、アレックス」

「くれぐれもエネルギー消費を抑えて。余計なものを見たり聞いたりはするな」

 改めて言うまでもなく、フランの学習機能は最低レベルに設定されて、これ以上余計な電力を省けというほうが難しい。

「昨日と同じ設定で良い」

「はい。了承致しました」

 短く答えたきり口をつぐんで、自動人形は主のあとに続いた。



 ニネットは母親からいくつかの包みを持たされ見送られた。

 中身は今朝焼いたパンだ。

「今日は、駅で呼びかけ? 昨日から電車が止まってるから、人通りは少ないかもしれないよ」

「ううん、まずは知ってる人のところに遊びに行ってないか、聞きに行くの」

 急ぎ足でニネットが歩いていく。

「昨日も行ったけど、今朝までにエドリスが行ってるかもしれないから」

「なるほど。ねえ、エドリスがどんな子なのか聞いてもいい?」

「うん。えっとね、エドリスは、ね……」

 アレックスの後ろを歩く自動人形をちらと見上げた。

「フランより背は低いかな。髪はもっと短いの。それで、わたしと一緒の色」

 ニネットが帽子の中から濃褐色の毛束をつまんで見せる。

「大人しかったの? 一人で出かけられないって言ってたけど……。彼女に友達は?」

「前はすごく元気で働き者だったよ。でも今は違う。大人しくて、お喋りもあんまりしない。友達は……前は居たけど……。だから、わたしがエドリスのお友達。妹だけど……」

「前? 前って」

 言葉を遮って、ニネットが声を上げた。

「ここ! おばさん、エドリスと仲がいいの」

 示すのは路地に連なる控え目なドアだ。

 爪先立ちになってエドリスは呼び鈴を鳴らす。

 防寒のためか二重になったドアの、内側の一枚が開く音がした。

 すぐに、外側のドアも開く。

 姿を見せたのはニナよりもやや若い婦人だ。

「あら、ニネット」

「こんにちは。これ、お母さんから。今朝焼き立てのパンです」

「ありがとう。エドリスのことね?」

 婦人は肩を落とした。良い報せは持っていないらしい。

 ニネットからも聞けそうにないと察したようだ。

「見つかったら連絡頂戴ね。わたしも、何かあればすぐに伝えるわ」

「うん。お願い。じゃあ、またね」

 ぎゅっと帽子を被りなおして前を向く。

 同じように、ニネットは何軒かの家を訪ね歩いた。

 どこへ行ってもニネットは歓迎される。

 そうして、エドリスの不在に皆言葉をなくす。

「わかった、ありがとう。何かあったら、知らせてね」

 隣で何度同じ言葉を聞いただろう。

 アレックスは自分が役立たずだと気づいて手法を変えた。

 ネットワークに接続して許容範囲の情報を流し、人探しの旨を発信する。

 たちまち世界中に広まった探し人の電子掲示は、しかしすぐには有益な反応は返って来ない。

「アレックス? 何見てるの?」

「人探し専用のサイト。でも、効果は期待できないかな」

「んー、そっかあ……」

「僕も、散々使ったから。気休め程度だ、こんなの」

「アレックスも誰かを探したの?」

 頷いて、意識しないままフランを見上げた。

 ニネットもつられて顔を上げて問う。

「ニネットと同じだ。姉がいなくなったんだ」

「……アレックスのお姉ちゃん? 見つかったの?」

 ニネットを不安にさせる答えを返してはいけないと思った。

 だけど、嘘をつくほうが彼女を裏切るような気がしてアレックスはかぶりを振る。

「探している。今も」

 主の視線に応えるように自動人形は小さく俯いた。

 冷たい面には何の意思も表れてはいない。

「見つかるよ。大丈夫だよ!」

 ニネットの言葉に虚をつかれて視線を戻す。

 その表情から彼女が心の底からそう信じているのだと伝わった。アレックスが用いようとした誤魔化しでもその場しのぎの慰めでもない、本心の言葉だ。

「うん。ありがとう」

 本来なら自分こそがかけてやるべき言葉だったはずなのに。

 逆転した立場がおかしくて、それどころじゃないのにアレックスは少し笑った。

 自嘲だったのかは分からない。

 気が楽になって、同じくらい気持ちが沈んだ。



 近所中の知人を訪ねて、ニネットの足はそれでもまだ元気に街の奥へと向かった。途中、親しい知己に呼び止められて長話に至る。背も歳もまだアレックスより低いのに、もう立派に女性らしくお喋りが好きなのだなと感心してしまう。

「ごめんね、アレックス。ちょっと、時間、潰してきて」

 ニネットの言い草もなんだか歳不相応で笑ってしまった。

 幸いにして場所は駅前の商店通りで時間潰しには事欠かないようだ。

 ニネットへ行き先を告げ、ふと目に付いた店にフランをつれて足を伸ばした。

 店は傍目にも繁盛していない。

 ほとんどの商品にはカバーか掛けられ、他の荷物が積み上げられるか、でなければ埃が積もっている。

 店主はこの来客が本当に店に用事があるのか疑っている様子だ。

 疑い半分の眼差しは、アレックスに続くフランの姿を目にしてようやく素直な喜びに変わった。

「いらっしゃい。うわ、嬉しいな。外からのお客さんだろ」

「はい」

「珍しいな、親戚でも住んでるのかい」

「いえ、ちょっとした用事で」

 カウンターを出て、店主は客の連れに興味深い眼差しを向ける。

 接近した対象を認識してフランの双眸が赤く瞬く。

「はじめまして。ぼくはケネス。この子は?」

「フラン」

 人より先に自動人形の名前を確認した店主に呆れて答えた。

「きみのメイト?」

「そう。人から譲り受けた」

 嘘は言っていない。

 何かと談義を交わしたがる相手にこう前置きすればある程度の面倒くさい質問はかわせる。

 ケネスはなるほどと頷いて、ようやくまともにアレックスを見た。

「大事にされてる子だね。フランのご主人は良いご主人だ」

「どうも」

「なにが入り用かな? 充電椅子を貸そうか」

「ああ、それは有り難いです。ほかには、特には。この街にメイトの店があるとは思わなかったから、驚いて」

 ケネスは長らく使われていない貸し出し用の充電椅子のカバーを外した。

 都市部じゃどこの飲食店でも採用している見慣れた店舗用充電椅子に、アレックスは安心感を覚える。

「そうなんだよ。《D-ick》のことだろう。あの事件のせいだよ。以前はいくつか同じような店があったけど、ここが最後の生き残りだ」

「商売、成り立つ?」

「九割はウェブショップの売り上げだ。店として開けてはいるけど、もう実質は商品倉庫だな。こいつを出すのも何年ぶりか」

 充電椅子の座面を表へ向けて肩を竦める。

 アレックスはフランに座るように指示をして、しばしの休眠を設定する。

 ニネットの立ち話が終わるまで、十分か二十分か。

 短い間でも充電できるのは有り難い。

「見かけない型式だね。きみは自分で組むのかい?」

「僕はこれだけで手一杯だよ。おこづかいもないし」

「まあ、確かにフランがあれば他はいらないかもしれないね。そうだ、今期の新作カタログはもう見た?」

 来客が嬉しくてたまらない様子で奥へと引っ込んでいく。

 おそらく彼がいまだ実店舗を構える理由としては来客とのコミュニケーションを求めるためだろう。

 アレックスは起動していない充電椅子を引き出して、勝手に腰を下ろした。

 店の中から街を眺めると、この建物はほとんど往来の人々の関心外にある。

 街中で感じる冷たい拒絶の目から一時逃れられて少しだけ居心地が良かった。

「今期のカタログだ、今週頭に出たばかりだよ。もうネットで見た?」

 戻ってきたケネスの手には電子媒体のカタログがある。

「いえ、情報収集はほどほどに」

 ここでまた嘘をつく。

 本当は隅々を確認した。

 製作者、販売元、技術提供者――少しでも両親の気配がないかと探るために。

 彼らはまだ生きていて、身を潜めながら仕事を続けているのだと確信があった。

「目立った新作もいいけど、バージョンアップが楽しみだね。《ボックス感情表現機能》の……、この子は実装しないの? よく馴染みそうじゃないか」

 カタログを開いてケネスが指し示す。

 カタログと見比べるようにフランを見上げた。

「悪いね、この町じゃあんまり気分よく歩けないだろ。せっかくそんな精巧なメイトを連れてるのに」

「構わないよ。見せびらかすために連れてるわけじゃないから」

「そうなのか。ぼくだったら得意になっちゃうけどなぁ」

「ケネスのメイトは?」

「たまに引っ張り出して動かすよ。家の中でしか動かしてやれないけど。この町でもさ、メイトが居ないわけじゃないんだ。外に出てこないだけで。実際、町の人から修理の依頼や部品の取り寄せを受け付けることもある」

「それが、残りの一割の人」

「そう。この町の人形愛好家の生き残り、絶滅危惧種だよ」

「じゃあ、このお店が潰れちゃったらみんな困るね」

「責任重大さ。まだまだ畳むわけにはいかないね」

 そう言うケネスはどこか誇らしげだ。

「アレックス、お待たせ!」

 やがてニネットがやって来てアレックスと合流する。

「あ……このお店、お人形のお店だったんだ」

「そうだよ、お嬢ちゃん。お名前は?」

「ニネット! あのねおじさん、わたし、エドリスって女の子を捜しているんだけど、知らない?」

「エドリス? 知らないなぁ。町の子?」

「わたしのお姉ちゃんなの。昨日から迷子になっちゃって……」

「分かった。ぼくも探してみる。進展あったら、連絡をよろしくね」

「うん! あのね、おじさんは、お人形のお店屋さん?」

「そうだよ」

 膝を折ってニネットの背丈に合わせて、ケネスは彼女の言葉に耳を傾ける。

「フランみたいなお人形、わたしも欲しいな」

「それは、お嬢ちゃんのおこづかいじゃちょっと難しいな。カタログをあげるよ。パパやママと相談してごらん」

 ケネスから受け取った冊子をニネットが大切そうに受け取る。

 新作カタログではなく、この店独自の商品目録だ。

「ありがとう、おじさん。エドリスのこと、お願いね」

「うん。力になれないかもしれないけど……。行くかい、アレックス?」

「はい。ありがとうございました」

 充電椅子の僅かな使用料金を払って店を後にする。

 底冷えする町へ出て、店内では忘れていた寒さに外套の襟をかき合わせた。

「フランはどうしてたの?」

「充電をしていた。食事みたいなものだよ」

「ご飯を食べるの? フランも?」

「自動人形はエネルギーを食べるんだ。時々、人間と同じ食事をする奴も居るけど、僕は真似したくないな」

「うちのホテルでは、フランのゴハンは出るのかなぁ……」

「さっき食べさせたから、しばらくは大丈夫だよ」

 何か膨大なデータのやりとりや、不要な機能を起動させない限りは、滞在中は問題ないだろうと踏んでいた。

「フラン、お腹いっぱい?」

 後ろに付き従う少女の人形へニネットが問いかける。

「はい」

「良かった」

 無機質な回答にそれでもニネットは喜んで微笑んだ。

「ニネット、何か分かった?」

 笑みをひそめて首を横に振る。ちいさくため息をついて前を向く。

「誰も、エドリスを見てないって。……どこに行っちゃったんだろう」

「一度戻る?」

 再び首を横に振る。

「行ってみたいところがあるの」

「そう。分かった。行こう」

 ニネットは小さく頷いた。

 意気消沈した彼女をどう元気付ければ良いか分からなかった。

「エドリスは、普段は外に出ないんだよね?」

「うん……。時々、誰かと一緒に出かけるよ」

「その時に行く場所は?」

「病院、じゃなければママの買い物とか」

「病院は、誰のために行くの? エドリス、どこか悪いところがあったの?」

 ニネットは答えにくそうに黙り込んだ。

 どうアレックスに伝えたものかを悩んでいるようだ。

 昔は快活だったのに今はほとんど家で過ごす姉。

 変化のきっかけが『病院』にまつわる部分にあると推測するのは難しくない。

「エドリスには悪いところなんかないって、ママは言うよ」

「ごめん、言葉が悪かった。でも何か困ることがあって病院へ行くんだろう?」

 ニネットは素直に頷いて、アレックスの手を取った。

 行きたい場所へ案内するように手を引いて、話を始める。

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