第15話 模倣された魂の葬送-04


「しばらくお待ち下さい。ご主人様をお呼びします」

 アレックスを殺風景な応接間に取り残して、エレシアは去っていった。

 何の音もない静かな部屋に残されて落ち着かない。

 時計が示す時刻は約束の時間をやや過ぎている。

 こうして待たされると、エレシアがいそいそとジゼルの衣装に着替えている光景を思い浮かべてしまう。性懲りもなく下らない勘ぐりを働かせてしまう己を省みた。

「ああ、そうだ」

 気持ちを切り替えようとわざと声に出す。

 真四角の真白い部屋に声は少しも響かず壁に吸収された。

 ――ジゼルに打診された内容を、考えてもいなかった。

 フランとエレシアを交換しようという申し出に、吟味するまでもなく答えは出ていた。確かにエレシアと過ごした時間は退屈ではなかったが、そんな要素はそもそも交渉の条件にもならないのだ。

 旅を楽しくする必要はない。

 必要最低限の機能と、何よりも姉の手がかりになる似姿が重要だった。

 それなら、とまだ聞きもしないジゼルの囁きが聞こえた気がする。

 それなら、《エレシア》の姿をフランチェスカそっくりに作りかえれば問題はないのでは?

 ノックの音が突き刺さって意識から架空の声を追い出した。

「お待たせしたわね、アレックス」

 高いヒールの靴音も、防音の壁に吸い込まれて鈍く響く。

 ジゼルの後ろに従って歩くフランの姿をみとめ、少年は少しだけ緊張を和らげた。傍らには給仕服に着替えたエレシアもついている。

「エレシアは無礼を働きませんでしたこと? ちゃぁんとお相手ができていたと思うのだけれど」

 自信たっぷりな言葉を否定できなかったから、少年は口を閉ざしたままでいる。

「《フラン》をありがとう。こちらの気は済んだわ。それで、お約束の通りにフランについてお話ししようと思うの。……ああ、あなたのお姉様についてよ」

「その前に、所有権利の返却を頼みたい」

「もう済ませてあるわ。この子は元通りのあなたの《フラン》よ。ほら、行きなさい」

「はい、ジゼル」

 歩み寄って、隣に立つ。

「座れ」と短く許可を下すとアレックスの隣に腰掛けた。

「考えていただけたかしら? アレックス。この子をエレシアと交換する気はなくて?」

「悪いけど、考えもしなかった。僕はフランと行く」

 思ったよりも躊躇いなく答えた自身に驚いた。

 動揺を隠すように理由を付け足す。

「説明したけど……姉の人相書きになる。もしかしたら、僕の知らない彼女の知り合いとも出会えるかもしれない」

 言葉の真偽を検討するようにジゼルは少年を見つめた。

 やがて嘆息をひとつ置いて、顔を上げる。

「なら、惜しいけれど、仕方がないわ」

 意外にも素直に引き下った。

 言われる準備をしていた言葉を、彼女が持ち出さなかったのは意外に思う。

「せめて、私の些細なお願いを聞いてくれる?」

「僕に可能なことであれば」

「《ボックス》を使って下さらない? あの子の真髄は表情にこそあるつもりだから……是非とも活用して欲しいの。何気なく見えるかもしれないけれど、労力のほとんどは表情の再現に費やされていると言っても良いわ」

 だからこそ、機能を無効にしているのだ。

 アレックスにはフランの表情が生々しくあればある程、己の精神安定上好ましくない。人間とは別物だと、明確に示されないと困るのだ。

 自分自身をそれほど評価していないからこそ、回避策を堅実に選んでいる。

「申し訳ないけど、それはできない」

「理由を、教えていただける?」

 向かいのソファに腰掛けて身を乗り出す。

 無邪気に質問するジゼルへ、返答に詰まって言葉を濁した。

「両親のせいだ。彼らは……おそらく、あなたの言うところの試作品実機一号を、僕の前で、姉本人のように扱っていた。僕は当然、認識を誤ったまま、そのメイトと接した。疑いを抱くこともなく……」 

 言葉にすると、普段は閉じ込めている記憶が鮮明に蘇る。

 心拍の上昇を自覚した。じっとりと滲む汗が不快だ。

 気づかれないように、深く慎重な呼吸を繰り返す。

 平静を取り戻して言葉を継いだ。

「二度と間違えたくない。そのために」

「すごいわ。ほんとうに?」

 アレックスは自身の不快感にそぐわぬ調子の問いかけを受けて面食らう。

 好奇心と期待に満ちた眼差しはジゼルをいくつか若く見せた。

「本人と間違えて、疑問なく生活を共にしていたの? 外装職人にとって、こんなに光栄なことってないわ」

 邪念ない喜びの言葉がアレックスには鈍く響く。

 なるべく思い出したくない過去だった。

 今も夢に見て飛び起きる。

 元はといえば、それは、ジゼルの手によって整えられた条件だったと思い当たると、彼女を恐ろしい存在に感じた。

 人の似姿を作る。

 それは人の生活に自然に溶け込んで、人を騙すことができる。

 気づいたときには、何か、大切なものを奪われている――。

「ねえ、アレックス。あなたには分かる? どちらが人間で、どちらが自動人形メイトか」

 少年の恐れも知らず、エレシアと寄り添って、ジゼルは微笑む。

 エレシアは憮然としたように唇を閉ざしていた。

 この距離から見ても、二人の姿は僅かな差異しかない。

 その差異でさえ、具体的に何と言えない程度の印象だ。

 ジゼルが人間で、エレシアは人形だ。

 そう感じ取った確信が何に拠るものなのか説明しがたく、アレックスは答えを躊躇う。

「ジゼル。あなたが人間だ」

 エレシアの腰に手を回す彼女を指し示し、答えた。

「エレシア。きみは自動人形だ」

 次に、抱かれる彼女を示す。

「本当? 確信を持って、間違いないって、自分の発言に自信を持てる?」

 挑発的に笑う。

 ジゼルは無遠慮にエレシアの唇を撫で、髪に触れ、常人であれば顔を顰めるような、手を振りほどくようなことを平気でして見せた。

 彼女が従順な自動人形であることを露骨に表現する。

 そうまでされると、むしろアレックスを惑わすための振る舞いにも見えて判断が揺れた。

「答えあわせをしましょ」

 親密そうにエレシアへ触れているジゼルの手に、手品のように現れた、銀色の刃が光る。

 ナイフは装飾的なグリップと実用的な切れ味をかね揃えているように見えた。

 ジゼルの左腕がエレシアの頭を抱え、生白い首を晒すように傾ける。

 捕らわれた彼女の表情はジゼルの身体に隠れて見えない。

 アレックスは咄嗟に制止の言葉を叫んだ。

 それは錯覚で、実際にはただ吐息しただけだった。

 ジゼルの手の中で一度ナイフが弾んで、逆手に持ち替える。

 そのままの勢いで首筋に切っ先を飲ませた。

 ぷすり、と軽い音のあと、勢い良く噴き出す。

 アレックスは一瞬、白い部屋が真っ赤に染まる光景を見た気がした。

 ごとん。彼女が椅子を転げ落ち、膝が床を叩いた。

 真白い絨毯の上に身体を開く。

 噴出したのは、無色透明の血だった。

 部屋は何にも汚れず清潔な白を保っている。

 首から暗闇を覗かせて、人形が床に横たわっていた。

 腹部から胸部にかけて、不自然な収縮運動を繰り返す。

 指先はぐったりと萎れ、もたげた首は不自然な方向を向いていた。

 機能不全に陥った眼球が惑うように痙攣する。

 時折、唇があえぐように僅かな開閉を見せ、喉の奥で呼気が空しく抜けた。

「よかった。正解ね」

 ジゼルはナイフを床に棄てた。

 絨毯の上で鈍く弾む。

 刃先は何ら汚れておらず、無機質な電灯を照り返している。

「――異膚はだの下に模肉にくがあって、鉄製の骨格ほねを覆っている。身体に無数の管が巡り、空気エアを循環させ、形を保っている。任意の信号によって圧縮された空気が、彼らに様々な表現を可能にしている――。血の代わりに空気を巡らせて動く、人のかたちの器」

 横たわったエレシアの《心臓》は鼓動を止め、動力を失った彼女は玩具の人形ほどにも動かない。

 気づかず、アレックスは頭を抱えていた。

 痛いほど歯を食い縛っていた。

 視線は床に縫い付けられたまま、彼女の声を聞く。

「それなのにどうして、惑うほど、私たちに似るのかしら。どうして、そんなに、あなたが心を痛める必要があるの?」

 ジゼルの言葉を理解できないまま、呆然と眺めている。

 いつかの光景と重なる、エレシアの横たわる姿を、瞬きも忘れて見ていた。

 だから、多分、目が乾いたせいだとアレックスは思う。

 眼窩の縁に滲んだのは、生理現象の涙だ。




 客室にはシャワーブースまで完備してある。

 食の提供さえあれば、何日も篭もって過ごせそうだ。

 ジゼルに良く似た顔の、しかし男性型の自動人形が食事を運んで来てからどれくらい経っただろう。

 ろくに手をつけずに、アレックスはベッドに腰掛けている。

 メイベルのアトリエと比べて何倍も上等な広いベッドだった。

 おろしたてのシーツはぱりっとして肌に心地よい清潔感がある。

 奇麗な部屋を見渡して、ひょっとしてフランチェスカもここに寝泊まりしたのだろうかと余計な考えを巡らせた。

 後味の悪い心地に気分が晴れない。

 ジゼルがあれほど奇抜な人間だとは、想像もしていなかったのだ。

 まして、フランチェスカと親しかったなどと、記録映像を見なければ納得できなかっただろう。それすらもジゼルの技術を持ってすれば偽造も可能だと思い当たる。だがそこまでの労力を払って人を騙す理由もない。

 延々と続く猜疑心の螺旋が不毛に思えて、アレックスは嘆息を持って思考に区切りをつけた。

 ふと、記録映像に映っていたのがこのゲストルームだと気づく。

 いくつかの家具の配置が違うが、窓やドアの位置は変わらない。

 ベッドも多分、同じものだ。部屋を見渡して、映像をこの場に再現しようとした。

 床のあの辺りに二人は座っていて、親しげに肩を寄せ合って、壁に映るムービーを見ていた。

 からっぽの部屋にその光景を思い描くことは難しく、アレックスは早々に努力を諦める。伸ばした首を戻す途中、視界にうつった姿に一瞬動揺した。

 見慣れたはずの自動人形だ。

 扉のすぐそば、鏡台の前の椅子に座っている。

 フランの顔は二つ、そこにあった。

 額縁に嵌った鏡の向こう側に、ひとつ。

 もうひとつは、アレックスの視線を受け止めている。

 アレックスは下らない想像をする。

 今、フランが立ち上がる。

 すると、鏡の中の像も当然動くはずだが、じっとしたままだ。

 あれは鏡ではなく隣室と繋がる窓なのだ。

 そして、部屋の向こうに居るのは。

 居るのは――。

「フラン」

「はい」

 ばかばかしい空想を振り払うために命じた。

「ここへ来い」

「はい、アレックス」

 フランが腰を上げる。全く忠実に、鏡の中の彼女も同じ動きをする。

 アレックスは息を吐いて、身体をベッドに投げ出した。

 膨らんだ毛布に埋もれて天井を見上げる。

「ここでよろしいでしょうか」

「いいや、もっと……こっちだ」

 不明瞭な指示にフランは距離を測りかねているようだ。

 フランチェスカとは違う。

 彼女なら何も言わずに、望んだ通りの場所へ来てくれる。

 望んだ以上の優しさで、触れてくれるのに。

「ベッドの上へ。僕の隣へ」

 主の指示通り自動人形は動いた。

 まずベッドに腰掛けてシーツに両手をつく。

 一歩ずつ、足元を確認しながらベッドへ持ち上げる。

 動作は極めて慎重だ。仰向けになってアレックスのほうへ顔を向ける。

 両手はそれぞれ身体に沿って揃えられた。

 医師の診察を待つ患者のような姿勢だ。

「僕を抱け」

「はい」

 フランの身体がアレックスに向き直る。

 待ち受ける体勢の少年を、そっと、自動人形の腕が包み込んで胸に抱いた。

 ふくよかな肉付きを模した乳房を頭上に感じた。

 そこからは何の温もりも鼓動も伝わらない。

 他者を抱きしめる自動人形の動きは滑らかだった。

 介助の補佐や孤独を紛らわせること、他いくつかの要望のため、彼らには『抱きしめる』動きを詳細に組み込んであった。

 外見こそフルオーダーメイドのフランも仕草や語彙は市販の自動人形と大した差はない。そう感じるとアレックスは安堵した。

「そのまま、動かないように」

「はい、アレックス」

 自動人形の身体はどこか硬かった。

 模肉は人のそれと変わらぬ感触を持っているが、均一的だ。

 箇所によって厚みの変わる皮膚や肉の再現までは完璧ではない。

 冷たいとは言い切れないが、さしたる温度を感じない。

 アレックスは甘える仔猫のようにフランの懐へ頭を潜らせた。

 腹のすぐ隣に頭をつける。ベッドスプリングの軋みが収まるまで待って、耳が痛くなるほどの静寂を迎えた。

 やがて、聞こえたのは、フランの心臓の鼓動だ。

 それは下腹部に収まった空圧駆動装置の送り出す空気の音だ。

 こうして動かぬ間も、姿勢を保つために絶えず動き続けている。

 空気の巡らない自動人形はぐったりとして死体のような姿になるからだ。

 だから、心臓は充電の間も空気を送り続けている。

 しゅうぅぅっ――しゅっ。しゅぅぅ――……。

 繰り返し、そう聞こえた。

 深く深く吸い込んだ空気を素早く放出する。

 きちきちきち、と空管の張り詰める音さえ分かるような気がする。

「フランは、自動人形だ」

「はい。わたしは自動人形です」

 声がすぐ近くに響いた。

 フランチェスカの柔らかなそれとは異なる、冷たい響きだ。

「それで良い」

 自動人形の呼吸、心臓の鼓動、人のものとは異なる機構的な音に耳を傾ける。

 フランチェスカとの過去とフランとの現在を比べてその差異に安堵した。

 いつからか気づかずに、フランチェスカにそっくりな自動人形を本人だと思い込んで接していた時期がある。

 それがいつだったか、おおよその見当はつくが、正確には割り出せない。

 疑いの目で振り返ると、過去の思い出は全て意地の悪い虚像に姿を変えた。

 いつからか、もしかしてずっと、最初から。

 フランチェスカなんて、本当は存在しないのではないか。

 そんな考えに取り付かれることも頻繁にあった。

「きみは自動人形だ」

「はい。アレックス。わたしは自動人形です」

「きみは、人間か?」

「いいえ。わたしは自動人形です」

「証拠はあるのか、フラン?」

「はい。個体情報を照会致します。少々お待ち下さい――」

 フランは目蓋を閉ざした。

 やがて、アレックスの記憶をなぞるように彼女は喋った。

「当自動人形、登録名フランはエメス社の骨格機構を持ち、同社の人工知能で思考しています。外装は個人製作、登録モデル《フランチェスカ・スノウリング》に基づいて作られています。声帯は前述のモデルから採取しています。その他、更に詳細な固有情報を端末へ送信可能です。むやみに傷つける等、わたしを害する行為はお薦め致しません」

 ほとんど意思のないこのガイド文書は、持ち主が万が一疑いを抱いたときの対処マニュアルだ。

 自動人形と人間を見分けられないほどに混乱してしまう持ち主は少なくないらしく、専門の病院まである。その際、衝動的に傷つけないように自動人形自身から注意が促されるのだ。中々に滑稽な対応をアレックスは笑った。

「結構だよ。沢山だ」

「ご理解いただけましたか」

「充分に」

「専門の医院への相談は必要でしょうか」

「心配無用だ。僕は正常さ」

「《D-ick人形過敏症》は誰の身にも起き得る症状です。些細なことでも専門医への相談を推奨します」

 ここまでがあらかじめ登録されたガイド文書だった。

 先刻は小さな画面の中で、あんなに見事な《D-ick》患者だった姿が、今はまるで常識人の顔をして主をたしなめている。

 その構図をアレックスは皮肉に感じた。

 こんなのは人工知能が適切な反応を選んで表現する、台本どおりのお芝居だ。

 もう暗誦できるほど繰り返し聞いた。

 もし誰かの前で唱えたら、その人は自分の言葉を信じるだろうか。

 そんな悪戯を実践する気力は生憎持ち合わせていなかった。

「フラン。きみは、自動人形だよ」

「はい。わたしは自動人形です」

 玩具よりも下等な受け答えを聞いて満足する。

 これが、フランの言葉だ。

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