第13話 模倣された魂の葬送-02
祭りの当日は明後日だという。
と言うことは今後もっと人が増えるのだろう。
「一週間。準備期間を含めて、撤収までの期間です。まだ出店の半分も準備していませんし、人の数はこれで当日の半分程度です」
「今日が当日じゃなくて本当に幸運だったよ」
うんざりして応えた。すでにすれ違う際に人と接触を免れないほどなのに。
「フリーク・フェアは初めてですか?」
「うん。君は何度も?」
「はい。ジゼルに付き添って」
「じゃ、常習的な犯行なわけだ」
「案外、人は他人をさほど注意して見てはいませんから」
「そういうものかな」
すれ違う人の流れに目を向けると立ち止まりそうになってしまう。
どこを見ればいいのか分からない。
人も、
立ち並ぶ露店に例外なく人だかりが出来ていた。
圧倒されまいと意識して一歩一歩を踏み進んだ。
「元々フェアへは来るおつもりで?」
「いや、人ごみは好きじゃない。次の目的地も決まっていたから、通り過ぎるはずだった」
「なるほど。人ごみというのは、この町の状態を指していますか?」
「他に該当するものが?」
「少々お待ち下さい。今資料をお送りします」
意図を測りかねているうちに携帯端末がデータ受信を知らせた。
送信者はエレシアだ。
「これは、町の地図?」
「この地点から五百メートルの範囲です。昨年の、今日と同じ日付のデータです。フェアの来客数を図に示しています」
歩きながらディスプレイに視線を落とすと次々に人にぶつかった。
人を避けながら路地のほうへ身を寄せて改めて資料を覗き込む。
「去年は随分空いていたんだな」
地図の上に青い丸印が点在している。来客の姿を示すものらしい。
今目の前に広がる景色と対比すると、道で両手を広げてもすれ違える程度の余裕を感じる。
「今年は昨年に比べて何か特別な催しでも企画しているのか」
「いいえ。もう一枚のデータをご覧下さい」
地図が俯瞰の写真に切り替わる。
示された日付は両資料とも同じだが、混雑の具合は明らかに異なる。
「これは、今日の写真……じゃ、ないのか」
「はい。一枚目は人間だけを計上した数値です。写真には人間も自動人形も映っています。つまり、」
「つまり、半分以上は自動人形――?」
「その通りです」
言葉を裏付けるように端末が次の図を示す。
最初の地図に赤い四角印が加わった。その数は青い丸印を優に超える。
「なので、ご安心下さい。これは人ごみではありません」
エレシアの仮面が大通りを見つめた。
アレックスは端末をポケットに戻して嘆息する。
「僕にしてみれば、人間が三人以上集まればそれだけで苦痛なんだよ」
「なるほど。承知しました。定義を記憶しておきます。人の少ないところへ行きますか?」
「いや、戻ろう」
混雑した通りへ足を向ける。
人がやっとすれ違える程度の路地からは、建物を隔てて向こうに見える祭りの様相が一層自分とは無関係に思えた。
店と店の間に伸びる細い道が、別世界への通路のように真白い日光に潰れている。
光の向こうに聞こえるさまざまな雑音は夢で聞くような曖昧な音に似ている。
「人につかいを頼まれている。駅の向こうに出るはずの露店で買い物をするようにと」
「でしたら、こちらの道は比較的空いています。少し遠回りになりますが、いかがでしょうか」
エレシアの自由な腕が路地の向こうを指す。
路地には他に誰も居ないのに、律儀に仮面を顔に重ねたままだ。
「わかった。そっちで行こう」
「ご案内致します」
アレックスを導くために前を行く。
自動人形の後をついて歩くのは新鮮な体験だった。
いつもは後ろにフランがついてくる。振り向かなくともそれは分かる。
足音や少しの物音が、言葉の少ない彼女の存在を伝えるのだ。
今は少しだけ背中が寒い。
エレシアの後姿は、多くの自動人形と同じく美しく整っている。
下肢の線を美しく演出するマーメイド・ライン。足元に大きなフリルが膨らんで、歩くたびに揺れる。靴は裾の波に隠れて見えなかった。
「エレシア、きみはいつから稼動している?」
「はい。この身体では半年ほどになります。乗り換えながら四年と七ヶ月が経ちます」
「ジゼルが作ったの?」
「エメス社の汎用素体にジゼルが外装造形を施しています。興味があれば、後ほど工房をご見学なさると良いですよ」
「いや、良い」
「製作過程に興味はありませんか?」
「特別には。それに、日常的に触れていたから」
建物の影になる路地に不意に光が差す。
淡い日差しはほんの一歩で物陰に隠れてしまう。
「スノウリング夫妻は自動人形の権威でしたね。外装から内臓部品、人工知能まで多岐に亘って開発しておられました。プライベートでも自動人形の制作を?」
「……僕は両親がどんな仕事をしているか知らなかったんだ。彼らは仕事の話を、僕にはしなかった」
また差した光を踏んだ。石畳の陰影を暴く日の光だ。
「失言だったようですね。私からの質問は控えましょう」
「構わない。でも、僕からも質問だ」
「はい。何なりと」
「きみもフランチェスカと面識があるのか?」
「はい。初めてお会いしたのはもう三年も前になります」
「三年も」
「ええ。一回目の型取りをした時です。フランチェスカ嬢の頭からつま先までを再現しようとしたのです。型取りは体力の要る作業ですから、彼女の体調を気遣いながらの作業は大変長い時間を要したので、ジゼルはしばらく彼女と生活を共にしていました」
「初耳だ」
家族以外の誰かと過ごす姉の姿を想像できなかった。
それも、相手はあのジゼルだ。
出会い頭に悪趣味なテストをされたことをアレックスは快くは受け取らなかった。
まだ騙されているかもしれない、試されているかもしれないと猜疑心にとらわれる。
「私は作業の補佐を致しました。と言っても、実作業には指一本とて貸しておりません。生活上の雑務ですね」
「それは、どれくらい続いたの」
「半年足らずでしょうか」
「そう。じゃ、本当に随分時間をかけたんだな」
「はい。本音としては、完遂を先延ばしにして共同生活を続けたかったのかもしれませんが。二人とも、私の目には大変親しく映りました」
「僕は、」
アレックスはふいに言葉を飲み込んだ。
――僕は半年だって彼女と過ごしたことはない。
彼女はほとんど主治医つきの学生寮で過ごした。
時々実家に戻るかと思えば、両親と共に研究所へ出向く。
アレックスは一人でずっと留守番だ。
屋敷の暖かく毛足の長い絨毯の上に何でもあった。玩具も、本も。
家の中は絶えず使用人が居て、姉が不在の時には彼らが遊び相手になってくれる。
そうした時間のほうが長かったはずだが、記憶に印象強く残るのは姉と過ごした日々だけだ。
まだ小さなアレックスを、フランチェスカは母親がそうするよりも可愛がって、大切に抱きしめてくれる。
寝かしつけに絵本を読んで、怖がるときには優しく胸を撫でてくれた。
そんな時ほど、安心して眠れた夜はない。
空気を暖めた子供部屋は、最初から二人ずつ別れていた。だけどアレックスがお願いした夜は、フランチェスカも一緒のベッドで寝てくれる。
「おやすみなさい、アレックス。あなたが見るのは、良い夢だから」
「どうしてわかるの、お姉ちゃん?」
「それはねぇ、私が先に見ておいたんだ」
「いつ?」
「昨日の夜にね、こっそり。夢の中でね、アレックスの夢に遊びに行ったの」
内緒話をするように、耳元へ唇を寄せて笑う。
「楽しかった。だから安心して、何も心配は要らないから。こうして手を握っている。朝目が覚めたときも一緒よ」
「うん。絶対だよ」
姉の大きな手に包まれて、甘えん坊の男の子はぎゅっと目を閉じた。
本当はもう、怖いことなんて何もない。
ただ楽しい夢が待ち遠しくて、逆に目が冴えてしまう。
気づいた時には、辛抱強く起きていた姉が先に眠ってしまって、その寝顔がいつも触れがたい神聖なものに思えて胸が高鳴った。
綺麗だ。心から憧れた。それだけにいつも、どこかでは姉を遠くに感じた。
次第に共に過ごす時間が減った。姉が進学し寄宿舎へ入ったためだ。
数ヶ月に一度。すれ違いざまに抱きしめるような、一瞬にも等しい触れ合いだけが、彼女との繋がりだった。
長い髪が頬に触れる。いつも暖かい良い香りがした。柔らかい腕に包まれて、頬をすりつけられた頭がふんわりと熱くなるのだ。
久しぶりの再会のたび、用意していたはずの言葉を忘れて口ごもった。
彼女は根気よく尋ねてアレックスの話を聞いて、優しく、頷いてくれるのだ。
だけど、フランチェスカは決して自分の話をしなかった――。
「……良く知らないんだ、姉のこと」
ジゼルの言葉はあながち思いあがりでもないと分かっていた。
彼女のほうが自分よりもフランチェスカについて知ることが多いのは納得のいく事実だ。
「ですから、ご主人様を訪ねたのでしょう?」
「そう」
だから、知るのが怖いと今更言えはしない。
「ご紹介のレフ博士とは親睦が?」
「直接関わりを持ったのはつい先日だ。紹介料として、今こうして使いを命じられている。多忙なジゼル女史に会えて、幸運だったと思っているよ」
「それなのに、せっかくのお客様に無礼を働きました。どうぞ、ご容赦くださいね」
「べつに、気にしないよ」
息と一緒に嘘をついた。
路地が大通りに合流する。
駅舎がすぐ右手に見えた。降車の客ばかりが多いように思う。
あの人の群れにも自動人形は混在しているだろう。
しかし、すれ違いざまに眺めるだけでは両者を完全に見分けることは困難だった。
*
葡萄のように連なる眼球が店先に吊されている。
親指から小指までごちゃ混ぜに箱に詰められ、つかみ取りの販売を行っていた。二、三世代前の型落ち自動人形はフルセットでの叩き売りだ。
例年、二月の末には自動人形関連の新商品が山のように発売される。
それに合わせて、型落ちの在庫処分や倉庫で眠っていたパーツを片付けようと、この祭りに露店が集中するのだ。
安く入手して、高値で転売しようと目を光らせる客がいた。
指差し手で触れ冷やかしながら、何も買わずに去る客も。
流石に避けようのない混雑だ。
用が済む頃にはアレックスの疲労は限界に近かったが、人の混雑を抜けると次第に回復していった。
無事に購入した品物の配送手配を済ませる。
支払いは全てエレシアの手のひらから電子マネーで引き落とされた。
キャッシュを払おうとするとエレシアは断って、非礼なもてなしへの僅かばかりのお詫びだと言った。
駅舎を挟んだ通りは工場街になっていて四角ばった無表情な建物が多い。
今はその平面的な壁を利用した上映展示やペイントアートが行われ、束の間、血が通ったように注目を浴びている。
「あ……」
駅舎にほど近く、待ち合わせに利用するような広場があった。
そこに覚えのある人影を見つける。
「《幕間座》だ」
背丈の細長い印象の男が、己の腰ほどまである大きな旅行鞄を開いて、簡易的な舞台を建設していた。早速、一体何が始まるのかと人だかりが出来ている。
準備の最中も何か言って客を飽きさせない様子で時折笑い声が起こった。
「テラードール風の人形劇興行ですか。まだ準備中のようですね。後ほど立ち寄りますか?」
「いや、いい。以前にも見たんだ。……よく見かける」
「珍しいですね」
「時代遅れだよ」
彼らを見かけたのは一度ではない。
なるほど、フェアを目指して来たのなら、道筋が重なってしまうのも分かる。
彼らにとってはここ一番の稼ぎ時になるのだろう。
不意に振動した携帯端末を取り上げ、立ち去りかけた足を止めた。
ディスプレイを覗いて早々、差出人の名を見て眉を潜める。
レフ・クランコだった。
用事を済ませた旨を手短に返信すると、今度は電話が掛かってきた。
受信ボタンを押すと、すぐにけたたましく名を呼ぶ声が聞こえる。
『アレックス! おお、アレックス。元気にやっているかい、アレックス』
「うわっ」
いきなりの大音声に思わず端末を遠ざけた。
『例のものは買えたようだね! 君ならちゃぁんと事を成し遂げると信じていたよ。お見事だ、素晴らしい!』
耳を離していてもスピーカーからひび割れたレフの声が響いた。
『エワルドの一九〇〇年フィンガチップ・アソート、これは良いものさ。ほら、剥き出しの関節が実に美しいだろう。動いた様を見たら君もきっと欲しくなる! フランにも似合うだろうなぁ! ありがとう、ありがとうありがとう! また近くに来たときは寄ってくれ。自動人形のお嬢さんも一緒にな。その時はきっと素敵な指の自動人形と出迎えよう!あぁ、声が聞けて安心した。元気そうで何よりだ。ではさらばだ、少年よ』
興奮した様子で早口にまくし立てると一方的に通信を切る。
「……まだ一言も喋ってないよ」
白々しい台詞に眉をひそめた。彼のペースにはどうも付いて行けない。
「博士と親しいのですね」
「向こうがそう思っているらしい。メールも電話も頻繁だ。暇なんだろう」
「ご心配なさっているのでしょう。彼もスノウリング夫妻とご息女をよく知っていましたから」
「要らない気遣いだよ」
彼と接するのは余計な労力を消費する。
嘆息して端末をポケットに押し込んだ。
「時間はどれだけ経った?」
「五十七分。あと二時間はお供いただくことになります。いかがなさいますか?」
思ったより時間が経っていない。
あと二時間、何をして潰したものか判らない。
「屋敷へ戻ってお休みになりますか?」
「いや――」
外に居たかった。
何よりジゼルと向き合うのは気分じゃない。
彼女の目つきがどうにも快くないのだ。何かを探るような視線が肌にぴったりと、毛穴を塞ぐように覆って、呼吸が苦しくなる。
「街を歩こう。なるべく人通りのない……そうだな、姉がここで暮らしていたなら、気に入りの場所や行き着け店があれば見てみたい」
「分かりました。ご案内致します。こちらへ」
導かれるまま雑踏の中へ踏み出す。
この混雑を形成する要素の半分は人間ではない。
視界に入る人の形を持つものを、一目にそれと分かるものだけを自動人形だと判断してしまいがちだ。
しかし注意深く観察すると、人間だと感じた人の形もそうではないと判明する。
何食わぬ顔をして連れ合いと寄り添って歩く、あの女性も。
風船を手に握って嬉しそうに微笑む、あの男の子も。
人間だと言い切ることはできない。
そうして、今、少し前を歩く仮面の彼女――エレシアも。
自動人形ではないと断ずることは出来るだろうか。
ジゼルがエレシアと服を取り替えて、今こうして目の前を歩いている。そう疑うことだって可能だ。
アレックスは彼女を伺い見た。
やや細い顎のラインが仮面と重なって深い陰影が生じている。
その影の中にあるのは、人の顔か、人形の顔か。
どちらでも、と少年は意識的に思う。
今、特別困ることはない。彼女がジゼルでも、エレシアでも。
だから、エレシアを自動人形だと信じることに、そう扱うことに決めた。
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