第11話 夜に目覚める街-06
≪コッペリア≫の名を冠する
どこもミカエラという名の
場所くらい詳しく聞いておくべきだったと己の判断力を戒めた。
アレックスは次に、古めかしい洋館風の、極端に細長い建築物を訪ねる。
娼人形館≪コッペリア≫と控えめな看板が提げてあった。
随分と年季の入ったもので、他の店とは違ってそっけないつくりだ。
あくまで屋敷の趣のまま、営業時間と料金を扉に記してある。
蔦の這う門をくぐって、アンティーク調のノッカーを鳴らした。
表へ出てきた若い女性従業員が驚いた顔でアレックスを見下ろす。
「いらっしゃい――」
彼女は自然と視線をめぐらせ、保護者の姿を探しているようだった。
それらしき姿がないことを確認して、膝を折ってアレックスに目線を合わせようとする。
「きみ、この店の誰かに用事?」
「ミカエラに用がある」
「ミカエラ? 今は仕事中……、って、ここが何の店か分かってるの?」
「先刻ここに届けられたのは僕のメイトだ。連れて帰る」
「わ、ちょっと! 未成年は、立ち入り禁止――」
説明している時間が惜しい。目に付くドアを開けて次のドアへ。
最低限の礼儀としてノックはした。ほとんど扉に拳を叩きつけている。
硬質な音が狭い屋敷に響いた。事務室、衣装室、化粧室。
次いで、鍵の掛かった扉。
ここだ。きっと、間違いない。
「鍵を開けて」
後を追ってきた従業員は戸惑う顔で躊躇していた。
ここに客が居るのは間違いない。そしてフランも。
アレックスは一度呼吸を落ち着かせ、説明すべき事情を頭の中で整頓した。
言葉にして伝える手間がもどかしく、急いているせいで思考がまとまらない。
思わずもう一度声を上げそうになった。
それこそかんしゃくを起こした子供みたいに。
その醜態を晒さずに済んだのは、鍵が内側から開けられたからだった。
「あの、すみませんが――」
顔を出した中年の男が、子供の姿を認めて度肝を抜かれた顔をする。
アレックスは彼のスーツの袖の下から部屋の中を窺い見て、ようやく求めた少女を見つけた。
「フラン」
急激な運動に、動悸はまだ治まらない。
叫んだつもりの声もかすれていた。
「どうしてお前は、そう、いつも……」
つい先日もこうやってフランを追ったばかりなのに、全く、思い通りにならない。
苛立ちを持続する余力もなく、安堵感に力が抜ける体を支えるだけで限界だった。
問題点は把握している。
だから、責めるべきは己であるとも判っている。
「ぼうや。これ、一体、どういうこと?」
あの自動人形はミカエラではないと客から告げられて、マチルダがお手上げをした。客室にひとまず席を設けて、アレックスはやっと事情を説明する。
手違いが生じた原因のひとつは、ボリスが確認を怠ったこと。
もうひとつは、フランが個体登録のない、所持規定に反した自動人形であること。
最後に、ミカエラ自身が与えられた〈個性〉に忠実すぎるが故に、正しい防犯機能が働かなかったことにある。
メイベルも合流して店主と話し合いをしている。
場にミカエラの姿はない。彼女の処遇を店主も決めかねているようだ。
大人が話し合いをする脇でアレックスはベッドに歩んだ。
フランはまだ体を横たえている。
見慣れない服で着飾って、化粧まで施された姿は、いつものフランではないように思えて不快だった。
ベッドを降りられないのは靴のせいで、自動人形は踵の高い靴では歩けない。
だから、視覚センサで履き物の形状を判断すると、人の手を借りずに動けないようになっている。
「フラン。帰るぞ」
「はい」
「次に居なくなったら、今度はそれきりだ。探さないし追いかけない。良いな」
「はい。了承致しました、アレックス」
フランに落ち度はないのに、あんまりな言い方だと自分でも理解していた。
ただ、もし自分の中に芽生えているなら、その執着心は捨てておきたいと思う。
好きで一緒に居るわけじゃない、その出発点のままで旅を続けていきたかった。
「早く……帰ろう」
そのために靴を脱がそうとエナメルのベルトに触れて、アレックスは錠の存在に気づく。大人びた赤い靴はまだ少女の足には大きく、余計に足が小さく見える。
落ち着かない心地だった。早く脱がしてしまいたい。
「あ、すみません」
気づいて、マチルダがポケットを探った。
アレックスがまだ彼女よりも一回り小さな手を差し出して催促する。
「僕がやる」
この場の人間に触らせたくないのは、少年なりにこの店の性質を理解して、まだ嫌悪を克服できないからだった。
そして何より、他人の手に任せるよりは何事も確実になるからだ。
特に、自分の持ち物の扱いについては。それを今日理解した。
フランの細い足首を囲むベルトを結んだ錠はくるぶしに垂れている。
アクセサリーみたいに華奢なそれへ小さな鍵を差し込む。
手ごたえもないほどの他愛のない錠だった。
もう片方の足もそっと解放して、少女を裸足にする。
マチルダは換えの靴を用意してくれていた。元々履いていたショートブーツだ。
柔らかい羊革の、底の扁平な、自動人形のための靴。
黒一色で装飾のない、機能だけを重視した、しかし上品な、フランの足にぴったりの靴だ。白い素足をそこへ隠して、靴紐をきつく結ぶ。
ようやく立ち上がったフランの手を引いて、話し込んでいるメイベルたちへ一言い残した。
「先に帰る」
どうせ聞こえていないだろうからと返事を待たずに歩み出す。
「あ、待って待って。ええと、じゃあこの話は明日またゆっくり。ボーンさん、おやすみなさい。ボリスも頭下げるっ」
「すいませんでした!」
小柄な初老の男は丁寧に礼をして三人を見送ってくれた。
彼がミハイル・ボーン、この娼人形館の店主だ。ミカエラの言うような極悪非道さなど微塵もない、人のよさそうなおじさんだった。
玄関まで見送って、角度の深い礼をする。
メイベルも会釈を返して、一層賑やかになった町へと向かう。
「まだ、話していても良かったのに」
「良いよ。アレックス一人で歩かせるわけには行かないでしょう。この町、酔っ払いが多いんだから。気の良いやつがほとんどだけど、安全だとは言い切れない」
「そんなの、別に」
「平気じゃないって。いいじゃない、おせっかいさせてよ。あんたはまだ、こんなに小さいんだからさ」
嫌がることを承知でメイベルが乱暴に頭を撫でた。
アレックスがじゃれつかれた犬のように頭を振って乱れた髪を整える。
「ボーンさんのお店、このあとも営業するからね、長居しちゃ迷惑だよ。今日はもう、帰ってゴハン」
「ミカエラはどうなるって? 矯正するの?」
「うーん、あのおじさん、そういうの嫌いみたいだから。一度与えた個性のままで、伸び伸び暮らして欲しいって。それについては、明日以降に話し合う。明日まではうちで預かるよ」
「そう」
来た道を、先程とはまるで別人のようにゆっくりと歩いていく。
電飾の光に照らされて、道に四人分の影が、すれ違う人々の影と混ざり合いながら同じ方向へ進んでいく。
時折、目を赤く光らせる者もいて、自動人形だと判った。
街はごった煮の鍋をぐつぐつと火にかけているように、賑やかに、熱気を持って、まだまだ眠らない。
*
帰り着くとパブロがリビングで待っていた。
傍らに怯えた猫のように縮まったミカエラが、隣にはトレシャが付き添っている。
アレックスが帰ってくるなりミカエラは席を立って、少年を胸に抱きしめた。
「ごめんなさいっ! 事情を聞きました! あたしのためにあなたのお人形を囮に使うなんて、危険なことをさせてごめんなさいっ……」
一体どんな説明がなされたのか、それをどのように解釈したのか。
ミカエラは長いまつげを涙に濡らして、ふくよかな胸に少年の顔を押し付ける。
アレックスは
それは、深くゆっくり呼吸をするように空気を収縮させて、ミカエラが腕を動かし少年を抱きなおすたびに、鼓動を早める。
「痛い。苦しい」
「あっ、ごめんなさい! あたしったら、感激してしまって……」
ぱっと体を離すと、今度は立ち尽くすフランの手を取った。
「勇敢なお方、わたしの捜索をまどわすために身代わりになってくださって、あなたまで、あんな恐ろしい目に……ご自分の体を犠牲にっ」
「未遂。未遂だ」
アレックスの訂正を聞きもせず、ミカエラは取った手を胸に抱く。
「本当になんとお礼を言っていいものか、言葉になりません。ありがとう、お姉様。あたし、少しずつ、でも絶対に恩を返していきますから」
熱心な教徒のように頭を垂れた。
フランはただ黙って成り行きを見つめている。
この場にふさわしい言葉を持ち合わせていないようだ。
「ねえ、パブロ、この子の中にどんなお話が出来上がってるわけ?」
パブロは鍋をかき混ぜながら、背中にメイベルの問いかけを受けた。
味見をして、一言唸る。
「知らん」
諦めたと言わんばかりの投げやりな返答だった。
メイベルもそれ以上追及せず、夕食の準備を手伝う。
「ねえ、アレックス。私、分かったわ」
ミカエラは少年に顔を寄せ、声を潜めて内緒話をした。
「あなたが私と旅をできない理由、ね?」
彼女の長いまつげの奥で瞳はフランを見上げている。
アレックスも視線を追って、何が起きたかも知らないような、いつもと変わらず無表情の少女人形を見つめる。
「……そうだ。フラン以外は道連れにできない」
「わかったわ。ちょっと残念だけど。ねえ、旅のお話を聞かせてくれる?」
「今日は疲れた。機会があればまた」
「ええ、お願いね。約束よ」
さっきまで泣いていたのに、もうほがらかに笑っている。
約束へ、アレックスは明確な回答を返さなかった。
卓では食事の支度が調って、暖かな匂いを漂わせている。
空腹に負けて、フランをリビングに置いたままアレックスも卓についた。
ダイニングと一続きのリビングで、ミカエラがフランへ一生懸命話しかけ、フランが的外れに相槌を打つ。
その会話を背景に、昨日と変わらないメニューを、アレックスは昨日よりも美味しく感じている。
*
ミカエラの処遇が決まったのは今朝一番のことだ。
店終いの後、ミハイル・ボーンがアトリエ・コッペリウスを訪ね、ミカエラも交えて話し合いをした。
結果、ミカエラをしばらくメイベルが預かり、店で働かせることが決まった。
「これで恩返しができますねっ。私、絶対絶対がんばります! ご主人様も、お許し頂きありがとうございました。本当は、やっぱり、お優しい方だったのですね。私、信じていました」
与えられた設定に忠実になるが故、ミカエラは独自の解釈で自らの個性を守っている。
自動人形の人工知能は自己に都合の良い情報だけに反応し、それ以外はエラーとして受け付けない。
だから、ミカエラの世界ではミカエラが正しい。
その理をミハイルは歪めたくないと言った。
間違いだったと決め付けて安易にリセットしたくない、と。
アレックスはまだ寝不足の目をこすって一連の話し合いに同席して、いつの間にか二度寝していた。まだこの街での暮らしは身につかない。危うく列車に遅れそうになり、慌てて荷物をまとめて飛び出す。
アレックスを見送って、メイベルは早朝の淡い陽光に向かって伸びをした。
傍らにはトレシャが居て、なるべく陽光を見ないように俯いている。
今度は光に強い眼球をつけてあげようと思う。
もう随分長いこと動いてくれているから、今度くらい新品の部品を買ってあげても良い頃だろう。
目を閉じて、日の光が薄く赤く見える視界の中、去っていく少年の後姿を思い起こした。
隣に並ぶ、同じ遺伝子から作られたみたいな、しかしそうではない自動人形の姿も。寄り添うように歩いていった。
もう随分昔に感じられる、初めて二人を見送った日を思い出す。
その頃はまだ、自動人形は二歩下がってアレックスの後ろをついて歩いていたのに。自然と唇が綻んで、メイベルはトレシャと手をつなぐ。
「どうしましたか」
「一緒に帰ろう」
「当然、そのように」
「トレシャ。今日の予定は」
「今日は相談予約が二件あります。午後三時と午後五時。メイベル、あなたの登録によると今日仕上げる作業は三件、内一件は昨日始める予定の、まだ手付かずのものです」
「ああ、はいはい。覚えてた。知ってた」
「それは結構ですね」
朝の町は遊びつかれて眠りこける子犬のように穏やかだ。
昨晩の騒ぎの余韻もあちらこちらに残っている。
時折まだ、夢の中で夜の街を遊ぶ大人の寝姿を見かけた。
どこかの店が消し忘れたネオンが淡く明滅している。
散乱するごみをついばむ鳩がやがてやって来る。
朝の光は決して綺麗とは言いがたい街の姿を明るみに出す。
でも、メイベルはこの姿のほうが好きだ。
おめかしの夜の化粧を落とした、素顔のままの街が好きだった。
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