Episode02:夜に目覚める街
第6話 夜に目覚める街-01
真っ白な床と天井に挟まれた寝台を見れば、診察室にも似た部屋だった。
しかし部屋の主は開襟シャツに安っぽいジーンズ姿でとても医師には似ていない。
彼女――メイベルは視界を邪魔する前髪を耳にかけて作業台に向き合った。
作業台にはバラバラ死体の一部分、腕だけが横たわっている。
損傷箇所を調べるために白い腕から最表面の
大切な人からの贈り物を、包装紙まで愛しいと思うような指使いだ。
途端に今まで隠れていた関節のスリットが露わになる。
人間の腕とは明らかに異なる、それは
人間の身体に良く似た感触の、強化軽量シリコンの
軽く腕を引くだけで容易く刃が滑り、白い肌の上に細いラインを刻む。
もちろん血は流れない。
まやかしの肉の奥に機械部が覗く。
ようやく、メイベルは患者の素顔を見た気分になった。
内部をペンライトで照らす。
用途によって色分けされた幾本もの細かな管を点検した。
「
エアが循環しなくなって、腕が動かなくなっちゃったんだ。
心配しないで、すぐ治る。重たいもの持ったりした? だめだよ、無理しちゃ」
作業台の上には自動人形の腕が一本のみ、持ち主の姿はない。
腕の主人は換えのパーツを付けて普段通りの生活を送っているはずだ。
「痛かったでしょ。でも、もう大丈夫」
聞き手不在の語りかけを続ける。
「本当ならあなたは丁重に扱われるべきなのにね」
部屋には人形用の寝台がひとつ、作業用の広い机がひとつ。
それに対して沢山の椅子が並んでいる。いくつかには衣類や工具が載っていて、またいくつかは無造作に積み重ねられていた。
床に置いたスピーカーから小さな音量でマチルダ・マカロワの低い歌声が流れていた。ポップソングの女王が低迷期と言われた頃に発表した、どことなく湿気たバラードだ。
「よしっ」
作業半ばで曲げっぱなしの腰を伸ばしてぽんぽんと叩く。
車輪付きのスチールの椅子がぎぃっと鳴って、ついでにお腹もぐぅと鳴く。
何か食べようと工房を出た。
ちょうど隣の部屋から巨体の男、パブロが現れる。
彼は厳つい肩にビスク製の繊細な自動人形を載せて、その様はまるで童話の世界の巨人と妖精だ。丸太のような手首を示して尋ねる。
「いいのか、時間」
「え? あっ、そうだ!」
慌ててアトリエへ引き返し、上着を手繰った。
「行ってくる」
狭い通路を椅子に躓き、本棚に肩をぶつけながら抜けた。
夕刻を迎え、夜行性の町が目覚め始めたところだ。
空が暗くなるのを待って看板たちは瞼を開くようにまばゆい明かりを灯す。
まだ人の少ない町を駆けて、メイベルは駅へ向かった。
彼を待たせている。
いつも以上に不機嫌な顔で文句をたれるに違いない。
だけど想像したその姿が、メイベルには少し嬉しいような、なんだかかゆい心地だ。
*
待ち合わせのバス停で目当ての姿を見つけた。
防寒服に膨れた少年と、彼より背の高い軽装の少女。
二人ともどこか似通った顔立ちをしている。
「アレックス。ごめん、待たせた」
「迎えに来るって言うから、待っていたのに」
姿を見るなり、彼はただいまも久しぶりも言わず、憮然と頬をふくらませて言った。もっとも頬が膨らんでいるのはいつものことで、それは彼がまだ育ちきっていない少年だという証拠だった。
「悪かったよ。おかえり、アレックス。フランもお疲れ様」
「第一、道くらい分かる。迎えなんか必要ないんだ」
子供扱いをするなと言外に抗議するが、アレックスはまだまだ子供だ。
本当なら一人旅をさせるのも心許ない程だ。
メイベルはつい髪を撫でたくなる衝動を抑える。
そうすればきっと彼はもっと不機嫌になって心を閉ざしてしまうだろう。
扱いの難しい年頃なのだ。
「まあ、治安がいい町ではないからね。一応ね。
いいじゃない、途中で何か買って帰ろう。何が食べたい?」
「べつに、なんでも」
「そう、なんでもね。じゃ、あたしが選んであげる」
「どうぞ」
冷淡な反応しか示さない。
それを逆手に、うんと甘いものでも食べさせてやろうと心に決める。
「先に届いた荷物、部屋に運んであるから。
驚いたよ。鞄だけ先に着くなんてさ。何があったの、一体」
「それはあとで話す。面倒だ。もう行こう。早く寝たい」
「また列車の寝台で眠れなかったんだ。繊細なやつ」
軽口に返答はない。どうやら本当に疲れているらしい。
さすがに可哀想になって速度を落として歩いた。
まだ子供の短い足には少し歩調が速すぎた。
普段の彼なら平気な顔でついて来るだろうが、今日は無理をさせたくない。
看板たちはすでに鮮やかな明かりを灯して仕事上がりのお客を誘っている。
様々なサービスを示す看板だけでも観光資源になるほどだ。
酒瓶やジョッキを模った看板、カードやコインを描いた賭場の看板のほかに、色形の様々なハイヒールを模した看板がひときわ目に付く。
それが意味するところを子供に教える大人はあまり居ないだろう。
「相変わらずうるさい町」
独り言を呟く調子は、言葉ほど不快感を示していない。
町を見上げる瞳がネオンを映して輝いていた。
本当ならアレックスにはまだ早い、ここは大人の町だった。
メイベルが彼を迎えに来たのは、町の性質上、子供に一人歩きをさせるのは心配だったからだ。
街角に目を引く衣装を着た女性型自動人形と、自動人形のふりをする女性が現れはじめる。
この時間に町をうろつくのは大抵が珍しいもの見たさの観光客で、本当に金を落としてくれるお客はもっとネオンが目立つ頃にならないとやって来ない。
それでも愛想よく彼女たちは客引きをする。
一晩の不思議な体験を売るために。
*
《人形工房・コッペリウス――
自動人形の定期健診から損傷修復、カスタマイズ、
またはお好みの自動人形の制作代行、引き取り、
その他ご相談を受け付けております。》
小さな工房ながら、一応街中に看板も立っている。
矢印の示すほうへ二人と一体は歩を進めた。
じきに、その建物は見えてくる。
飲み屋の密集する通りに場違いのように建っている《コッペリウス》は町が賑わい始める頃、引き換えに営業を終える。
理由は、主だった顧客が働く時間になってしまうからだ。
粗末だが一階に事務所つきの六部屋、二階に共有ダイニング有りの八部屋ある。
部屋数の分だけ手狭にはなるが、常に複数人が常駐する共同アトリエには好都合な物件だ。
「お帰り、アレックス」
ダイニングで迎えてくれたのはパブロだけだった。
他のメンバーはまだ作業を続けている。
「こんばんは、アレックス」
「その箱はなあに? かわいらしい包みね」
パブロの肩の上に腰掛けるビスク製の少女たちが出迎えた。
ブロンドのエイミーとブルネットのボニー。
仔猫ほどの大きさの自動人形が笑いさざめく。
「ただいま、パブロ。これはメイベルのお土産。ワッフルだよ」
「素敵ね」
「食べてみせて」
パブロの頭へよじ上り、肩から腕を滑り降りた。妖精じみた少女たちが自由気ままに動き回っているあいだ、彼は岩のようにじっとしている。
「その前に、まずご飯にしよう。今日のご飯担当は」
「パブロ!」
彼の肩の上でかわいらしい叫びが上がった。
パブロが昼に下ごしらえをすませた鍋を火にかける。
彼がキッチンを使うと、すべての道具がおもちゃのように小さく見える。
「アレックスが久しぶりに帰って来たから、もてなさなくちゃ。どうせ旅先で良いもの食べてないだろうし」
自分が作るわけでもないのにメイベルは得意げだ。
「遊行の旅じゃないんだ。良いものなんか食べなくていい」
「せっかくの旅行、楽しまなきゃもったいないわよ」
「そうそう、お土産も沢山買ってきてくれなくっちゃ」
パブロの肩を降りてテーブルの上をあっちへこっちへ、花びらのようなスカートを翻してビスク製の少女たちが歩き回る。
そのうちに手近な山を見つけて登山をはじめた。
その山の名前はフランという。無言無挙動の自動人形だ。
双子人形が真っ黒なスカートを掴み、巧みな動きでよじ登る。
フランの体の起伏を利用して山頂へと迫っていく。
あと少しで肩に足が掛かるところで、アレックスの手が無粋にもクライマーたちを山肌から引き剥がした。
「やめろ。登るな。巣へ戻れ」
「ちぇー」
「けちー」
ころころと可愛らしく囁きあって、エイミーとボニーはテーブルを駆けて主人の許へ走り去っていく。
「ここにいると邪魔だな。先に部屋へ置いてくる」
旅の連れ合いを邪魔と言いきって、少年がドアを開けた。
アトリエ棟の二階はキッチンを中間地点にして、東西へ向かって通路が伸びている。アレックスの部屋は西向きの通路の、四つあるうちの一番手前だ。
「アレックス、ごめん。部屋、物置になってる」
「分かってる。別に構わない。フラン、行こう」
「はい。アレックス」
控えめに返事をして、少年の後を自動人形がついて歩く。
その向こうへ姿が消えても、しばらくメイベルはドアを見つめていた。
やがて、何かに気づいたように、唇を綻ばせる。
久しぶりに、与えられた部屋へ戻った。
ここで暮らした年月は短い。
自分の部屋という実感はないものの懐かしく感じるかと思いきや、こうも散らかっているとさすがに落ち着く気にはならない。
天井まで堆く折り畳み式の簡易充電椅子が積まれている。
ここが自動人形の修繕を請け負うアトリエだと考えれば不思議はないが、人が暮らす場所としては不適切だ。
他にも内容物の分からない箱がいくつもと、一山いくらで古着屋から買い叩いたような衣類が積まれている。
アレックスは埃っぽさに咳をして、カーテンの掛かっていない窓を開けた。
途端に町の喧騒が飛び込む。もう少し経てば、町は一番賑やかな時間を迎える。
通りでは店が思い思いの音楽を流し、声高な客引きや酔客の笑い声、討論の声が飛び交う。ちらちらと、窓の外でネオンの光が様々に色を変えた。
「……落ち着かない街」
呟きすらもかき消されてしまう。
先に部屋に届いていた荷物を確認して、引っ張り出した衣服に着替える。
どれもこれも代わり映えのない代物だが少なくとも清潔だ。
足の踏み場もないような部屋に、旅立つ前から置いてある一機の充電椅子がある。
部屋の最奥、ベッドの隣。まるで部屋の主のための一等地だ。
「フラン。稼動休止だ。充電椅子へ」
「はい」
少女は指示の通りに椅子へ歩む。
幼い頃から厳しく躾けられた令嬢を思わせる美しい仕草で腰掛け、長い足を斜めに揃えて、両の腕を肘掛けに重ねた。
僅かに反り返った背もたれに体を預け、目を閉じる。
長い睫毛が頬に影を落とす。
「稼動休止致します。刻限を設定して下さい」
「手動で起こす」
「了解しました。――おやすみなさい、アレックス」
「……その返事は要らない」
そう告げた時には、既にフランは休止していた。
眠りに就いた自動人形は、もはや前時代の人形と何ら変わりはない。
そうではないと示すのは、手首に点る淡い橙の光、消耗電力を示す数字だけだ。
――おやすみなさい、アレックス。
声が耳の奥で幾重にも響いていた。
それは反響するごとに柔らかみを増し、記憶の中の声と結びつく。
脳裏に満ちる優しい響きを追い出すために目を閉じた。
顔を上げると、途端に町の喧騒に感覚が満たされる。
耳にも目にも、町の賑やかさが飛び込む。壁一枚隔てた隣の部屋でも、この町の住人らしく陽気な騒がしさで夕食の準備が進んでいた。
深く何も考えずに物音に耳を澄ませると次第に気持ちが落ち着く。
アレックスは埃臭い毛布を払ってベッドに腰掛けた。
ここには自動人形のための椅子は積み上げるほどあるのに、人間のための椅子がひとつもないのだ。
端末を手にして、返事を待たせていたメールの続きを書いた。
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