第5話 揺れる肖像-05


 フランに案内を任せて、老人の住み処にたどり着いた。

 小さな細長い建物の、立て付けの悪いドアを引く。

 部屋はスチール棚に囲まれ、最奥のモニターが青白い光を放っていた。

 棚の上に幾重にもコードがのたうち、合間に無造作に自動人形メイトの部品が転がっている。

 人形の頭部が老人の向かうデスクの脇で、光に照らされ青ざめている。

 人の生首のようで、アレックスは肝を冷やした。

「――クランコ博士」

 思い当たる名を、呼ぶ。

 老人が、人工的な光に照らされた青白い顔でアレックスを顧みた。

 いやに整った歯並びを覗かせて、笑う。

「ばれてしまったか」

「聞き覚えのある声だと――それが、まずひとつ。そして、こんな芸当をできるのはたぶん専門家だと思いました」

「ふむ、姿は知らなかったのか」

「いえ、知っている姿と結びつきませんでした。あまりにみすぼらしいので」

 顔の半分を口にして老人は笑った。赤い口腔の奥まで見えてしまいそうだ。

「そうか、そうか。アレックス……大きくなったなぁ」

 いたずら坊主をそのまま老けさせたような、お茶目な笑みのまま、巣穴の奥から老人が歩み寄る。

「僕をご存知でしたか」

「ああ、きみの両親とは楽しく仕事をしたよ。彼らは職場に写真を飾っていて、よく眺めていた」

「そうですか。では、最初から気付いていたんですね。クランコ博士――」

「レフで構わない。もはや、現場を退いた身だ。何の肩書きも称号もない、わたしはレフだ」

「レフ。……フランを戻してくれますね」

「矢張り気に食わないか」

 はにかむように微笑んで、小さな老人がフランを見上げる。

 アレックスの後ろでフランは萎縮して俯いていた。

「はい。もし必要であれば、僕は、僕の判断で機能を有効にします。そうでない場合、余計な容量と動力を食うだけです」

「しかし残念ながら、元に戻すことはできない」

 絶句して、アレックスは、自分とそう変わらない背丈の老人を見た。

 子供と老人、対照的な二人が見つめあう。

 思いつめた表情をするアレックスのを、乾いてしなびたレフの指がおもむろに掴む。

「……何をするんですか」

「子供らしくない顔をしているから」

「あなたは大人らしくない振る舞いをしていますよ」

「表情が硬いな。きみにこそ《ボックス感情表現機能》を搭載したいくらいだ」

「侮辱と受け取りますよ。馬鹿言ってないで戻してください。方法はあるんでしょう」

「ある、と言えば――ある。ないと言えば、ない」

「今度こそ警察に突き出します」

 から老人の指を外して宣告する。

 はがされた指で己の髭を撫で付けて、目を線にしてレフは笑った。

「おお、怖い坊ちゃんだ」

「フランを元に戻してください」

 語調とは裏腹に丁寧な言葉で求める。老人は嘆息交じりに肩を竦めた。

 大仰なその仕草は、人を馬鹿にしているようにも見えた。

「元に戻す、と言うのは正しくない。《ボックス》を切ることはできる。

 しかし、機能が有効になる前――

 列車の座席に座っていた、あのときとまったく同じフランに戻すことは不可能だ」

「……つまりあなたが言いたいのはこうですね。

 フランはこの数時間で、知識を得て、情報を吸収し、感情を発達させた。

 その成長を差し引くことは不可能だ。初期化でもしない限りは」

「さすが、察しがよろしい」

 フランを振り返る。

 俯いているから、その不安げな表情がアレックスからも見えた。

「……この際構わない。そもそも、自動人形は少なからず自立性を、自己学習機能を持ち合わせている機械だ。日々僅かずつ成長はしていく。この一日で一年分早まったと思えば良い」

「寛容な坊ちゃんだ。人を許す心は尊い」

 言葉が嫌味に聞こえるのは、本心から彼を許すつもりではないからだろう。

「おっと、お茶が沸くよ」

「のんびりお茶なんてしている暇はないんです」

 隣の部屋へ去りかけたレフへ断るが、彼は細い腕に不釣り合いな大きな腕時計に目を落とす。

「次の列車は七時だろう。あと二時間もある」

 まだ解除パスを教えてもらっていない。

 こちらに拒否権はないと理解して、アレックスは椅子に掛けた。

 一体これ以上何の目的があって引き止めるのか。

 心当たりが一つだけあった。

「僕の両親の居所なら、知りませんよ」

「今更、彼らに用はないよ。楽しく食事をすること以外にはね」

「そうですか」

 アレックスはため息を吐く。期待はしていなかったが、徒労感は募った。

「一応聞いておきます。両親――スノウリング夫妻の行方を知りませんか?

 ちょうどいい、仕事場での彼らの話をお聞かせ願えますか」

「まあ、待ちなさい。お茶を運ぼう」

 小さな老人は今度こそ隣の部屋へ去って行く。

 残されて、アレックスは後ろで萎縮している自動人形を見やった。

 目が合うと、露骨に怯えたように肩を竦ませる。

 叱られることを覚悟している幼い子供みたいだ。

「フラン」

「……はい」

 消え入りそうな声の調子に、強く呼んだことを咄嗟に悪く思ってしまう。

 こんなふうに、フランの反応を伺ってしまう癖が、今日一日で身についてしまった自分を恨んだ。

「《ボックス》は切る。それでいいな」

 ずるい言い方だった。

 選択肢を与えているようで、何も譲歩していない。

 ただの形式だけの優しさで、自分を誤魔化していた。

 フランはあるはずのない息を飲んで、しばし主を見つめる。

 やがて意を決したように、

「ご主人様の望むように。これ以上、不快な思いをさせたくありません」

 よどみなく答える。

「わかった」

 アレックスは視線を戻して、彼女の眼差しから逃れた。

 従順で模範的な回答だ。これ以上にないほど、自動人形的な言葉だった。

 ほどなくしてレフが戻って来る。

 温かな甘い蜂蜜の香りがするお茶を受け取った。

「ジンジャーティ、さっきもお嬢さんに出したんだがね。きみには蜂蜜を入れてあげよう」

「……甘いものは」

「好きかね! そうか! やはりな、よかった」

 言葉を勝手に先回りされて、訂正するのも面倒くさい。

 アレックスは不満ながらもカップに口をつけた。

「いやぁ、大きくなったな、アレックス。

 私が以前見たときはこんなに小さかったのに」

 レフの親指と人差し指が僅かな尺を表す。

「それは写真の中のサイズでしょう」

「うむ。大きくなった」

 抗議を無視して、不意に、目を細めて少年を眺めた。

「私が彼らと関わったのは《ボックス》の基礎構造を開発している最中だったな。

 クララもエルンストもとても真面目で、熱意のある人間だった」

 両親を知るものは、皆同じことを言った。熱意ある、将来性ある研究者だった。

 真面目で、勤勉で、夢を持った仕事人だったと語られる。

 そうして次に、決まって同じ言葉を付け足すのだ。

「だからこそ不可解だ。何故失踪などしたのか」

 レフも首を傾げる。

 アレックスは温かなお茶で体の芯を暖めて、答えの出ない疑問を反芻する。

 何故彼らは消えたのか。

 自分ひとりを置き去りにして。

「すまないが、私も彼らについて人より詳しいとは言えない。個人的な親密さを築くことはなかった。彼らはいつも仕事場と家庭をせわしなく行き来していて、話を聞く暇もなかったのだ」

「姉のせいでしょう。彼女は病弱でしたから、両親はよく看病をしていました」

 レフの視線は無意識にか自動人形の少女を捉えた。

 淡い茶の髪も、濃褐色の瞳も、少し冷たい印象を受ける面立ちもよく似ている。

 こうして少年と並んでいれば、誰もが二人の間に血縁関係を見出すだろう。

「僕は両親の行方に興味はない。居ても居なくても僕にとっては無関係の存在だ。

 だけど彼らを探すことが、姉の消息を知るためには効率的ですから」

「事情は分かった。有益かは分からないが、心当たりの情報はひとつだけある」

「何でも構いません。少しでも可能性があればあたって見ます」

 期待をしない声だった。期待を裏切られることに慣れてしまった声だ。

 しかし、諦めてはいない。

「ここからずっと北――フォルテノルドの東に、工業島群がある」

「わかります。ロウェルですね。

 古い工場ばかりの、昔、自動人形の主な生産場だった街だ」

「今ではもう使われなくなった工場施設があちこちに点在している。

 そこで、数年前、エメス社が古い自社工場を売ったらしい。

 購入者の名前はスノウリングではなかったが、可能性はあるだろう」

「なるほど。一応、訪ねてみます。情報提供ありがとうございます」

「私も彼らの行方について調べようと思ったことがある。

 が、探し出してどうすることもないと思って諦めた」

 深く、ため息を吐く。

「きみたち家族の再会を心から願っているよ」

「それは、どうも」

 渇いた喉を潤すと、蜂蜜の甘みが後を引いた。

 まるで苦いものでも舐めたように顔をしかめて、アレックスはカップを置く。

「もう話すことはありません。解除パスを教えてください」

 言葉とは裏腹に横柄な態度だった。それを穏やかに老人は笑う。

「うむ、それは……なにも特殊な言葉ではない。日常的な言葉だ。

 君が、君自身に正直に、メイトへ言葉をかけてあげなさい。

 そうすれば自ずと鍵は解ける」

「僕自身が?」

 フランへ向けて、かけたい言葉。

 予想外のパスワードだ。

 自問自答のために沈黙する。

 長い間、部屋は静寂に支配され、部屋のどこかから聞こえる機械の駆動音が、蜂の羽音のように飛び交っていた。

 一体どこに置いてあるのか、時計の針の進む音さえ聞こえる。

「……フラン」

「……はい」

「……二度と勝手に出歩くな」

「はい……」

「機能、《ボックス》をオフに」

「はい。――試行しましたが、遮断されました」

 アレックスが、レフへ恨めしそうな目を向ける。

「解除されていない」

「言葉を誤ったな、アレックス。もっと素直になって、さぁ」

「……もう、遊びは良い。早く教えてくれ」

「お疲れ様だ」

「……何?」

「『お疲れ様、いつもありがとう』と」

「そんな……」

 言葉を失って、

「……」

 失ったまま、フランを見上げる。戸惑ったような目とまともに視線が合って、なぜか気まずいように感じて顔をそらす。

 横顔を向けたまま、

「お疲れ様……、いつもありがとう」

 平坦な声が囁いた。

「ご主人様……」

 小さな声は、僅かに震えている。

 感激を隠し、感情を表さないように自分を抑えて、フランは主へ答えた。

「……はい」

「これで良いんだな。機能ボックスをオフに」

「はい。指示について、受理されました。現在、処理中……」

 フランの唇が機械的に紡ぐ。

 唇は真一文字に結ばれ、から力が抜け、瞼の開きが標準値へと調整される。

 次の瞬間、

「完了いたしました」

 声さえも異なって聞こえる。

 感情の抜け落ちた、無機質な響きだった。

「……」

 少年が息を吐く。

 心の奥底からの、深い深い安堵だった。

「きみはどうして、せっかくの機能を切ってしまう?

 市販品ではありえない、細やかな表情筋を、彼女は兼ねそろえている。

 いくら《ボックス》が新時代の高性能な感情出力プログラムでも、それを活かすにはそれなりの出力系が必要になる。そして、彼女はそれを持ち合わせている……」

 もはや自己主張をしなくなった、一切の感情の動きを表現しなくなったフランがレフを見下ろす。レフは、瞳のその奥を見透かすように、少女の白い顔を見つめ返す。

「必要ない。フランは、ただの人相書きだ。

 彼女の知性を育成することが旅の目的ではありません。

 ご機嫌取りや友達ごっこをするのは真っ平です。それがメイトの本能だとしても」

 俯く少年の顔を、しゃがみこんだ老人が無理やり見上げる。

 さすがに驚いて仰け反ると、老人もまた背筋を伸ばした。

「身代わりにしたくないのだな、アレックス」

 老人は言い当てた。ふいに、少年の脳裡に断片的な記憶が去来する。

 沢山の自動人形が保管された無機質な部屋、家族で囲んだ最後の食卓、姉の微笑。

 いくつもの印象が錯綜しながら、導き出される情景がひとつ。

 ――病で入院しがちの姉が久しぶりに帰って来た。

 しかし彼女の身体は、機械に満たされていた。

 いつから入れ替わっていたのだろう。

 生身の人間の少女と、彼女に瓜二つの自動人形が。

 もしかしたら、最初から、彼女は自動人形だったのだろうか。

 人間だと思いこんでいただけで。

 ――彼女は実在の人物だったのだろうか、本当に?

 アレックスは傍らの少女を、その顔を見上げていた。

 そこにはもうどんな感情も浮かんでいない。

 安堵すると、体中を粟立たせた悪寒が次第に引いていく。

 汗が衣類に吸収されて、冷たく感じた。

「もう行きます。最後に立ち寄る場所がある。情報をありがとうございました。

 あなたに出会えて僥倖でした。結果はいずれお伝えします。

 アドレスを交換しましょう」

「連絡先は彼女が知っている。良い報せを期待するよ。足止めをして悪かったな。

 くれぐれも、メイトを大切にしなさい」

「……考えておく」

 レフは寛容に笑ってみせる。深い皺が目元に刻まれた。彼は親しげにフランの手をとり、またアレックスの手をとって、別れの挨拶を告げる。

「元気で」

「ええ。あなたも。さようなら」

 巣穴のような部屋から町へ出る。

 途端に冷たく乾燥した空気に外套の裾を乱された。

 もう日は暮れて、周囲は人工的な光に灯されている。

 むしろ、昼間よりも明るいほどだ。

「リーズの店へ行く」

「……はい」

 返答は無機質で、無駄がない。

 アレックスに一歩下がって付き従う、その足運びに遅れはない。

 少年は普段の静けさを取り戻した。しかし、今しも華やいだ声に呼び止められはしないかと、心のどこかが構えてしまう。

 そんなことは起こりえないのに。

 それが望みのはずだったのに。

「……フラン」

「はい」

 振り返る、そこにフランが立っている。

 町並みに眼を奪われることもない、道行く人に気を取られもしない、従順な自動人形だ。主の命じる言葉を待って、眉ひとつ動かさず、瞬きひとつなく、彼女は待っていた。

「手を」

「はい」

 差し出された手を、少年が取った。

「列車に乗るまでは、絶対に傍を離れるな」

「はい。ご主人様」

「今日はもう鬼ごっこはごめんだよ」

「はい」

 やわらかく触れた、その手の温度は、冷え切った自分の手と大差ない。



 夜を迎えて、モールはまるで光の筒だった。

 暗い背景にぼんやりと浮かび上がっている。

 遠ざかる景色を、少年は眺めていた。

 ようやく座席に落ち着いて、アレックスは携帯端末でメールを書いた。

 次の町へ着くまで、半日かかる。昼ごろの到着になるだろう。

 待ちぼうけをくったメイベルに後でちゃんと謝らなくてはいけない。

「あ――手土産忘れた」

 まあいいか、と呟いて、それきり土産のことはあきらめた。

 一日の疲労を感じて、座席に体を預けきり、夜を写して鏡面と化した窓をぼんやり眺めている。ふと、フランも同じように窓を見ているのに気づいて、振り返る。

「……」

 頭の上に載せられた、リボンの髪飾りを見つめる。

 去り際立ち寄ったセレクトショップ《リーズ》で、餞別にと貰ったものだ。

 リーズのようには似合っていない。

 仏頂面のフランには、すこし滑稽に思える品だった。

 それはアレックスが男の子だから、そう思うのかもしれない。

 自分でそう思い当たって、肩を竦める。

 フランの無表情はいつもの通りなのに、なぜか寂しげに見えた。

 きっと落差のせいだ、と自分に言い聞かせ、顔を背ける。

 視線を向けた窓にも、彼女の姿は映りこんでいた。

「フラン……」

 言葉が詰まる。

 フランに、姉の姿が重なった。

 彼女は、両親たちがそうする以上に、アレックスのことを愛してくれた。

 今は両親と共に消息不明の、行方知れずだ。

 取り残された少年は、姉を模した人形へ囁いた。

「笑って」

「……はい」

 命令を受けた自動人形が、一秒と待たず表情を作り出す。

 搭載された人工知能が抱く感情とは無関係の、ただの筋肉の反応としての顔の歪みがそれだった。アレックスは窓に映った少女の笑顔を、幻のように景色に溶けるその顔を、一瞬見つめて、目を伏せた。

「もう、いい。ありがとう」

「……はい、ご主人様」

 再び少女は冷たい顔に立ち返る。

 目を閉じた少年の瞼の裏に、いつまでも瞬いている、それは過去の記憶だった。愛された思い出だった。今ここにはない、失われた時間だ。

 瞼を開く。

 夜を透かす窓に、映っているのはただ、少年を見つめる無感情な瞳だけ。

「アレックスでいい」

 意図を測りかねて、フランは次の言葉を待っていた。

 これは、ただの自己満足だ。胸の内でそう確認してから少年は続きを紡ぐ。

「アレックスと呼べ。フラン」

「――はい。了解致しました。アレックス」

 それは、見知ったとおりの自動人形の姿だった。

 声色に変化はない。表情も揺らがない。

 それでも彼は、フランが微笑んだように感じた。

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