第4話 揺れる肖像-04


 人形劇団はすでに撤収したのか、簡易的な劇場だった場所は、夢から覚めたようにただの町並みへと姿を変えている。

 フランは噴水のかたわらに立ち尽くしていた。

 うつむく顔が影に落ち、フランの白いはいっそう色を失っている。

 唇を引き結んだその表情は、傍目には普段通りの、無感情で無機質な自動人形メイトに見えた。

「……フラン」

 アレックスは恐る恐る呼びかける。

 すると、視線はこちらを見ないまま、ふにゃりと少女の表情がゆがんだ。

「ご主人様っ……、わたし……、わたし……」

 押し込んでいた不安を吐き出すように、少女の眉尻が、唇が、小さく震えている。

「心細かったです。ご主人様に、置いていかれて……

 もう、帰ってこないかと思うと、不安で……だから、ごめんなさい。

 疑ってしまいました。捨てられたんじゃないかって、怖くなって――」

「ごめん――慌てていたんだよ。捨てるわけないだろ。お前は高価な品なんだから」

 謝ったことが滑稽に思えた。

 自動人形の振る舞いすべてが欺瞞に満ちているのだと、心のどこかで感じていた。

 だからどう扱ったって構わないはずだった。

 それが人ではなく自動人形をそばに置く利点だと、前に誰かが言っていた。

「……ごめん」

 だけど、アレックスは、言わずにいられなかった。

 それはたぶん、自分の気がすまないからだった。

 フランに対して、申し訳なく思っているのではない。

 非を感じたわけではない。そう自分に言い聞かせて、吐息する。

「行くよ、フラン」

「……ご主人様は、わたしが嫌いですか」

「フラン?」

 いきなり何を尋ねるのかと、驚いて顧みた。

「笑うわたしは、悲しむわたしは、嫌いですか?」

 己の顔を手で覆った自動人形が、手の内に篭もる声で問う。

「元のフランのほうが、良いですか? 笑わない、悲しまない、無感情の……

 模範的な、自動人形であるほうが、あなたにとっては有用ですか」

「その通りだ」

 正直に打ち明ける。

 少女の肩が震えた。

 たったそれだけの動作を再現するために、いったいどれだけの研究者と、技術者と、莫大な金が必要だったことか。

 しかしそれも、アレックスには無用のものだった。

「だから、今こうして、必死に戻そうとしているんだ。わかるな」

「……はい」

 答える言葉は聴きなれたものだ。

 震える響きがいつもとまったく違う印象を与えて、アレックスは歯を食いしばる。

 体のどこかが痛んだ気がして、でもそれをねじ伏せるように、言葉を重ねた。

「情緒の育成も、感情表現の機能も、お前には要らないものだ。

 お前はただ僕が言うことを僕の言う通りに実行していればそれでいい。

 人間の代用品は、僕には、必要ない」

「……――はい」

 だから、と言葉を継ごうとして、口を開く。

 しかし、声は出なかった。

「……わかりました」

 覆っていた手をゆっくりと下ろす。

 冷たい風に髪が揺れて、少女の顔を隠した。

「行くぞ」

 返事を待たずに歩き出す。

 自動人形に、魂の有無すら曖昧な存在に、なぜこうも精神を揺らがされなければならないのか。

 半ば腹立たしく、アレックスは歩を進める。

 傷つけた罪悪感が、胸の奥で重たい澱になる。

 おかしな話だ。

 傷つくような精神を向こうが持っているというのだろうか。

 そうじゃないとしたら、果たして自分は何を傷つけたのか。

 背後がやけに静かなだけで、物足りなく感じる自分を嫌悪した。

 今まで通りになったというのに、一体何が不満なのだろう。

「フラン――」

 沈黙が怖くて呼びかけた。

 何でもいいから応えてほしかった。

 望むものは得られず、アレックスは振り返る。

「フラン?」

 そこに、誰もいなかった。

 着いて来ていない。見渡す限りの距離にも姿はない。

 また置き去りにしたかと道を引き返しても、噴水広場に見慣れた黒いワンピースの少女は見つけられなかった。

「どこに行ったんだ」

 主人の指示なく行動するなど、明らかな異常だった。

 これもあの老人の仕組んだことなのか。

 焦りがじりじりと胸を焼く。

 ポケットから端末を取り出して、フランの位置情報を取得しようとする。

 しかし、画面に表示された地図には、何者の所在地も記されることはない。

「くそっ――」

 やはり、あの老人は、窃盗目的の犯罪者だったのかもしれない。

 フランはドワーフに連れ去られたのだ、きっと。

 彼の手に落ちて、フランはできる限りの分解を尽くされ、ひとつずつ丁寧に、別々の場所に売り飛ばされる。

 そうしてもう二度と、フランという自動人形のかたちは、失われる――。

 最悪の可能性に血の気が引いて、風をいっそう冷たく感じた。



 少女の目の前に、幅の狭いビルがあった。

 両隣を大きく派手な店舗に挟まれて、まるで印象に残らない。

 かつては店舗だったのか、ドアの上には塗りつぶされた看板が掲げられている。

 手動のドアに手をかけたのは、半ば自分の意志ではなかった。

 フランはその建物に踏み入る。

 照明の絞られた暗い部屋の奥で、小さな老人が暖かく少女を迎えた。

 主が追いかけまわした、ドワーフと呼ばれるその人だ。

「いらっしゃい、お人形さん。ああ、あんまり泣くもんじゃない」

 涙を持たぬ自動人形へ、優しく慰めの言葉をかけ、家の中へ招き入れる。

 狭い部屋だった。

 部屋の四方は棚に囲まれ、無造作に詰め込まれたようなコード類に埃がまとわりついて、いっそ有機的に見える。

 部屋の最奥で小さなディスプレイが青白い光を放っていた。

 天井からいくつもの裸電球が吊り下げられて、淡く明滅している。

 その下にはにまみれたテーブルがあり、今も太い蝋燭がちろちろと猫の舌先ほどの炎を灯していた。

「……おじいさん、わたしを治してください。元通りに、してください」

「残念だけど、きみはもう元通りにならない」

「そんな」

 言葉をなくして立ち尽くす。

 老人は優しく少女を案内し、椅子を勧めた。

「大丈夫、大丈夫。元には戻らなくても、ご主人様は許してくれる」

「だめです、だめなんです。わたしは、元に戻らなくちゃいけないんです。

 そうじゃないと、ご主人様の傍に居られなくなるから。

 そうなったら、わたしは、無意義な自動人形です」

「無意義な自動人形かい。それは、一番悲しいことだよ」

 大きく手を広げ、肩を竦めて見せる。

 巣穴のような部屋では、老人の姿は不思議と大きく見えた。

「お茶を沸かしていたところだ。今持ってくるよ、待っていて」

「でも……」

 食事はできない。そう伝える前に、老人は隣の部屋へ消えてしまう。

 残されたフランは視線を一巡りさせて、部屋を眺めた。

 奥のデスクにモニターが四つ。

 埃だらけのコンピューターがその下に納まっている。

 静かな駆動音が絶えず空気を震わせていた。

 部屋の隅のラックには無造作に自動人形のパーツが積み上げられ、ばらばら死体のようにも見える。その光景をどう捉えたか、少女は瞳を伏せた。

「さあ、お待ちどうさま。なに、気持ちだけ、気分だけさ。良いだろう?」

 トレイを手に、全てを承知した顔で老人がやって来る。

「わたし一人茶を楽しむのじゃ、心地が良くないからね」

 温かく湯気を立てるカップをフランの前にもひとつ置いて、自分も早速カップに口をつけている。

 フランはカップに指を触れた。

 せめてその温かさだけでも共有したかったのかもしれない。

 老人はその仕草を優しく見つめている。

「温かいです」

「ああ、美味しいよ。体の温まるジンジャーティだ。少し辛い香りだよ。でも優しい匂いだ」

「はい。初めて聞きます」

「そうかい。まだまだ、君の行く先には初めてのものが沢山ある」

「はい――」

 ふと翳った表情を、背の低い彼が覗き込む。

「わたしは、もうご主人様と一緒には行けないかもしれません」

「なぜ?」

「なぜなら、ご主人様は、今のわたしを嫌いだからです」

「そんなことはないよ。ご主人様は戸惑っているだけさ」

「いいえ」

 迷子の子供の心細さを、彼女の顔は表していた。

 膝の上に重ねた手に視線を落としている。

 老人はのんびりとお茶を飲んで、何事か思案するように唸った。

「もうご主人様の役に立てません。わたしは、最初から要らない道具だったんです。

 はじめから、お役に立てなかった」

「レディ――フラン、泣かないで」

「泣けません。わたしに、涙腺はありません。

 この体に、水分を分泌する機能は――」

 老人は人差し指を唇に添えて沈黙を求めた。

 フランは言葉を切って背の低い彼を見下ろす。

 視線を受け止めて、老人は口角を上げた。

 テーブルに身を乗り出してフランとの距離を縮める。

「見た目からは分からなくても、きみは泣くし、笑いもするし、怒ることもあれば、悲しむときもあるだろう。それを、誰が気付かなくてもね。

 人のそれとは、異なっていても。でも、それでいいんだよ、お人形さん」

「……わかりません」

「それで、いい」

 老人は椅子に深く座り直す。

「わからないことはまだ沢山ある。当然だ。きみはまだ、この世に生まれて二年の、ほんの幼い女の子なのだからね」

「いいえ。ネットワークに接続すれば、多くのことを理解できます」

「それは、きみの理解ではない。いいよ、焦っちゃだめだ、レディ」

 囁き声は、次第にほとんど吐息になっていく。

 フランは聴覚機能を調節しなければ聞き取れなかった。

 そうやって注意を引いてから、彼は吐息を挟み、言葉を続ける。

「君たちは、そう、労働機械ロボットのように何ができなくてもね、そばにいるだけで価値がある存在なのだよ。だから皆、友人メイトと――親しみを持って呼ぶのだ」

 彼の古びためがねの奥の眼差しは、まるで孫娘に対する祖父のように温かい。

「きみは、アレックスのメイトだろう?」

「……はい」

「アレックスのことは好きかい?」

「はい」

 少女の返事に、老人は満足そうに頷く。

「だからこそ、元に戻して欲しいんです。ご主人様の要求に応えなければならないんです」

「大丈夫だと言っただろう。

 さ、自信を持って。ほら、背筋を伸ばして、胸を張るんだよ。

 自動人形のお嬢さんレディ・ドール。きみは素敵だよ。さあ、ご主人様のもとへお帰り」

「おじいさん……」

「大丈夫、保障するよ。きみたちはメイトなのだから」

 老人が笑う。

 つられたように、フランも弱々しく微笑んでみせた。

 老人の深い頷きに勇気付けられたように、足の向きを変えた。

 来た道を引き返すために。

 アレックスの元へ帰るために。



 改めてモール内を探し回るほどの体力が残っていなかった。

 ひとまず状況の報告のため、《リーズ》へ再び訪れる。

「いらっしゃいませ! あれ?」

 入店すると、まず、リーズが不思議そうに首をかしげる。

「アレックス。お疲れ、成果はあったかい? ……フランはどうしたの?」

 ヨシュアの問いかけに、首を振って答えた。

「……どうした?」

 深刻そうに問いなおす。アレックスは体を休めるために椅子に腰掛けた。

 そうすると、疲れた足がぴりぴり痺れているのを感じた。

「フランが消えた。少し目を離した隙にだ。

 おそらくそれも、老人の仕掛けたことだと思う。

 そうして自動人形を窃盗して、転売しているのかもしれない」

「そんな――それは、大変だよ。

 もう、警察を頼ったほうが絶対に良い。そうだろう?」

「……分からない」

「ぼくが警察に取り合うよ。とりあえず、親御さんに連絡を取ったらどうだ?」

「そうする……後で。今は……」

 今はただ、体を休めたかった。そうしないと、動けなかった。

 体に力が入らない。この体を自分が動かしているのだという実感が希薄になったような、頼りない心地がした。

 テーブルに顔を突っ伏して、意識して深く呼吸する。

 フランが居なくなった。

 その事実に、どう目をそらそうと努力しても、ただ、喪失感に胸が疼いた。

 この旅の道のりは、あの長距離列車に乗ってしまえば、ひとまずは終わるはずだったのだ。

 無事に帰ると、メイベルにも約束したのに。

 アレックスは不意に心細さに襲われる。

 この気持ちは、さっき置き去りにされたフランが抱いたものと同じだろうか。

 そんなことに考え至って笑いの衝動がこみ上げる。

 なのに、唇はぴくりとも動かない。

 世界で一人ぼっちになってしまったみたいな気持ちに、この期に及んで陥るのかと、滑稽に思う。

「フラン……」

「フラン」

 項垂れた頭の上で、リーズの声が反復する。

「フランだよ。アレックス」

「……え?」

 振り返る。ドアを開けて、フランが立ち尽くしている。

 表情は、まだ、少女の戸惑いを白い顔に映し出していた。

「どこへ行っていたんだ、フラン……」

 叱るつもりで口を開いたのに、思ったほどの勢いが出ない。

 心身共に消耗していた。

 フランが席へ歩み寄る。少女は無言で、その腕を差し出した。

「言うより早いか」

 アレックスが手のひらサイズの携帯端末と、フランの手首を重ね合わせる。

 彼女のデータフォルダが端末に表示され、一覧から行動記録を選ぶ。

 フランの視界感知器が撮影した解像度の低い動画が再生される。

 音声は聞こえない。動画に映るのは、巣穴のような部屋だった。

 忌々しい老人の顔がフランの視界に現れる。

「やっぱり、あの老人が……」

 フランに居場所を吹き込んで、そこを訪ねるように仕組んだのだろう。

 そんな芸当が可能な人物は、そう簡単にはいない。

「……」

 フランは老人といくつか会話を交わしたらしい。それが何かは分からない。

「とにかく――道順は分かった。それと、おそらく老人はこちらの状況を把握できるんだろうな。フランに介入して……だから、こっちの会話も聞こえているんだろう」

 フランをまっすぐ見据えた。

 向こうでこちらを伺っているのであろう彼へ、アレックスは告げた。

「今からあなたを訪ねる。今度こそ、フランを元に戻してもらう」

「そんな――危ないよ、アレックス。せめて、ぼくも付き添う」

「いや、大丈夫、危険はないよ。今日中に戻らなかったら、じゃあ、警察に届けて。それで良い?」

「アレックス、どうして、きみは――そんなに……。表情のある自動人形は嫌いか? 《ボックス》反対派なのか?」

「ううん……、そんなことはないよ。でも僕は、僕の所持品を僕じゃないやつの手で好きにされるのはごめんだよ。それだけ、だよ」

「……夜までに戻らなかったら、警察に届ける。ぼくはここで待ってるよ」

「付き合ってくれて、ありがとう。ヨシュア」

「構わないよ。だって、アレックスも、同じ自動人形愛好家フリークだ。放っては置けないよ」

「僕は――……まあ、それでいいや。行くよ、フラン」

「……はい」

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