第2話 記憶喪失
明くる日。再び始業のチャイムギリギリで登校した私に、櫻井は 「おはよう」 と屈託の無い笑顔で声を掛けてくる。私のどこを気に入ったのかは知らないが、どうもこいつはやたら私に話しかけてくる。
「いやあ、あんなイケメンくんと会話してるだなんて、ずるいですぞ、夏稀殿ぉ」
昼休み、赤淵の眼鏡を掛け、見た目は黒髪ロングの清楚系でありながらも、強烈なキャラを持つ美咲から発された言葉に、
「あいつが勝手に話してくるだけだし。私のどこがいいんだか」
しっかりと訂正を述べる。
「ひゅーっ!お熱いですな、お二人っ」
茶々を入れてくる美咲に対し、
「もう、違うってば」
少し起こった表情を見せ、「私と翔太くんが付き合ってるの知ってるでしょ」と小声で付け足した。
実は私と先輩が付き合っていることは、全校生徒の中で美咲にしか教えていなかった。何故なら、先輩の彼女である大原夏稀という存在が校内に知られてしまえば、恐らく先輩のファンクラブ(実在するのかどうかは定かではないが)の会員が黙ってないからだ。
「ハイハイ、すみません。知ってますよーっと」
美咲は自作の弁当のおかずを口に運ぶ。
「全く、世話の焼ける小娘だこと」
冗談なのか、本気なのか、分からないけれど、美咲がそう呟いたのが微かに聞こえた。
△▼△▼
その日の放課後、生徒会室で仕事をしていた私が帰宅しようと教室にカバンを取りに行くと、教室にはサッカー部に体験入部に行っていたのであろう櫻井がいた。
「サッカー?お疲れ、」
珍しくこちらから話し掛けると、
「おー、ありがと。そっちは?」
少し驚いた表情で疑問を投げ返される。
「私は生徒会でちょっと仕事があって。それより櫻井、サッカー部入るの?」
「ん?あぁ、まあ、サッカーは昔からずっとやってるしな」
「へぇ、いつから?」
「んー、小二の頃からかなぁ?うん、そうだ」
西日が眩しいグラウンドから聞こえる野球部の練習の音、吹奏楽部の合奏や、軽音楽部の軽やかに鳴るドラムの音、そんな音をBGMにしながらただ他愛もない会話を交わす。
「俺の親父、転勤多いんだよね。だからさ、転校ばっかで。あ、そうか、だから俺、色んな人とすぐ仲良くなれんのかな?」
と、ドヤ顔で自惚れている櫻井に、
「お父さん、何の仕事されてるの?」
ふと聞くと、
「ケーサツ。凄いよね、尊敬するわぁ。」
と他人事のように言う。
「まあ、一人で単身赴任してこいって言えるような関係じゃないしな」
と続けた彼に少し疑問を抱いたが、その違和感は彼によって説明される。
「俺の産みの親、俺が小二のとき、死んじゃったんだよね」
――気が付けば、夕日がもう沈みかけていた。
△▼△▼
ようやくカバンを持ち、帰路についた私は、下駄箱で美咲と遭遇した。
「お疲れー、部活?」と聞くと、「うん」と少し元気が無いような返事だったので、疲れているのだと思い、あまり話しかけないよう努めた。
駅へ向かう美咲の隣で、自転車を押しながら進む私は先程の彼の発言を思い出していた。
彼は両親が亡くなるまでの間を、この近所で過ごしていたらしい。それが、とある事件に巻き込まれ、両親は
こんな重たい話なのに、櫻井は顔色一つ変えず――否、笑いながら話していた。
その理由こそ、――彼もまた <記憶喪失> を患っていたからであった。彼の病状は私よりも酷く、両親が殺されたあの日あの時のみ記憶が欠落している私とは異なり、彼にはその事件以前の記憶が全て無いのだと彼は言う。
両親と過ごした一切の時間は、彼の脳内ではただの虚構と同然だったのだ。
「じゃあ、またねー」
駅まで美咲を送り届け、ペダルに足を掛けた。
私は彼に自分もまた <記憶喪失> であると伝えなかった。―否、伝えることが出来なかった。
同情だ、と言われたらそれまでかもしれない。だけど、だけれど――両親と過ごした日々の記憶が残っている私のほうが幾分かマシである、と思ったのは紛れもない事実である。
私は少しの自己嫌悪に見舞われながらも、それでも彼に、どこか私と同じ匂いを感じていた。
△▼△▼
その夜、再び私はあの夢を見た。
それはいつもと同じ、あの風景。私はいつも幸せだった家庭を、どこか第三者のような視点で見ていたような所があったが、今日は状況が違った。
かつて見たはずのあの日あの時のあの風景。両親が、深夜になっても未だ明るいリビングでピクリと動かず、赤黒い液体を身に纏って横たわっている。警察官であった父の言いつけである、“何か大変なことがあったら110番する”という言葉すら、―あれほど何度も言われていたのに―それを実践する考えもおおよそ浮かばない程の恐怖におののく私に、手元に明かりが反射してキラリと光った刃物を持った<彼>は笑いかける――
「ねぇ……何で?僕を…僕を認めてよ…」
この時、事件から十年も経った今日この日、初めて<彼>の声が聞こえたのだ。その声は若く、まだ少年のようで、<彼>もまたどこか、恐怖におののいているような声をしていた。
あれは一体誰なのだろう。まだ<彼>のことを思い出せないでいる私は、しかし彼の声に何故か懐かしさを感じていた。
そうして私はまた――うなされながら朝を迎えるのだった。
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