花忍ぶ

八朔

第1話 出会い

ワックスかけたての廊下を走ると、心地良い初夏の風が長い髪をなびかせた。


「やっば、ギリギリセーフっ 」


「夏稀ー、今日も遅いねー!」


親友の上条美咲にお決まりの野次を飛ばされ、苦笑で返す。


私の名前は大原夏稀。勉強、スポーツは共に中の上。顔もこれといって可愛いわけではなく、モテるわけでもなく――、率い出て目立ったところがなく、誰が見ても特徴の無い生徒だと云うことはとっくに自負していた。


――そんな私は、かつて記憶喪失を患ったことがある。いや、その病状は現在進行形だ。


あれは、小学校二年生くらいの頃だっただろうか。両親を失ったあの日のことだ。私にはあの惨劇の一日が、激動の一日が――、十年経った今でも思い出せないでいるのだ。両親を亡くした私を引き取ってくれた祖母が言うには、その日、私は現場に居合わせていたらしい。私だけを取り残して、両親は死んでいったのだ。


まるで死の悪魔が真実を導かせようと私に手を差しのべているように…


△▼△▼


席に着くと同時に始業のチャイムが鳴り、バリキャリの先生と共に一人の男子生徒が教室に入り、クラスのどよめきをいざなう。転校生紹介、それは恐らく、文化祭や体育祭に匹敵するほどのビッグイベントだ。


年齢に見合わないほどの甘いマスクに高身長、転校生とは思えないほどの制服の着こなし方に、校則スレスレのナチュラル茶髪。季節外れの転校生には、クラスの女子からは囁き声でありながらも黄色い声が飛び交わずにはいられなかった。勿論、美咲も例外ではなかった。


「はーい、静かに。今日はまず転校生を紹介する。」


こういった類の事態にあまり興味の無い私は、ふと先生が黒板に書く彼の名前に目をやる。


「櫻井隼人です、よろしく。」


名前の格好良さまで完璧な彼の顔に目を移らせると、意図せず目が合ってしまい、それに気づいた彼は私に笑顔を向ける。相当自分の容姿に自信があるようだった。


先生に私の前の席の空席に案内された彼は席に着くなり後ろを向き、何故自分に興味が無いのかわからない、といったような顔つきで


「スカしてんねー、君」


とだけ告げるのだった。


△▼△▼


一日中騒ぎが収まらず、クラスの男子がそろそろ可哀想に思えてきたその日の放課後、帰宅しようと靴を履き替えている私に、聞き覚えの有る声がする。


「大原ー、ごめん、今時間あるか?」


そう言いながら駆け寄って来たのは一つ上の学年、三年生の生徒会長、相沢翔太だった。


「翔太先輩、どうかされましたか?」


生徒会で彼と一緒に仕事をしている私は、何かと彼と話すことが多かった。


「ごめん、今度の会計の予算案なんだけど…」


彼は首席で入学しながら運動神経も良く、それでありながら優しく、気配りの出来る、正に良い所総取りな美青年なのである。


そして――


「ありがとう、助かったよ」


先輩の話を聞き終え、背を向けて去ろうとすると、再び背中の方向から先輩の声がする。


「あーそれと!土曜日!十時に迎えに行くから!」


そして――、私の彼氏である。


△▼△▼


その夜、何ヶ月か振りにあの夢を見た。

両親が『殺された』あの日の。


夢の中で、両親を殺した人物が(とは言っても人が特定出来るほどの鮮明な表情は伺えないが)、幼い頃の私に笑いかける。中身のない、空っぽな笑顔で。


何か言葉を発しているようにも見える口元からは、まだその人物からの声は聞こえないままでいた。――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る