第十六話;予言の申し子

 莉那の姉である瑠那と息子の勇気は、アキと血縁関係にあった。

 その関係を断ち切り、瑠那を死に追いやったのはエミリーだった。


 エミリーは悲痛な運命を生き、悲しき宿命を背負わされた女性だ。

 彼女はアキを愛している。しかしアキは、エミリーに少しの愛情も持ち合わせていない。


 そしてアキは、自分を愛さないエミリーであるからこそ彼女を認めていた。



 エミリーは、瑠那の秘密を利用して彼女を死に追いやったようだが……果たしてその秘密とは?


 ---


 瑠那……。この世で最も美しく、僕が唯一愛した女性………。

 君の手の温もりが忘れられない。君の笑顔が、今でも僕の心を和ませてくれる。君が死んだと言うのに、君に対する僕の気持ちは大きくなるばかりだ。

 瑠那……君が恋しい。

 …どれだけ願っても、どれだけ恋焦がれようとも、君は帰って来ない。

 だけど、君が残してくれた勇気が生きていた。新之助が僕の……僕らの子供の居場所を知っているそうだよ。




「勇気とお前は、どんな関係にある?何故あの子供を探している?」

「………君が勇気を預かっているのか?」

「………俺じゃない。他の誰かだ。」

「誰だ?」

「………それはまだ言えない。先ずは教えろ。それから判断する。」

「…………あの子は……僕の息子だ。」

「!!何!?本当なのか…?」

「君と別れてから、僕は人間界に紛れ込んだ。旧型に関心を持ち始めてね。」

「………お前らしくないな。」

「…………。そして、瑠那と言う女性に出会った。彼女はエミリーよりも賢明で、この世で最も美しく…温かかった。」

「……………。」




 瑠那との出会いは5年ほど前…。この街にビルを建て、住み始めた頃だった。

 人間として成功を収め、それにも飽きた僕はヴァンパイアとしての生活をやり直そうと、血を求め始めた。

 旧型なりに有能な人物に会社を任せ、色んな町に出歩き、夜には食事を楽しんだ。エミリーの血を飲んで以来、100年振りに味う血は、最高級のワインよりも喉を喜ばせた。やっぱり僕はヴァンパイアとしての血の方が、遥かに濃い。


 そんなある日、ふと訪れた町で瑠那を見つけた。彼女は野に咲く一輪の花だった。霞草のように純白で小さく、健気な女性だった。

 一目見ただけで、僕は彼女に魅了された。初めてだった。生まれて初めて、心臓の鼓動が激しく高鳴った。


 彼女は、古びた食堂で働いていた。汗をかきながら、来る客1人1人に笑顔を振り撒いていた。その姿は、女神そのものだった。

 僕は何度か店に足を運び、高鳴る鼓動と自分の正体を隠しながら知り合いになった。



 瑠那には、少し歳が離れた妹がいた。両親は既に他界しており、彼女が面倒を見ていた。

 僕は彼女の生活を助けようとした。この100年間で、莫大な財産を所有した。

 しかし彼女はそれを拒んだ。


『貧乏でも良いんです。お金を貰って楽してしまったら、亡くなった両親に申し訳がありません。妹の教育にも良くありません。貧しいながらも胸を張る為には、自分達の力だけで生きる事が大切なんです。』

『…………。』


 自分の存在の、小ささを知った。100年掛けて築いた財産も、1000年生き永らえて蓄えた知識や経験も、彼女の言葉の前では全て無意味だった。


 彼女に魅了された僕の心は、完全に捕らわれた。僕にはもう、瑠那しか見えなくなっていた。エミリーが何度も仕事をするようにと叱ったが、彼女の声すらも聞こえなくなった。

 やがて瑠那も僕の存在を認め、僕らは恋に落ち、そして結ばれた。



 付き合っている間も、彼女は妹に会わせてくれなかった。


『私に彼氏がいるって知ったら、妹が悲しむわ。あの子には、私しかいないの。歳も幼いから、もう少しあの子が大きくなるまで私達の事は、内緒にして欲しい。』


 結局、瑠那は僕の下に来た時も、会社に就職すると嘘をついて出て来た。

 妹への仕送りは、彼女が働いて続けた。週末には家に帰ったけど、頑なに僕の同行を拒んだ。


 瑠那は、僕の財産に目もくれなかった。豪勢な暮らしも求めなかった。彼女は純粋に、僕だけを必要としてくれた。



 結ばれる前に、彼女を自分の物にしようかとも考えた。従順なヴァンパイアにすれば逃げないし、この先1000年、ずっと一緒にいられる……。

 僕はその時、卑怯者になろうとした。信念を捨ててまで彼女を欲した。

 しかし……


『命ある限り、貴方を愛します。人間の命は短いけれど、その全てを貴方に捧げます。』


 瑠那は僕にそう告げた。だから何も出来なくなった。

 そして苦難に苛まれた。僕はまだ、ヴァンパイアである事を明かしていなかった。


 彼女は子供を望んだ。だけど僕は、彼女を抱き締めてあげる事も出来なかった。

 瑠那は……ヴァンパイアの子供なんて望んでいなかっただろう。



『私に何か、隠してる事あるでしょ?』

『……………。』


 彼女は賢明な人だった。そして、僕だけを見てくれていた。

 僕は……全てを明かす事にした。



『………妹が大人になるまで……私は人間のままで良い?』


 彼女は、僕といる事を望んでくれた。だけど僕は瑠那に、ヴァンパイアになってくれとは一言も言っていない。言葉を話さなくとも、彼女には僕の心の中が読めていた。



 やがて、瑠那のお腹に命が宿った。勇気だ………。

 彼は受け止めてくれるだろうか?ヴァンパイアとして生まれる事を、拒まないだろうか?

 僕の苦悩を知っていたかのように、瑠那があの子に付けた名前は……『勇気』だった。



 遂に、勇気が誕生する日が来た。そして僕は驚愕した。

 …彼には、兆しがなかったのだ。


 ヴァンパイアとして生まれた子供は、生まれた時から数日間は目が赤く光る。まだ自分をコントロール出来ないのだ。

 しかし勇気にはそれがなかった。銀を当てても火傷は負わず、耳たぶを突いても傷が治らなかった。


 不思議に思った僕は、古文書を調べ尽くした。

 そして1500年前と1300年前に起こった、ヴァンパイアの歴史上最大の事件を知る事になった。それは最高機密の事件だった。僕は財力とこれまでに積んだ人脈を利用して、それに辿り着いた。


 勇気の体質の理由は、瑠那にあった。……彼女はワクチンだ。1000年以上も昔に存在した2人の女性と瑠那は、同じ体質を持っていた。

 ヴァンパイアと人間とで枝分かれした進化系図の先で、人間は進化していた。ヴァンパイアの血に対抗する遺伝子を持つ人間が誕生していたのだ。それがワクチンだ。

 瑠那は、ヴァンパイアにならない。


 しかしそれだけではなかった。1500年前に生まれたワクチンの子供は、ウイルスバスターだった。つまり体内に持つワクチンを…撒き散らすのだ。空気感染、そして接触感染で、ヴァンパイアだった者を人間に戻す力を持っている。

 1度人間に戻った者はワクチンを体内に保有する事になるので、再びヴァンパイアになる事が出来ない。

 そのワクチンは世界中に拡大し、ヴァンパイアを絶滅寸前にまで追いやったと言う。


 人間の進化した形がヴァンパイアだと思っている僕達にとって、この事件は衝撃だった。だから『老人』達はこの事実を闇に葬った。

 ……ヴァンパイア至上主義の……恐ろしい集団だ。

 彼らは人間の手も借り、その子供とワクチンである母親、更には肉親全てを葬った。

 人に戻ったヴァンパイアも葬った。そこから再びワクチンを持つ女性が現われる事を警戒したのだ。



 しかし1300年前、再びワクチンを持つ女性が現われた。そして奇しくも、ヴァンパイアと結ばれた。闇に葬られた事実を知らない彼ら夫婦は、自分達の子供をヴァンパイアだと思っていた。

 そして20年後、その考えは正しかったと明らかにされた。子供はヴァンパイアとして生を受け、成人を迎える頃に歳を取る事を止めたのだ。

 しかし……その子は、親をも凌駕する力を秘めていた。

 老人達は歓喜した。そしてその原因を調べた。


 ワクチンを持つ女性から生まれた子供の体内では、2つの遺伝子が戦う事になる。人間としてのワクチンと、そして、ヴァンパイアとしてのウイルスだ。

 1300年前の子供は、ヴァンパイアとして勝利した。そしてワクチンに打ち勝った彼が手にした力は……老人達曰く、『祖』と同じか、それ以上の血の濃さを持っていたらしい。

 つまり同族や子孫に引き継がれながら弱くなって行ったヴァンパイアの血は、1300年前に1度リセットされていたのだ。

 彼は若くして、老人達と同じ席に迎え入れられたらしい。

 権力に執着する、恐ろしいヴァンパイアだ。彼は老人達と肩を並べる為に、自分を産んだ母親とその家族、肉親を全て殺した。後世に、ワクチンやウィルスバスターが誕生する可能性をなくしたのだ。その徹底振りが老人達に認められた。


 それから以降、ワクチンの誕生は確認出来ていない。老人達がワクチンの誕生を警戒し、彼らの集落があるヨーロッパを中心に、疑いがある女性を虐殺し続けたのだ。

 大々的に行われた虐殺を誤魔化す為に、老人達は人間の権力者と繋がり、その虐殺を正当化した。

 …世に言う魔女狩りだ。


 一旦は落ち着いた虐殺行為だけど、しかしそれでも老人達は予言していた。必ず、同じようなワクチンを持った人間が世に現われると………。それが瑠那だった。


 そして……僕はひょっとしたら、1300年前に生まれたヴァンパイアの血を引き継いでいるかも知れない。1000年ほど生きているけど、同じくらい生きた同族に比べて血が濃い。


 そして勇気………彼は予言の申し子だ。


 噛まれた者ではなくヴァンパイアとして生を受けた者は、20歳頃までは人間と同じように成長する。

 生後1週間を過ぎた頃から体が自分を抑制する事を覚え、目の色も落ち着き、銀や太陽にも弱くなくなる。ヴァンパイアへと変身する事がなくなるのだ。成長を終える頃までヴァンパイアの血は、母体である体の中で身を潜ませるのだ。

 やがて成人になった頃から本格的にヴァンパイアとしての血が目覚め、弱点にも弱くなり、歳を取り辛くなる。


 勇気の体でも今、2つの遺伝子が戦っている。どちらが勝つかは、20歳を過ぎる時にしか分からない。

 そのまま歳を取れば、彼はヴァンパイアにとって脅威になる。

 歳を取らなければ…人間にとって脅威となり、ヴァンパイアの強さはもう1度リセットされるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る