第五話;過去の出来事

 莉那は体も、そして考え方も幼かった。余りにも世間を知らない。

 中学を卒業し、高校にも行けず子育てを始めたのだから仕方ない。


 莉那は、尚人の行動に怯えた。守ってくれたとは言え、男達に負わせた傷は酷過ぎた。

 しかしそれよりも、彼の事が気になり始めていた。



 そして尚人は、人間こそが恐ろしい存在だと考えていた。


 ---


 クールな人だと思っていたけど…ここまで冷たくて残酷だとは思わなかった。いくら私を守る為だったとしても、尚人さんはやり過ぎた。


(胸のドキドキが止まらない。でもそれは…彼を怖いと思ったからかな…?)


 不良は、腰を抜かして仲間達の下に逃げて行った。尚人さんはそれ以上、酷い事をしなかった。説教した後にこっちに来て、私にも説教を始めた。


「どうして忠告を聞かない!?危ない連中には、近寄るなと言っただろ!?」

「……ご免なさい。」


 頭を下げている内に、不良連中はいなくなっていた。


 尚人さんは男の人達に、私の事を自分の女だと言った。勿論、私を守る為の嘘だと分かっているけど……胸のドキドキは多分、その台詞を聞いた時から止まらない。


「君は、処女だから世間を知らない。男連中には、性質の悪い輩も多いんだ。覚えておけ。」

「……………。」


(…また……この言葉を聞かされた。)


 確かに私は、男の人を知らない。余りにも無用心過ぎた。

 けど、尚人さんと言いあの人達と言い、大人になったらこんな話は、普通に出来るようになるんだろうか?

 ……胸のドキドキが、また大きくなって行く。



「…次からは気を付けるんだ。」

「……。」


 ずっと下を向く私に気を使ってくれたのか、尚人さんは公園で少し休もうと誘ってくれた。

 そして明日からは、ご飯は特盛、味噌汁はお代わり自由を約束させられた。…給料が減っちゃう。

 でもそれって明日もこれからも、食堂に来てくれるって事だよね?それは嬉しい。


 尚人さんは、やっぱり良い人だ。説教する時の顔は怖かったけど、不良連中と喧嘩していた時の表情とは違っていた。



「ところで…どうして君は、自分の子でもない子供を育てる?君はまだ、男を知らない体だろ?」

「…………………。」


 またこの話だ。

 私はもう1度黙り込んでしまった。ここで『どうして分かるんですか?』と聞いてしまったら、それは自白になる。下を向いて、黙っている事しか出来なかった。


「……黙ってるところを見ると、間違いないようだな?」

「!!……………。」

「まぁ、良いさ。無理して話さなくても……。俺が立ち入り過ぎた。謝る。」


 尚人さんには知られたけど、それでも、他の人には知られなくない。私と勇気の血が繋がっていない事がばれると、勇気が大きくなった時、誰かから本当の事を教えられるかも知れない。勇気が可哀想だ。

 私はずっと、あの子の母親でいなければならない。




 暫くして、私達は家に戻る事にした。

 家の前に到着して、私は尚人さんにもう1度謝って、お礼も伝えた。


「あの……今日は、本当にありがとうございました。」

「今日も…だろ?」

「…………ご免なさい。」

「……それより約束だ。明日からはご飯特盛と、味噌汁のお代わり自由……頼んだ。」


 尚人さんが悪戯な返事をした後に、少しだけ笑ってくれたように思えた。

 正直、似合わない笑顔だ。でもその笑顔に釣られて、私も気持ちが楽になった。


「おかずは豚生姜ですか?他にも美味しいメニュー、沢山ありますよ!?」

「……豚生姜に飽きたらそうする。」

「是非そうして下さい!」


 別れる時には、笑顔で話し合えた。

 これからも尚人さんは、お店に足を運んでくれる……。


「それじゃ…これからは気をつけろ?危なそうな連中は、最初から相手にするな。」


 尚人さんはそう言って、自分の家に戻って行った。



「…………あの!」

「…………?」


 姿が見えなくなる前に、私は大きな声で彼を呼び止めた。

 彼は振り返り、私の言葉を待った。


「あの……私は、まだ男の人を知りません!尚人さんにも迷惑を掛けてしまって……まだまだ子供です!」

「…………?」

「でも!!………それでも勇気は私の息子です!私の息子なんです!そうじゃないと、勇気が可哀想なんです。だから!………どうか他の人には、内緒にしてもらえませんか?」

「…………。」

「お願いします!」


 余り多くは話せない。でも、これだけは約束して欲しかった。


「…………俺の方も、色々と探って悪かった。勿論だ。誰にも話さない。」

「…………ありがとうございます!」




 2階に上がると勇気はいつものように、笑ったような寝顔でぐっすり眠っていた。高山のおばちゃんの五月蝿いイビキにも、この子は動じない。


 寝間着に着替えて、勇気の隣で私も横になる。


「勇気……。あんたは、私の息子だよ……?」


 寝ている勇気は可愛い。こんな子を不幸にはさせられない。



 この子の、丸くて大きな目と肌の白さは私に似ている。勇気が女の子だったら、もっと可愛かったかも知れない。

 でも…鼻の形と顎のラインは、私が知ってる誰かに似ている……。


「…お姉ちゃん……。」



 お姉ちゃんは、勇気を残して何処かに行った。誰かから逃げていた。


 数日後、お姉ちゃんは亡くなった。

 警察は事故だって言うけど、きっと違う……。お姉ちゃんは、誰かに殺されたんだ。


 早くに両親を亡くした私達姉妹は、ずっと2人っきりだった……。勇気が生まれて3人になったけど、直ぐにまた2人っきりになった。


 お姉ちゃんが亡くなった事を知ると、勇気が悲し過ぎる。だから私が、この子の母親にならなきゃいけないんだ。

 この子が大人になるまでは、私は恋愛も結婚もしない。しちゃうと勇気が1人になる。



 お姉ちゃんは、誰かから逃げていた。何があったんだろう?

 警察に色々聞きたかったけど、私が表に出たら勇気が危ないと思って、何も出来なかった。……お姉ちゃんの遺体だって引き取らなかった。

 お姉ちゃんも死ぬ時には、身元が分かる物を一切所持していなかったらしい。

 私はお姉ちゃんが死んだ事を、ニュースで知らされた。周りの人から尋ねられたけど、似ているけど知らない人だって……嘘をついた。


 家にいては勇気が危ないと、この小さな町に越して来た。この町なら、誰も私を知らない。勇気の母親で居られる。勇気も安全だ。




「勇気………。」


 私は、この子の母親として生きて行く。自分で自分に誓った事だ。


 でも……もう1つ誓った事に、自信がなくなってきた。たった2日の間に、私の自信は揺らいでいる。


(尚人さん………。)


 ……私は、あの人の事を好きになってしまったかも知れない。

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