7 ドロシーと先輩

 仕事上がり、爪痕の世界の事業所でドロシーは休んでいた。休憩所で缶コーヒーを飲みながら窓の外の景色を見ている。木々の繫茂する廃墟と化した都市が広がり、それを分割して巨大な亀裂が地平線まで走っている。文字通りの〈爪痕〉を見下ろして、空中に浮かんでいる都市の一部に、竜狩り公社の事業所はあった。この〈島〉の元は警察署とその近隣の区画で、公社の建物も署を改築したものだ。

 先輩がドロシーに話しかけてきた。「やあ、ハヴォック」おしるこを飲みながらいつもののん気な口調で言う。「あんたは相変わらず疲れた感じだね」

 ドロシーは肯定する。秘術を何度も使ったので、無表情ながら全身から疲労がにじみ出ている。十全の状態で、椅子にきちんとした姿勢で座っているドロシーを、同僚たちはあまり見たことがなかった。

「もっと担当区分を限定しつつ〈賦活〉を行使していけばいいのに。そんなに竜になるのが嫌なのかい」

 ドロシーは嫌だと答える。担当を限定すれば、いずれそれに合致する、容易ならない深い〈状況〉を任されると分かっているからだ。それには〈賦活〉のみならず、より強い秘術を用いる必要がある。竜を屠るために、竜が齎した業を揮い、竜と化す――彼女にはそれは受け入れがたかった。自分の中に流れる血がそれを拒絶している――今では忘れられた古い英雄の血が。

「そこまで大した影響は実際ないんだけどね。〈円環〉とか〈神話〉の専業じゃない限り。まあ嫌なら無理しない程度に頑張りなよ。こんな仕事で過労死なんて馬鹿げてるぜ」

 ドロシーは先輩の忠告に頷く。

 他の同僚たちも先輩の名前を呼ぶことはまずなく、ドロシーは知ってすらいなかった。異世界の赤の他人にすら成り得る竜狩りの秘術を用いても、先輩の故郷のような遠く離れた場所の固有名詞は認識しづらく、発音も困難なことが多いからだ。だから、彼女がこの事業所の古参だということもあって、ただ単に〈先輩〉と呼ばれている。その両耳が尖っているのが、故郷の遠さを物語っていた。外見にはまだ竜化の影響は見られていないが、裸になったらどうか分からないし、体内には二つ目の心臓が形成され始めているかも知れない。ドロシーの狩り場が状況の〈断片〉であるのに対し、高めの報酬が目当てで先輩は連続した状況に〈紛れ込む〉――あるいは〈潜る〉とも言う――ことがしばしばあったからだ。それでも、状況の中の状況――伝聞や〈作中劇〉に潜む〈円環〉の竜や、神話体系に潜む高位の竜を狩ることは、先輩も避けていた。

 ドロシーはそのまま帰宅したが、先輩はこれからだいぶ長い間〈潜る〉のだと言って出て行った。とある世界の大都市を舞台とした、群像劇の中に目当ての竜はいる。だから、何度か異なる人物として同じ物語に紛れ込む必要があるだろう。別れ際、笑顔を浮かべた先輩の歯が、少しばかり尖っているのがドロシーには気になった。

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