第17話 時空の再選択
佐藤さんとは十一時過ぎに別れた。終電を気にするほど、遅くまで誰かと話し込んだのは初めてだ。寮生活を始めた頃は人付き合いが苦痛で仕方なかった。それが今は、寮生とも仲良くやっているし、彼女もできた。その上、霊的スペックまで開眼し、龍と話すこともできる。一年前の自分と今の自分は別人だ、それとも僕が、別世界を生きているのか。最寄り駅からの道すがら、そんなことを考えていると。見慣れた風景が、ここではないどこかに見えた。
土産を持って帰宅すると。寮の外通路に誰かいるのが見える。暗くてハッキリしないが女性であることは分かる。でも、生霊の結衣さんとはシルエットが違う。寮の真下の月極駐車場から目を凝らすと、陽菜さんだった。彼女は久美子さんの部屋の前を行ったり来たりしている。
「どうしたんですかぁ?」
声をかけると、陽菜さんは「来て来て、ヤバイかもぉ」と大仰に手招きする。
四階まで駆け上がり、陽菜さんのもとへ行くと、どこからか獣が唸るような声がする。まさかと思い、陽菜さんの方を見ると、彼女は困惑の笑みを浮かべ腕組みする。
「さっきからずっとだよ。部屋の壁をドンドン叩くし。呼び鈴を押してるけど応答がないの。これってヤバイよね?英子さんを呼んだ方がいいよね?」
僕は合鍵を持っているが、ここで出すわけにもいかず、「英子さんを呼びましょう」と言うにとどまった。陽菜さんが携帯で英子さんを呼び出している間も、僕は呼び鈴を鳴らし続けた。英子さんはすぐに出てくれたようで、陽菜さんは事情を説明するや短時間で電話を切った。
「英子さん、すぐに来るって。私は二階で待機しとく」
「どういうことですか?」
「母屋の二階から、こっちの廊下めがけて鍵を投げてもらう」
そう言うと、陽菜さんは二階に降りていった。それからすぐに鍵を拾い上げたようで、階段を駆け上がる音がする。陽菜さんは息を切らしながら四階の廊下にたどり着くと、すぐさま鍵を僕の方へ投げる。僕はそれをなんとかキャッチし、部屋へ突入した。
室内は真っ暗だった。照明のスイッチを押すが、電気が点かない。以前にもこんなことがあったので、僕はすかさずブレーカーのある玄関へ引き返した。
玄関へ戻ったところで、陽菜さんも到着する。陽菜さんに「なんでブレーカーが落ちてるの?」と聞かれたが、それには答えず、久美子さんの元へと急いだ。
あまりの光景に僕らは立ち尽くしてしまった。久美子さんは奇声をあげながら、壁に頭をぶつけている。壁のところどころに血が付いている。彼女は出血も厭わず、髪を振り乱し、何度も壁に頭をぶつける。
「久美ちゃん、何してるの!?」
あとからやってきた英子さんの声で、我に返った。壁から引き離そうと、久美子さんの肩を掴むと。彼女は僕を振り払おうと腕を大きく振りまわす。その際、彼女の拳が僕の左目に直撃した。
「大垣君、大丈夫?」と言いながら、英子さんが加勢してくれる。二人がかりでも押さえ込むのがやっとで、久美子さんは僕らの制止を振り切ろうと、さらに暴れる。
「久美子さん、落ち着いて!」
「久美タン、どうしたの?しっかりして」
「久美ちゃん、暴れたらあかんってば。余計に出血するよ!」
三者三様に宥めるが、久美子さんの勢いは止まらない。生霊の結衣さんよりも力が強い。僕と英子さんが力尽きそうになったところで、怒声がした。
顔を上げると、征二君がバケツを持って立っている。そして「二人とも、ドケェ!」と言うので、僕と英子さんは咄嗟に久美子さんから離れた。その一瞬の隙に、征二君は久美子さんの頭から水をかぶせる。
突然の水に驚いたのか、久美子さんは悲鳴と共にその場に座り込んだ。征二君はすかさず久美子さんの髪の毛を掴んで、顔を上げさすと、勢いよく平手で頬を叩いた。
「久美子、目ぇ覚ませ!しっかりしろ!」
征二君の荒療治が効いたようで、久美子さんは正気を取り戻した。叩かれたのが痛むのか、両手で頬を押さえている。そして水浸しになった床や、濡れた自分の体を不思議そうに眺める。征二君が「何があった?」と僕ら三人に詰め寄るが、誰も答えられない。すると久美子さんが口を開いた。
「ずっと好きだった。だから我慢してた。それなのに…悔しかった。悔しい、悔しい!悔しい!」
それを最後に久美子さんは意識を失った。
「大垣君、腫れてる!」
その声に反応し、征二君も僕の顔を覗き込む。
「お前も一緒に救急車に乗れ」
「僕はいいです。たいしたことないです」
「アホか、鏡見ろ!試合後のボクサーみたいになってるぞ」
征二君は僕の手から雑巾をひったくると、「そこに座っとけ」とベッドを指差す。征二君の物言いに圧倒されて、「わかりました」と言ってしまい、僕は命じられた通りベッドに腰かけた。病院に行くよりも、龍とコンタクトを取りたい。結衣さんの姿がないものの、過去最悪の仕打ちだ。これがどういうことなのか、龍に意見を求めたい。でも龍のことだから。相談したところで取り合ってくれないだろうが。
絶望から頭を抱え、項垂れていると、「なんか、甘い匂いしない?」と陽菜さんが場違いなことを言う。顔を上げると、陽菜さんは鼻をヒクヒクさせ、そこかしこ嗅ぎまわる。すると、雑巾で床を拭いていた征二君が手を止める。
「入浴剤の匂いだろう。風呂の湯をぶちまけたからなぁ」
僕が詳細を求めると。征二君は、したり顔で答える。
「騒がしいから来てみたら、こんなことになってるだろう。水でもかけてやろうと思って、風呂場に行ったら、丁度バケツがあって。湯も沸いてたし」
陽菜さんは水浸しの床を触りながら、「ほんとだ、あったかい」と変なところで興奮する。
「久美子は花火をしようとしてたんだろうなぁ。バケツの中に新品の花火とライターが入ってた。風呂の湯もまだ熱かったし。入浴剤まで入れて、リラックスしようとした矢先にこんなことするって、おかしいだろ?久美子は何かに取り憑かれたんじゃないか?」
「何かって、なによ?」
陽菜さんがオドオドしながら尋ねる。
「分からんけど。これが霊のしわざじゃなかったら、相当病んでるぞ。しかるべき病院に入らなヤバイだろ?」
「そうだね…霊じゃない方がもっとアカンよね」
僕は二人の誤解を解こうと、生霊の結衣さんの話をしようとしたが、救急車のサイレンが聞こえたので、言わずじまいになった。
久美子さんは額を三針縫った。翌日に脳の検査をすることもあって、その晩は病院に泊まることになった。久美子さんは個室に運ばれたが、その時点でも意識は戻っておらず、僕と英子さんは彼女に黙って病院をあとにした。
軽自動車の運転席と助手席は距離が近いせいか、これまで英子さんに抱いたことのない緊張を感じる。病院を出て、暫くの間はこの狭い車内のせいだと思っていたが、時間が経つほどに違和感が増す。英子さんは病院にいるときとは明らかに違う。僕に対して高圧的な雰囲気を醸し出している。僕はこの雰囲気を打ち破ろうと、自ら話しかけた。
「久美子さんの御両親はなんて言ってましたか?」
「気になるの?」
質疑を装ってはいるが、責めるような物言いだ。僕は萎縮して、二の句が継げない。
英子さんは溜息をつくと、「ごめん」と言って、車を路肩に寄せた。
「明日、お母さんが迎えに来るって」
「迎えって、どういうことですか?」
「実家に帰ることになったの。長引くようなら休学させるって」
「休学…ですか」
「お父さんは『退学』でもいいと思ってるみたい。もともと、大阪に出すのは反対だったからね。久美ちゃんのお父さんは、私のことを信用して預けてくれたの。私には寮母としての責任がある、だから聞く。久美ちゃんと何があったの?」
「英子さん、気づいてたんですね」
「付き合うことには反対じゃないよ。大垣君の良いところも知ってるし。応援したい気持ちもある。でも、あんなことになるなら応援できない。久美ちゃんが気絶する前に『好きやったのに、悔しい悔しい』って言ってたけど、あれは何?大垣君は浮気でもしたの?」
「久美子さんが言う『悔しい』の意味は、僕にもわかりません」
数時間前、佐藤さんに説明したように。龍のことは省きつつ、これまでの経緯を説明した。そして、問題を解決するべく、今夜、佐藤さんと会っていたこと。そこで考え出した解決策も話した。英子さんは僕の言うことを黙って聞いてくれるが、僕と佐藤さんが出した解決策には懐疑的だった。
「佐藤さんが店を出すのは三月でしょ?それまで久美ちゃんの体は持たないよ。今日だって、あんなことになってるのに」
「そうですねぇ…」
「実家に帰るのが一番の解決策だと思う。それに大家の私としては、これ以上、生霊にうろつかれても困るよ。寮生は久美ちゃんだけじゃないもん。心霊スポットになってしまったら、借り手がつかない」
正論を前にして、何も言えない。僕のだんまりを無言の反抗と受け取ったのか、英子さんは謝る。
「自分の彼女があんなことになってるのに、隣で経営の心配されたら、気分悪いよね、ごめんね」
「そうじゃないんです。英子さんの言う通りです。久美子さんは実家に帰るべきです。それについては反対しません。そもそも僕は、反対できる立場じゃないですから」
「そうだね。大垣君は反対したくても、できないよね」
それは嫌味ではなく、声色からして僕に同情してくれているようだった。暫しの沈黙のあと、英子さんは「ちょっと待ってて」と言い残し、車から降りてしまう。バックミラーを見ると、英子さんはコンビニへ入って行く。トイレにでも行ったかのと思っていると、すぐさま出てくる。手にはレジ袋を提げていた。英子さんは車に乗り込むと、レジ袋から梅酒を取り出し、僕に差し出す。
「これ飲んで。久美ちゃんのことが心配で、今日は眠れそうにないでしょ?」
酒は嫌いで飲まないが、このときばかりはプルタブをひいた。プルタブの開封音と共に梅の香りがする。久美子さんがしているように一気に飲み干すことはできないが、唇を濡らす程度にチョビチョビ啜った。そんなピッチだから、二百五十ミリ缶を飲み切る前に、寮に着いてしまった。
英子さんと別れ、梅酒片手に寮の階段を昇っていると、段々、千鳥足になってくる。梅酒のせいか、眠気のせいか判断がつかない。フラフラになって外廊下を歩いていると。自室のドアノブに白い紙袋がかかっていることに気づいた。それが何であるか、分かった途端、疲れがドッと押し寄せる。
腕時計を見ると、午前二時を廻っている。佐藤さんと別れたのは、たった三時間前なのに。持たされた土産のことは、頭からスッポリ抜けていた。佐藤さんは『久美子ちゃんにも食べさせて』と、この揚げ饅頭を持たせてくれたのに。今はもう…彼女がこれを食べることはない。僕も佐藤さんも、こんな未来は予測していなかった。やり切れない。到底、納得できない。
英子さんにも言ったように。僕は久美子さんの帰省を反対できる立場にない。反対するからには彼氏であることを明かさなければならない。でも、そんなことをすれば。御父さんの怒りを買って、彼女の寮生活はその時点で終了だ、大っぴらには動けない。でも、僕には奥の手がある。
佐藤さんからの手土産を
最後の一段を昇りきり、顔を上げると。誰も居ないはずの屋上に、久美子さんが居る。着の身着のまま、病院を逃げ出してきたようで、ピンク色の入院着にスリッパを履いて立ち尽くしている。
僕は近づき、彼女の名を呼んだ。動揺から声が裏返る。それが恥ずかしくて、ごまかすために、わざと咳払いをした。久美子さんは僕の眼帯にそっと触れ、「ごめんなさい」と涙ながらに謝る。
「大丈夫です。僕は縫ったりしてないですから。久美子さんの方が痛かったでしょ?」
「…ごめんね、ありがとう」
次の瞬間。
彼女の髪の色や肌の色。彼女の有する色という色が薄まっていく。背景が透けて見えるくらいまで薄まると。姿形がボヤケ、水にインクを落としたように闇夜に消えてしまう。
その消えたところに、龍が現れる。僕は生まれて初めて神に怒りを覚えた。
「僕をからかって楽しいですか?」
「からかったわけじゃない。前にも言ったが、感情はエネルギーだ。久美子は今、意識を失っている。潜在意識下にありながら、お前のことを強く想っている。その想いのエネルギーの一部を、私がここに持ってきて具現化したのだ」
「じゃあ、さっき僕が見たのは。あなたが作った幻ではなく、『久美子さん』なんですね」
「そうだ。そもそも幻なんてない。お前たち人間はすぐに決め付ける。論理的に実証できないものは幻だと」
「違うんですか?」
「この世のモノは全てエネルギーだ。肉体のなかにエネルギーがあるのではない。エネルギーが肉体を纏っているのだ。人間は物質化することで物質にとらわれるが、ある時点に到達すると、エネルギーへと回帰する」
「ある時点って、何ですか?」
「お前たちが忌み嫌うもの、『死』だ。肉体が消滅することで、エネルギーは解放され還っていく」
「開放されたエネルギーはどこへ行くんですか?」
「時空の再選択をしても辿りつけない場所、時空の彼方と言うべきか…。ところで。それは、お供えか?」
「お供え?あぁ、そうだ。これを渡しに来たんです」
僕は『揚げ饅頭』の入った紙袋を龍に差し出した。その途端、久美子さんと同じように。紙袋は色を失い、煙のように消えてしまう。
「口に合いますか?」
「神に味覚はない。神はエネルギーを食らう。人間の行動にもエネルギーは宿る。神楽や狂言が奉納されるのはそういうことだ」
「その揚げ饅頭に、どんなエネルギーを感じましたか?」
「料理人としての情熱。病人を憂う慈愛。事を成し遂げようとする剛気」
「その通りです。僕は決断しました。久美子さんを救います。救ってみせます。実家には帰らせません」
「どうやって?」
「貴方からその方法を聞きだします。僕が貴方を思い出したことで、貴方は今ここにいるわけです。ということは。僕がいなくなれば、貴方も存在しえないんじゃないですか?」
「神殺しをするつもりか?」
「そうです。僕はもう、手段を選びません」
僕は屋上の手すりに手をかけた。
「なぜ、そうまでする?久美子自らこの地を離れ、生霊本体との縁を絶てば、済む話だろうに」
「ここを離れれば、生霊だけでなく、僕たちとも疎遠になります。そうでしょう?」
「この地で結ばれた縁は、この地を離れれば、ほどけていく。縁とはそういうものだ」
「久美子さんが実家に戻らずして、生霊を浄化する方法があるはずです。教えてください。でなければ、ここから飛び降ります。この高さから飛び降りたら、人間なんて簡単に死にますよ」
「分かった、なら、飛び降りるがいい」
「…神も仏もないって、こういうことですね」
「最後まで聞け。お前が飛び降りれば、久美子は助かる」
「どういうことですか?」
「久美子と生霊本体は癒着を始めている。久美子がああなったのも、そのせいだ。久美子は、生霊の出す負のエネルギーに共振したんだろう」
「癒着とか共振って、何ですか?」
「久美子は他人が出すエネルギーに共振しやすいはずだ。思い当たるふしはないか?」
「そうですね、相手の感情に呼応しやすい人です。征二君の言うことにイチイチ反応するし。それに、心霊スポットに行って、怪奇現象が起こったこともあります。癒着が起こると、どうなるんですか?」
「どちらかが、一方を取り込む。この場合、生霊本体が久美子を取り込もうとしているのだろう。そのために、久美子の肉体を消そうとした」
「肉体を消すって、殺すってことですか?『それは、ない』って、貴方は断言しましたよね?」
「通常は起こりえない。ただし。癒着が起これば、別だ。久美子が生霊本体に同情したことで、エネルギーの共振が起きている。いったん共振すればエネルギーは増大していく」
「だから、あんなに力が強かったんですね。どうりで僕が怪我をするわけです。でも、どうして久美子さんは生霊に同情しているんでしょう?」
「鈍いやつだ。簡単なことだろう。お前を好いているからだ」
「僕のせいですか?僕は佐藤さんみたいに浮気なんてしませんし、大切に想っていますよ」
「そうじゃない。お前を好いているからこそ、浮気をされた女の悲しみに同調してしまうのだ。だから、お前に出会う前の久美子に戻れば、生霊本体との縁も切れる」
「戻るって、過去に戻るってことですか?どうやって?」
「簡単だ、『戻りたい過去』を思い出せばいい」
僕は目を閉じて、あの日を思い返した。引越しの前日、実家で荷造りに追われていた、あの瞬間を。暫く回想してみるが、状況は一向に変わらない。足元から風が吹き上がるのを感じる。
「やはり飛び降りるしか、なさそうだな」
その言葉に驚いて、思わず目を開ける。
「怖いか?」
「それは、まぁ…」
「それでいい。その恐怖心が自分という人間をバラバラにする。バラバラになるから、過去へ戻れる」
「言ってることが、全く分からないです」
「人間は過去・現在・未来という時間軸で存在しているのではない。過去も現在も未来も同時に存在している」
「もっと分からなくなりました」
「ルビンの壷を知っているか?」
「だまし絵ですよね。向き合う二人の男にも見えるし、壷にも見えるっていう」
「一枚の絵の中に二つの絵が在るわけだ。けれど、この絵が同時に見えることはない。一方が見えているとき、もう一方は背景に成り下がる。過去・現在・未来もこれと同じことが言える。本当は三つとも同時に存在しているが、顕在意識化で、どれか一つを選択すれば、残りの二つは自覚できない。そこで役に立つのが『死』だ。『走馬灯』というだろう?あれはまさに、過去・現在・未来を同時に自覚している。三つを同時に自覚することで、再選択も可能になる」
「ここから飛び降りて、一度死ぬしかないんですね。あれ?それって、貴方がやったことに似ていませんか?貴方も『神の自殺=神堕ち』をしたわけで、気が付いたら二十年後の世界に居た。貴方はなぜここに居るのか分からないって言うけど、再選択したんじゃないですか?」
「そのようだ。私は神堕ちに失敗し、無自覚にも時空の再選択をした。もし、お前が再選択に成功すれば、私はお前に癒着できるだろう。時空の再選択をできる人間など、そうはいない。久美子と生霊が共振したように、私とお前の間にも共振が起こるだろう」
「時空の再選択をすれば久美子さんを救うことができるけど、龍に取り込まれるわけですね?」
「そういうことだ。私は神性を宿したまま、お前に成り代わる。しかし…それは。お前が本当に望んでいることか?」
「どういう意味ですか?」
「お前には。物理を学び、世の理を解き明かしたいという志があったはずだ。それなのに、それを投げ打ってでも久美子を救おうとするのはなぜだ?」
「彼女を救えるのは僕しかいません。それが嬉しいんです。それに。物理学者になったところで、僕が解明できるのは微々たるものです。貴方が僕に成り代わるのなら、人類の未来も安泰です。一石二鳥でしょ?でも、取り込むのは少し待ってください。久美子さんに一目会ってからでもいいでしょう?」
「構わん、好きにしろ」
感謝の意を見せたくて、僕は龍に向かって一礼した。それから「よしっ!」と言って、手すりから身を乗り出すが、尿意をもよおすほどゾクッとする。僕という存在が消滅することはないと知っていても、たじろいでしまう。
このままじゃ、いつまでたってもダイブできそうにない。飲みかけの梅酒を一気飲みして、その場ダッシュをやり続けた。頭がクラクラする。吐き気もする。こんな気分なら飛べそうだ。手すりの向こう側に立って、目をつぶる。何も怖くない、もう一度、久美子さんに会いに行くだけだ。僕は屋上から飛び降りた。
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