第14話 嫉妬

 叔母の御厚意で、衣装は無料提供ということになったのに。結局、僕だけズボンを買い取ることになった。太めの僕には古着屋さんのズボンは細すぎた。ファスナーを全開にしていても、腰周りがギュウギュウだ。下手したら、こうして自転車を漕いでいる間にも、破れるかもしれない。駅前のロータリーに着いたらトイレに駆け込もう。ズボンの安否確認だ。

 待ち合わせ場所には二十分前に着いたが、既に征二君が居て、ギターのチューニングを始めていた。征二君は普段通りで緊張感が全くない。路上ライブにこなれているのが見て分かる。叔母が選んでくれた衣装をまとい、ギターを奏でる征二君は本物のミュージシャンみたいだ。

 そう思っていたのは僕だけでなかった。少し離れたところで、セーラー服の女子高生がキャキャー言いながら遠巻きに見ている。征二君は小声で『うるせー』と『ウザイ』を連発し、苛立ちながら煙草に火をつける。その途端、女子高生の集団から歓声があがった。征二君はさらに嫌な顔をする。

「何なんだ、あいつら?」

「たぶん、征二君の煙草を吸う仕草に興奮して、騒いでいるんです」

 僕がそう言うと、征二君は無言で煙草を消した。煙草を踏みつける足に力がこもっている。ウザイ女子高生を蹴散らしたいのが見て取れる。

 そこへ久美子さんが怪訝な顔でやって来る。彼女は女子高生の集団を指差しながら、「あれ、何?」と呟く。

 僕は叔父から渡されたフライヤーをギターケースの上に並べながら答えた。

「征二君のファンみたいですよ」

「ミュージシャンになりたいわけでもないのに、毎週ライブして…おかしいと思ってたのよね。やっぱり女の子が目当てか」

「あんな連中は初めてや。いつもは立ち飲み屋帰りのオッサンだけや」

「そうなんですか。じゃあ、この衣装のおかげですかね?」

 ファション性が有ると無いではこうも違うのか。僕はファションの威力を目の当たりにして、あらためて叔母に感謝した。久美子さんもそう思っていたようで、彼女はギターケースに置いていたフライヤーを手に取り、征二君の目前に突き出して言う。

「丁度いいじゃん。あの女の子たちに配っておいでよ」

「嫌じゃ、めんどくさい。お前が行け」

 そう言って、征二君は久美子さんの右手を払い除ける。そのせいでフライヤーの束が地面に落ちて散乱する。久美子さんは終始無言で、散らばったフライヤーに目を落としている。そして、その目が刻々と一重に変わっていく。僕は慌てて両者の間に入った。

「征二君が配った方が受け取って貰えますよ。叔母のためにもお願いします」

 僕が頭を下げると。征二君は散乱したフライヤーをしびしぶ拾い上げ、女子高生の方に向かって手招きする。

 女子高生は互いに顔を見合わせ、オドオドしているが、征二君が立ち上がって、再度手招きすると、小走りに寄ってくる。征二君は目前に立つ女子高生の一人に、フライヤーを握らせると。知人・友人に配るよう頼んだ。

「丸投げやん!」

 久美子さんが突っ込むが、征二君は意を介さない。女子高生も「分かりました」と物分りよく返事する。そしてフライヤーの束を大事そうに学生鞄にしまった。

 その後も、僕らは女子高生に救われた。彼女らはその場に残り、最後までライブを見てくれた。若い女の子の群衆は人目を引く。おかげで人だかりは時間が経つごとに大きくなっていった。

 前日まで。逃げ出したくなるほど、緊張していたのに。僕はカラオケボックスで歌うときのようにリラックスして歌えた。なぜなら、最前列にいる女子高生は征二君しか見ていない。イントロが流れ、Aメロを歌っているときこそは「上手い・凄い」など言って僕を凝視するが、サビが差しかかる頃には、皆、征二君を見て紅潮していた。

 それから二日経って僕が衣装を返しに行くと、叔父は上機嫌だった。なんでも路上ライブの翌日に、若い女性が数人でやってきて、何点か買ってくれたらしい。また、店でやっているツイッターにも『駅前のライブ見ました』とのツイートがあったそうだ。

 叔父は店の奥から紙袋を二つ持ってきて、「次のライブのときに、これを着てくれ」と差し出す。昨夜、叔母がノリノリで選んでくれたそうだ。次回のライブは具体的に決まっていない。年末は二人共忙しいだろうから、ライブは年明けでもいいかと聞くと、叔父が「いつでも構わない」と言うので、その衣装は持ち帰った。

 

 我が家の習慣として、元日は祖父宅で集まることになっている。それだから僕は帰省せず、年末年始を寮で過ごすことにした。それを知った久美子さんは「私も帰らない」と言い、すぐさま実家に電話し、案の定、御父さんと口論になった。心配から、僕は帰省を勧めたが、久美子さんはこんなことを言う。

「正月は私の部屋においでよ。隣室の陽菜ちゃんは実家に帰ってるし、大垣君の好きなようにしたらいいよ」

 久美子さんがこんな露骨に誘う人だとは思わなかった。いずれにせよ、この機会を逃してはだめだ。女性にここまで言わせといて、何も無かったでは済まされない。僕も腹を括った。

 けれど、いざ元日を迎えると。今夜のことに気を揉んで、謹賀新年どころでない。祖父宅に行っても心あらずで落ち着かない。勘違いした母が「トイレは我慢するな」と僕を諭したくらいだ。その勘違いに乗っかって、僕は「餅を食べ過ぎて気持ち悪い」と嘘を言い、早々に引き上げた。

 三箇日さんがにちは英子さんも休みに入るので、夕飯は各自で用意することになっている。久美子さんがカレーを御馳走してくれると言うので、僕は六時過ぎに彼女の部屋を訪ねた。久美子さんのカレーはごくごく普通で、英子さんがスパイスから調合するカレーには劣る。

 僕は本心を悟られないよう、笑顔で「母のより、ずっとずっと美味しいです」と言った。事実、母の作るカレーは水っぽくてレトルトのカレーよりマズイ。それだから御世辞が下手な僕でも、母を引き合いにすることで彼女のカレーを褒めることができた。久美子さんは謙遜しながらも、どこか得意げで、僕は安堵した。

 カレーを食べながら、叔父に聞いた龍の話をすると、久美子さんは興味津々で聞いてくる。

「それにしても。なんで、お母さんに憑依したのかな?」

「叔父も御坊さんに聞いたそうです。けど、『そこまでのことは分からない』って言われたそうです。今度、龍に会ったら聞いてみたいですね」

「でも実際、会ってしまったら怖くない?」

「怖いですけど、会いたいですよ。自分の母親に起こったことですし。僕が胎児だった頃にも、憑依していたわけですから」

 そう言って、僕はスプーンを皿に置いた。大盛りカレーをなんとか完食し、一息つくと、久美子さんが「おかわりする?」と聞いてくる。さっきの御世辞は想像以上に効果があったようで。彼女は僕の返事を待たずして皿を下げ、さっきより多めに盛り付け運んで来る。

 大盛りカレーを二杯も食べたから気持ち悪い。これは天罰だ。「餅を食べ過ぎて気持ち悪い」と家族に嘘を言い、食事会を抜け出したのが良くなかったのだろう。そんな自省をしていると、久美子さんが台所から戻ってくる。彼女は「食べてすぐに寝ると牛になるよ」と呑気なことを言う。自分が無理やり食べさせたとは思っていないらしい。

 彼女は僕の腕を引っ張って、「寝てたら勿体無いよ。せっかく隣の部屋には誰も居ないのに」と、僕の上体を起こす。その通りだ。カレーを食べに来たんじゃない。当初の目的を思いだし、僕はあらたまって、その場に正座した。

「至らない点もあると思いますが、よろしくお願いします」

 そんな僕を久美子さんは笑い飛ばす。

「すぐそうやって、へりくだる。こないだも、完璧だったのに」

 話が見えない。けれど久美子さんには見えているようで、彼女はスマホを弄りだす。

「征二が『次回はアニソンをやる』って言ったときはどうかと思ったけど。こうして聞くと懐かしいね。いい案かもね」

 久美子さんのスマホから聞き覚えのあるメロディーが流れる。そして僕にスマホを渡す。

「ほら、歌詞も調べておいたよ。陽菜ちゃんも居てないし、気にせず歌って」

 僕は言われるがまま熱唱した。こんなに昂ぶって歌うのは受験のとき以来だ。あの頃はストレス発散のために歌っていたけれど、今宵は煩悩を放熱するために歌う。久美子さんのおかげで、たくさんの曲を短期間で覚えることができた。


 二回目のライブは一月三日。正月がまだあけていないので、駅前は人もまばらだ。クリスマスライブは補習帰りの女子高生のおかげで、出だしから人だかりもできたが。近隣の大学や高校はまだ始まっていないので、今日は開始から三十分経っても誰も立ち止まってくれない。

 曲が終わったところで、征二君がギターを置く。

「暇なうちに、ちょっと休憩しようぜ」

 久美子さんは身を縮めながら「今日はもう帰った方がよくない?寒いし」と言う。

「アホか。客が来るのはこれからだ」

「自信満々だね、バカのくせに」

 僕は、アホバカ言い合う二人を制し、話をまとめた。

「この近くの公園でラグビーの試合をやっているんです。試合は三時半に終わるから、それ以降なら人が流れてくると思います。征二君は試合のことを知っていたから、今日にしたんですよね?」

 征二君は目を見開き、「そういうことだ」と言って久美子さんを威嚇する。僕は久美子さんを落ち着かせるためにも、「甘いものでも食べて休憩しましょう」と提案した。

 僕は征二君と久美子さんを残し、コンビニへ買い出しに行った。久美子さんが好きなロールケーキと三人分の缶コーヒーをカゴに入れていると、背後から「すみません」と呼び止められた。振り返ると。マネキンのような背格好の白人男性が、流暢な日本語で「そこでアニソンを歌っていた方ですよね?」と言う。

 さっきまでアニソンを歌っていたから、てっきりアニメ好きの外国人が話しかけてきたのだと思ったが。手渡された名刺には『佐藤吉男』『スタイリスト』と書いてある。僕は再度、彼の顔を見た。彫りの深い目元には黒い瞳がある。外国人ではなくハーフなのか。

「心斎橋にあるサロンでスタイリストをしている佐藤といいます。お連れの女性について、お尋ねしたいのですが…」

 連れの女性とは久美子さんのことで、要はナンパだろう。僕は彼氏だから、久美子さんに報告せず、ここでお引き取り願っていいわけだが、小心ゆえできない。「彼女はそういうの、嫌いですよ」と言うのが精一杯だった。

「そういうのって?」

「だから、ナンパでしょ?」

「ガールハントじゃなくて、モデルハントなんです。僕のカットモデルになって欲しくて」

 ナンパでないなら、僕が勝手に断るわけにもいかない。そんなことをすれば信頼関係に障る。

「それなら僕を通さず、直接聞けばいいですよ」

「そうなんですけど。あの、隣にいる男性は彼氏ですか?」

 そう言って、美容師は店外を指差す。コンビニのガラス窓の向こうで、征二君が煙草をふかし、久美子さんはスマホを弄っている。ここから見ていても、険悪な雰囲気だと分かる。

「あの二人はそんなんじゃないですよ」

「そうですか。彼氏がいる場でモデルのスカウトって、やりにくいですから。ちょっと確認したくて。ありがとうございました、助かりました」

 そう言って、美容師はそそくさとコンビニを出る。そうして本当に久美子さんに声をかけている。ナンパじゃないにしても、相手はハーフのイケメンだ。気が気でない。僕は慌てて会計を済ました。

 久美子さんのもとへ駆けつけると。彼女は美容師の言葉に熱心に耳を傾け、既に名刺を握りしめていた。僕に気づくと、久美子さんは美容師との会話を一旦やめ、名詞をバッグのポケットにしまう。美容師は僕を一瞥すると、再度、久美子さんに向き直り、説得を試みる。

「お店のホームページを一新するんです。僕のプロフィール欄の下に、カットした写真を載せます。そのモデルです。コンクールのモデルとは違いますから、拘束時間も短いと思います。一度、考えてみて下さい」

 久美子さんは暫しの沈黙のあと、口を開いた。

「分かりました。いつまでに、お返事したらいいですか」

 僕はてっきり、この場で断るものだと思っていたから、彼女に裏切られた気になった。美容師が立ち去ったあと、僕は買ってきたものを二人に配った。その後も動揺を隠すのに必死で、久美子さんに話しかけられても、目を見て会話ができなかった。表面上、寮生でしかない僕が、カットモデルの件で動揺するのはおかしい。そうは分かっているけど、冷静でいられない。

 その後。征二君の思惑通り、ラグビー観戦を終えた客が流れ込んできた。客層は前回と打って変わって男性が圧倒的で、大ヒットしたアニメ映画の主題歌を歌うや歓声があがり、大合唱が起こった。運良く、この日も無事にライブを終えることができたが、美容師の登場で僕と久美子さんの間に波風がたった。


 夕飯後、彼女の部屋を訪ねると。僕が来るのを分かっていたようで、テーブルには既にマグカップが二個並んでいた。僕らは横並びに座って、黙って紅茶を飲んだ。お茶請けは沖縄土産の紫芋パイだ。久美子さんの友人が沖縄出身で、年末の帰省土産としてくれたらしい。

 僕らはそんなような、たわいのない話を暫く続けた。僕も久美子さんも本当に話したいことを話さず、上っ面な会話を続けているものだから、お互い不自然な口調になる。大した内容の話でなくても、大げさに相槌を打ったり、感心を寄せてみたり。けれど無味乾燥な会話というのは長く続かないもので、会話は途切れ、室内は静まり返る。

 久美子さんは立ち上がると、机の引き出しから何かを取り出す。僕の隣に戻った彼女の手には例の名刺があった。久美子さんはそれをテーブルに置き、スマホを僕に見せる。

「ちゃんと調べたよ。その名刺に書いてあることは全部本当だったよ」

 ホームページを見ると、昼間会ったイケメンハーフが、チーフスタイリストとして紹介されている。そしてチーフスタイリストの下にはショートカットの女性が掲載されていた。

「この人に代わって、久美子さんがここに載るってことですか?」

「そういうことだと思う」

「こんなに露出するんですか?」

 モデルの女性は両肩と鎖骨が見える程、襟のあいた服を着ている。

「その人はショートカットだからじゃない?首周りを見せた方がカットは際立つし。それにしても。この人、ホントにショートが似合うね。首が細くてデコルテも綺麗」

「僕もそう思います。だったら、ずっとこの人を起用すればいいんですよ!久美子さんじゃなくたって、いいでしょ?」

「その言い方は、ちょっと傷つくなぁ」

 久美子さんは苦笑する。

「私、カットモデルをやってみたい。やってもいい?」

「僕に許可を取るようなことじゃないでしょ…」

「だって、全然納得してないじゃん」

「…まぁ、そうですね」

「この店、凄く有名らしくて。カット料金も高いし、気軽に通えるような美容室じゃないよ。それを無料で切って貰えるわけだから、悪い話じゃないと思う。女の子がさ、プロにヘアメイクして貰って、写真まで撮るのって、自分の結婚式くらいだよ。結婚式はお金を払うけど、今回はタダだし。やってみたいよ」

「…今回だけですよね?ホームページの刷新ってことは、撮影は店内ですか?」

「たぶん」

「店ってことは、このハーフ以外に従業員がいて、二人きりじゃないってことですよね?」

「そうだけど。そんなことを気にして、反対してるの?」

「当たり前でしょ!」

 感情的になった勢いで、握っていたマグカップを力任せにテーブルに置いた。そのせいで、大きな物音がする。僕は物騒な物音を立てたことを謝った。彼女は僕が怒鳴ると思っていなかったようで、顔を引きつらせている。

 嫉妬やら心配やらが綯交ぜになって、抱えきれなくなった感情を爆発させてしまった。情けないのと、この場を治めたいのと、独占欲が相まって、僕は彼女を力任せに抱きしめた。久美子さんは抵抗しない。それをいいことに、僕はそのまま彼女を押し倒した。

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