第13話 三位一体

 初ライブはクリスマスイブに決まった。これを言いだしたのは征二君で、彼なりの根拠は色々あった。まず、クリスマスイブだけに駅前はいつもより賑わい、チップが稼げるであろうと。チップが貰えるのは有難いが。路上ライブ初体験の僕からすれば、初回早々、大勢の前で歌うのは敷居が高い。けれど征二君はイブだからこそ、初心者におすすめだと言う。イブに合わせてクリスマスソングを中心に歌っておけば、お客さんの反応もまずまずだろうから、と。

 征二君の示す根拠に納得したものの。クリスマスイブ当日に久美子さんとデートできないことが気がかりだった。僕はライブを回避できないものかと、征二君にそれとなく進言した。

「イブは彼女と過ごさなくていいんですか?彼女から怒られませんか?」

「クリスマスを一緒にすごしたことなんか、ないぞ」

「征二君はそういうの、興味がないんですか?」

「ケーキ屋で働いてるからなぁ。その時期は電話にも出ないぞ」

 征二君の彼女が働いているのはルビアンだった。僕が苦手とする、帽子をかぶったオシャレ店員の一味だったわけだ。

 イブに決行する以上、久美子さんに説明しなければならない。説明の最中、久美子さんが感情的になるのではないかと恐れもしたが、彼女に対する優越も沸いた。まさかあんな美人相手にクリスマスデートをキャンセルする日が来るなんて。自分がそんな立場にあることに、喜びと自信がみなぎる。

 しかも、これは。交際初の痴話喧嘩に発展するかもしれない。恋愛経験の拙さからくる好奇心が、それを期待してしまう。僕は既にラインを起動させるところから芝居かかっていた。そして久美子さんが電話に出るや、さも申し訳ない風に謝った。けれど久美子さんは「そんなことで怒らないよ」と僕の演技を潰しにかかるような醒めた物言いをする。僕は『デートを断る彼氏』を演じる気満々なのに、彼女はそもそも恋愛ドラマをやる気がないようで、波風が全く立たない。

「そんなことでは怒らないけど。来るなって言われてもライブは見に行くよ」

「そうですね…その方が心強いです」

「大垣君、大変だね。歌は覚えなきゃいけないし。生徒さんが冬休みに入るから授業も増えるし」

 僕は久美子さんに言われて気づいた。確かにそうだ。しかも十五曲覚えるだけではすまない。カラオケボックスに行って練習だってしないといけない。

 それからの二週間は大忙しで、歌を五曲覚える毎にカラオケボックスに行き二時間かけて練習した。それを三度繰り返した。三度目が終わり、クタクタになって帰宅し、溜まっていた洗濯物を干して死んだように眠った。 

 そして翌日は教え子の家へ向かう。授業を終え、寮に戻ると、昨夜干した洗濯物がきれいに畳まれ、ベッドの上に置いてあった。久美子さんが合鍵を使って来ていたようで、流しに散らかっていた食器もきれいに洗って棚に戻されていた。そして机の上には『ガンバレ』というメッセージと共に、栄養ドリンクが二本置かれていた。僕は栄養ドリンクを飲みながら久美子さんに御礼のメールをした。返事はすぐに来た。


[ おつかれさま。こないだ肉を御馳走になったし。

   プレゼントは無くてもいいよ ]

[ じゃあ、プレゼントは『僕』ということで、いいですか? ]


 予てより、僕は今後の進展が気がかりだった。このまま順調に進んでいけば、いつかそういう間柄になるわけだ。彼女はそれについてどう思っているのだろう。それを確かめたくて、冗談にかこつけて、こんなメールを送った。彼女がどんな反応をするか気が気でなかったが、悪い妄想をするよりも先に返信があった。


[ 全然いいよ。大垣君の歌、楽しみにしてるから ]


 久美子さんは、僕が送ったメールの趣旨を読み違えている。『プレゼントは歌で返す』という風に受け取ったようだ。いや、もしかしたら。こないだのミニスカートのときのように。僕の下心に気づきながらも、素知らぬふりをしているのかもしれない。いずれにせよ、ドン引きされなかっただけ良しとしよう。僕はこの件に関して、これ以上の深追いはしないことにした。

 久美子さんの応援もあり、曲は全て覚え、練習もばっちりだった。ところが、ライブ二日前になって大問題が浮上した。人前で歌うときの、立ち振る舞いが分からない。僕はギターを弾くわけでもないし、ミュージシャン志望じゃないから、マイクパフォーマンスなんてできない。

 ネットで『路上ライブ』と検索してみると、いくつかの画像が引っかかった。それらの多くは路上に座り込んでギターを弾き語るか、スタンドマイクを立て、それらしく歌っているものばかりだった。どの画像を見ても真似できそうにない。

 その上、何を着ればよいか分からない。画像の中の人々は、思い思いのファッションをしている。Tシャツにデニムの人もいるが、そもそもギターを弾いているので、それだけでサマになる。ギターも弾けず・容姿も悪く・お洒落でもない僕が。マイクパフォーマンスもせず。ただそこに立って、歌い始めるのはハードルが高すぎる。

 越えられないハードルに身悶えしていると、久美子さんから電話がかかってきた。

「お休みのところ、電話してごめん。やっぱり、ちょっと話がしたくて」

 恐縮する彼女を遮って、「そんなことより、絶望的です」と訴えた。僕が衣装とマイクパフォーマンスの件を相談すると、彼女は親身になって聞いてくれる。

「カラオケとは違うもんね。人前に出るとなると、そういうところも気になるよね。着てみたい服ってあるの?」

「とにかく、私服じゃなかったらナンでもいいです」

「私の友達がバンドやってるけど。メンバー全員で白衣に黒縁メガネをかけてたよ。まぁ、でも征二が反対するだろうけど」

「どうしてですか?」

「アイツ、病院嫌いだから。白衣なんて着ないよ」

「それならホームセンターで作業着でも買いましょうか?ありがちですけど…黒いツナギを着たら、バンドっぽく見えませんか?」

「作業着って結構高いらしいよ。さっき話した友達も、『作業着を買えなくて白衣にした』って言ってたし。安くて、衣装みたいな統一感が出るものって…古着とか?でも、古着屋さんをまわる時間もないしね」

「古着屋なら、一軒、知ってますよ。場所もここから近いです」

「そうなんだ。って…私が言っている古着屋とリサイクルショップは別物だからね」

「大丈夫です。オシャレに疎くても、それくらいの識別はできます。一昔前に、凄く流行った古着屋なんです」

「らしいって、行ったことはないの?」

「その店が全盛期のころ、僕は小学生でしたから。叔父がカラオケボックスを経営していたんですけど、古着屋もやってたんです。もしかしたら、少しは安くしてくれるかもしれません。明日、行ってみませんか?」

「私はいいけど。征二がなぁ…」

「征二君には僕から話してみます」

 久美子さんとの電話を切り上げるなり、僕は征二君の部屋へ押しかけた。征二君は風呂上がりのようで、パジャマを着ていた。意外なことに。彼はパジャマの裾をズボンの中へ入れている。僕が腹部に注視しているのを察してか、征二君は恥ずかしそうに答える。

「腹が弱いんだから、仕方ないだろ。それより、どうした?」

「ライブをするにあたって、衣装を用意したいんですけど。征二君は明日、空いていますか?」

「衣装なんか要らんだろ。どうせ久美子が言い出したんだろ?。アイツに振り回されてたらアカンぞ」

「いや、言い出したのは僕なんです。私服で歌うのが嫌で…」

「なんだ、意外と目立ちがりやか?」

「…自分の私服が恥ずかしいんです。それが気になって、歌えなかったら駄目だし」

「そういうことなら、いいけど」

 征二君はすんなりと了承してくれた。やはり僕が説得に来て良かった。久美子さんが、この場にいたら、まとまる話もまとまらなかっただろう。


 翌日、僕は一足先に古着屋に出向いた。その店は駅から一キロ以上離れた商店街の、さらに奥まった場所にある。かつて、古着屋ブームの波に乗っていたとはいえ。こんな辺鄙へんぴなところに、よくも若者が集まったものだ。

 けれど。いざ、店の前に立って眺めてみると。適当にシャッターを切っても絵になりそうだ。店の向かいが寺院なことも関係しているのだろう。寺院の静謐さと古着屋独特の混沌とした雰囲気、それが相俟あいまって面白い。当時の若者にはこうした点がウケたのだろうか。

 九十年代の古着とカラオケブームが去ったあと。叔母は古着の買い付けをする傍ら、訪問入浴のパートを始めた。一方、叔父はカラオケ店を閉めたにも拘らず、定職につく気がなかったようで、今も店番をしているだけだ。

 店の前に自転車を止めた途端、叔父が出てくる。そして僕を見るなり、「太ったなぁ」と言う。

「太る体質なんだろうな。姉ちゃんも二十代から太ったからなぁ」

 そういう叔父は以前より一回り痩せている。叔父は僕の父と同い年だが、赤いチェックのズボンを穿き、世界地図がプリントされた白いジャケットを羽織っている。髪は薄くなったが、僕よりも若々しいヘアスタイルをしている。

「叔父さんは痩せたね」

「痩せるのが条件だったからな」

「条件?」

「定職につきたくないなら、店番しろって。服屋の店員もモデルみたいなもんだから。体型維持が大変だ」

「叔父さんて、オシャレに関心あったっけ?」

「ないよ。だから今日着てる服も、どこがオシャレなのか全く分からん。俺は店番やりながらネットショップの運営と家事をするだけ」

「家事もしてるの?」

「炊事・洗濯・掃除。弁当も作るぞ」

「だったらヒモじゃないよ。オカンの方がよっぽど怠けてるわ」

「ヒモって、姉ちゃんが言ったのか?」

 口が滑った。フォローしようにも言葉が見つからない。アタフタする僕を見かねてか、叔父の方がフォローしてくれる。

「怒ってないぞ。姉ちゃんも、そういう軽口を叩くようになったんだなって。ちょっと安心したんだ。それに家事も怠けてるようだし、良いことだ」

「良いことって、どういう意味?」

 叔父は僕から視線を外し、少し困った顔をする。再び向き直ると、僕の顔色を窺うように探り探り言葉を発する。

「今でこそ太ってるけど、一時は骨と皮だけだったから。覚えてるか?」

「痩せてたことは覚えてない。でも、おかしかったのは覚えてる」

 幼少のある時期。僕は両親から離れ、祖父宅で生活していた。祖母からは『ママは風邪をこじらせ、入院している』と聞かされた。僕はそれが嘘だと気づいていたが、『分かった』と答え、何も知らないふりをした。

 幼児の僕から見ても、母はあきらかにおかしかった。僕が何をしても叱らなくなったし、泣くか笑うかの毎日だった。祖父宅で過ごす間も、母が戻ってくる気がしなかった。

 そして。僕が龍を見たのはこの頃だ。母が入院した後、僕は祖父宅で確かに龍を見た。けれど。精神のバランスを欠いた母の影響で、幼い僕もそんな幻覚を見ただけかもしれない。それもあって、これまで他人に話せないでいた。母の負の部分に触れるのが嫌で、父にも龍の話はしたことがない。恐らく父にとっても、忘れたい過去だろうから。

 目の前の叔父は僕を気遣って、探り探り言葉を選んでいるが。こちらとしては、この話を切り出してくれたことが、むしろ有難い。悲しい思い出ではあるが、僕ら家族に何があったのか知っておきたい。

「なんとなくは分かってる。オカンは普通じゃなかった。あれは…産後の肥立ちが悪いってヤツ?僕を生んだから…」

「そうじゃない。順治のせいじゃない。まぁ、最初はみんなそう思ってたんだ。初産だったし。姉ちゃん…突然、発狂してな。そのまま三日間、意識が戻らなかったんだ。四日目に意識は戻ったけど、回復する気配がなくて。どんどん衰弱していったんだ。でも検査しても、どこも悪くない。医者もお手上げで、最後は坊さんに頼るしかなかった」

 心も体も図太い母が、こんな壮絶な体験をしていたことに驚いた。過去と現在の差が有りすぎて、同情もできない。不謹慎かもしれないが、笑いがこみ上げる。

「坊さんが言うには…取り憑いてたんだ」

「何が?」

「京都の、どこかの川に住む龍神らしい」

 僕は驚きから、心臓がバクバクし、指先が冷たくなっていく。

「最初は俺も信じられなかった。オカルトなんか大嫌いだし。でもな、実の姉が…のたうちまわる姿を見たら、信じてしまうぞ」

 叔父の話によると。坊さんがお経を唱えると、母は悲鳴をあげて七転八倒したらしい。除霊は数時間かけて行われたが、なにせ、憑依しているのが龍神なので、一回の除霊では解決できなかったそうだ。そこで複数の僧侶で数日間にわたって経をあげてもらい、最後に、母の髪を切って束ねたものを川に流し清めたそうだ。そこまでやって、母はようやく生気を取り戻したらしい。

 坊さんの話では。取り憑いていたのは数年前からで、つまり、僕を身篭っているときから、龍もいたそうだ。

「まぁ、こんな話をされても信じられないと思うけど」

「いや、実は…龍を見たことがあるんだ」

「いつ?」

「じいちゃんの家で生活しているとき。だからオカンがおかしかった頃と重なるんだ」

 僕が龍を見た状況を説明すると、叔父は食い入るように話を聞く。叔父も僕と同じで、誰かに自分の体験を肯定して欲しかったのだろう。不思議なもので。僕は叔父の体験を裏打ちする存在で、叔父もまた、僕が見たモノの生き証人なのだ。

 叔父と僕がこの十数年のモヤモヤをすっきりさせたところで、征二君がやってくる。意外にも、征二君は丁寧な挨拶で叔父に接してくれる。

「久美子さんはどうしたんですか?」

「俺と久美子が一緒に来るわけないだろ?どこかで迷ってるんだろ」

「ちょっと、その辺を見てきます」

 と言いかけたところで、久美子さんと義理叔母がこちらへ向かってくるのが見えた。叔母は顔を合わせるなり「久しぶりね。太った?」と叔父と同じことを言う。

 久美子さんは道に迷っていたところを叔母に助けられたそうだ。

「若い子がうろつくようなところじゃないからね。もしかしたらウチのお客さんかと思って。声かけたら、順次君の友達って言うからビックリした」

 叔父には昨夜、電話で一通りの事情を話しておいたのだが、叔母の口調からして、叔父は今日のことを伝えていないようだ。

 僕が説明しようとすると、それを遮るように叔母が口を開く。

「久美子ちゃんから聞いたよ。ライブの衣装でしょ。選ぶの手伝うわ」

 手伝ってくれるのは有難いのだが、肝心なのは値引きをしてくれるかどうかだ。親戚とはいえ、お金のことだけに切り出し難く「助かります」としか言えなかった。

 叔母は久美子さんにミニスカートをあてがいながら「似合うね」と嬉々としている。そして、あっという間に彼女の全身コーディネイトをこしらえた。久美子さんの方も気に入ったようで、「もう、これにします」と言って買う気でいる。叔母は次に征二君の服を選び出した。征二君は久美子さんと違い、叔母に注文をつけた。彼は手にした緑のカーディガンをかざして、「これが着たい。あとはおまかせで」と言う。

 叔母が選んだ服は普段の征二君からは想像もできないものだった。出会ったときは田舎のヤンキーにしか見えなかったのに、試着室から出てきた征二君は、お洒落な美大生に見える。

 叔母は征二君と久美子さんを見ながら、「二人共、顔が小さくて手足が長いから服が映えるわ」とうっとりしている。そこへ叔父が、

「ライブ当日に、この格好でフライヤーを配ってもらったらどうだ?宣伝してもらう代わりに、衣装は無料でレンタルということで…アカンか?」

「この二人が配ってくれたら、何人かはウチの店に興味をもってくれそうね」

「二人ってことは、やっぱり僕は自腹ですか?」

「もちろん順治君のも無料で提供するよ。なんでそんなこと言うの?」

 叔母は不思議そうに悲しそうに言う。

久美子さんと叔父は僕のコンプレックスを察しているので苦笑いする。征二君は面白がって「良かったな、順治君」と言いながら、僕の背中をバシバシ叩く。

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