第5話 〈本棚〉

  駅からすこし歩いたところ、二人は区立図書館に到着する。

  こぼれた墨汁を連想させる黒の壁と、歩道に植える木々を反射するガラスが微妙なコントラストになり、読書しにくる人たちを気怠げに迎える。このあたりはシンプルなデザインの一戸建てばかりなので、この図書館が割と目立つほうだが、都内にある建物だと、誇らしげに地方の建物に言えることはないだろう。

  「築50年らしいよ」

  と鷲尾七海はスマホの画面を見つめながらぽつりと言った。

  「そうなんですね」

  父よりも年上なんですね、というのは佳乃の本音だった。

  鳥取にいる時住んでた一戸建ては兄がちっちゃい頃にできた物件だし、母と二人暮らしのマンションもせいぜい築20年だから、そもそも築50年の建物に入るってのはけっこう新鮮な体験である。

  玄関を上がったら和服の女性が出迎えてくれそう。

  逆さまのL型の壁の下をくぐり抜けて、二人はメインロビーに入った。室内は外で見た感じよりひろい。読者様が求めるあらゆる分野の本を勢揃いしてます、と言わんばかりのひろさである。

  何らかの作業でパソコンの画面に集中してる、見た目25歳前後の女性スタッフが居座ってる受付デスクを通りすぎて、二人は図書エリアの前に立ち止まる。自分も25歳になったらこんな風に仕事しているでしょう、という疑問が一瞬で頭の中に浮んでても、目の前にそびえ立つたくさんの本棚に、佳乃はただただ圧倒されそうになった。

  両手を左右から同時に引っ張られ引き裂かれそうでも動けない。そんな感覚だった。

  「すごいね、ここ」

  鷲尾七海も図書館に来るのが初めてらしくて、目を大きく見開いて感嘆する。

  「佳乃ちゃんはどんなのがいい?」

  「え?私ですか?」

  どんな本がいいのでしょう。佳乃自身もよくわかない。「ホン」という響きを耳にしても、タバコの臭いで充満する部屋に、びっしり詰まっている本棚から本をとりだし、明日までこれを読みなさい、と厳しい表情で言いながら、佳乃にそれを渡す父の面影しか思い浮かべない。渡された本のタイトルを思い出せない。タバコの煙で目がチクチクして、表紙に乗せたタイトルは霞んでるように見えて、うまく読み取れなかった。

  「特に決めてませんが」

  「そうか、じゃちょっとそこらへんにブラブラして、適当に選んでみようか」

  「うん」

  二人はまず、子供向けの絵本がいっぱい置いてあるエリアに入った。本棚にもたれて座る母親と、その懐にゾウさんとウサギさんが描かれた絵本を読んでもらえている四歳ぐらいの女の子の姿が見えた。女の子の目はギラギラさせながら、佳乃は、お母さんにも、父にも、そんなことをしてもらったことはなかった。

  そもそも一緒に住んでなかったお母さんのことはともかく、父にしてもらうことはまず不可能である。部屋の掃除に怠ってしまい、首を絞めつけられて家の二階から一階まで引っ張られる時から、佳乃はわかったんだ。優しい父の懐をふれることはきっと死ぬまでできるはずがない、と。

  お前は女ですらない、メシをただ食いして泥沼に転がるタダのメス豚だ、と怒鳴る父の顔を思い出すと、目の前に座る親子に睨めつけられる気がしてきて、佳乃は素早く目をそむける。

  『シンデレラ』

  お兄さんの部屋にこっそり読んだ絵本の中に、それがあったような気がする。継母と義理のお姉さんたちにいじめられる日々を続けてきたシンデレラさんが、ある日素敵な魔女さんと王子さまと出会って、やがて幸せになる話、かしら。

  それを読んでいた時か、違う本を読んでいた時か、はっきり覚えていないけど、ドアの開いた隙間から父に見られて、なぜお前はシンゴの部屋にいる、と大目玉を食らってしまった。ビンタを二回された。絵本も、お兄さんのものにもかかわらず、無情に引き裂かれた。

  そのあと、なんで勝手にオレの本を読むの?お前のせいで壊れたじゃないか、とお兄さんにも怒鳴られて、背中に追加の蹴りを食らった。

  そのころから、佳乃はなんとなく童話のメルヘンチックさを嘘だと思いはじめた。血縁があってもイジメるし、魔女さんも王子さまも現れなかったから。

  気がつくと、七海は本棚から一冊の絵本をとりだした。

  「こういうのは、ないな」

  と苦笑いながら戻した。

  「佳乃ちゃんは文学とかが読みたいよね」

  「はい」

  本当は早くここから離れたいだけ、という本音を押し殺しながら、七海に手を引かれて、別の本棚に移動した。

  「佳乃ちゃん、大丈夫?」

  「ええ、大丈夫です」

  「さっきの親子がどうかしたの?」

  この子の鋭さに一瞬ゾッとした。

  「いいえ、ああいう風にお母さんに読んでいただけるのが、少々不思議だと思いまして」

  「佳乃ちゃんのお母さんはどうやって読んでいたの?」

  「母には読んでいただけませんでした」

  「そう、じゃあ父は?」

  「父にも」

  「そうなんだ」

「鷲尾さんは?」

  「うん?私?そうね。読んでもらったわ、外国の絵本とか」

  「お母様にですか?」

  「そうだよ」

  「どんなお話を読みましたか?」

  「分からない。なんか英語で読んでいたから」

  「お母様はお得意ですか、英語?」

  「全然。当時五歳のわたしが応援したいほど下手だった」

  「では、どうして?」

  「さあ、なぜでしょうね。もう、なにを読んでいたか、全然わからなかった。だけどね、日本語で読んで、ってお願いもしなかった。なぜでしょうね。不思議だわ」

  「そうですか」

  「バッカみたいだね」

  「お母様のことが好きですか?」

  「どうだろう。少なくとも嫌いという感情はなかったわ」

  「絵本のお話は面白かったですか?」

  「どうでしょう。お母さん、難しそうな顔してた。面白くなかったかも」

  この子と会話をすると、いつもこうなる。この子が言ったことに、とりあえず質問をしたい、なんて返事をするかをドキドキしながら待つのに、いつもスリル以上のある種の感情のループに浸ってしまい、身が抜け出せなくなる。もっと聞きたい、という純粋で、だけど佳乃が今まで感じなかった気持ちにもなる。

  もっと話聞かせてください。    

  「あっ、このへん文学とか多いんじゃない?」

  と七海は目の前に並ぶ本棚の一番上の段を、額に手をかざして眺めながら言う。図書館の奥に進んだせいか、たしかに児童書エリアと比べると、すこし暗みが増した。文庫本が一筋の光も通さぬと言わんばかりに、ビッシリと本棚に並んでいる。

  五十音順で並ばれる作者名に目を走らせながら、知らない人の名前がたくさん出てくる。大正時代以後の文学はあまり読んだことがないため、いまどきどんな作品は流行っているか、全然わからないのだ。タイムスリップをでもしたような気分になりそう。

  「じゃ、あたしあっち見てくる。あそこの席のところで集合しよう」

  七海は逃げんばかりの勢いで、戻される文庫本のように本棚と本棚の間に姿が見えなくなる。すぐにでも追いつきたい気持ちだけど、図書館の中に走るのもマナー違反だそうで、佳乃は戸惑いながらも、目の前の本棚から本を探り始める。

  作者名を沿って探れば、必ず自分が昔読んでた名前が出てくると思ったけど、いつまでたっても知らない名前ばかりで。目の前には、自分の知らな世界が勝手に一面に拡張したあげく、その情報量の重さに地面が徐々に沈下し、佳乃が一人で山の頂上に取り残されて、ドンドン呼吸が重たく感じるようになる。気づけば周りに見えるのは無情であるほど真っ白で、絨毯のような曇である。登山したことなどもちろんないけど、何となくそんなイメージが頭の中に勝手に広がる。 

  指を並列する文庫本の背に滑走させてみる。ちょっぴり冷たい感触は触り心地いいけど、どこか現実感を欠けている。佳乃はやがて、五本の指を全部載せてみる。一つ一つの隆起の上に走るくすぐったい感触は指先より伝わり、奇妙なマッサージをされている感覚になる。

  そして、そのマッサージをこれ以上されたら指の感覚が痺れそうと感じた時、佳乃は一冊の本を取り出した。

  この空間から佳乃はただただ早く逃げ出したいと思って、佳乃は本の作者名や、タイトルも確認せずに、本棚と本棚の狭間から身を引き出した。

  席のあるエリアに着いた時、七海の姿は見えなかった。佳乃は周りに読書を集中している人たちに目を配らせながら、椅子に腰を下ろした。

  佳乃はやっと本のタイトルを確認することができた。やはり知らない人の名前だった。佳乃はページをめくってみる。今まで読んだものとはたいそう変わらない気がする。文字数が若干少ないようで、漢字の書き方も今まで読んだ本と違うようだけど、やはり本は本である。それ以上でもそれ以下でもない。

  父の本棚に、佳乃が読んだ昔のものだけでなく、やはり現代のものもいっぱい列された。だけど読むところか、佳乃がその日勉強した内容を父にチェックしてもらいに部屋に入る時だって、少しでも目が本棚に行ってしまっても、父はすぐ、集中しろ、と怒鳴ってくる。そしたら、今度本棚を見るとき、透明なガラス戸に薄く反射される自分の面影は、ここから先は行き止まりです、と言わんばかりの目つきで自分を睨み返してきた。

  今この空間に坐り、やっと父に縛られずに読書の自由を得たものの、やはりこれは父への反逆行為にしか考えられなくて、ページをめくる手が止み、佳乃は本を閉めた。七海が机の向こうの席に座ったのもその時だった。

  「お待たせ」

  と七海は声を押さえて言いながら、三、四冊ぐらいの本を机の上に置いた。それからポン、ポンという音を出しながら椅子の位置を調整した。

  「それは?」

  佳乃は七海が選んだ本を指さして聞いた。見るからにはカラフルな表紙であり、異様に目の大きい女の子の絵が描いてある。

  「ラノベだよ、さすがこれを宿題に使わないけど。」

  「らのべ、ですか?」

  知らない単語を聞いて、佳乃は思わず首を傾げる。

  「そうだよ。佳乃ちゃん、読んだことある?」

  「お恥ずかしながら、読むところか、どういったものなのかも知りません」

  「嘘ッ!?佳乃ちゃんのことだし、読まないのは納得するけど、まさか存在自体すら知らないとは」

  七海は声を抑えつつも、やはり目を見開いた。

  「すみません。私、一昔前の文学しか知らなくて」 

  「いえいえ、謝ることないよ。むしろ佳乃ちゃんには、それくらいイメージにあってるよ」

  「イメージですか?」

  おかしい。自分でもイメージていうものを掴めていないのに、この子が分かっているように、ズバッとその単語を口に出せる、という事実に佳乃は驚かざるを得なかった。

  「私って、どのようなイメージでしょうか?」

  「えっと、なんていうか。物静かなのに、すごいことを言ったり、いつも考え事をしたり、でもそれでなんか答えをだそうというわけでもないていうか。そうだね。むつかしいね。ラーメンを食べ終わったら、スープを全部飲むか飲まないかをガチで悩みそう、みたいな?」

  一人でラーメン屋に行ったことがないから、七海の言葉を聞いても、それはうまく自分の中でちゃんとした文面として成り立たないけど、そういう困惑もひょっとしたら七海が言った「考え事をしたり、でもそれでなんか答えをだそうというわけでもない」を表しているかもしれない。

  「ね、佳乃ちゃんってなんでそんなむつかしいもの読むの?」

  話題をぐるりと変わり、七海は机に伏して、上目遣いで尋ねる。それも嫌味とか、嘲りとかではなく、単純に気になっているような口調で。

  どうしてでしょうね。

  そんなこと、佳乃自身が聞きたいくらいである。

  読書という行為を、他人の思想を吸収する過程として意識し始めたころから、佳乃は自分で本を選ぶことを許されなかった。家庭教師が帰ると、いつも父が分厚い本を持ってきて、これを全部読みなさい、と命ずる。佳乃も、本の内容を理解できなくても、父に言われたから仕方がない、と自分に言い聞かせつつ、冷蔵庫から取り出した冷たいご飯の粒々を食べるように、文字を一文字ずつ読んでいた。

  父がいなかったら、もっと別の本を読んでいたかもしれないし、そもそも読書という行為が自分に発生しなかったかもしれない。

  「私もよくわかりません。私は自分で自分の読書の分野を選んだことありませんから」

  「そうなんだ」

  七海はなにかを考えげに頬杖を突いて、天井を見つめる。

  「じゃあさ」

  なにか閃いたようで、七海はいきなり机の上に身を乗り出して、佳乃に囁く。

  「ラノベをチャレンジしてみない?」

  「ラノベを、ですか?」

  あまりにも自分の知らない領域なので、佳乃は思わず耳を疑う。

  「そう、読みやすいし、入りやすいんだよ。読んでみな」

  七海が差し出した一冊のラノベを手に取る。表紙には活発そうな女の子の絵と、物凄い長いタイトルが印刷されていて、とにかくカラフルさは印象的である。ページをめくってみる。やはり自分が今まで読んでいたものと比べれば文字数が少ないし、会話も多い。でもやはり、ラノベという名前を付けられても、本は本であり、それ以上でもそれ以下でもない。

  「これは、どう面白いのですか?」

  「ええ、面白いよ。キャラとか、ストーリーとか」

  「具体的には?」

  「具体的に?そうね」

  七海はもう一冊のラノベを手に取って、ページをめくりはじめる。その表紙には、鎧を纏った凛々しい銀髪の少女の絵が描いてある。

  「ここのバトルシーンとかめっちゃカッコいいんだよ。ヒロインの子はね。あ、フィア姫ていうんだけど、ドラゴン族と人間のハーフで、戦うとすごく強くて、でも普段は恥ずかしがり屋で、照れてる様子すごく可愛くて。それでね、それでね」

  音量を抑えているつもりだし、言葉の内容も佳乃はまったく理解できないけど、語りはじめると、七海の表情は明らかに変化し、ラノベに対する物凄い情熱が感じられる。佳乃には、こんな風に自分がなれるとは思わない。父に指示された本しか読まない自分には、永遠にこの情熱を理解できない。

  「佳乃ちゃん?」

  いきなり語るのを止めて、七海は佳乃の顔を窺う。

  「どうしたの?そんな憂うつな顔して。あっ、ひょっとしてあたしが盛り上がりすぎて引いてる?」

  「いいえ、決してそのようなことを。ただ、少し羨ましいです」

  「羨ましい?」

  「はい。私はそんな風に、好きなことを夢中になることは絶対にできないと思って」

  「佳乃ちゃんは、読書して楽しくならないの?」

  「はい。私にとって読書は、文字の並びを記憶することに過ぎませんでしたから」

  思いきってそれを言ってしまったけど、そのあと何を言えばいいのか、佳乃には全然わらないのだ。七海も反応に困っているらしく、席に嫌な沈黙が生じる。佳乃は顔を俯き、さっき七海に渡されたラノベの表紙に描いた活発な女の子にじっと見られる。

  お前、なんでここに平然と座ってるの?

  と皮肉めいた口調で言ってるようだ。椅子のクッションがとげとげしく感じる。

  「あの、私」

  佳乃が再び顔を上げた時、七海が上半身を机の下に伏せた。何をしているのかと疑問に思ったら、七海はいきなり右足を机の上にのせた。靴は脱いだ。そして勢いづいて左足ものせて、あわよくば天井でも突き出しそうな勢いで完机の上に立っていた。

  驚きのあまりに言葉の一つも出てこなくて、佳乃は呆然と目の前で机に立った少女を見つめることしか出来なかった。こっちに気付いてもの怪しげに見ている人もいれば、本からまったく目を離さない人もいる。

  七海は深呼吸をする。よく見れば、その手には、さっき佳乃に語ったラノベが持っている。

  「さあ、我が聖剣デュランダルの前で跪けなさい、この俗物!」

  その瞬間、七海の体が別人の魂に乗っ取られたように、その口から発する声は明らかに佳乃が知っている鷲尾七海のものではない。女子高校生ではなく、今自分の目の前に高々と宣言する人の姿は、まるで世を支配する帝王に見えた。だけど、その帝王は至高の力を有するものの、どこか心細くて、寂しいところがある。だから、力で他人をねじ伏せながら、言葉の強さで自分を惑わせる。

  図書館に七海の声がまっしぐらに響きわたり、本に集中する面々が一斉に顔を上げて、視線を無数の矢のように七海に向けて射た。七海がそれを払い落とすの如く、今度は本を持たない方の手を高く持ち上げる。

  「あら、よくぞここまで辿り着いたはね、坊や。だが、あなたが踏ん張って歩んできた分、あたしが全部踏みつぶしちゃうわよ」

  声はガラリと変わる。今度は夜の街を支配する花魁の顔が佳乃の中に浮かんでくる。遊女は男に楽しませる、遊ばせる職業だと言われるけど、花魁の圧倒的な魅力の前で、本当は男たちこそが支配されるほんなんだ、と佳乃はいつもそう感じてしまう。この女がいなかったら、男たちの魂はきっとお化けにでもとられるじゃないか、と。

  「そうだ。オレはもう、一歩も引かない。みんなのところに行きたければ、オレの屍を踏み越えてみせろ!」

  また変った。今度は馬に跨る武士の勇姿が目に浮かぶ。だけど、戦場にはもう自分以外の仲間が後退して、傷だらけの武士だけが一人戦場に取り残されてしまった。それでも、武士は仲間たちに時間を稼ぐため、何百人もある敵軍に一人で挑もうとする。戦って誰かを守る意思も、自分だけ仲間と一緒に逃げなられなかった悔いもない、武士はただ馬に跨って、槍を降りおろす。それ以外に、悟られた死の運命に立ち向かう姿勢を知らない。

  このようなドラマが、走馬灯のように佳乃の目の前に展開した。息ができない。ここで息をしたら、父に見つけられて、またあの家に連れ戻される気がする。人生で初めて、あの家に住んでたことが嫌って感じた。帰っちゃ嫌。七

海から離れちゃ嫌。この素晴らしいドラマを永遠に見ていたい。

  

  その後すぐ、二人は図書館のスタッフに追い出された。宿題どころか、本を全然読めなかった。

  「はあ」

  七海はしゃがみ込んで、ため息をついた。

  「やっちゃった。とうとうやっちゃったあたし。もうお嫁に行けない」

  太ももに顔を埋めて、どんな表情なのか確認できないけど、だいぶ落ち込んでいるのがわかる。

  目の前にしゃがみ込んでる七海を見て、佳乃は突然この子を見下ろす行為に途轍もない罪悪感を感じた。

  佳乃は地面に跪き、七海の頭を両手で包んで、そっと持ち上げる。二人の視線がゼロ距離でピッタリと合った。七海の澄んだ目に、自分の息が奪われれそう、だけど、佳乃はここで言わなければ、ドラマが永遠に幕を閉じる気がする。

  「また、読んで、いただけませんでしょうか?」

  「えぇ、まだ聴きたいの?もう、勘弁してよ、佳乃ちゃん」

  幕は徐々にステージの両側から中心に引っ張られる。ダメ。

  「また、読んで、いただけませんでしょうか?」

  今度はもっと力をこめて言った。

  七海の顔に、一瞬驚きの色を示したけど、見る見るに喜びの目になる。

  「じゃあ、今度は誰にも邪魔されない場所がいいな。そうだな。今度、学校の屋上にしよう」

  「うん」

  佳乃はなにも考えずに頷いた。

  その後二人は、別の図書館に行くことなく、それぞれの家に帰った。

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