第七話

 日差しの降り注ぐ上空を覆っていたものは、雲かと思いきや飛行船だった。先入観にとらわれて上空を見てなかったけど、そこには飛行船から降り立つ十人くらいの人が。それぞれが何かを持っている。

「こっちー! こっちよー!」

 相手側の陣地から声が聞こえる。さっきでかい口を叩いていた菊地さんだ。

 その周辺に、人が上から降ってくる。一人、二人、三人…………いっぱい。

 そしてその手には、水鉄砲が握られていた。

 全員が壁の裏に隠れる。

「え、参加するの⁉」

 こわいこわい。あとだしじゃんけんじゃん。え、今からこの全員を撃ち抜かなきゃいけないの? こっちは一人しかいないのに?

「こんなの、ありなんですか?」

 壁の裏からチラチラと様子をうかがっていたあくふれだが、その表情がどんどんこわばる。

「ま、まあ、大会規定はあの一文だけだったから、ルール違反じゃないんだけど……」

 常識どこ行った。

「そこの弱小企業! お金がないのか技術力がないのかそのどちらもなのかは知らないけど、私はそのどちらも持ち合わせているのでこういうこともできてしまうのですわ!」

 姿が見えないがぎゃーぎゃーわめいているのは菊地さん。そういうお年頃なのかな。

「予選では見せておりませんでしたが、決勝ということでこれをついにお見せすることになりましたわ!」

 菊地さんは自慢話をその後も続けたが、だんだん聞くのがめんどくさくなって聞き流してしまった。

「ど、どうしましょう」

「そうだな……」

 一番の問題はここに勝たなくてはならないということ。目算で十人くらいの敵を倒すのに、正攻法ではいけない。なぜなら練習の時には三人でさえも倒せなかったから。以降複数人数との対戦はしていないし、サンプルのない中で戦うことになる。

「……どうしよう」

「まさか大群で襲われるとはな」

「新宿さんは勝つためならなんでもやるんですよ」

 あくふれはため息を一つついて、自分の持っている銃を見つめる。三勝したのはこの銃のおかげだ。小さいながらも技術力の結晶。

「うちにも技術力あるはずなんだけどなぁ……」

 あくふれが小さく呟く。自分の握っている銃も、そもそもそれを握るあくふれ自身も、またひふみの技術力によって作られたもの。頭ごなしにそれを全否定されることは、あくふれにとって自分の存在も否定されているように感じたのかもしれない。

「行きなさい!」

 対岸からはっきりした声が聞こえる。ついに新宿製菓が動き始めたようだ。壁と壁の間にちらほら人影が見える。

「あくふれ、どうするよ」

 右手であくふれの肩に触れる。

「どうするも何も、どうしようも…………」

 あくふれはそう言って視線を落とす。俺はただそれをどうにかしたくて。

「戦う前から諦めてどうするんだよ! まだ終わってないだろ!」

 ちょっと怒気を含んでしまった。

 あくふれは俺のその言葉を聞くと、一度うつむいて、それからまた顔を上げた。

「じゃあ吉永さんは何か策があるんですか? 実際に戦って勝ってきたのは私ですよ? 吉永さんは影から見てるだけじゃないですか!」

 珍しく、あくふれが声を荒らげる。

「あなたにとってひふみという会社はなんですか? 自販機にたまにあるなーですか? いきなりめんどくさいことやらされるブラック企業ですか?」

 敵の足音が近づいているのが肌で感じられる。あくふれはそんな中でも語気を強めて言う。

「吉永さんにとってはその程度の認識かもしれません。どうせこの後私たちと別れたって生活になんの影響もない。奈々さんと一切話さなくたって何も不利益はない。あなた自身には何も起こらない。でも……私は違う」

「…………」

「私にとって……あの会社は私の家なんです。私を生んで、育てて、こうして世に出してくれた家なんです。そんな家が、バカにされたり世間に叩かれたり、どうしてそんなことされなきゃいけないんですか! 私はそんなの嫌なんです! だからっ…………」

 落としていた視線を上げる。その目には、機械なのに涙のようなものが浮かんでいて。


「…………勝ちたいです」


 絞り出した一言は、並々ならぬ決意と、そして、熱を帯びていた。

「勝ちたいです。勝って、私たちも負けてないってことを証明したい。最高の会社だって証明したい」

 あくふれは左腕で両目をぬぐう。

「吉永さん、あなたは…………?」

 飛行船が飛び去った後、いつも通り夏の日差しが降り注いできた。暑さはこれまで以上に増してきているはずだが、そんなことはあまり感じなくなってきた。

「俺は…………」

 ひふみという会社を、俺はどう思っているのだろうか。

 夏休みを奪っていく存在。

 早起きを強制させる存在。

 一二三と屋上でしゃべってから二ヶ月。俺は様々な理不尽を強制されてきた。よくわからない機械と一緒に生活することになった。お嬢様の家の地下室にも行くようになった。あまりにも濃密すぎる時間が過ぎていった。

 それを、俺はどう思っていたんだろう。

 社畜みたいな生活ではある。会社のために身を削って動いていることには間違いないのだから。

 でも、それを本気で嫌だと思ったことは――ない。


 何だかんだ、楽しかった。


 お嬢様なのかお嬢様じゃないのかよく分からない庶民型お嬢様一二三と、人型スポーツドリンクあくふれ。こいつらと一緒にいるとき、楽しかった。

 練習と言う名の水遊び大会も、今こうやって炎天下でやってるのも、途中小笠原さんとかに会うのも、まだ見ぬ変態涌井さんの話も、楽しかった。

 あれ? 俺、全然嫌がってないじゃん。

「吉永さん、どうなんですか?」

 あくふれがもう一度問う。俺は答える。

「俺は――」

「吉永さん、その銃です!」

「えっ?」

 あくふれは俺の声を遮ると、俺の置いた四リットル入る大容量の銃をつかんだ。

「勝負、決めてきます」

 あくふれは走り出す。


「出てきたわ! 叩きなさい!」

 あくふれの突撃はすなわち相手のゴーサイン。菊地さんの指示で十人が一斉に突撃する。

 最初に正面に現れた金髪の相手の水をツーステップでかわす。しかし直後、右に和服が現れて放水。しゃがみこむようにしてすんででそれをかわすと、あくふれは視野外にいた一人を狙撃。

 喜んでいる暇はない。すぐさま出てきた二人組の弾をかわし、足元めがけて二発。一発は当たったもののもう一発ははずしてしまう。今まで相対してきた三人に距離を詰められる中、あくふれは一枚の壁めがけて走る。

 それを見た残りの全員がその壁の周りに集結。全員がトリガーに指をかける。

 万事休すか。

 しかし、あくふれはまだ諦めていなかった。

 また別の壁――一番中心に近い――を目掛けて猛ダッシュ。突然のことに相手は焦って撃ちはじめるが、一発も当たらない。

 ものの二秒ほどで壁に到達すると、あくふれは壁に足をかけた。

「えっ」

 垂直にそびえ立つ壁に二回足をかけて――


 次の瞬間、あくふれは壁の上に立っていた。

 想定外の事態に、俺を含めて全員が絶句。元々静かな会場が、本当の静寂に包まれる。

「行きますよー!」

 あくふれは上で叫ぶと、タンクのふたを開ける。

 そして。

「うおりゃー!」


 あくふれの持っていた銃が、空に投げ上げられた。


 足下の十人が、宙を舞うタンクに釘付けになる。

 視線の先のタンクは、二メートルほど上空で最高到達点に行く。壁の高さが五メートルくらいあるので、地上の人々からは相当高い位置でタンクが舞っていることになる。

 相手は全員集が半径二メートルくらいの場所に集まっていた。走って移動したあくふれに一斉についていったせいで、囲んでいた陣形が崩れたのだ。

 タンクが半回転。ふたが開いた面に水が渡って――

「逃げなさいよ!」

 菊地さんの叫びが届いた頃には万事休す。


 全員がいた範囲に、四リットルの水が降り注ぐ。


 静寂。

 夏空は青々と、延々と続いていて、日差しはまだこれでもかと俺らを突き刺していた。

「ひふみさんの勝ちー」

 もうお馴染みになってしまったやる気のない声も、心なしか大きかったような気がする。

 さっきまで高いところにいたあくふれが戻ってくる。

 その顔は、いつも通りの笑顔で満たされていた。

「勝ちましたー!」

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