第六話

「決勝ですね、いよいよ」

 会場入り口に向かう途中、あくふれが横から言う。仮眠をとったので少しは体が軽いのか、口調も普段に戻った。

「ここに来る前も言ったけど、気を張りすぎるなよ。もし仮に負けても、お前が全部悪かったわけじゃない。ここまで国民の信頼を失ったひふみという会社がそもそも悪いんだから」

「そう考えるとなおさら私は責任を感じてしまいます……」

「なんで?」

「だって、私はそれを打開するために作られたことになりますよね。ということはつまり、私は負けてはいけないと…………うおおおおお」

「落ち着け!」

 頭を抱えてうめき始めるあくふれ。おい一二三、どういう教育をして来たんだ。すごい社畜じゃないか。

「で、でも……」

「大丈夫だって。ここまでの勢いを見たら、負けることなんてないって。一、二回戦はともかくとして、三回戦なんてあの状況から勝ったんだ。相当な自信にならないか?」

「私…………よく覚えてません」

 お前ほんとよく勝ったな。

「でも、よくわかんなくても勝った、意識がなくても勝ったってことは自信になります。気がついたら勝負が終わっていて、気がついたら勝ってたなんて、すごくないですか?」

 ニコニコ笑顔のあくふれが楽しそうに語る。

「でも、勝負は終わってないぞ。次の決勝に勝てないと、真の勝利は得られない。商品は一位にしかないんだから、二位じゃダメなんだぞ」

「わかってますって」

 決勝が始まる五分前だというのにこの盛り上がりのなさである。むしろ周りを歩いている人のほうが中にいる人より多いんじゃないんだろうか。こんな決勝戦でいいの?

「行きますよ、吉永さん」

 やっぱりテンションが高い。スク水に包まれた少女が二メートル先から俺を呼ぶ。

 うだるように暑い夏の風が、俺の背中を押した。

 決勝戦の火蓋が、切って落とされる。


 グラウンドに入ると、数人の関係者っぽい人々と、相手方のチームらしき人がすでに入っていた。

 ホームベース側に新宿製菓がいたので、必然的にこっちはバックスクリーン側になる。いつもこっち側で練習やら試合やらしてきたので、慣れ親しんだといえば慣れ親しんだ景色ではある。

 相手の機械は茶髪の上に麦わら帽子をかぶり、上半身はノースリーブといった夏っぽい格好で、おおよそ三回勝ち抜いてきたとは思えない様相だ。まあこっちもスク水でうろうろしてたけどね。

 相方は赤髪の女の子。こちらも高校生くらいと思われる。学校のセーラー服で来た人は初めて見た。長い髪が風に揺れる。


「よくぞここまで来ましたわね」


 遠くから声がした。

「弱小企業のくせにいい賞品をつけてくださって、私たちとしてはありがたいですわ」

 声の主は、対岸のセーラー服。

「……圧倒されて声も出ない、ですわね」

「いや勝手に話進められてるけども」

 え、これってこんなに試合前話すやつだったっけ。鎌倉時代みたいだな。

「私は新宿製菓の16代目社長の孫、菊地日奈子ですわ」

 置き去りにされる俺を差し置いて自己紹介を進める菊地さん。

「うちの祖父と一二三さんは仲がよかったみたいですね。あの時代に大学まで進学して、お互いに好成績だったと聞いております」

「えと…………」

「もう記憶がないのですが、あなたたちのような弱小企業と業務提携していたみたいですわね。うちには損しかなかったけど、学生時代の仲を思い出すとどうしても助けずにはいられなかった、と」

「だから、そのー…………」

「勝者は一人でいい。あなたたちや、ここに出てきたほかの企業もみんな、私たちの一強のもとに肩を寄せあって寂しく暮らしていればいいのですよ一二三さん!」

「俺、一二三さんじゃないですけど」

「…………え?」

 饒舌だった菊地さんがかたまる。

「あなた…………一二三さんじゃないの?」

「いや違いますよ」

「えっ? あなた名前は?」

「吉永です」

「よし…………なが? 知らない人ですわね。会社との関係は?」

「一切ないです」

「お父さんは?」

「いえ、SEです」

「SEって…………システムエンジニア?」

「そうです」

 社畜の代表例でもある。

 開いた口がふさがらない菊地さん。

「え、じゃあ…………なんでこの大会に出てるの?」

「そうですね、俺が一番知りたいです」

「どういうことなの……?」

 あ、こうやってあらためて「お前なんでここにいるの?」って訊かれると確かにここになんでいるのかよくわからなくなってくるな。小笠原さんも菊地さんも、揃って会社の関係の人。別に友達とも言えない人の推薦で選ばれた俺は、この戦いで負けたからといってなにかおとがめがあるわけでもない。

 あれ、なんでここにいるんだっけ。

 でも。

「まあいいわ、弱肉強食の世界は企業間の争いも同じ。強者が弱者を呑む。弱者はさらに弱者を呑む。それで経済は回っているの。この戦いでそれがはっきりするのね」


 目の前で語るこの人は、なんか嫌だ。


 新宿製菓が決勝に残っているということは何を意味するのか。すでに寡占市場となっている飲料業界だが、そのトップの座に君臨して離れない新宿製菓にには、今さらここで自販機なんてもらったところで事業が拡大するわけではないと思うし、少し売り上げの足しになるくらいだろう。

 それでも本気を出してきたのには理由があるはずだ。こんなの参加するだけで金がかかるのにそれでも出てきたんだから、ある程度の理由があったとしてもおかしくない。

 だとしたら、理由とはなんなのか。

 それは。


 ――排斥。

 

 自らの独壇場となるために、這い上がってくる他社を突き放し、突き落とす。そうして自らの地位を磐石にして、会社の権威を高める。

 もしも、すでに他を圧倒している自販機業界に、彼女らが新たに百二十万台もの自販機を手に入れてしまったら。もう歯が立たない。ぶっちぎられてしまう。

 新宿製菓は、これが目的だった。

「ずいぶんと苦戦していたようね。お菓子ばっかり作ってた会社に長い戦いを強いられていたように見えましたわよ。私たちはすぐに試合を片付けていたので、よく見えましたわ」

 準決勝の話か。

「まあ、弱いもの同士、削りあっていただくということで」

 菊地さんは侮蔑の目でこちらを見る。ここまで弱いもの扱いされると、いくら部外者でもちょっとね。

「ここも、やらせていただきますので。よろしくおねがいしますわ」

 そこまで言うと、菊地さんは帰っていった。

「吉永さん…………」

 ビビったあくふれがこちらを見る。

 知り合いじゃないなんてもう言えない。俺は一二三奈々というお嬢様と出会って、あくふれに出会って、決勝戦にまで来て。

 俺はそこで、知っている。

 一二三のすごさを。

 会社のために、努力して、朝早く起きて、きっとたぶん夜も遅くまで起きて、今こうやって大会を戦い抜いて。

 そんなこと、普通の高校生にはできないよ。

 それなのに、それを「弱者」の一言で片づける。

 簡単に。すごく簡単に。

 それが、許せなかった。


 ――負けたくない。


「あくふれ」

「はい…………」

 萎縮して声もか細くなったあくふれに声をかける。息を一つ吸い込むと、俺は両目でしっかり彼女を見据える。

「この勝負…………絶対勝つぞ」

 あくふれに対してこんなことを言ったのは初めてだ。明確に、「勝つぞ」なんて。

 でも、この時だけは、これだけは、どうしても……どうしても勝ちたかった。

 勝って、一二三に報告したかった。


 ――勝ったぞ、って。


「吉永さん」

 不意に、横からあくふれに呼ばれる。その表情に、さっきまでの弱さは感じない。

「勝ちましょう」

「絶対な」

「はい!」

 上空の太陽が雲に隠れる。直射日光のない世界の素晴らしさを思い出したところで、試合が始まる。

 決勝戦。


 俺とあくふれはいつも通り後手に回った。決勝だからといって戦い方を変えることはせず、ただ自らのスタイルを通す。

 相手は準決勝の小笠原さんたちのように、はじめは身を隠していくようだ。やはり、これも相手の戦い方なのか。

 いや、一二三が言うに、一、二回戦は戦い方が違っていたはずだ。つまり、いくつかの作戦があって、それらすべてがよく機能している、ということか。さすが、用意周到。いくら周りを蹴落とすためとはいえ、準備は怠らないということだ。それでこそ大企業。

「…………」

 あくふれも固唾を呑む。いつ何時と相手が攻めてくるかわからない。そのときが来るのを待つだけだ。

 上空からの日差しは雲に遮られているのだろう。球場には先程よりも大きな影が差し込んでいる。

「…………吉永さん、そういえば、相手は何を選手に起用したんですか?」

「ん? さっき見ただろ? あの…………コーラの味のようなビールとかいう」

「それは小笠原さんですよ。ていうか小笠原さんのやつはビールのような味のコーラですよ」

「あ、そうだ。理科室に置いてありそうとか言ってたもんね…………え? ビール『の味のような』コーラじゃない?」

「いや違いますよ。ビール『のような味の』コーラですよ」

「いやいや違うよ。こっちの方がしっくり来るよ」

「いや私の方がしっくり来ますって」

「いやいや俺だって」

「いやいや私だって…………もうやめましょう。キリがないです」

 その通りです。

「新宿製菓のエースってなんなんですか?」

「エースねぇ…………」

 新宿製菓の商品のジャンルは多岐にわたる。スポーツドリンク、コーラ、お茶…………挙げ出したらキリがないのだが、この大会はその会社のエースを機械化して戦わせる傾向にある。実際うちもあくふれは会社のエースなので、この大会に臨んでいるものだと聞いている。

「茶髪だからコーラ?」

「爽やか茶もありますよ」

「たしかに」

「あそこは何気にコーヒーにも手を出してますし」

「コーヒーなら黒髪だろ」

「そうでした…………あ、じゃあカフェオレですよ!」

「カフェオレもやってんのかよ」

「そうなんですよ。もうなんでもやってるんです」

「すごいな……」

 そりゃおごる理由も分かるわ。俺でもおごっちゃうよ。

「でも、麦わら帽子にノースリーブなんて、随分と凝ったファッションですね。誰が考えたんでしょう」

「向こうにも涌井さんみたいな人がいるんだろ」

「涌井さんってそんなに変態ですか?」

「変態だと思うよ?」

 何かにつけて脱がそうとするのは変態と認定するのに充分すぎると思うよ。でも、常識が違えば人間は恥ずかしさを失っていく生き物だって証明してくれたのは涌井さんだよね。うちに来てすぐパンツを脱ごうとしたあくふれを作り上げたのはあなたですからね。ほんと変態だわ。

「でも、涌井さんは私に世界のあらゆることを教えてくれました。生まれたときには超短期詰め込み学習をさせられて、ほとんどのことは覚えたんですけど、生活のちょっとしたテクニックや、人間というものの複雑さを教えてくれたのは涌井さんです」

「そうなんだ」

「そうです。涌井さんは頻繁に『法の中で暴れるんだ』とおっしゃっていました」

「涌井さん……」

「それで、涌井さんは私に『服を着ていいのは外を歩くときだけだ』ということを教えてくれました」

「涌井さん!」

「私が涌井さんの元を離れることになったとき、涌井さんは私に『実は家の中でも服を着ていいんだ。いやむしろ着た方がいい』とおっしゃっていました」

 法の中ではあるけど世界標準じゃなかったことに気づいたんだね。

「とにかく、ただ一言『変態だ』で終わらせるのは涌井さんに失礼だと思います!」

「わ、わかったよ」

 涌井さんすげえな。こんなの完全な洗脳工作じゃん。もう一国の主として君臨できるよ。

 ていうか今試合中だよね。こんだけ喋り倒してまだ攻撃が来ないって、もしかしてこれ、準決勝と同じ展開だよね。めんどくさ……

「全然攻めてきませんね。うちと考え一緒なんでしょうか」

「一緒なんじゃない? さっきみたいに充電切れになるとかそういうことがない限りうちは先行しないし、長丁場になるな」

 日差しがないから直接暑くはないが、にしても気温は高い。二時間三時間ここで野球している高校生やプロ野球選手は暑さとかの感覚ぶっ壊れてるんじゃなかろうか。

 二人でここから先の未来に不安を感じ始めた、そのとき。

「吉永さん、上!」

「え?」

 天を見上げて叫ぶあくふれ。それを見て、俺も顔を上げる。

「何これ……」

 

 そこには、無数のパラシュートがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る