第五話

「おつかれー」

 バックネット裏に戻ると、うちわで自らをあおぎ続ける一二三がいた。お嬢様もうちわ使うのね。しかもそれひふみのじゃないし。

「長かったわね」

「後手に回ろうと思ってたから、ちょっとね」

「まあ、勝てばなんでもいいのよ」

 一二三は手元の紙に視線を落とす。

「裏の試合は新宿製菓が勝ったみたいよ。こっちの試合の間には決着がついてたわ」

「知ってる。あくふれが倒れる前だったからな」

 さらっと言った俺に、一二三が驚愕の表情で返す。

「いやちょっと待って、あくふれがなんだって?」

「あ、そうだ。あくふれ充電してやってくれる?」

「充電切れしちゃったの?」

「そう。ここに来る前にタンクはずしたじゃん。で、こっちに来たら充電しようと思ってたけど忘れちゃって」

「えー…………ちょっとあくふれ」

「はーい…………」

「ちょっと! フラフラじゃん!」

 火事場のバカ力を発揮して勝利を得たあくふれは、ここに来るまでにも結構大変だった。木にぶつかったり人にぶつかったり脱ぎ出したり……いや、脱ぎ出したときはさすがにこいつなんなんだよって思ったよ。どういう情報吹き込んだらこういうことするんだろうって思ったよ。

「よくこんなんで勝ったわね……」

「携帯とかって、残り1%からの粘りってあるじゃん」

「知らないわよそんなの」

 それに何回助けられたことか。

「予備バッテリーあったわよね」

 一二三が横に座る人に指示すると、その人は鞄をごそごそやって、自販機に置いてあるペットボトルくらいの大きさの充電器を取り出した。

「次の試合はお昼休憩挟んだあとだからあと三十分以上はあるわね。いいわ、寝てなさいあくふれ」

「はぁーい…………ほわぁー…………」

 すげー、あくふれがあくびしてる。機械であくびとかもはやどういうメカニズムなのかわからない。これが人間のなせる業か。横では一二三もあくびしている。うつったのかな。

 腰横にプラグを挿すと、あくふれはすぐに眠りに落ちてしまった。

「…………本当によくこんなんで勝ったわね、すごいわ。入社する?」

「考えさせてくれ」

 一応大企業だからね。

 誰もいないグラウンドの上、「決勝」の文字だけがスクリーンに映される。どうしたものか、なんか味があるその風景を、俺はただボーッと見るだけ。

「決勝まで、来たね」

 隣の席、一二三が呟く。

「この時のために練習してきて、ほんとにここまで来るとはね……」

 野球場特有の座席の距離の近さが、一二三の声から息づかいまで全てを俺に届ける。

「甲子園に出るとかじゃないんだし、そんなにマジにならなくても」

「何言ってんのよ。これが私たちの甲子園よ」

 何のプレミア感もない甲子園だな。

 負けたチームは帰っているので、現在はライトスタンドにいる新宿さんとおぼしき人影がここから見えるくらいにしか人がいない。まるで催し物なんて全くやってないかのような静けさが場を包んでいる。どこが甲子園だよ。

「でもまあ、本当に百二十万台だっけ? そんなに自販機がもらえたらあれだな、すごいよな」

「そうよ。街の中私たちの自販機でいっぱいよ」

 街の中舐めんな。

「お礼として優勝したら一台あげるわ」

「いらねえよ自販機なんて」

「えー、そう? 空気清浄機買うよりいいと思うけど」

 空気清浄機舐めんな。

「でも実際、この会場を借りたり、あくふれを作ったり、めちゃくちゃお金かかってるのよ。正直百二十万台でもとをとれるのか……つまり負けられないのよ与那国くん!」

「プレッシャーかけんなよ!」

 あと与那国くんって誰だよ! 聞いたことないよ! てかいるのそんな名字の人⁉

「プレッシャーをかけているわけじゃないのよ。ただのエール」

「エールが重いんだよな」

 お金のお話を出されるとさ、この勝負勝つ以外の選択肢を与えられないよね。はいかイエスしかなくなる。

「逆に新宿さんが優勝するとどうなるの?」

「一党独裁がさらにパワーアップするわ」

「それはつらいな」

 これ以上新宿の台頭を許せば、ひふみのみならず他の企業も厳しい状況におかれるだろう。それは俺に直接関係はないけど、なんか罪悪感はありそう。

「まあ、でもこれで終わりだし、精一杯やるよ」

「そうね。泣いても笑ってもこれで最後。全力で」

「おう。大企業と関わるのもこれで最後だし、お前ともまたいつも通りに戻るな」

「そうね…………え?」

 一二三はグラウンドに向けていた視線を俺に向ける。俺はその視線を真っ向から受ける。

「この大会が終わったらお前と会う意味ないだろ? だったらこれで終わりじゃん」

「あ…………」

 一二三は二秒くらい下を向いて考えると、

「そ、そうよね! 会う意味もないし!」

 突然大きな声でそう言った。まるで自分に言い聞かせるように。

「…………腹へったな」

 そういえば何のための一時間休憩なんだっけ。お昼休憩だよね。

 おっひるっごはーん。おっひるっごはーん。

「…………あ」

「ん?」

 お昼なんて持ってきてねー。

 そもそもお昼を越えると思わなかった。終わりの時間を聞かされていたような気もするけど、そんなのすっかり忘れてた。

「どうしたの?」

 俺のその様子に、一二三が横からたずねる。

「いやー……弁当持ってきてなくって」

「え、そうなの?」

「ああ……その発想がなかった……」

 どうしよ……ご飯のない一日なんてもはや暗黒だ。真っ暗。もう嫌だ決勝棄権しよ……

「そうなんだ……」

 一二三はなんか知らないけどニヤニヤしている。他人の不幸は蜜の味っつってね。こっちは死活問題だっつーの。

「コンビニ行ってくるかなー」

 確か近くにコンビニがあった気がする。駅降りたところとか、あそこにあった。

 財布の中身を確認。左右の明暗がはっきり別れた肖像画が見えて安堵。高校生のエースで四番は千円札。

 諦めてコンビニに行こうとしたところで、

「ま、待って!」

 一二三に右腕を掴まれた。

「なんだよ」

「お弁当…………」

「あ、何? お前も忘れたの? コンビニ行くから一緒に来る?」

「あ、いや…………それでもいいんだけど…………」

「ん?」

 ボソボソ言われても分からん。

「えと…………その…………」

 一二三の太ももの上に乗せられた両手に力が入る。

「あのさ……何気に時間ないから行くよ?」

「ま、待って!」

「だからなんなんだよ!」

「お弁当! つ、作ってきたから!」

「…………え?」

 自分のカバンの中をごそごそ探すと、一二三はひとつの箱を突きだしてくる。

「一人じゃたぶん…………食べきれないから」

 どこの誰でも持っていそうな、すこし大きめの弁当箱。

「…………それが言いたかったのか?」

「う、うるさいわね!」

「そうなんだなー?」

 ニヤニヤ返し。

「何よ! じゃあ買ってきなさいよ!」

「いただきますいただきます!」

 せっかくのタダ飯のチャンス、逃すわけにはいかない。電気代半端ないことになってたからこういうところで節約しないと。

 席に戻って、財布をポケットに戻す。寝息が一二三の横から聞こえてくる中、一二三が包みを解く。

「朝早く起きたのよ」

「それでさっき眠そうにしてたのか」

 あくふれのあくびがうつったのかと思ってたけど、実際に眠かったのか…………いや、ほんとにあくびがうつった可能性も否定できない…………どっちなんだ? どっちでもいいか。

「別にあんたのために作ったわけじゃないんだけどさ」

「知っとるわ」

 ぶつくさ言いながら一二三が蓋を開けると、中からは大量のおにぎりが。

「これ…………何人で食べるつもりだったんだよ」

「うっさいわね……か、会社の人に渡すつもりだったのよ。文句あるなら食べなくていいから」

「食べる食べる」

 お嬢様の弁当なんだから重箱に和牛とか高級食材の玉手箱なのかなとか思ってたけど、結果はおにぎりの玉手箱。その中のひとつを手に取る。

「うまい」

「ほんと⁉」

 ぱあっと目を輝かせる一二三。

「普通に美味しいぞ」

 ところでこの鮭は産地直送とかそういうやつなのかい? このあとめちゃくちゃ請求されるとかそういうことではないよね?

「朝五時に起きて作ったのよー」

「それであくふれのタンク忘れたわけじゃねえよな?」

「…………あっ、そっちには昆布が」

「そうなんだな…………」

「いいじゃないの! どうにかなったし!」

 いやまあどうにかはなったけども。

 勢いで5、6個ほどおにぎりをいただいたところで、時間が来る。

「そろそろ行くわ」

「ん、行ってらっしゃい」

 一二三はまだいくつかおにぎりの残る弁当箱を閉じると、

「優勝、待ってるから」

「プレッシャーかけんなって言ってるだろ」

「これ以外になんて応援すればいいのよ」

「まあそれもそうか」

 一二三はいつもの笑顔を見せる。泣いても笑ってもこれで最後。せっかくなら優勝をもぎ取ってやろうと心の奥底で燃える。もう俺も熱心な社員ですね。やっぱり入社も視野にいれよう。

「お兄ちゃんもう行くの?」

 そういえば最近会ってなかった真希が飛び出してくる。

「ん? ああ、あと十分」

「へえー」

「どこ行ってたんだよ」

「飲み放題だよ!」

「まだやってたのかよ」

「いい、お兄ちゃん。おごりと聞いたら変なメニューに挑戦する人いるでしょ?」

「いるな」

 おごってる側にとっては不愉快きわまりないシーンだけど。

「コンビニのものが全部タダだったら、全部食べようと思うでしょ?」

「思うね」

 百六十円のおにぎりとかやたら高いサンドイッチとか手を出してみたいよね。

「それと一緒で、ペットボトルが全部タダだったら全部飲んじゃうよね!」

「飲んじゃわねえよ!」

 え、ずっとこの時間飲み歩いてたの?いや飲み歩いてるとか言うとなんか違う気がするけどつまりそういうことでしょ?

「私の胃袋はブラックホールだよ! 私の腎臓は浄水場だよ‼」

「ったく…………」

 だらしなく両手にビニール袋を下げる真希。

「ちゃんとしろよ?」

「分別ならしてるよ?」

「違う、病気とかになるなよってこと」

「なるわきゃなーい」

「楽観的で楽しそうだな」

「ありがと」

「褒めてねえし」

「あの……そろそろ」

「ああ、ごめん」

 蚊帳の外だった一二三が言う。

「あくふれ、そろそろ行くぞー」

「…………んぅ…………」

 しかし、あくふれは未だ爆睡中。

「一二三、これどうすれば」

「強引に引き抜けば起きるわ」

「それ早く言ってくれよ」

 そうとは知らずに何回か待っちゃったじゃんか。

「…………っ! あ、私、寝てました?」

「おはよう。寝起きで悪いけど、あと五分で試合なの。頼むわ」

「…………ブラック企業です」

 否定はしないよ。

「あくちゃん、頑張って!」

「はい、頑張ります」

「これだけの充電だと三十分持つか持たないかくらいだわ。できるだけ早く決着つけてきて」

「おっけ。ちゃんと勝ってくるから」

「何言ってるのよ、当たり前でしょ?」

 困ったように笑う一二三に背を向けて、座席を後にした。

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