第四話
準決勝は違った。
何が違ったかと言うと、今までの試合より相手の意気込みが違った。グラウンドに足を踏み入れた時点でそこにはピリピリとした緊張感が表れていたし、スタッフさんの表情も違った。
ライト方向からレフト方向にかけて第一から第四までのコートが用意されているが、準決勝は真ん中の第二、第三コートを使う。そのため視線は二試合両方に向けられることになる。もっとも、ギャラリー自体いないのだが。
第三コートの向かい側には、小笠原製薬のチームの姿がある。何人か大人がいる中に、見知った顔がひとつ。
「あーっ!」
見つかった。
「この前コンビニにいた人じゃん!」
今日も黒髪をポニーテールに結った小笠原さんは、俺を指差して叫ぶ。
小笠原さんはこっちに走ってくると、
「吉永さんでしたよね?」
「そうだけど……」
「ということは、これは…………社長さんの…………」
「いや全然」
「え?」
顎に手を当てて考えるそぶりを見せる小笠原さん。
「これって、会社の内部の人が出るんじゃないんですか?」
「そうなの?」
全然何も考えずにここまでやって来ちゃったんだけど。ダメだったのかな。
「まあいっか、ルールじゃないですしね」
小笠原さんは一人で納得すると、顔をあげて、
「って、あなた、あくふれだったんですか⁉」
「そーですよ」
「えー‼ えっ、あっ、えと……いつも美味しく飲ませてもらってます」
この前会ったときは普通の女の子だったあくふれ。こうして、人と機械として対面したのはこれが最初だ。
「……なんか複雑ですね」
あくふれは腑に落ちていない。突然自分を美味しく飲まれたと聞いて変な気持ちなんだろう。
「そっちは何を選手に起用したの?」
「こっちですか? こっちは新作ですよー!」
小笠原さんはぱーっと笑顔になる。そんなに自信作なのかな。アイスでは変な物しか作ってないこの人たちの初飲み物。果たして…………どんなヤバいやつなんだろうか。
「あ、今どんなヤバいやつなんだろうと思いましたね⁉」
勘のいいことで。
「にやにやしてます! この人にやにやしてます‼」
小笠原さんはどこかにそう叫ぶと、こちらにキッと鋭い視線を送った。そんなに悪いことしてないよね。
「ちゃんと作ったんですよ! 来て!」
「おいすー!」
小笠原さんが後ろに声をかけると、元気な声と共に一人の女の子が飛び出てきた。
「はじめまして、『ビールのような味のコーラ』、略してビーコーよ!」
茶髪と黒髪の入り交じった髪が腰まで伸びる彼女は、軽く自己紹介を済ませる。
「なんか…………理科室にありそう」
「それを言うなお前」
「だってビーコーですよビーコー。どっかで聞いたことありますよ。丸底とか三角とか」
「それはフラスコだろ」
「ちょーっと!」
視野外から小笠原さんが飛び込んでくる。
「もういいです! 行こ、ビーコー」
「ですね!」
ぷんぷん。二人して怒りを露にすると、「勝負は勝負ですからね、真剣にやりますよ」
どこかのお嬢様みたいに真面目な顔が向けられて、俺はただこの準決勝という空間の雰囲気を感じるだけだった。
試合は定刻通りに始まりそうだ。向こうもしっかり選手を用意していて、水鉄砲も持っている。
「じゃあそろそろやるか、あくふれ」
「…………」
さっきからなんだか知らないけど不機嫌なうちのエース。その顔はじっと前を見るのみ。
審判担当の人の腕が上がる。
号砲。
あくふれはいつも通りその場にとどまる。いつもならすぐに外に出て決着をつけに行ったが、今回は相手も焦らずに攻めるタイプだったので話が違った。
「これは長期戦になりそうだな……」
いずれにしろあくふれは完全に相手の後に攻めるので、相手が出てこなくては話が進まない。
「なんだ、全然出てこないじゃん……」
あくふれの方も苛立ちを全面に押し出してきている。
その後、きっかり十秒。もう既に隣は決着がついたようで、人がいない。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫か?」
暑さが俺とあくふれを着実に弱らせている。
「……私、行ってきます」
「いや待て、絶対に裏をとるんだ」
「でも……」
「少なくとも俺らがやって来たことだ。これしかないんだからこれで行かないと」
「それはそうなんですけど…………もう私限界です」
…………ん?
待て、機嫌の悪いあくふれ、疲れて木陰に座り込むあくふれ…………なんか引っ掛かるぞ――
「そういうんじゃ…………あ、もう無理です」
「無理って――」
夏の緑が揺れる。等間隔で耳に飛び込んでくる車のエンジン音はどこのものか。葉擦れの音、頭上の太陽、観衆、温風。そのすべてが俺とあくふれを見ているような気がした。それは決して自意識過剰とかそういうんではない。
それらが一斉に、あくふれに向けられて。
そして、倒れた。
「お、おい」
ひねり出した言葉は、その一つ。ただそれだけを、うつ伏せになるあくふれのもとに届けたくて。
周りの景色は止まって、流れて、また止まった。
相手はまだ出てこない。壁の裏で彼女は何を思っているのか。
そして、あくふれは――
「…………すー」
「え?」
聞こえてくるのは、規則的な寝息。俺の膝元で突然あくふれが寝始めたのだ。
「いや、えー…………」
どうすればいいの? 起こすの?
「…………よし…………な」
かすれた声が耳に届く。
「どうした、何があった?」
「あせらないで…………」
あお向けのままあくふれが言う。俺はそのテンパった心を努めて落ち着けて、その言葉の続きを待った。
「たて…………ます…………」
膝を地面について、両手を膝について、一気に立ち上がろうとするあくふれ。その足は生まれたての小鹿のようにガクガク震えていて、目も当てられない。
「そうか……」
ここに来る前、普段なら持っているはずのあるものを一二三に託した。背中のタンクだ。動力源をあくふれとしている彼女にとって、それは死活問題なのだ。
タンクがない今、あくふれには涌井さんの要望で取り付けられた五百ミリリットルの内部の容量しかない。つまり――
――燃料切れ。
「大丈夫なのか?」
「…………」
あくふれは答えない。顔を眠そうにかくかくさせている。
「なあ、棄権してもいいんだぞ? 辛勝したって、お前が倒れたら俺、何のためにこの二ヶ月過ごしてきたのかわかんねえよ」
「…………ち、ま…………す…………」
それでも、あくふれは立ち上がる。
その目は、確実に二十メートル先をとらえていて。
その目は、確実に前を向いていて。
その目は、確実に勝利を見据えていて。
「吉永さん」
最後の力で俺を振り向くと、あくふれは声をかける。セミロングの髪が目の前で振れると、青い瞳が俺を捉える。
ふぅっ、と息をひとつ吐く。
「次の攻撃が、多分最後になります。あと一回攻撃して、撃ち合いをして、そこまで。それ以上は、体力的にちょっと。だから、先手必勝」
その目は、確実に二十メートル先を捉えていて。
その目は、確実に前を向いていて。
その目は、確実に勝利を見据えていて。
「吉永さん」
あくふれが続ける。息を整える。
「私、行ってきます」
一二三のように、生まれたときから大企業に仕える運命だったら。あくふれのように、企業の行く先を決めるだけに作られたら。俺は嫌がらずにやっただろうか。
いや、できない。
部外者なのに勝手に選手に選ばれた。部外者なのに知らない人が家に来た。部外者なのに社運を握らされた。
そういうことが、めんどくさいと思ったことがある。
それに比べて、こいつらは――
「わかった。行ってこい」
だから、俺はもう、こいつに任せる。
「行ってきます」
ワンステップ、ツーステップ。疲れて一瞬倒れたことが嘘のように、あくふれは壁をかわす。
俺も壁から顔を出す。あくふれは既に十メートル近くを走っていて、相手陣に乗り込んでいるところだった。
コートの端のライン、俺らから一番遠い壁のうちの一枚から、ビーコーが飛び出す。その表情に焦りの色は見えない。向こうの戦術はやはりうちと同じのようだ。
「かかったわ! やっちゃって!」
奥のほうから声が聞こえる。小笠原さんだ。
その声に合わせてビーコーが口角をあげる。戦術の型にはまったのだろう。
一方のあくふれは、ここからだと表情がよく見えない。背中しか捉えることができないが、果たして。
「撃てー!」
小笠原さんの叫びがここまで届く。顔を出した相手との距離が三メートルにでもなっただろうか。
両者の水鉄砲のトリガーに指がかかる。相手はまっすぐ突っ込んできたあくふれを横から狙撃する体勢になった。
「いっけーー‼」
相手が叫ぶのと、両者が人差し指に力を込めるのと、ほぼ同時。
そして――
「ひふみさんの勝ちー」
いつも通りやる気のない声が耳に飛び込んできて。
「勝った…………のか?」
観客はいないので勝敗がいまいちつかめない。歓声が大きくなれば勝ったり負けたりした実感はあるんだろうけど、これではいまいちわからない。
が。
「やりましたー!」
その声が聞こえた瞬間、その一切の不安がきれいさっぱりなくなった。
「やりました、私たちの技術力の勝ちです!」
「技術力?」
「はい!」
あくふれが疲れを一切感じさせないテンションなので話を聞こう。
「私は最後まで奈々さんと会社の信じ続けました。大会を主催して、真剣に勝ちに来て、詰めの甘いことをするわけないと」
「信じるって何を?」
「思い出してください」
あくふれは最後勝利を決めたポイントを指差す。
「あそこで最後、私と向こうのフラスコさんは同時に放水しました」
「フラスコではないんだけどね」
いつまで理科室の感覚でいるんだろうか。
「しかし…………うちの方が弾が速かったんです! 私は奈々さんを信じました。この銃は相当な速さの弾が出るって。ほんとでした。びっくりです」
「信じてたのにびっくりしたんかい」
「あ…………これはあれです、違いますよー!」
「わかったわかった」
顔を真っ赤にして弁明するあくふれ。まあこういうこともある。テンション上がってるんだね。
「とにかく、吉永さん」
「なんだ?」
笑顔に戻ったあくふれが、こっちを見上げる。
「そろそろ充電を……」
「あー、ごめん!」
勝ったテンションのままに言われたので、俺はどうすればいいか分からず、とりあえず一二三のところまで歩いて帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます