四本目 賞味期限は枠外上部に記されています
第一話
吉永家の朝は早い。
夏休みだというのに現在七時。最近は毎日この時間に起きている気がする。
このクソ暑いなか外に行ってラジオ体操とか頭狂ってるわ……夏休みはクーラーの効いた部屋で十一時くらいに起きて空虚な一日を送るのが当たり前かと思ってた。合宿なんてもってのほか。
でも、そんな生活ももう終わり。今日で終わり。
「おはようお兄ちゃん」
「ん」
ご飯ができてないと思ったら、真希は床で寝っ転がっていた。そういえば今日は俺がご飯担当だった。義務がなければ一切何もしないのがこの人のスタイル。どんなに腹が減ろうともやらなくていい日は一切やらない。
「パンでいいか?」
「おっけー」
両足をパタパタさせてオッケーサインを出す真希。その手にはゲーム機が握られていて、朝から熱心に指を動かしている。
六枚切りにこだわるのが我が家のスタイル。八枚切りを二枚行くと食べすぎた感あるし、四枚切り一枚だとなんか損した気分になるし、一番ちょうどいいのが六枚だと思っている。
熱したフライパンに卵を割り入れる。
「とぅるるるっとぅっとぅー」
ご機嫌な様子の真希さんをカウンター越しに見る。あいつまだ着替えてすらいねえじゃねえか。だらしねえ。
「ん、できたぞ」
「わーい、お兄ちゃん、クエスト達成だね!」
「完全なゲーム脳だなお前」
俺に何の報酬が来るんだよ。
「いただきまーす」
しかし、こうゆっくりした朝食は久しぶりだ。今日は現地集合。一二三が家に来ることはない。
「おはようございます」
「お、起きたか」
ここで、今日の主役がやって来た。
「充電完了です」
あくふれは右手を額に当てて敬礼のポーズをとる。
「気を張りすぎるなよ。逆効果の時もある」
「わかりました」
あくふれはそう言うと、
「頑張りましょうね」
「だから気張るなっつってんだろ」
「えへへ……」
あんまりあくふれはこういう面は見せないんだけど、今日はやっぱり緊張もしているんだろう。
「それよりお兄ちゃん、今日は洗濯もしてもらうからね。何だかんだやってたせいで今週たまってるんだから」
「はいはいわかりましたよー」
「掃除も、そろそろやらないとホコリたまってるよ?」
「お前がやればよかったやん」
「だから私の時は家にいなかったっつの」
くそ、手頃な言い分見つけやがって。
「がんばれー」
「ファイトですー」
「あくふれまで……」
二人に言われてしまうとこちらとしてもどうしようもない。一対二。
「わーったよやるよやりゃあいいんだろ!」
「ありがとうお兄ちゃん!」
今まであんたのそんな笑顔見たことないよ。 だらしねえ。
「うわー、電車です! 動いてます! 動いてますよー!」
駅につくなり、田舎者みたいなテンションになったのは横のスポーツドリンク。
「これどうやって動いてるんですかー? 人力ですかー?」
「電気だよー」
「電気すごいです!」
「あんたの動力源だろうが」
あくふれは電気を変えて動いてるって聞いたぞ。自分の主食も知らないのか。
「人がいっぱいいます!」
「そりゃ都会だしねー」
神奈川県で乗降客数永遠の二番手の駅は、日曜の朝もその力をいかんなく発揮していた。
「この切符というのをタッチすればいいんですか?」
「その切符はタッチじゃなくて通すんだよ。その、なんつーのかな、隙間に」
「じゃあ皆さんがタッチしているのは?」
「あれはスイカって言って」
「スイカタッチしたら改札ぶっ壊れますよ!」
「野菜の方じゃなくて、そういうカードがあるの」
「へえ、私はそれはもらえないんですか?」
「一日限りの移動にいちいち契約したくないからね」
「そうですか……」
それを聞くと、あくふれはいきなりしゅんとなってしまう。
「……わかったよ、今日は俺の使っていいから! 早く行ってこい!」
「ありがとです!」
ふふふとかなんとかテンションをあげて改札に飛び込むあくふれ。今日は背中にタンクは背負っていない。代わりに一二三が持ってくる手はずになっている。という事で完全に見た目は初めて電車に乗る田舎っ娘だ。
「あっ、吉永さん、行けました行けました! 吉永さんも、早くこちらへ!」
「はいはい今行きますよ」
なんで俺が子守りをしてやらないといけないんだ。そんなことを思ったには思ったが、そのあどけない笑顔にすべて吹き飛ばされた。
「じゃ、真希、行くか」
「行こ」
二人並んで改札を抜ける。その先には、未だに好奇心に満ちたあくふれが待っている。
やっぱり、家族が一人増えたみたいだ。
「どれに乗るんです?」
「青いやつ」
「黄色ではなく?」
「黄色は立川に行っちゃうからね」
「ほえー、物知りですね」
「いやそこに書いてあるから」
「そこ?」
あくふれは俺の指差す方向を見る。その電光掲示板には立川の文字が縦に二つ並んでいた。
「たて……かわ?」
「それは落語家」
さっき俺「たちかわ」ってちゃんと発音したよね。あえてたてかわにしてきたよねこの人。
「青い電車に乗ります」
「青い…………だんし?」
「それは落語家」
こいつ絶対わざとだな。なんかにやにやしてるし。絶対わざとだなこれ。
ホームに降りると、あくふれのテンションはさらに上がった。
「わー‼」
「そろそろ周りに怪しまれてきてるよ?」
ものすごい視線を周囲から感じるんだけど気のせいだよね。気のせいだよね!
電車が来るまであと二分。あくふれはその中で目一杯楽しんでいる。そういえば何歳くらいの設定なんだろう。精神面は俺には小学生に見えるけど、身長は高校生くらいあるし…………わからん。
轟音と共に電車が滑り込んでくる。
「これに乗るぞ」
「はい!」
目が爛々と輝く彼女は、突風にアリスブルーの髪を揺らす。子供なんだか大人なんだか、その二つの事柄がなんだか全然噛み合っていなくて、それがなんだかおかしくて。
「何笑ってるんです? 早く乗りましょう!」
「はいはい」
飛び乗ったあくふれの後を、俺はゆっくりと、でも小走りに追いかけた。その素早さがあれば今日は勝てるだろう。
横浜駅は戦争だった。確か今日は別のスタジアムでアイドルのライブがあった気がする。横浜ってやっぱ神奈川の中心なのな。
数えたくない人数の人が降りて、数えたくない人数の人が乗ってきた。関内まで残り二駅だが、すでに人混みにはうんざりだ。
が、それも降りてしまえば苦ではない。野球の試合があるときは半端ない数の人が乗り降りするが、今日は野球どころか飲み物界隈いの人が何人か集まる程度のイベントだ。外部に告知はしていないし、たとえ告知していたとしても誰も来ないだろう。来たとしたらそれは暇人か行く先が本当になくなったカップル。
改札を出て左、右と動けばすぐに野球場が見えてくる。
「全然人いないね」
「そりゃ日曜だしな」
まだ九時にもなっていない。こんな時間にわざわざ関内に行くマニアはそうそういないはずだ。カップルはその手前の桜木町とかみなとみらいとかをアホみたいにぐるぐる回ってるんだろう。わー、赤レンガ倉庫だーとか言って。そこにお前らの何をしまってあんだよ。
特別に三番と四番ゲートが開けられている。まばらに人がいるが、どれも関係者なのだろうか。
「お兄ちゃん、ヘリコプターだよ!」
「え?」
真希が指差す方向を見る。球場周りのスペースにはヘリコプターが二台おいてあり、それぞれに「新宿製菓」と書いてあった。
「す、すげー……」
さすが、本物の大企業は違うなー……俺らなんか電車で来ちゃったのに。見せつけるねえ。
「さて、と」
集合はバックネット裏の座席。どちらのゲートから入ってもすぐに入れる。
まばらに見えた人影も、近づいていけばそこそこの人数がいることがわかった。そしてその集団の中に、一人二人――一体、二体と言った方がいいか――あくふれのような存在も見える。
「お手柔らかにお願いしますよ」
「いやいや、そんなに腰を低くしないでくださいよ。確かに賞品はでかいですが、そんなにマジになってやるチームはないでしょう」
「それもそうですかな」
聞こえてきた会話は他社の社長だかその辺の位の高そうな二人によるものだ。あれ、これ実はマジな大会じゃないの?
「こっちこっち」
「お、いたいた」
バックネット裏の座席に入ると、まず目に入ってきたのは金髪だった。俺がここに現れるのとあいつがこちらを振り返るのとはほぼ同時。
「遅いじゃない、何時だと思ってるの?」
「一応五分前にはついてるけど……ダメか」
「五分前の五分前にはついてた方がいいわよ」
「キリがねえじゃねえか」
「つべこべ言わない」
一二三は俺と話しながらも何やら準備をしている。クリアファイルから紙を取り出して確認すると、横にいる人に手渡した。
「それなんの紙?」
「これ? これは出場登録用の紙。あ、そうだ。一応確認しといて」
ごめんね、と軽く言ってその若い人から紙を返してもらう。
そこには、うちがひふみという会社として参加していること、そして自社製品であるあくふれをメンバーとして登録していること、そして――
「ちゃんと吉永って書いてあるな」
右の方に俺の名前もあった。ついに名前を覚えたか一二三。
「まあ、偉い人に全部任せたからね」
「偉い人って誰?」
「誰だっけ? まあ会社の偉い人」
一二三の記憶にもない人に俺の名前が知られてるのかよ。なんでお前は未だに覚えてくれないんだ。てか俺の情報どこから流れてるの? 法に触れない?
「開会式のあと、第一試合がうち。まあ同時に四試合ずつ進めていくから」
野球場の方に目をやると、外野の芝に四つの正方形が描かれていた。そこには大小さまざまな障害物が配置されていて、それはまるで一二三の家の地下室のような……
「え、これどっかで見たことあるよね」
「お分かりいただけただろうか……」
怪談でも始まるようなトーンで一二三が喋りだした。
「つまり…………主催者がうちってことだよね」
「反則じゃないのそれ?」
障害物の配置知ってたらずるいよね。作戦立てられちゃうもんね。実際にうちはその配置で練習したもんね。
「大丈夫。設計図は出場全チームに渡してあるから」
「ああ、それならいい……のか?」
「実際練習はしても作戦は練ってないよね」
「まあ確かにね」
そういえば練習はしたけど作戦はあまり意識してない。そもそもあくふれのプレースタイルはノープランで突っ込んでその場しのぎの接近戦で強引に勝ちに行くというものだ。作戦は相手の出方次第だからどうしようもない。相手が先行逃げ切り型ならこう、後手に回って差すタイプならこうという大まかなビジョンはあるけど、具体的にここに来たらこうしてこうとかそういうのはない。
「ていうか練習もしてないよね。ほとんど遊んでた気がする」
「それを言うなよ……」
そう。我々の問題点はその怠惰さだ。一回合わせで練習したあと、すぐ気が散って遊んでしまう。そんな日が続いた。
「でもまあこの際それは仕方ないわ。泣いても笑ってもあと一時間弱で試合が始まるの。今さら過去を振り返っても何にもならないわ」
顔は真面目のまま。ここに来てからというもの、一二三の笑顔を見ていない。
やはり、こいつだけ、ここにかける思いが違う。そう感じさせる。さっき外で見た光景とは全然違う意気込みを、ここに感じる。
「頑張ってね」
その言葉に、どうしても素直になれなくて。
「なあ、これ、お前がやればよかったんじゃないか?」
ひとつ、思ったことをすぐに口にする。
「え?」
何やら作業をしていた一二三も、手を止める。
「そんなにマジになるなら、司令官役をお前がやればよかったんじゃないか? なんで俺に任せるんだよ。対して面識もないし、喋ったこともない俺を、どうして選んだんだよ」
一二三はグラウンドを眺める。その瞳は何を見ているのだろうか。
「そうね…………」
その視線を動かすことなく、一二三は口を開ける。
「勝ったら教えてあげるよ」
「……何だよそれ」
「いいから、勝ってきて。ほら、開会式」
一二三に押されて席を立つ。
「頑張って」
一二三が手を差し出してくる。
「おう」
俺はその手に握手で応じて、会場に向かった。
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