第三話

「あっつ……」

「ほんと……重いし……」

 五分後、俺ら一行は普通に炎天下の神奈川を歩いていた。

「お前、マジでお嬢様なの?」

「何よ、どういう意味?」

「いや別に」

 胴の長い高級車とか、付き人とか、ヘリとか持ってるもんかと思ってたけど、まさかマジでこんな感じだとは思わなかった。

「あ、もしかしてこの庶民ぶりに驚きを隠せない的な?」

「驚くほどそのとおりです」

 一二三は額に溢れる汗をぬぐう。

「い、いいじゃないのよ! 歩くのはいいことよ。現代人は家を出ないわ。今こそ外に出て、再発見の時だと思うの!」

「…………健気だなあ」

「うるさい!」

 庶民的なお嬢様はずんずん先に歩いていく。気を抜いてると置いていかれそうな速さだ。

「あっつ……」

 右手で顔の辺りをあおぐ一二三。

「あの……どれくらい歩きますか?」

 真希が後ろから声を掛ける。

「ん? ああ、そこの角を右に曲がってまっすぐ」

「なんだよ、意外と近かったんじゃねえか」

「遠かったらわざわざ歩いてなんか来ないわよ」

 ああなるほど、家が近かったから歩いて来てるのね。家が遠かったら然るべき手段で来てたはずだよね。

「遠かったときは自転車で来てるはずだから」

「自転車かよ」

 ほんとにお嬢様なの……?

「おっも……」

 時おりカバンを肩にかけ直す仕草を見せる。見るからに異常な大きさのカバン。銃が三丁ほど入ってますからね。

 三人して汗だくで歩く。日差しはどこまでも人の心を無視してきて、俺なんてもはや帰りたいまである。

「やっぱ水抜いてくればよかったかな……」

 一二三が今さらになって呟く。どうして気づかなかった。

 そんな一二三を見て、俺は何も思わなかったわけではない。一応人間だし、人の心は持ち合わせているつもりだ。

「……俺が持つよ」

「え、いいよー。私が持ってきたし」

「いやいやそういうわけにも。さすがにこのクソ暑い中重い荷物を持たせるわけにはいかないよ。貸せって」

「な、何よ大丈夫よ! 大丈夫だって!」

 半ば強引に一二三がカバンを死守する。その勢いでカバンは左右に大きく振れる。

「痛っ」

 それが原因か、一二三は左肩を押さえる。

「なんだよ、やっぱまだ痛いんじゃねえか」

「う、うるさいわね、痛くないわよ!」

「強がるなって。そういうのよくないぞ」

「そ、そうは言っても……なんか申し訳ないわ」

「痛がってるお前を見てるのも申し訳なくなるっつーの。女の子なんだからそんなことで強がるなって」

 一二三は胸の前で腕をクロスさせてカバンを守っていたが、そのうち赤い顔をちらつかせながらこちらにカバンを差し出した。

「中はあんまり見ないでね」

「誰が見るか」

 茶色でおおよそ女子高生の持っているとは思えないほど大人っぽいカバンを右肩にかけ、再び歩き始める。

「大企業のお嬢様のカバン……!」

 後ろの妹が何やらそわそわしているが、先の発言といきなり矛盾が生まれてしまったのでやめていただきたい。たしかに腐ってもお嬢様。どんな物が入っているのかはなかなか気になる。でもこのカバンどっかのバーゲンで見たことあるんだよなあ。

「もうすぐよ」

「へえ、どのお屋敷?」

「お屋敷? 違うわ。いつの時代よ?」

 お嬢様のイメージにジェネレーションギャップを感じる日が来るとは。

「今どきどんな会社でもお屋敷になんて住まないわ。普通の一軒家よ。ただその辺の家の五から十倍広くて二階建て以上でお風呂が多くて庭が広いってだけよ」

「それを世間ではお屋敷って言うんだよお嬢様」

「え、そうなの?」

 普通に目を丸くする一二三。

「お父さんから習ったのと違う……どっちが正解なの?」

「え」

 それって社長さんがそういう家をお屋敷と思ってないだけなんじゃないの? スタンダードがぶっ壊れてるせいで話が通じない。

「じゃあ西芝のあの子もヤホーのあの子もみんなお屋敷だったの……?」

 その横の繋がり企業のレベルが高すぎるだろ。大手家電メーカーに国民的ホームページだぞ。お前お嬢様だったんだな。

「あ、もうすぐよ」

 住宅街を歩き続けて二分、その言葉を聞く。なるほど。周囲にはマンションと普通の一軒家しか見当たらないけどたぶんこの先にでかい家があるんだようん。

 しかし、その期待とは裏腹に、一二三はある家の前で立ち止まった。

「着きました」

 そこは、普通の一軒家の前だった。


 何があるかわからない。それが人生とお嬢様。この先に例えば侵入者を排除するトラップや高価すぎる絵、プロペラみたいな電球があったとしてもそれは何ら疑問ではない。なぜならここが株式会社ひふみの現社長の家だからである。

 一二三が鍵を開ける。

「ただいまー」

「お、お邪魔します……」

 そうだ、忘れてたけどこれ俺社長の家行くってことじゃん。それはそれでどうよ。俺みたいな一介の高校生が、年収そこそこの父親の家庭の俺が踏み入れるところではないじゃん。

 が、時すでに遅し。

 入ってしまったものは仕方ない。ここからは完全敬語モードだ。

「……体調悪い?」

「へっ? いやっ、別に!」

 なんだよもー、突然一二三が話しかけるからびっくりして声が裏返ってしまった。

「なんか足もガクガクしてるし、顔もこわばって…………あ、緊張してるの? だったらお父さんは今日はいないわ。お母さんも出てるから私だけ」

 今日一番安心した。

「あっ、やっぱりそこだったのね。大丈夫よ。うちに来るのにそんなに緊張してるのあんたと松井くんくらいよ」

「松井くんて誰だよ」

「ああごめん、小学校の時のね。風邪引いて寝込んでる私にプリント渡しに来たときの松井くんの顔があんたにそっくりだったの」

 松井くんは庶民なんだろな。

「まあ座って」

 リビングに置かれたソファーを指差す。なんかニ◯リで売ってそうな普通のソファ…………で、ほんとに座っていいの?

「ちょっと準備してくるから待ってて」

 さっきから自分一人テンションの高い一二三は小走りで階段をかけ上がる。

「さて……真希さんや」

「な、なんでしょう?」

「これは……座っていいの?」

「お兄ちゃんさん、何を言いますか。床に正座ですよ?」

「わかった。たぶんそれが正解だわ」

 二人して床に鎮座すること数分。

「ま、真希……お前、壁に寄りかかっていいのか?」

「あ、ダメかもしんないですお兄ちゃんさん」

 正座のままさささっと十センチ前に出る真希。お前この状況を楽しんでるだろ。まあいいけど。

「お、ま、た、せー!」

「おう、出てきたか…………なにそれ」

 階段を降りてきた一二三の手には、リモコンが握られていた。

「ふっふっふー」

 不適に笑う一二三。フローリングに正座する二人の前、一二三は同じく正座すると、

「吉原くん、忘れてませんか?」

「……何を?」

 忘れてるのは俺の名前だろ。

「私が、大企業の社長令嬢であるということを!」

 …………あ。

「目をそらしたわね」

 バレたか。

「はあ……。でもいいの、ここでその幻想をぶっ殺すわ!」

 そのセリフは物議を醸すね。

 一二三は高々とそのリモコンを掲げ、

「ポチっと」

と中央のスイッチを押した。

 すると――

「…………あ、真希ちゃんそこ危ないよ」

「へっ?」

 次の瞬間。

「はうあっ!」


 真希が真横に吹っ飛んだ。魚雷みたいに。


「いっつつ……」

「ごめん、ごめんね」

 軽く会釈して軽く謝る一二三。ふざけんな。

 突如として現れたのは、ドアだった。ついさっきまで壁だったところに、忽然とドアが現れたのだ。すさまじいスピードで開いたそのドアに横からぶん殴られた真希は、フローリングに両手をついて立ち上がる。

「お兄ちゃん、やっぱ壁の近くに座るんじゃなかった」

「……だな」

「何の話?」


「さて、行きますか」

「え、行くってこの中に?」

「こんなに大規模な演出しといて行かないわけないでしょうよ」

 正論である。

 人が一人通れるか否かというような幅のドアの奥には、暗い空間が広がっている。

「ついてきて」

 一二三はなんということもなくその中にずかずかと踏み入れていく。置いていかれたり見失ったりすると最後なような気がしたので言うことを聞く。真希も頭をさすりながらついてくる。

 どこから取り出したのか懐中電灯で足元を照らす一二三は、五歩くらい歩いたところで立ち止まる。

「えーっと……10700022……開いた」

「暗証番号かよ」

 誰がどの目的で入ってくる空間なんだか知らないけど、内側にもいくつか扉があるようで、この扉の右にもひとつ扉がある。ここにも番号を入力するような鍵がある。

 さらに五メートルほど歩いたところにもうひとつのドアが。

「次は……000701020……よし」

「なあ、それどういう規則なんだ?」

 俺には何の意味もない数の羅列にしか見えないけど、何らかの規則がないと覚えづらいはずだ。

「企業秘密よ」

「あ、まあそうだよな」

 社運を握っているとはいえこの件がなければ俺は部外者。企業秘密と言われてしまえば仕方ない。

「まあ、ググれば出てくるわ」

「もう覚えてねえよ」

「なら気にしないで」

 そう言われるのが一番気になんだよな。

 番号を入力し終えた一二三は扉を開ける。

「ここよ!」

 一二三の声と共に部屋に入ると、そこには――


「お姉ちゃん遅い!」

 セーラー服姿の女の子がいた。


「すずごめんね、待った?」

「お姉ちゃんが家を出てからずっと待ってるの! お昼も食べてないのに」

 部屋に入るなり怒りを爆発させる少女は、後ろに結われた茶髪をふぁさふぁさ揺らしながら、きっと暇な時間で考えたであろう抗議文を噛まずに読みきる。

「ごめんって、ごめん」

「お姉ちゃん何時間かかったと思ってるの? 二時間よ二時間! ご飯食べたでしょ」

「食べました」

「にゃー‼」

 ぽこぽこ。

「ごめんそろそろ説明もらっていい?」

 いたたまれなくなったのでそろそろ質問タイム。

「あ、ごめん。これは私の妹のすず。中1」

「一二三すずです。よろしくお願いします」

 セーラー服が真新しい少女はペコリと頭を下げると、顔をあげて、

「で、これがお姉ちゃんの彼氏?」

 爆弾を投下した。

「えっ、な、え⁉」

「ち、違う、違うよ⁉」

 慌てて訂正。

「え? だってお父さんがこの企画のとき『奈々が一番信頼できる人を選んでこい』って言ったじゃん。それで男の人を選んだってことは……」

「だーっ!」

「え、そうなの?」

 やったー。俺社長令嬢に信頼されてるんじゃん。これひょっとすると俺社長さんになれるんじゃね?

「違う、違うよ! たまたま席が隣で、たまたま商品を飲んでたから選んだだけ! 大した意味はないから! 誰がこんな庶民の高校生選ぶのよ!」

「いつの間にかボロクソ言われてんだけど!」

 お前だって事実上の庶民じゃねえか。

「俺は吉永。こっちは妹の真希」

 場の雰囲気について行けないので、ドアのすぐ前に立っていた真希を呼ぶ。

「真希です。お兄ちゃんには彼女はいないです」

 余計なことを言わないで。

「なんだー、彼氏じゃないんだー」

「そ、そうよ。悪い?」

 顔は残念そうにしているが、どこかに何か含めた思いがありそうなすずちゃん。女って怖い。

「じゃ、じゃあやりますよー!」

 焦りながらも進行をする一二三。健気だなあ。

「こちらをご覧ください!」

 一二三が示すのは、何もない部屋。一面白。白のカラーボックスみたいに完全なる白。

「すず、アレを!」

「はいー。このボタン押すのに二時間待ちましたよー。ポチっと」

 が、またしてもどこから取り出したのかわからないリモコンを操作するすずちゃん。この一家のリモコン隠しの術はなんなの?

「あ、真希ちゃんそこ危ないよ」

「へっ?」

 真希が一瞬戸惑った顔をした、次の瞬間。

「ええええっ⁉」


 四角いものに乗った真希が俺を見下ろしていた。


「え、え……」

 何らかの直方体の上で右往左往する真希。

「ごめん、ごめんね」

 そしてやはり軽く会釈して軽く謝る一二三。ふざけんな。

「末永くん見て見て!」

「ああ?」

 怒りが収まらないうちに周囲を見渡すと。

「な、なんか生えてきた!」

 そこには、大小様々な物体が生えてきていた。

「さあ、練習ですよ!」

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