第二話

 ある日。

「夏休みだああーー!!!!」

「テストが終わったあああーーー!!!!」

「テストなんて過ぎたものの話するのやめようぜええーー!!!!」

 二年二組は喧騒に包まれていた。

「吉永! 夏休みだぞ! ついに夏休みだぞ!!」

「お、おう……」

 しかし、どうしても俺だけ、この空気に乗れなかった。桑田が元気よく話しかけても、うまく合わせられない。

「何だよお前、白けるじゃねえかよ」

「いや、うん…………」

 つまるところ、俺は最後に行われた物理という科目がさっぱりできなかったのである。有終の美というかそういうのとはほど遠く、立つ鳥跡を濁しまくって、後味の悪い期末テストとなった。畜生め。

「夏休みだぞ夏休み。あの漫画やアニメで描かれる高校生の夏休みだぞ。楽しまないでどうする!」

「夏休みにまでプレッシャーかけんなよ……」

 ゆっくりしたいじゃん。来年は受験勉強でしっかりつぶれる夏休み。今年はごろごろして過ごさないともったいなくない?

 最初から最後まで冷えた態度を保ってしまったせいか、空回りしていることに気づいた桑田はそこで俺に絡むのをやめた。

「はあ…………」

 ほんとにどうしよう。理系を選択してこの成績はヤバい。先が思いやられるわ。

 と、そこに入れ違いで金髪のお嬢様がやって来た。もう寝たいんだけど。

「なーに頭抱えちゃってんの。矢口」

「吉永な」

 どこまで出てくるか逆に見物だぞこれ。

「物理がヤバくてさ……」

「ヤバいってどれくらいよ」

「そうね…………最初から何もわからないってところかな」

「最初って…………こんなの公式当てはめるだけじゃないのよ」

「残念ながらその公式が頭から吹っ飛んだんだな」

「はあ? 何勉強してきたのよ」

 簡単に言えばしてないよね。

「はあ、まあいいわ。こいつが浪人しようが留年しようが私には関係ないし」

「俺の暗黒の未来予想図やめてくれる?」

「そんなことより」

 二つの金髪を腰まで下ろした一二三は机の前に立つと、ばん、とひとつ机を叩く。

「来週ですよ、いよいよ」

「あ? なんの話だよ。来週?」

「もう忘れたの?」

「そりゃ勉強してたし。いらないことは忘れて暗記のために使ってたんだよ」

「勉強はしてないでしょ」

「なんでわかった」

「さっき自分で言ってたじゃん……」

 そうだっけ。3歩歩けば忘れるパターン。歩いてないけど。

「絶対に優勝してもらわないと会社が潰れちゃうんだけど」

「会社? …………あ、あー! 思い出したわ」

「頼むよほんとに……」

 そうだ、確かにうちに変なスポーツドリンクがいたわ。人型の。もはやあれを飲み物と言っていいのか甚だ疑問だけど先に進もう。

「今日からほぼ毎日あんたの家にお邪魔することになるわ。今日からということはもちろん今日もよ」

「え、何しに来んだよ」

「そうね、例えばそろそろ演習的なのもこなしていかないといけないし、あとはそうね、改造とか」

「改造?」

「当たり前でしょ、このままじゃホースでぴゅーってしか戦えないのよ?」

「え、そういうもんじゃないの?」

「何言ってんの」

「ていうかそもそも一対一のバトルってのは聞いてるけどどういうルールなのか聞いてないんだが」

「あ、そうだっけ」

 一二三は一瞬考えると、

「じゃああとでね」

 そう言って、自分の席――と言っても俺の隣――に戻ってしまった。声をかけようにもなんか寝てしまったので話しかけられない。仕方ないから帰ってから色々聞くことにしよう。


「ただいまー」

「お帰りお兄ちゃん」

「あれ、お前もう夏休みだっけ?」

「いや、今日は早帰り」

「そっか」

「お帰りなさいです」

「お、ただいまー」

 ここ最近はあくふれともなんだかんだはばかりなく会話している。今なんて家族が一人増えたような感覚だった。

「吉永さん、テストお疲れさまです」

「傷口をえぐらないで……」

「そうでしたか、すみません。どうしたんですか?」

「これ以上は言わない方がいいよ。お兄ちゃんが物理の試験だった日は全員でノーコメント。よろしくね」

「そうなんですか」

「そうなんです……」

 ご覧のように、真希はすっかりあくふれと仲良くなった。高校生より家にいる時間が長いからか、敬語は取れて友達同士のような関係になった。

「冷凍チャーハンでいい?」

「あ、おう」

 すでに台所に立っていた真希が言う。たぶん真希も帰ってきたばっかりなんだろう。簡単なものにしよう。

 袋から出してレンジで三分。なんと簡単なお昼ご飯であろうか。

「いただきまーす」

 小学生は真夏のこの暑さの中でも元気一杯である。見てるこっちが疲れるレベル。

「…………あ、そうだ。今日一二三が来るからよろしく」

「へえー。わかった……………………一二三さん⁉」

「そう」

「ヤバいヤバい! こんなことしてる場合じゃないよ!」

 やはりその名前を聞いてビビり始める真希。チャーハンを音速でかきこむ。

「あっふあっふ」

「落ち着けよ」

 手元の水をこれまた一気に飲み干す。今度はむせることはなかったが、それでも焦りは止まらない。

「ちょっとあくちゃん手伝って!」

「はーい」

 いつの間にあくちゃんなんて呼び方が出来たんだよ。お前ら仲良くなりすぎだろ。


「お前…………日頃からこのスペック見せてくれよ」

 十分後、俺が立っていたのは、見たことないくらい片付けられた我が家のリビングだった。モデルルームかよ。てかあんな木どこにあったんだよ。

「ふふーん、これが私の本気だよ? お兄ちゃん」

「なら普段からそうしてくれ」

 完璧妹ならたぶん服を脱ぎ散らかしたりしないと思うんだけどな。部屋の中半裸で歩いたりしないはずなんだけどな。俺の理想の妹像ってどこまでが幻想なの?

 すると、このタイミングで携帯が鳴る。

「あっ、あいつそろそろ着くって」

「あ、あぶなかった……もうちょっと早かったら見せられなかったよ」

「よく頑張った」

 ほぼ無意識に頭を撫でる。さいさい。なんだかわからないけど、こうしてるのがなぜか自然な気がする。

「あの…………頑張ったのは私もなんですけど」

「わかってるよ。よく頑張りました」

 さいさい。

「ひゃ⁉」

「ん? あー! ごめんごめん! なんかつい」

「いえ……」

 気がついたらあくふれの方も撫でてしまっていた。疲れてんのかな。

「ごめんね、ほんとごめんね」

「いえ…………えっと、その…………」

「ほんとごめんね⁉」

「うぅー…………」

 下向いて固まってしまったあくふれ。心なしか表情も赤い気がする。機械に表情ってあんのかな。

「お、お兄ちゃん、妹は私だよ⁉」

「な、なんだよ急に」

 突然真希がムキになって怒り始めた。なんだよ。

「わ、私も妹になりたいです…………」

「「え⁉」」

 突然あくふれもムキになって怒り始めた。なんだよ⁉

「真希さん、私も妹にさせてください」

「え、ちょ、ダメだよ! お兄ちゃんの妹は私だけだから!」

「いいじゃないですか、家族ですよ!」

「だーめー! 私だけ! 私の特権なのー!」

「ちょ、俺を巡って争うなよ」

「何言ってんの」

「ごめんなさい」

 ちょっと一回だけ言ってみたかった。

「私が争ってるのはお兄ちゃんじゃなくてお兄ちゃんの妹の座だよ!」

「お前が何言ってんだよ!」

 訳わかんねえ。俺帰っていい? ここ俺の家だけど。

 ピンポーン。

「あ、あいつ来たわ」

「おっと。あくちゃん、一時停戦だよ」

「またあとでです」

 是非とも終戦にしてほしいところなんだけど。

「はーい」

「こんにちは吉井くん」

「吉永な」

「さっき聞こえたけど、あくふれを妹にできたのね。おめでとう。まさかそこまで行ってるとは思わなかったわ」

「淡々と言わないで!」

 その目付きは明らかに侮蔑だね⁉


「で、説明って?」

 今日は前回の反省を踏まえて、どんな不測の内容であろうと対応できるように真希を隣の椅子に配置した。机を挟んで向かい側のお嬢様の世界観に人数で挑む。

 今のところ気の利いた完璧妹の真希は、果汁百パーセントのオレンジジュースをテーブルの三方にセット。さすが真希。ひふみの商品を使ってきた。

「うん。ゴホン。……説明しよう!」

 あ、なんか変なスイッチ入ったね?

「今度のトーナメントは、ずばり…………水鉄砲大会!」

「水鉄砲?」

「大会のルールが本格的に決まったから伝えるわね」

 一二三はここでカバンから一丁の銃を取り出す。やけに大きいカバンだけど、そこから出てきたのはカラフルでプラスチックないかにも子供の使う水鉄砲のような――

「バーン」

「つめたっ!」

「えっへへ」

 にこやかに笑う彼女はその笑顔を絶やさず銃口をこちらに向けてきて、そして発砲した。テーブル濡れたんだけど。まあ楽しそうなのでもう許しちゃおう。楽しそうでなにより。

「はい、私の勝ちね」

「どういうことだよ」

 一二三はここでカバンから一枚の紙を取り出す。なすがままに渡された紙に視線を落とす。

「今回は、水鉄砲対決」

「水鉄砲?」

「そうよ。コートは二十メートル四方。そのなかで一対一の撃ち合いをして、先に被弾した方が負けってことになったわ」

「ほう」

 そんなんで自販機が何十万台と貰えちゃうわけか。世の中簡単だな。

「吉島くん、甘いわ!」

 しかし、そんな俺の前に真面目な表情の一二三が立ちはだかる。

「ルールをご覧ください」

 逆らうとめんどくさそうなので素直に見る。

「えーと、『コートは二十メートル四方、水鉄砲で先に被弾した方が負け』…………なんだよお前が言った通りじゃねえか」

「そう。でも、ルールはそこに書いてあるだけじゃないわ」

「どういうことだ?」

「つまり…………」

 遠くのビルの窓に反射して光が部屋に差し込む。


「ここに書いてないことは何をしてもいいのよ」


 一旦オレンジジュースを口に含む。

「つまり?」

「参加チームにはかつては法律に触れるか否かのラインで営業してた会社もあるのよ? そんなところが正攻法で戦ってくると思う?」

 それは偏見だろ。

「そこで私たちは、可能な限り技術と労力と金をつぎ込み、あくふれを日本一にするために動き始めました。それがこれ」

 一二三はカバンから一丁の銃を取り出す。さっきとはまた違う、胴体の長いやつ。

「射程距離は十メートル。口径はこの通り細いから相当な勢いが出るはず。ただ水を二百ミリリットルしか入れられないのが難点だね」

 一二三が丁寧な解説をする。見た感じはアリスブルー色であくふれらしさがでていて、それでいて射程距離十メートルと。なかなかやるじゃん。

「で、この最大の弱点を克服するのが、このもうひとつの銃」

 そう言って一二三は二つ目の銃を取り出す。今度はスカイブルーの色をしていて、何より――

「――でかいな」

 とにかく目につくのはその圧倒的なサイズ。さっきのは一般的なピストルのサイズだったが、今回のはそれを遥かに越えるサイズ。蓋が広めに設計されているから底面積が大きく、そのため高さが低い。

「二百ミリリットルっていうのは、実際には五から六発程度なの。これだと撃ち合いになったときに勝てないから、止めを刺すときに使うの。すごく接近できたとか、相手が弾切れになったとか」

「ほう」

「でもこっちは違う。攻撃性より容量を重視した守備型の銃。具体的には四リットル入るわ」

「四リットル⁉」

 人が一日に飲む水の量じゃん。いやそれよりも多いレベル。

「これを持ってくるの結構憚ったのよ? こんな大きいの、邪魔でしかなかったし」

 邪魔とか言うなよ。社運を握ってるんじゃねえのか。

 てか水抜いてくればよかったじゃん。わざわざ水入れるからそんなことになるんだろ。

「ちょっと貸してくれよ」

「ん」

 四リットル入る規格外の大きさの水鉄砲を受けと――

「――重っ!」

 突如として腕に発生した重みをなんとか受ける。

「ああ、それね、どう軽量化しても水が入ると四キロ以上になるのよ」

 四キロて。こいつよくこんなの持ってたな。あんまり辛そうにしてなかったぞ。

「すごいな、ほんとにでかい」

 机を挟んでいたからよくわからなかったのかもしれない。実際に持ってみると顔の二、三倍はある。

「こんなクソでかいの、あくふれは持てるのか?」

「だから背中にタンク持たせてるんじゃないの」

「え、あれって初期装備じゃないの?」

「違うわ」

 一二三はなんでもないようにつづける。

「だってあれ、うちが勝手につけたんだもん」

「え、そうなの?」

「そうだよ」

 あくふれは意図的になのか、背中のタンクを見せる。

「野球場のビールの売り子さんみたいに持ってる背中のタンクは、この銃を持つための重さに耐える練習のひとつよ。予めそういう意味で取り付けるって決めてたわ。だから脱ぐことも出来るの。ちょっと脱いでみてよ」

「あ、はいー」

 あくふれはひふみの言葉に頷くと、

「ちょちょちょちょ!」

「はい、なんでしょう?」

 きょとんとするあくふれ。自覚なしか。

「あー、その脱ぐじゃないわ」

 ものすごく冷静に止める一二三。え、もう日常茶飯事なの?

「あ、そうなんですか、じゃあ何を脱ぐんです?」

「背中に背負ってるやつよ」

「あ、これ脱げるんですか」

「そそ」

 あくふれは腰に当てた手を背中に回し、ランドセルを下ろす感覚でタンクを下ろした。

「おお、なんだか肩の荷が下りた気分です」

「それは物理的になの? 精神的になの?」

 あくふれはこれまでにない笑顔を見せる。え、ほんとに精神的になの?

「で、それを持ってみて」

「あ、はい」

 あくふれは一二三のすぐ横に立つと、俺からあくふれに銃を受けとる。やっぱこれすっごい重い。大丈夫かな。

 そっと、なるべくあくふれが驚かないように手渡す。

 あくふれは軽く会釈して受けとると、

「あ、こう持ちますか?」

さらっと、軽々と持ち上げて見せた。

「そうそう、できれば片手でも持ってほしいかな」

「あーたしかにそうですね、よっと。こんな感じですか?」

「痛っ」

「あ、ごめんなさい」

 持ち上げた拍子に一二三の左肩に銃口が当たってしまったようだ。扱いづらいったらありゃしない。

「すごい軽々持ち上げるね」

 指示されて持ち上げるまで二秒となかった。すごい。

「確かにあれですね、タンク背負ってるときよりは楽です」

「そう。ならよかったわ」

 一二三は肩をさすりながらうんうんと頷く。大丈夫かな。

「よし、今永くん、ここまでは計画通りよ。これからあくふれと実践形式の練習に励んでもらうわ」

「吉永な」

 一文字当たってきたのに惜しいな。

「ついてきて」

 静かに席を立った一二三は玄関に向かう。執事とかそういうのが玄関で待っているのかと思ったけどそういうわけでもなく、ただ普通の女子高生が家を出るだけという画だが、それでも真希はこわばった顔をしながらあくふれと手を繋いでついていくし、俺も名指しで呼ばれたからついていく。

「お邪魔しましたー」

 あ、一応挨拶はしていくようです。さすがお嬢様。

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