二本目 よく振ってください
第一話
「いやまあなんとかやってるよ。うん、うん、はーい」
月の最後の日曜日には両親から電話がかかってくる。まあ定例報告みたいなもので、毎回特に伝えることもないので適当に流すくらい。両親はそれが嫌みたいだけど、ほんとに伝えることがないのだから仕方ない。
「わかったよ、はいー。変わりないから。ないって。ない…………よ?」
チラッ。視線の先にはその「変わり」の正体が立っているけど、変わりはないことにする。めんどくさいからね。
「うん、そいじゃねー」
なんとか平穏無事に電話を切る。伝えることなんてなかった。
「誰と電話してたんですか?」
「あー、これは今海外に出張中の両親」
「へー、すごいですね、どこにいるんです?」
「えーと、先月がブエノスアイレスだから今はカリフォルニアかな。と言ってもメキシコなんだけどね」
「メキシコのカリフォルニア…………あの町田みたいなところですか?」
確かにアメリカにいた方が収まりがいいけども。
「お兄ちゃん違うよ、お父さんは今北京だよ?」
「え? 半年前も北京じゃなかったっけ」
「半年前はロンドンだよ」
「ロンドンはオリンピックの時だろ? 帰ってきたときに大量の写真見せられたじゃん?」
「えー、そうだっけ? じゃあもうわかんないよ」
「だからカリフォルニアで合ってるよ」
「なんか、とにかくすごいんですね…………」
すごいっつーか、これただ単に飛ばされてるだけじゃね? いやでも仕送りは来てるし、ちゃんと給料は支給されてるはずだから大丈夫なんだろう。信じるよ?
と、その時。
ピンポーン。
「はーい」
玄関のチャイムに問答無用で反応した真希は、小走りでそこに向かう。途中ひとつドアを開けて、その後は見えない。だから普通は誰が来たかもよくわかんないし、大抵が宅急便だから特に気にしない。が、今回は違った。
「あ、一二三さん…………様ですね!」
居間まで聞こえた声は完全に裏返っていた。様とか言っちゃって意識しまくってんじゃねえか。
しかしその後はよく聞き取れなかった。なんだかお互いにソプラノな声で軽く掛け合っているのは分かるんだけどそこまで。
しかし、玄関からここまで五秒。当然すぐにここまでやって来るわけで。
「あっ、余語くん、こんにちは」
「絶対余語さんより吉永さんの方が多いからな⁉」
もはや意図的に外してるとしか思えない。いやそうだろ。なんで吉永より先に余語が出てくんのさ。はじめて聞いたそんな名字。あんのかな。
「奈々さん、お久しぶりです」
「おー、元気にしてた?」
「はい。この家ではパンツは脱がないらしいんです。私びっくりしました」
びっくりしたのはこっちだから絶対。
「そういう家もあるのよ」
誰もこれがグローバルスタンダードだって教えてやらないのかよ。涌井さんというマイノリティが基準になっちゃうよ。
「さて、定期点検というか見回りというか、そういうのは何回か来たわよね」
「いや、はじめてだけど」
「えっ、そうだっけ」
「うん。俺の記憶に間違いがなければこの二週間で来たのはヤマトと集金だけだ」
しかも居留守使ってるから集金もう一回来るな。ちょうど持ち合わせてなかったの。そういうときもあるじゃん。
「そうだったかしら……真希ちゃん、ほんと?」
「はい、ほんとです…………でございます」
あんた気にしすぎだろ色々。
「そう、それじゃ今日が初回か。まあどこも壊れてなさそうだしいいね。おっけ」
「おう、そうか」
一二三のチェックが終わる。
「よし、じゃあこれで」
「ん、じゃあな。真希、玄関まで」
「えっ、何を言ってるのよ」
「ん?」
「まだ帰らないわよ」
「でもさっき『じゃあこれで』って」
すごいフェイントだぞ。
「ああ、あれは『これで戦える』って言おうとしたの」
「は?」
これで、戦える……?
「戦えるってどういうことだよ」
「どういうことって、そのために作られたんだもん」
「そのためって何のためだよ」
「あれ、言ってなかったっけ?」
左右に結われた金髪の片方を撫でるように上から下まで触ると、一二三は口を開ける。
「これから、吉永くんとあくふれには会社を背負って戦ってもらいます」
「会社を背負って、戦ってもらいます?」
「そう」
本当に真面目な顔で話し出す一二三。
「飲料業界っていうのは、実は競争が激しい分野なの」
あくふれを一瞬見ると、一二三は続ける。
「例えばうちのように、スポーツドリンクで生計を立てる会社もあれば、コーラで儲ける会社もある。清涼飲料水だけじゃなく、お酒だってある。それぞれの飲み物のジャンルにそれぞれの勢力図がある。昔はそれだけだった」
洗濯物を取り込んでいた真希も、いつの間にか横で話を聞き込んでしまっている。
「でも、今はそこに、ひとつの大企業が入ってきた。わかる?」
「…………あそこか」
「新宿製菓…………ですか?」
「そう。新宿製菓」
新宿製菓とは、自販機の飲み物の半分近くを占める国内最大の飲料メーカーだ。名前の通り新宿に本社を構えるが、そのビルはとてつもなく大きく、世界中にその工場を構える国民的飲料メーカー。
「新宿製菓は、当初お菓子を作ってた。しかしお菓子だけでは苦しくなってきて、仕方なく飲み物にも手を出したの。最初に手を出したのはコーラ。でもね」
一二三は緊張感に溢れる表情で言った。
「ちょっとだけ……………………薬を混ぜたの」
下唇を噛んでいるだろうか。悔しそうな表情を見せる。
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、中毒性を持たせたの。当時は大丈夫だったんだけど、今は禁止薬物に指定されて、それ以来は薬を使うことはなくなったんだけど、それでも旧来のファンは飲み続けた。固定客をつかんだ」
「旧来のファン…………」
それは、ファンというよりむしろ、症状が現れていたということか。
「固定客をつかむということは、まとまった収入を得るということ。ってことは、新規の事業にも手を出せるようになったってこと。その余裕が出てきた新宿製菓は、様々なジャンルに手を出すの。スポーツドリンク、フルーツジュース、お茶…………あげたらきりがないくらい、ほとんどのジャンルを蹂躙していった。そして――頂点に立った」
「…………」
今や、街を歩けば見ないことはないレベルに国民的になった新宿製菓。その脅威は、各企業に甚大なダメージを与えているらしい。寡占状態となった飲料業界。その勢力図は、やはりここ数年で変遷してしまったようだ。
「そこで!」
突然にテンションを上げた一二三は、ずいっと前面に出てくると、
「私たち、二番手になってしまった企業は考えたの。この状況を打破する企画を!」
「企画?」
「そう!」
え、なんでこんなテンション上がってるの? ついていけない。
「それが、これ!」
「どれ?」
一二三は持ってきたカバンから一枚の紙を取り出す。フルカラー印刷のその紙には、でかでかとタイトルが書かれていた。
「第一回、全日本ドリンク王決定戦?」
「主催は私たちひふみと、同じく新宿製菓に負けた会社二社」
「会社単位なの?」
「そう。まあ説明するわね」
一二三はペンを取り出す。
「そこにいるあくふれは、この戦いのために作られたの」
「そうなの?」
新商品っていう話じゃなかったっけ。
「この大会のルールは、各企業が自社の自信のある飲み物をアンドロイドにして参加させ、一対一のバトルを行うトーナメント形式なの」
全くついていけないけど話は聞いておこう。
「主催の三社で、二年かけて作り上げたアンドロイドの設計図を、各社に配ったの。新宿製菓も、中小の企業にも。各社は持ち寄ったアンドロイドでトーナメントを戦う。そして優勝した暁には…………」
「…………暁には?」
「自販機百二十万台がプレゼントされます!」
「百二十万台……」
「それってどのくらいなんですか?」
「真希ちゃん、全国の自販機の台数っていくつだと思う?」
「え? 十万くらいですか?」
「なめとるのか!」
「ひゃっ」
突然声を荒らげる一二三。のけ反る真希。
「全国には、すでに二百五十万台以上の自販機が置かれているの。自販機はもはやスーパーとかで売られるペットボトルとかレストランとかのドリンクバーとかと同じかそれ以上の利益を上げる一大事業……その中の百二十万台をゲットできるなんて大チャンスじゃない!」
「でも半分しかもらえないじゃん」
「与田くん、新宿製菓はそのうちの百万台を占めているの。つまりこの大会で優勝するということは、新宿製菓に台数で上回ることができるということなの!」
「なん……だと……?」
それってすごくないか。そりゃこいつも本気になるわ。
「すごいでしょ!」
「じゃあ頑張ってこいよ」
「何言ってんの、あんたに戦ってもらうのよ」
そういえばそんなこと言ってたな。なんか忘れてしまったわ。
「詳しくはまた言うわ。とにかく今日からあなたとあくふれは社運をかけた一大プロジェクトの一員になるの。だからまずはあくふれと仲良くなってね」
「尽力します」
すっかり元気がよくなった金髪お嬢様に気品とかそういうのは一切なく、ただの営業マンになってしまった。いい娘さんですね。
なんだかめんどくさいことに巻き込まれてしまったようだけど、俺はもうやるっていっちゃったし――言質もとられちゃったし――もういいかな。どうにでもなれ。
「じゃあ、また今度説明に来るね」
「わかった」
「頼んだよ!」
「始まったらな」
玄関まで送ると、じゃあね、とだけ言って帰っていった。
「吉永さん……」
後ろには、不安そうな表情のあくふれが立っていた。あくふれもこの事実は初めて知ったのだろう。
「大丈夫、悪いようにはしないから」
何を根拠にそう言ったのか、何が大丈夫なのか全くわからないけど、いつの間にかそう言っていた。
「……一回落ち着きますか。どうぞ」
「あ、ありがと」
あくふれは腰横のホースを差し出すと、やはり慣れた手つきで注ぐ。
キンキンに冷えたあくふれは、なぜかいつもより美味しかった。
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