第五話
「……宿題でもするか」
一人増えた。それだけでなかなか家というのは気まずくなり、真希はさっきから皿洗い、俺はすることもなくなったのでまさかの宿題、あくふれは……充電中。
「あっ、自分でプラグ挿していくスタイルね」
本当に腰の横に電源プラグが刺さっている。すごい変な感じ。見た目は完全に人間だから、何かひどいことをしているような気分になる。
「しかし、あくふれの新作ねえ……」
清涼飲料水の域を越えてきてる。いつから飲み物は自立して歩くようになったんだ。
「…………んぅ」
充電=昼寝の扱いなんだろう。なんだか知らないが普通に寝てるようにしか見えない。
「お兄ちゃん夜ご飯」
「ん、ありがと」
両親がいないので、料理に関しては日替わりで行っている。昨日が俺、今日は真希。
「今日はオムライスでーす」
机の上に並べられた二つのオムライス。いつの間にこんなに卵をふわとろにする術を身に付けたんだ妹よ。
「…………で、これ、あの子から定期的にあくふれを飲まないといけないやつだよね」
「そうっぽいな」
「なんでこんなの請け負っちゃったのさ」
「なんか呑まれちゃったんだよ。いろいろ。あいつも大変なんだ」
「あいつってさっきの人?」
「そう。経営不振に陥った会社を立て直すのに必死らしくて」
「会社を立て直す? 会社って何の?」
「ああ言ってなかったか。あいつひふみの社長令嬢」
「社長令嬢おっ⁉」
突然大声をあげる真希。心なしかスプーンを持つ右手がわなわな震えている。
「どうしよ…………十二パック三百円のお茶いれちゃった」
「そんなことか」
「そんなことって、こういう小さいことの積み重ねが後に大変なことになるんだよ⁉ おうち担保だよ‼」
「飛躍しすぎだ! あとマンションでそういうこと叫ぶな!」
勘違いされるだろ。
「まあ、やつは月のお小遣い三千円だから庶民的なお嬢様だよ」
「何言ってんの。そういうのは三千円じゃなくて三千万って意味だよ」
「それはそれで場違いすぎるだろ」
「行き帰りもあの黒塗りの高級車でしょ?」
「別の真夏ととらえられかねない発言だな。行き帰りはリムジンとかそういうのじゃなくて普通に徒歩」
「え」
震えている右手は依然変わらない。真希は完全にろりろりしてしまっている。ろりろりってすごい副詞だよな。小六のロリがろりろりしている。ろりろり。
「たぶんそれは飛んでるんだよ。二ミリくらい」
「飛んでるのはお前の頭だな」
うちの妹がおかしいんだが。人が飛んでるとかどういうこったい。
「ひふみってだって、国家公務員が天下りでいくような会社だよ? CMにジャニーズ使うような会社だよ⁉」
「基準が若干ずれてんだよな。でもまあ大企業であることは間違いない」
「どうしよう…………お兄ちゃん、死ぬときは一緒だよ?」
「縁起でもないこと言うなよ。冷める前に食え」
「でも…………」
と言いつつスプーンを動かすあたりかわいい。素直でいいこと。
でもまあしかし、その辺の会社とはひと味違うレベルの大企業のお嬢様とくれば、普通はその反応になるか。中高で合わせて五年も同じ学校にいて、その上実は五年連続で同じクラスに配属されてるから、普通の女子高生としか見られなくなっている自分がいて、確かに驚きだ。
まあでも、たかが2ヶ月。どうにかなるだろう。その間に二回くらいこの子から飲み物をもらえばいいんだろ。行ける行ける。
飲み物のモニターなんてそんなもんだ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ん?」
「ちょっと来て」
夜九時。一人宿題に励む俺に声をかけた真希について行く。なんだなんだ。
リビングにつながるドアを開ける。
「あっ、吉永さん、おはようございます」
「ああ、起きたのね」
そこには、すでにプラグを取ったあくふれが立っていた。
「充電が終わりましたので」
所在なげに立つ彼女は、なんとか沈黙を埋めようとしているようだ。
「……と、とりあえず座んなよ」
「あ、はい…………」
「…………」
「…………」
…………え、これから2ヶ月この調子かよ。
どうしよ、機械と喋ることなんてないから全く話の始め方がわかんない! 何の話すれば乗ってくれるんだろ。
「お兄ちゃん、一回試してみたら?」
「あ、そうだな」
そうだ、俺はこいつと仲良くなるために呼ばれた訳じゃない。モニターなんだ。仕事仕事。
「あのさ、ちょっと一回飲み物注いでみてくれる?」
「あ、分かりました」
そう言うと、あくふれはおもむろにパンツを脱ぎ出した。
「いやちょっちょっちょっ!」
「待って待って!」
「へ?」
あくふれはきょとんとしてこちらを見る。パンツにかかった両手はしかし離されず、依然腰横に置かれたままだ。
「い、いいんだよ、普通にやってくれれば」
「普通……ってこれなんですけど」
「どういう教育を受けてきたの⁉」
えー、まさか提供するときにはパンツを脱ぐとかそういう仕様なの? それはすごい、なんと言うか変態だよね。誰だよそんなこと考えたの。…………いや、まさか。
「以前お邪魔したお宅では、常にそのようにするよう言われて参りました」
「誰なんだよそれ」
なんか心当たりがあるけどさ。
「確か…………涌井さんだったような」
「やっぱ涌井さんじゃねえか!」
頼むから涌井さん休ませてあげて!
「そうですか、パンツ脱がなくていいんですね。分かりました」
「そうだよ、普通はそう。涌井さんが異常なの」
「そうですか……」
常識が覆されたあくふれはパンツから指を離し、決意のこもった表情をして、
「じゃあ、パンツの上からですね」
「いや違うって! 普通に背中のタンクから出せばいいって!」
「いや、何を言ってるんですか吉永さん。背中のタンクは非常用、体の内部から出すのが通常用ですよね?」
「どういう教育を受けてきたの⁉」
「ですから涌井さんがそうおっしゃって」
「涌井さん筋金入りの変態じゃねえか!」
もう涌井さんのことで頭がいっぱいだよ!
「お兄ちゃんどうするの……?」
「とりあえず概念を変えてもらわないとな……うちでは脱がなくていいからね」
「分かりました。尽力します」
それは脱がないようにってことかな? 斬新な努力のしかただな。
「じゃあ吉永さんの言う普通でやりますね」
吉永さんの言う普通はワールドワイドだって気づかせてあげたい。可及的速やかに。
ここまで言ってやっと折れたあくふれは、腰に手を伸ばすと、噂に聞いた通りホースを手にとる。
「コップあります?」
まあたぶんこれが一番汎用性の高いスタイルなんだろう。涌井さんのせいで変な感じになったけど、たぶんそうなんだろう。
テーブルの上を見渡したけど空いているコップが見つからなかったので、手元にあるすっかりぬるくなった緑茶を飲み干してコップを空ける。
「じゃ、失礼しますね」
礼儀正しいスポーツドリンクは静かにそのホースの口をコップの縁に当てる。なるほど、野球場のビールの売り子みたいな感じね。
「はい」
「お、見た目は普通なんだな」
どこにでもあるスポーツドリンクの色。アリスブルーとでも言おうか、そんな感じ。
あくふれは真希にも同じように注ぐ。
「飲んでみてください。電気で作ったあくふれ」
「お、おう」
緊張の一瞬。飲まなきゃ始まらないし、飲んでみたい。でも死にたくない。怖い。
いざ尋常に。
「いただきます」
部屋の電気が水面を照らす。その輝きは俺を誘っているようで。
半透明の膜に口をつける。そのまま意を決したように一口。続いて、二口、三口。
…………気がついたら、全く飲み干していた。
「い…………」
「い?」
「いける!」
「ありがとうございます!」
「あー、これ美味しい!」
「真希さんもありがとうございます!」
普通に美味いこれ! 普通に美味いとは普通にスポーツドリンクの味がする。他のなんでもない、あの独特な味。全く同じあくふれの味がした。
それは、電気からあくふれが作れるということ。
「どうなってるんだろう……」
「企業秘密です」
さっきから元気のいいあくふれは、満面の笑みでそう言う。機械にも表情出せるんだな。感情もあるってことか。凄いな。
「美味しいんだけど。もう一杯お願いします」
「ありがとうございます」
慣れた手つきで二杯目。俺らは何をビビっていたんだろう。こんなに美味しいものをどうして怖がっていたんだろう。
これだから人間はダメなんだ。新しいものに飛び付くのが怖くて、どうしても二人目であろうとしてしまうのかもしれない。まあ死にたくないしね。その点涌井さんは時代の先駆者なんだけど、俺もその域に行けただろうか。
「これからもよろしくな、あくふれ」
「はい、吉永さん」
機械になったスポーツドリンクは、その爽やかな風味を内面から押し出すかのようにきれいな笑顔でそう言った。
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