第二話

「会社を…………助ける?」

「そう。会社を助けてほしい」

 まっすぐに見つめてくる彼女は、大手飲料メーカー「ひふみ」の社長令嬢、俗にいうお嬢様なのだ。しかし、学校の行き帰りは徒歩、月のお小遣い三千円という、なんとも庶民的なお嬢様。

 一二三は一寸の迷いもなくこちらを見据えてくる。こんなお嬢様とお近づきになれる大チャンスではあるっちゃあるのだが、俺は選択肢Bを選びとる。

「悪いけど、食品偽装をする会社には関わりたくないかな」

「…………」

  A:助ける。

 ▽B:拒否する。

 もしエロゲーだったらこいつにはフラグが立たないルート一直線だ。ポジティブな選択肢を積極的に選ばないスタイル。しかし、エロゲーとリアルには時間軸という不可逆な存在がある。

 じゃあ、どうして俺が拒否するを選択したのか。簡単である。

 実はこの会社、三ヶ月前に社員による食品偽装問題が発覚して以降、経営が地に落ちてしまったのだ。果汁七十パーセントが実は三パーセントだったってやっぱ添加物ってすげえんだな。

 というわけで、つぶれるわけない会社ランキングでも上位に来るこの会社だが、現在株価は下降の一途をたどっている。そんな会社に今から首を突っ込むのは高校生にしてはギャンブル性が高すぎるのだ。

「あれは…………島袋さんが勝手にやったのよ」

「…………それお父さんも言ってたよな」

 テレビで同じようなセリフ聞いたぞ。

「だって事実だし」

 そう言って口を尖らせる一二三。なんかふてくされてしまったので話題を変えよう。

「で、用件は?」

「会社を立て直してほしいの」

「……あのな、俺も暇な訳じゃないの。確かにクラスメイトが困ってるのはちょっとも助けたくない訳じゃないけど、俺にも俺の都合というものが――」


「昨日、あくふれ飲んでくれてありがとう」


 唐突な話題転換。

「うちが売り出した飲み物の中で最高の売り上げを誇るエース、AQUA―fresh。その成分を開発するまでには社員の血の滲むような努力があったの。社畜だ社畜だと言われても、あの人たちの信念は変わらなかった……」

「お、おう」

「そして完成したのがあのあくふれ。運動後の水分塩分糖分その他もろもろをできる限り吸収しやすい形で閉じ込めた究極のスポーツドリンク。それがあくふれよ」

 会社への知識とか愛とか、そういうものが滲み出る一二三の話。なんとまあ真面目な娘さんだこと。

「さて、そんなあくふれを部活後に飲んでくれた…………や…………よ…………えと」

「吉永」

「そ、そう! 吉永!」

 名前知らねえで屋上連れ出したのかよ。斬新だな。

「吉永くんはどうして数ある飲み物からあくふれを選択したの?」

「どうしてって…………運動した後に飲むと美味いし、それ以前に何となくって感じだけど」

「それよ!」

 ずびしっ。距離にして三メートルくらい奥から人差し指が伸びてくる。元気だなお前。

「今や学生からマジのスポーツ選手まで幅広い層に親しまれ、それでいて『何となく』の気分で飲まれるようになったあくふれは、文句なしにわが社のエースで四番となったの!」

 百万ドルの笑顔で自慢げに語る一二三。対照的に空腹に身を任せただただぼーっと話だけ聞いている俺は、

「それで、だからどうしたってんだよ」

と話を進めさせる。

「聞いて驚きなさい」

 ふんっ、と荒い鼻息を漏らすと、一二三は続ける。


「あくふれに新作が出るの!」


「……へー」

「何よその薄い反応は!」

「いやまあだってよくある話じゃん。ここ最近だと水をリンゴ味にしてみたりスパークリングさせてみたり温めてみたり冷ましてみたり、もうあらかた出尽くした感あるよね」

 つい最近飛騨の天然水がスパークリングした。その前は飛騨の天然水がもも味になった。いずれにしろ出たときは衝撃があるんだけど、便乗した他企業や他製品までスパークリングしだしたから冷めてしまった。あ、でもおでんスパークリングは頑張ったね。出汁がいい感じにのどを突き刺してくる感覚。ありだったようなだめだったような。

「大丈夫」

 が、そんな俺の心配というか余計なお世話を有り余る自信でつっぱねる一二三は、灼熱の太陽がもたらした熱気を存分に吸い込んで言い放った。

「今度のやつはすっごいから」

 にひっ。

 満面の笑みはどこからわいてくる自信なのか。崖っぷちの会社の社長令嬢さんは、それでもなおまっすぐに何かを見つめていた。

「で、そのモニターをやってもらいたいというわけ。もちろんやるわよね」

 ずいっ。一歩二歩踏み込んで近づく一二三は、右手を俺に差し出してきた。握手を求めている。

「何でやる前提なんだよ」

「何よ、この私の言うことが聞けないっていうの?」

「何様だよ」

「お嬢様よ」

 自分で言っちゃうのかよ。

「まあそれはそれとして、やるのよね?」

「だからまだやるなんてひとことも」

「やらないとも言ってないじゃない。どうするの?」

「…………報酬は?」

「そうね……」

 顎に右手を当てて考える一二三。ふん……とか声を漏らして一息。

「じゃあ、売れたら考えてもいいわ」

「なんだそれ」

「モニターなんだから試作段階でしょ? あくふれが売れたら考えてもいいよということ。ね?」

 いやまあ至極全うなんだけど、それはさー……。

 嫌そうな顔をしている俺に気づいたのか、一二三は付け足したように続ける。

「もう分かった、じゃあ確定であくふれ一年分ね」

「一年分も要らねえよ」

「いいの! とにかくやってほしいんだって! 分かってよ‼」

「わ、分かったよ」

 突然変異。目尻に涙を浮かべられては困るわ。なんか申し訳ない。

「やりゃあいいんだろやりゃあ」

「そう、やればいいのよ」

 一二三の顔がぱあっと明るくなる。左手でごそごそやった後、両手で俺の手を包み込んできた。

「で、いつまで?」

 純粋に明るい顔だった一二三の顔が、ここで歪む。嫌なにやけかただけど大丈夫?

「そうね…………」

 たっぷり二秒はあった。その間に鳩は飛び立つし木の葉は散った。


「2ヶ月」

「やっぱやめとくわ」


「なんでよ!」

「思ってたのと違ったんだよ!」

 そこそこ長いじゃねえか2ヶ月。夏休み全部じゃねえか2ヶ月。

「へっへー、もうやめられませんよ。何せやるって言ったもんね」

「ど、どこに証拠があるんだよ」

 こうなったら足掻くしかない。交渉を先延ばしにすれば一二三もめんどくさくなって何もかもあきらめて別の人にするだろう。せめて3日――


『やりゃあいいんだろやりゃあ』


 刹那、一二三を見る。そこにはもう笑顔が消え去って変な表情の一二三が。

「言質とっちゃったてへぺろ」

「お前は企業スパイか何かなのか? え?」

 にへー。だらしない笑顔。ふざけんな。

「やるって言ったもんね、やるでしょ?」

 人ってこんなに色々歪んだ顔ができるのね。そんな筋肉動かしたことないわ。

 しかし、ここまでするとは、一二三も本気で俺にやってほしいんだろう。別に損があるわけでもないし、新作として世に出たとしたらその時は個人的優越感を感じられるなあ……

「……しゃーない、やってやるよ」

「そう来なくっちゃ! 住所はこっちで調べておくわ。二日くらいで届くから待ってて。よろしく」

 交渉を成功させた営業マンってこんな感じなのかな。抑えきれない喜びを全面に押し出してにやける一二三。まあ泣き顔を見るよりはいいか。目の前で女の子が泣くのってなんでか知らないけどいい気持ちはしない。

 とにかくこれから大量のあくふれと共に2ヶ月を過ごすんだろう。てか2ヶ月て。ダイエットサポートの何かとかいうわけでもないんだからそんな長い期間やる必要なくない?

 陽炎が揺れる。ゆらゆら。空気が今日はきれいで、房総半島まで見える。遠くを見てたからか、目の前に工場の煙がもうもうと立ち上がるのは特に気にしなかった。

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