一本目 直射日光を避けたい

第一話

「あっつ」

 焼けるような暑さを猛暑という。猛烈な暑さとはよくいったものだ。

 六月。初夏の「初」は字面だけのもので、実際にはただの夏。

 昨日も暑かったが、しかし今日は朝からひどい。「洗濯日和」とかうたっていたお天気お姉さんは外にいすぎて頭がいかれたのだろう。何が日和だ。

 しかも電車の中も暑かった。まさか飛び乗ったのが弱冷房車とはね。ラッシュの時間帯の弱冷房車なんてもはや灼熱ジャングル。

 しかも、今日といったら。

「……遅刻!」

 駅に降り立った時点で残り五分。ここから七百メートル離れた学校までは歩けば十分かかる。

 ――走るか……

 こうなったらもう自棄である。襲い来る灼熱の日差しを背中に受けていることなぞ何のその。無遅刻無早退無欠席を中高四年キープしている俺は、今日も今日とて走るのである。


「ま、間に合った……」

 八時三十四分。あと二秒遅れていたら遅刻だった。そこそこ鍛えた両足をいかんなく発揮して、今年は何回つじつまを合わせたか。

 ホームルーム中は息を整えるためだけに時間を使った。幸か不幸か名前的に席が一番後ろなので、まあ全く聞いてなくてもばれない。

 結局、ホームルームはつつがなく終わった。

 高校に上がってからと言うもの、生活がだらしないのは否めない。どうしたって朝は遅刻ぎみだし、家に帰ってからはろくに勉強もしない。いつからこんな生活になってしまったのかわからないが、中だるみみたいなものなのかもしれない。

 中だるみ――中高一貫校生特有の現象で、主に中三から高一にかけての二年間、生活のマンネリ化に気づいてしまい、少しずつ少しずつサボりだしてしまうことだ。結果的になにか悪いことが起きると他のせいにする一番たちの悪いもの。

 まあ、そんな中だるみにとって成績も中の上、部活も二軍な俺は格好のカモであり、現在とらわれてしまったというわけ。ほら、言い訳してるでしょ?

 良くないとは思ってるけど抜け出せない、みたいな。高三になれば受験だし自然とやることやるでしょ、とかなんとか自分を正当化してみたりする。

「あっつ……」

 が、いかんせん炎天下をもうダッシュしたのは間違いない。朝から身体中汗だらけ、もう気持ち悪いったらありゃしない。

 教室に流れる冷風をしっかり受け止める。冷房考えたやつ天才だと思う。


「お前今日もギリギリかよ」

「うっせえなほっとけよ」

 開口一番、人の痛いところをついてきたのは、前の席の桑田。なんだなんだそういうの趣味なのか? 人に迷惑をかける趣味だな。

「こんなクソ暑い中ダッシュで学校来るなんて馬鹿馬鹿しくないか? 人間も自然の法則に則って生活するべきだよ」

「どういうことだよ」

「つまり、夏休みを可及的速やかにスタートさせてだな」

「一応まだ六月入ったばかりなんだけども」

 まあ確かに六月って祝日ないしダルいのは分かる。我に休みを。

「ほら、クラスを見渡してみろよ。このザマだぜ」

「まあ……確かにぐったりしてるけど」

 特に隣の女子なんて机に上半身を預けながら死んだような顔が窓を向くという非常に六月を具現化したような格好をしている。分かるよー、分かるよー。辛いよな六月。その金髪が哀しく映えている。

 もはや起きているのか寝てるのかさえわからない。どういう状態なんだか。仮死状態?

 しかし、各人には各人の事情というものがあって。

「あ、まあこいつの場合はなんか違うか……」

 何はともあれ、六月は始まったばかり。気の進まない平日ループを歩むことはもう決まってる。割りきろう日本。


「終わり」

「きりーつ」

 そんな一日も、四限目が終われば話は別だ。昼休み――この響きのよさは何者にも敵わない。もはや飯を食いに来てるのか勉強しに来ているのかもわからないほど。いや勉強しに来ているやつなんてむしろいるんだろうか。

 まあいい。よそはよそ、うちはうちで、見せかけの教科書を机に突っ込むとすぐさま弁当を取り出す。慣れた手つきで開封すると、そこからはもうバラ色ランド。

 やっぱり飯を食いに来てるなこれ。そう感じざるを得ないほどにテンションが上がってきた。今日は茹で玉子から食べようか――

「ちょっと、ちょっと」

 と思っていたところで、横から肘をつつかれる。

「なんだようるせえな」

 俺は声だけで抗議して心は目の前の弁当に集中させる。この時間のために学校来てんだぞ邪魔すんなよ。

「ちょっと、ちょっと」

「なんだっつうんだよ」

 ここで初めてその行為の主を見た。声からして大体誰かはわかってたけど、視線さえ送らなかったのはそれがこの人だからでもある。

「屋上来て」

 金髪ツインテールを肩まで伸ばした隣の席の女子は、一言そう告げた。

「悪い、あいにく今は取り込み中なんだ、後にしてくれ。ほら、この茹で玉子が俺を呼んでるだろ?」

「いいから来なさいっての!」

 がしっ。

 彼女の右手が、俺の左腕を捕らえる。意外と力のある彼女が俺を椅子から引き剥がすまで三秒もかからなかった。

「おいちょっとちょっと!」

 周囲の視線を痛いほどに受けながら教室を後にする。もはや茹で玉子から発せられるオーラは閉じられる扉に阻まれ届かなくなってしまった。大丈夫、絶対食ってやるから。

 夏の生暖かさが廊下全体をおおっている。むんわーって感じ。外に出るのが億劫とかそういう次元はすでに越えて、もう人間の住む場所じゃなくなっている。何が言いたいかって早く帰してくれよということ。

 一段飛ばしで階段を上がる。二分もすれば屋上に行ける。ガチャガチャガチャと意味もなく三回ドアノブを動かして扉を開く。猛暑の外へのワンツースリー。

 オープンザドア。

「あっつ」

 どうしようもない猛暑が俺を襲う。やっぱりかよ。太陽に有休を。

「ふぅ……」

 俺の自由を完璧に奪った女が立ち止まる。俺はその姿を正面に見ながら、希少な日陰に移動して問う。

「で、こんなとこに連れてきて何のつもりだよ、一二三ひふみ

 屋上入ってすぐのところのスペースで、三歩分のスペースを空けて対峙するのは、隣の席の一二三奈々。態度は強気。何人かは完全に恐れてしまっていて、何人かに完全に崇め奉られてしまっている存在だ。

「ちょっと相談」

 そして何より、彼女にはある特性がある。それは――


「お願い、会社を助けてほしいの」


 彼女は、本物のお嬢様なのだ。

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