Chapter3

『 神田 アヤカ 1 』




 人生というものを、他人と比べることに何の意味もないとは思うけれども、それでも私の人生は、他の人と比べてとても悲惨で、壮絶で、そして救いがないと思う。


 数週間前、母親が殺された。


 それは、あまりにも突然だった。前触れなんて一切なかった。

 なんで、なんのためにお母さんが殺されなければいけないのか、全くわからなかった。

 犯人は未だ見つかっていない。この部屋には犯人の痕跡は何一つ残されていなかった。

 叶うのならば、私のこの手で殺してやりたい。たった1人しかいないお母さんを奪った未だ知れぬそいつを、私以外の誰かが裁くことすら、許せない。


 お母さんのいない朝、いったい何度目だろう。やけに狭く感じていたこの部屋は、1人で生活をしてみると一変、広すぎて虚しさばかりが充満していた。


 実をいうと、お母さんのことを私は、大好きだったわけではなかった。

 若くして私を生んだ母は、とても未熟だったそうで、私を産んでからというもの父親と上手くいかず、私が小学校低学年の時に離婚してしまった。その後、一度も私は父親には会っていないし、正直、顔もよく覚えていない。

 お母さんは離婚してから、そのストレスから私に強く当たるようになった。とはいっても私も小さかったので、実際いつからそうだったのかはよく思い出せない。とにかく私は常日頃、母親から言葉と暴力で散々虐げられていた。

 あの子に出会ったのはそんな時。……彼女の名前は、フミカ。

 いつものように家に帰りたくなくて公園のブランコに座って、ただ膨大な時間が過ぎ去るのを待っていった。必要以上に綺麗な夕焼けが私をオレンジに染め上げていたまさにその時、フミカに出会った。

 まるで男の子みたいな口調でしゃべるけど、とても優しい子で、いつも一人ぼっちでいる私に話しかけてくれた。いつもそばにいてくれた。彼女に辛い気持ちを話すと少しだけ心が安らかになった。そんな素敵なものを私にたくさんくれる彼女に私はいつも感謝していた。心にも少し余裕ができて、家から、母親から、逃げ続けることもしなくなった。


 そうしてついに、フミカと出会ってからしばらくたった後、母親は私への虐待をやめてくれたのだ。


 フミカは、「きっと時間がお母さんの傷を癒してくれたのだろう」と言っていたが、私はそれはフミカがいたからこそだと思っている。

 とにかくそこから、私とお母さんは人生をやり直していけると思ったのだ。



 ——なのに。



「なんで死んじゃったの……お母さん……」



 1人の部屋に虚しく声が響く。時計を見ると、そろそろ家を出なければ授業に間に合わなくなりそうな時刻を指していた。

 別に、サボったって構わないのだけど、家にいてもお母さんのことを思い出してしまうだけだから支度をして家を出る。

 学校へ着き、授業する教室に入っても基本的に私に声をかける人はいない。

 いわいる「ぼっち」というやつだ。

 他人との距離の縮め方なんか親に教えてもらった記憶などないし、私が1人でいることは必然でさえあると思う。そんなわけでめでたく孤立中の女子大生である私に話し相手など存在せず、いつも時間はただただ過ぎていく。


 今日も例外ではないみたいで、私の周りの時間は、私を残して、流れていく。


 私はそんな持て余した時間を使って、その事件を調べていた。

 ただの女子大生である私が1人でそんなことをするのは、すごく大変なことだったけど。

 でも、くじけるわけにはいかない。

 必ず、私のお母さんを殺したやつを見つけて、




 この手で、……殺してやる。




 ……と、決意したものの、捜査は難航を極めた。

「そりゃ、私なんかが簡単に捕まえられるなら、警察がとっくに捕まえちゃってるよね……」


 とりあえず、まず私は事件を詳しく調べた。……といっても、ほぼ当事者だから、世間よりも私のが詳しいんだけど。

 とりあえず、犯行時刻は、私が大学へ行って帰ってくるまでの間であることは間違いない。

 朝9時に家を出て、その日は15時頃まで授業。その後まっすぐ帰ってきて16時頃に私はお母さんの遺体を発見し、警察に通報した。家を出る時にはお母さんは寝ているのは確認していたからおそらく、私が学校へ行っている間に犯行が行われたのだろう。

 事件当日、目撃情報はゼロ。私が家にいなかった時間はそれほど人通りが少ない時間ではないし、現にあの日あの場所を通りかかった人は何人もいて、その人たちに聞いてもその日はだれも怪しい人影はみなかったらしい。

 凶器は、私の家で使っていた包丁。指紋は警察の話では私と母親のものいがいは見つからなかったらしい。数え切れないほどの刺し傷と、まるで池みたいに広がった血だまりが……。

「——っ……!」

 ……思い出したくないことを思い出してしまった。やめやめ。

 兎にも角にも、捜査は八方ふさがりだ。何か手を打たなきゃいけない。

「って言っても、頼れる人もいないしなぁ」



 私が通う大学と自宅は結構近場にあり、所要時間は大体40分ぐらい。自宅から自転車で10分の最寄駅から電車で4駅ほど移動し、そっから歩いて5分。乗り換えなしのらくらく通学だ。


 自宅の最寄駅で電車を降り、ほど近くにある駐輪場に向かっていると、聞き覚えがある声が響く。


「アヤカ、何暗い顔してんだよ」


 下を向いて歩く癖がある私は、そこの声に反応し、顔を上げる。

 フミカちゃんだ。女の子らしくない、盛大なあくびをしている。

「あ、フミカちゃん、おはよう。昨日夜更かしでもしたの?」

「おはよう。ん……まあ、ちょっとな。……また探偵ごっこか?」

 フミカちゃんが呆れた様子で聞いてくる。

「ごっこじゃないよ! 私は本気なんだから!」

「……そんなことしたって危ないだけだぞ。そういうのは警察に任せとけよ」

「でも……、」

 警察に捕まるのなんて嫌。私が、……私が殺さないと……。

「はあ……。まあ、無理だけはしないでくれよ。お前が殺されちまったら元も子もないし、それに私が困る」

 こんな、何の取り柄もない、欠落だらけの私を必要としてくれて、そして心配をしてくれる。やっぱりフミカちゃんは優しい。

「……うん、ありがとう、フミカちゃん」

「……だから、そういうのやめろって。……まあ、無理だけはすんな、じゃあ、また後でな」

 そして少し恥ずかしがりやなところが可愛い。ああ、いっちゃった。

 話し相手もいなくなってしまったので、駐輪場で自分の自転車を探す。




 …………どこに置いたっけ……。






 ペダルを漕ぎながらも思考続く。

 まず、お母さんが殺された理由は何だ。さっぱり見当がつかない。

 体には、複数の刺し傷。犯人はよほどお母さんに恨みがあったのだろう。

 とてもじゃないが、その光景は通り魔のような突発的な殺人には見えなかった。

 やっぱり報道されている情報だけじゃ、限界がある。警察が握っている情報も知れればいいんだけど、そんな漫画みたいなこと、簡単に起こるはずもないし……。


「……まだいるんだ」

 自宅から程近い場所。未だに警察は周囲を調べているらしくて、パトカーが止まっている。見つかるとまた話を聞かれたりするんだろうか。なんとも面倒くさそうなので私は道を変えて遠回りし家に帰ろうと決めた、いつもとは違う路地に入る。


 足踏みばかりで、こんな調子で犯人なんて見つけることなどできるのだろうか。

 手がかりが全くなく警察も犯人を見つけられずにいるみたいだし、遠くへ逃げていたらどうしよう。というか普通逃げてるよなあ。


「はあ……」

 そんなため息が漏れたのは、自分の部屋にやっと辿り着いた時だった。

「あ」

 冷蔵庫に何もないのを忘れていた。外には警察がいるから買い出しに行くのも億劫だ。

「……まあ、1日晩御飯食べなかったところで死ぬわけじゃないし、いいか」

 私はもう寝てしまおうと、布団を敷いてグダグダしながら過ごした。




 明日の私、いろいろよろしく。

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