第三話:野菜なんて作ってるからだ!


 誰が言ったか、スマホは時間を食べて動いている。

 スマートフォン、最高の暇つぶしアイテムだ。ネットサーフィンにゲームに電子書籍、カメラに音楽にSNS。おまけに電話もできる。僕はこれが大好きだ。市役所で数時間待たされている今もこれのおかげで苦ではない……はずだったが、今僕はこれのせいで冷や汗をダラダラと流している。

 今開いているのは鳥のマークのSNS、いわゆるミニブログ。様々なアカウントをフォローしていれば眺めているだけで面白い話が転がってくる、暇つぶしと孤独感の緩和に長けたSNSだ。ウリの一つに、他人の投稿を自分のフォロワーに回覧するように紹介する機能があり、面白い投稿は連鎖的に数千数万と回される事もある。そして今日も、同じ投稿がもう何度も何度も回って来ていた。

 頭が悪そうな『ちょwww近所の病院がどうみてもギャグ漫画wwwwwww』とだけ書かれた本文と、画像が一枚添付されている投稿。

 その画像を開くと、見覚えのある駐車場の写真。赤いコーンで囲まれた中に、ぽっかりと人の形をした穴が空いている。

 なるほど確かに、まるでギャグ漫画で人が落下した時の跡だ。そして始末が悪い事に、同一アカウントによる画像つきの投稿がもう一件、急速に拡散されていた。

『防波堤にもあったwwwwこの町ギャグ漫画すぎるwwww』

 ……ギャグ漫画みたいなやつことこの僕が防波堤にめり込んだ日から三日がすぎた。

 僕をめり込ませた存在(病院の方は自分で落下してめり込んだが)、クロイノはこの三日間出現していない。日々子曰く「ヒヒュッ、ま、まあ、出現の間隔はまばらだったしなぁ。二日で三体も出たし、しばらくでないかもしれない」との事だった。

 設定で『ギャグ漫画』という単語をミュートし、スマホを鞄にしまう。バレるはず無いのだが、わかっていても嫌な汗が止まらない。

 左腕の時計に目をやると、かれこれ三時間待たされていることに気がつく。小綺麗な住宅街のおかげで近年住民が増え、市役所も大忙しなようだ。

 ちなみにこれは普通の腕時計だ。時間を見るだけならスマホでも事足りるが、好みで腕時計を愛用している。

 怨念装甲二号こと派手でダサい腕時計はあの日の夜、日々子が無事に着脱機構を修理したため、今は鞄の中に入っている。

 スマホをしまった事で手持ち無沙汰になり、何気なく辺りを見渡すと市役所という所には様々な人種が居る事に気がつく。老人、若者、男、女。風貌もサラリーマンのようなやつから和服のババアまで様々だ。様々な人種が待たされたり、怒鳴ったりしている。そんな中、異様に目立つのが一人いた。

「ねーねー! これなぁに! 何て読むの!?」

「えーっと、お嬢ちゃんお名前は? どこからきたの?」

「おじさん誰!?」

「おじさんは市役所の人だよ……困ったな」

「困った!」

 少女と市役所のおじさんが会話している。いや、会話になっていない。

 その長くて黒い髪の少女はこれまた黒のワンピースを身につけ、裾からは黒いソックスに包まれた足がスラッと伸びている。背丈から察するに十代の半ば程度に見えるが、それにしては言動が幼すぎる。

「九里さーん! 九里歩さーん!」

 もっと観察を続けたかったが、ようやく名前を呼ばれたので僕は自分の目的のカウンターへと向かった。

「え、これってここじゃできないんですか。うげぇー、わかりました。ありがとうございます」

 僕の待ち続けた三時間は僅か三十秒で無駄になった。調べてこなかった僕が悪いが、最初に受け付けた時に教えてくれてもいいじゃないか。

「九里さーん! 九里歩さーん!」

 僕を呼ぶ声がする。振り返るとカウンターの人はすでに他の人の相手をしている。

「九里さーん! 九里歩さーん!」

 また誰かが呼んでいる。辺りを見回すと、さっきの少女が知らない人に向かって僕の名前を連呼しているのを発見した。知らない人は困った顔をしている。どういう事だかわからないが、このままでは僕が恥ずかしいじゃないか。とにかく止めよう。

「僕が九里歩だけど、どうしました」

「九里さーん! 九里歩さ、ん?」

 少女が首を傾げる。病的なほど真っ白な顔だ。

「九里歩さん!」

「そうです。さては君さっきのカウンターの人のマネしてるだけだな」

「九里さーん!」

「どうしよう……困ったな」

「困った!」

 少女が微笑む。僕は困る。またこの少女の興味が誰か他に移る事を期待したが、残念ながらそうはいかなかった。

「これ! これなぁに!?」

「これはね、腕時計だよ……」

 少女の話し相手をしていると、さっきの市役所のおじさんがすごいスピードで歩いて来て話かけてきた。

「この子君の知り合い? 迷惑だから連れて出てってくれ」

「え、違います知らない……」

「いいから!」

 気持ちはわかるけど、なんて強引なんだ。冗談じゃないぞ。

 ……数分後、僕は市役所の外で途方に暮れていた。

「困った……」

「困った! 困った!」

 少女は僕が困ったと言う度に嬉しそうに繰り返す。他は「これなぁに?」の連続だ。困った。迷子は、警察に届けるのが一番だろうか。見た目からして迷子って歳でもなさそうだが、それでも警察で良いんだろうか?

「歩さん! これなぁに!?」

「それは自販機だよ……」

「自販機!」

 喉が渇いているんだろうか。百円玉を三枚放り込む。

「好きなの押しなよ」

「好きなの押しなよ?」

 ……世間知らずとかいうレベルじゃないな。コーラのボタンを押し、出て来たコーラを見せてから口を付けた。すると少女は目を輝かせ、少し迷ってからボタンを押した。ガシャンと音をたて、取り出し口にブラックコーヒーが出てくる。

「出てきた!」

 ニコニコ顔で見せてくるのはなんだかとても可愛らしいが、本当にそれでよかったのだろうか。多分、何だかわかってないのだろうな。

 コーラを飲むのを中断し、ふたを開けてやると少女はこれまた良い笑顔で一気に飲み干した後、凄い悲鳴をあげながらどこかへ走り去ってしまった。少し心配だが、とりあえず開放された。これでよかったのだろう。

 直後、鞄のスマホがけたたましく鳴りだした。これはスマートフォンの機能の一つ、電話着信だ。取り出して画面を見ると、登録したばかりの日々子からの着信だった。恐る恐る通話ボタンを押す。

『ヒヒュッ、い、良いモノができたから、テストするぞ』

「良いモノ?」

『く、九里の部屋な』

 ブツリ、ここにも会話が成立しないやつがいた。僕の部屋だって、今から帰っても二十分はかかるが……まあいいか。一方的に切るやつが悪い。

 僕はコーラを飲み干し、空き缶を捨ててから駐輪場の原付へと歩いて行った。



 二十分後、僕はボロアパートの自室の前に転がっている小汚い白衣の女を発見した。言うまでもなく炎天下で干涸びている日々子だ。何やら縦長い包みを持っている。

「すぐ電話切るから……」

「ヒッ、いいから、お茶……お茶くれ、ヒー」

 せめて白衣脱げばいいのにと思いながら室内に入れてやる。窓を全開にし、扇風機を回す。干涸びた日々子にお茶を注いだコップを手渡し、机を挟んで正面に座った。

「お茶、お茶うまっ、ヒヒュッ、お茶っ、うまっ」

「良いモノって」

「お茶っ! うまっ! ヒッヒュ! ああ、これ」

 日々子が乱暴に包みを解くと、1メートルほどの黒い筒が入っていた。持ち手やバンドがついていて、どうやら腕に固定できるようだ。しかし手に取るとずっしりと重い。なんだこれは。説明を求めて日々子の顔を見る。

「こっ、これはアレだ、パイルバンカーだ。ヒヒュッ」

「パイルバンカー?」

 耳慣れない単語に思わず聞き返す。お茶で復活した日々子の顔にはニヤニヤが戻っている。これは、そんな事も知らないのかって顔だ。

「ヒヒュッ、て、鉄の杭が飛び出して、クロイノを串刺しにするやつ。こないだのよりでかいのが出たら十徳ナイフじゃ無理があるだろ。一号は馬鹿だから素手でやってたけど」

「そんなの、危なくないのかよ。銃刀法とか」

「た、多分大丈夫。ヒヒュッ、それに一々銃刀法を気にするヒーローがいるかよ。危ない事は危ないけどな」

 いまいちピンと来ない説明だ。僕はそもそもパイルバンカーってやつになじみが無い。鉄の杭が飛び出す? ペットボトルロケットを想像したがなんだか違う気がする。

「で、どうやって使うんだ」

「そ、そうこなくっちゃな。ヒヒュッ。丁度テストしたかったし。じっ、実演してやる」

 日々子がそのパイルバンカーとやらを手に取りながら説明を続ける。

「う、腕にまずつけるだろ、クソッ、やっぱ重いな……燃料は小型のガスボンベをつっ、使う。重い……これをセットして……、て、敵に向けて、ひっ、引き金を引く。杭はだいたい六十センチくらい飛び出す。誤射防止で引き金はめちゃくちゃ重くなってて……ちょ、ちょっとやってみるから離れて。ヒヒュッ。セイッ!」

「まて、外でやったほうが……」

 直後、大げさな爆発音と共に日々子の体がバランスを崩して倒れた。衝撃で日々子の腕からふっ飛んで行った筒は床に落ちて、見れば先から鉄の杭が飛び出している。なるほど、飛んで行くわけじゃないんだな。

 確かにこれなら、クロイノを木に打ち付ける事も楽にできるだろうし、装甲を身にまとった状態なら重さにも衝撃にも耐えられるだろう。

「ゲッ! 床に傷が!」

「ヒ、ヒヒュッ、こ、こんな感じ。いいだろ?」

「敷金!」

「ヒヒュッ! ヒヒッ!」

 日々子はテスト結果に満足なのか、いつもより激しい引き笑いをしながら筒のレバーを操作し、鉄杭を納めた。操作と連動して、空になったガスボンベが排出される。一回射出するのに一本使うらしい。

「実際の使い勝手とか、いっ、威力も試してみるか。よし表へ出ろ。ヒヒュッ、あれ、九里お前、怨念装甲二号は?」

「え、ああ。鞄の中」

「馬鹿が! クロイノが出たときわからないだろ!」

 ……そういえばそうだ。もっともだが、ならばデザインを改善してほしいところだ。言われるがままに鞄から派手でダサい腕時計を取り出す……。

「日々子……」

「え? ハッ、ハイ」

「点滅してる」

「ハイ……え?」

 派手でダサい腕時計の三つのランプが点滅していた。

「くっ、九里。行くぞ。ヒヒュッ、パイルバンカーの実戦テストだ!」



「えーっと、十一時の方向! よし、近づいてる!」

「ヒヒュッ、了解!」

 日々子のバイクが町外れの農道を加速して行く。日々子は時折、ヘルメットや顔面に虫が飛び込んで来て悶絶している。

 僕はタンデムシートに座り、背負ったパイルバンカーのずっしりとした重さに耐えている。終わったら湿布を買いに行く必要がありそうだ。

 派手ダサウォッチに目をやると、クロイノまでの距離を示す短針が、もうかなり近い事を示していた。辺りを見回す。

「いた! そこの畑だ! ……マズい、人がいる!」

 二メートルほどの背丈のクロイノが畑を歩き回っている、そしてその畑の主らしき人が必死にクロイノを止めようとしているのが見えた。

「人だと! むっ、むしろ好都合!」

 日々子が急ブレーキをかけ、大げさな音をたてながらバイクが止まる。クロイノの動きが止まった、こちらの存在に気がついたようだ。畑のおじさんもだ。

「た、助けてくれ! 怪物が!」

 おじさんが叫ぶと同時にクロイノは活動を再開した。逆三角状の真っ黒い胴体から生えた細長い足二本とまるでグラウンド整備に用いるT字トンボのような二本の腕で、歩き回りながらものすごい勢いで、畑を真っ平らに整地している。

 日々子が「クロイノの行動は様々だけど、どれも何かしら人に害がある」と言っていた事を思い出す。畑の整地……確かに害だが。害には違いないが。でも、なんでなんだよ。わけがわからない。野菜嫌いの思念から生まれたのだろうか。

「ヒヒュッ、行くぞ九里」

 日々子が颯爽とバイクを降りるのに僕も続く。待ってろおじさん、今そいつをやっつけてやる。僕に燃え上がったヒーローめいた勇気は、早くも次の瞬間の日々子の耳打ちで挫けそうになった。

「あっ、あのオッサンを指差して笑え。ついでに野菜を馬鹿にしろ。それで駄目なら、お、お前もあいつと一緒に整地しろ」

 ……派手ダサウォッチを使って装甲を身にまとい、ヒーローに変身するには、人に恨まれる必要がある。恨みのエネルギーを利用して装甲を身にまとうのだ。

 これまでにも僕は二度、他人の恨みを買って装甲を装着したことがある。一度目はなんだかよくわからないうちに終わったが、二度目は最低な気分だった。そして非常に気が乗らないが、これから僕は三度目の罪を重ねることになる。許してくれおじさん。

 ……早く終わらせてしまおう。僕はパイルバンカーを肩からおろして溜め息をつくと、おじさんを指差してヤケクソ気味に笑った。

「ハーッハッハッハッハ! 一生懸命作った畑! 整地されてやんの! ハーッハッハッハッハ! 野菜なんて作ってるからだ!」

 これじゃヒーローどころか完全に悪役の台詞じゃないか。今すぐにやめておじさんに土下座したいのをこらえながら、左腕に装着した派手ダサウォッチに目をやる。頼む、おじさん俺を恨んでくれ。

 ……一瞬の間をおいて、赤ランプが点灯した。思わずガッツポーズをとってしまった。何ガッツポーズなんてしてるんだよ。これじゃ、ただのクズじゃないか。酷い自己嫌悪に陥った直後、派手ダサウォッチの青ランプが点灯した。ごめんなさい、許してくれおじさん。今のガッツポーズは違うんだ!

「ヒヒュッ、今だ! 九里!」

 日々子が叫ぶ。そして僕は思いっきり、派手ダサウォッチのリューズを押し込んだ。

「ごめんっおじさん! 今助けるから!」

 緑色のランプが点灯すると同時に、ベキベキと音をたてて白い装甲が展開して行く。左腕の感覚が無くなる。体、足、右腕、頭が装甲に覆われて行く。全身の感覚が無くなる。直後、頭上で激しく炎が燃え上がる音がすると同時に全身に感覚が戻る。ゾクゾクとした不快な、だが強力な力が全身に満ちているのを感じる。

「蝋燭マン参上!」

 今のは僕じゃない……遠くで日々子が叫んだ。いつのまにかおじさんの背後に回り込み、おじさんに何かがしみ込んだハンカチを嗅がせて気絶させたらしい。恐ろしい手際のよさだ。だが、これでおじさんを気にする事無く戦える!

「いくぜっ!」

 僕は罪悪感を頭のすみへおいやり、整地クロイノの方へと駆け出した。

「く、九里! パイルバンカー!」

「あっ」

 忘れていた、日々子の声が届いた時には僕はもうクロイノの目の前にいた。しまった、行動が一瞬遅れ、隙ができた。整地クロイノはその隙を見逃してはくれなかった。うなり声をあげながら、トンボ状の腕で僕を思いっきり殴りつけた!

「うげぇっ!」

 吹き飛ばされた僕は整地された畑にうつ伏せに叩き付けられる。柔らかい土に体がめり込む。おかげで衝撃は大した事なかったが、見事な人型の穴を残してしまった。人生で三つ目だ。

 起き上がり、放っていたパイルバンカーへ駆け寄り右手へ装着する。生身の時に感じたような、ずっしりとした重みはもう感じない。射出用のガスボンベは三つだ、手早く一つ装填する。一撃で貫いてそのまま木に打ち付けてやる!

「では改めて、行くぜ!」

 一気に距離を詰める。パイルバンカーを構え、引き金を引く! 同時に、右手に強烈な衝撃、射出された鉄杭は……空を突いた。射出直前にトンボ状の腕の一撃で横なぎに払われてしまったのだ。

「うげぇっ!」

 さらに追撃を受けて再び吹き飛ばされた僕は整地された畑にうつ伏せに叩き付けられる。柔らかい土に体がめり込み、人型の穴をつくる。はやくも人生四つ目だ。

 距離を置いて体制を立て直す。整地クロイノの腕のリーチは広く、攻撃も強烈で早い。おまけに整地は丁寧だ。畑でさえなければ有用なやつなのに!

 パイルバンカー用のガスボンベは残り二発だ。先に弱らせるか、あの厄介な腕を切断する必要がある。パイルバンカーのレバーを操作し、鉄杭を納める。連動して、空のガスボンベが排出される。

 整地クロイノは僕を威嚇するような動きを見せながらも、整地を再開した。僕がめり込んだ人型の穴も一瞬で平らにしてしまう。不思議と妙な悔しさがある。

「九里! なっ、何やってんだ!」

 日々子だ。気絶したおじさんを安全な所へ連れて行っているつもりなのだろう、おじさんの両足を持って引きずっている。おじさんあんなに泥だらけになって……ああ石がぶつかるぶつかる、気絶してるとはいえ日々子もっと丁寧に運んでやってくれ……石か。

 辺りを見回すと、丁度手頃なサイズの尖った石を見つけた。球技は苦手だが、この力で整地クロイノに投げつけたらかなりのダメージを与えられるんじゃないか?

「食らえっ!」

 咄嗟に一つ拾い上げ、投げつけた! 命中、整地クロイノはうなり声をあげよろめく。投石、ヒーローの攻撃手段としてはカッコいい方ではないが、そうも言ってられない! そもそも変身方法の時点で僕にヒーローを名乗る資格なんてないのだ! とにかく今は、あいつをやっつけてしまう事を考えろ!

「そらっ! おらっ!」

 整地クロイノの周りを高速で移動しながら、石を拾い、投げつける。地味だが、少しずつダメージはあるようだ! ぐるぐると回りながら、腕のリーチの外から整地クロイノに向かって石を投げ続ける。日々子はそれを見てゲラゲラ笑っている。

「えりゃぁっ!」

 十数投目の石を投げつける。整地クロイノが身を捻り暴れる。

「げ、やべっ」

 マズい、デタラメに振り回されていた整地クロイノの腕に、僕が投げた石が打ち返されて弾かれた! 弾かれた石が気絶したおじさんの方へ飛んで行く。

「馬鹿! もっとどっかおじさん隠しとけよ日々子!」

「え? ああああ!」

 日々子が慌てておじさんを引きずるが間に合わない!

「ウゲェーッ!」

 ……最悪の事態は避けられたが、二番目に良くないことになった。弾かれた石は見事に日々子の頭に命中したのだ。

「痛ぇー! ヒー!」

 日々子は頭を抑えてうずくまっている。幸い意識はあるらしい。

「日々子、大丈夫か!」

「あ、は、ハイ。でも投石はできれば無しで」

 すっかり小声になっている。日々子はよろよろと起き上がりおじさんの移動を再開する。こうなる危険がある以上投石は危険だ、どうしたものか……。

 いっそもう好きなだけ整地させてやればいいんじゃないのか? 日々子の言う事を信じるなら、クロイノは放っておいてもいつのまにか消えているとの事だ。それがどれくらいだかわからないが、せいぜいここらの畑一帯が真っ平らになる程度だろう……いや、大惨事だそれは。やはり止めなければ……。

 などと考えていたら今度は整地クロイノの方から仕掛けて来た、腕を振り回しながらの体当たりだ! 身をかわし、背後に回り込む。しかし腕のリーチは背後にも及んでいた!

 振り回された腕攻撃をパイルバンカーを盾にして受ける。逆側からもう一撃、背後に跳んでかわす。距離を取り、パイルバンカーに二発目のガスボンベを装填する。

 整地クロイノのデタラメな腕振り回し攻撃には周囲三百六十度死角は無さそうだ……そしてこのパイルバンカーとやらは横薙ぎの攻撃にめっぽう弱い。さてどうすればいい? 簡単な話だ、真上か真下がガラ空きだ!

「もらった!」

 整地クロイノへ駆け出す。真上から串刺しにして、そのまま運んで木に打ち付けてやる!

「うおおおおっ!」

 十分に助走をつけて、跳ぶ。しかし思ったように力が入らない! 足場は整地されているとは言え元は柔らかな畑の土。踏ん張りが利かなかったのだ! 高さが足りない、こうなればヤケクソだ。空中でパイルバンカーを構え、引き金を引く。爆音と共に鉄杭が射出される……それと同時に整地クロイノが横なぎに攻撃を繰り出したのが見えた。

「しまった……っ!」

 失敗か、いや、胴体に直撃はしなかったものの飛び出す鉄杭の切っ先が、攻撃してきた腕に命中した!

 衝撃で整地クロイノの片腕がもげ、地面に落ちる。腕はのたうち回った後、黒い煙を上げながら蒸発して消えた。

「うげぇっ!」

 僕も空中でバランスを崩し、無様に落ちて柔らかな土にめり込む。五つ目。すぐに転がって仰向けになると目の前には縦に振り下ろされたもう片方の腕が迫っていた。慌ててもう数回転し、回避。起き上がり距離を取る。

 危なかったが、整地クロイノもかなりのダメージを負っている。レバーを操作し、パイルバンカーの鉄杭を納める。連動して空のガスボンベが排出される。あと一発しかない、最後の一発をセットする。

「九里! そっ、それ!」

 日々子だ。額から血が出て怖い顔になっているが意外と平気そうだ。

「それ! レバー押し込んでからう、撃つと、ヒヒュッ、鉄杭! 飛ばせるから!」

「もっと早く言え!」

「お、奥の手だからな! ヒヒュッ! 痛たたた」

 日々子が頭を抑えてうずくまる。整地クロイノは残った片腕を振り回しながらこちらへ走ってくる。やはりバランスが悪い、そして綺麗に片側が死角になっている。

「うおりゃあああああ!」

 距離を詰め、腕がもげた側に回り込む。最初にあったクロイノの事を思い出せ、クロイノは、時間を置けばもげた部位は再生する。一気に片を付けろ!

「ああああああ!」

 あまりカッコ良くない雄叫びをあげながら、パイルバンカーで殴りつける。これ自体がそれなりの重量だ、鈍器としても使える。

 整地クロイノがうめき、ぐらりと揺れる。すかさずもう一撃! 身をひねり反撃してくるが、片腕なら軽くかわせる……そしてできた隙をついて、足に力を込めて蹴り上げる!

 整地クロイノの巨体が浮いた。落ちる前に、瞬時にパイルバンカーの狙いをさだめ、レバーを押し込み、引き金を引く。

「いけええええ!」

 爆発音とともに鉄杭が射出される。鉄杭は止まる事無く弾丸のように飛んで行き、整地クロイノに命中した。鉄杭はそのまま整地クロイノを吹き飛ばし、背後の木に串刺しにした。

「ヒヒッ! 今だ!」

 怖い顔の日々子が自分の頭を抑えながら叫ぶ。

「わかってる!」

 串刺しにされた整地クロイノの目の前に走り、杭をさらに打ち込むように殴りつける。

「終わりだっ!」

 拳が鉄杭に触れた瞬間全身に鳥肌が立ち、腕が僅かに痙攣する。全身を包んでいたエネルギーが杭を通して、刺さった木に伝わる。

 整地クロイノがうなり声をあげ、煙となって消えた。同時に、全身を覆っていた装甲がはがれ落ち、これも黒い煙となって消える。

「やった……」

 達成感と倦怠感でその場に倒れる。体が柔らかな土にめり込む。六つ目。

「ヒヒュッ! パイルバンカー実戦テスト成功! ヒューッ! ヒッヒィー! ゲホゲホ」

 日々子が大はしゃぎしてむせている。おじさんはまだ気絶している。

「ひっ、日々子。どうするんだその人」

「ヒッ! は、ハイ。えーと、起きるまでしばらくかかるから、か、考えがあります」

 なんなんだその喋り方は。

「考えって?」

「ヒヒュッ、はっ、畑。平になっちゃったから、ミステリーサークルを描こう。全部宇宙人のせいにしとこう。お、おじさんも目を覚ましたらこの状況から、う、宇宙人のせいだと思うだろ」

「……真面目に言ってるのか?」

「ヒヒッ、だってそっちの方が面白いだろ」

 ……呆れて声も出なかった。



 数十分後。僕は見事なミステリーサークルを完成させていた。悔しいが、日々子の間抜けな案よりも良い考えが思いつかなかったのだ。だが完成した今思えば、そのままほっとくのが一番良かった気がする。日々子はヒーヒー笑いながらスマホで写真を撮りまくっている。

「ヒーッ! ヒー! ヒヒュッ! く、九里が倒れた時の穴も撮影しておけば良かった。すぐクロイノに整地されちゃったし」

「撮ってどうするんだよ、そんなの」

「そっ、そんなの、SNSに投稿するに決まってるだろ! 安心しろ、わかんないように投稿するから。 ヒーッ! ヒッヒッヒ! こ、こないだのも滅茶苦茶拡散されて、ヒーッヒヒ! ギャ、ギャグ漫画かっての!」

 SNS、写真、人型の穴、ギャグ漫画。ふと今朝の事を思い出す。

「お前かああああああああ!」

「ん? ど、どうしたんだよ九里……ん、そ、それ!」

「消せ! 今すぐ!」

「いやそんな事より、ヒッ、に、怨念装甲二号が!」

「え?」

 派手ダサウォッチに目をやる。

「マジかよ……」

 三色のランプが点滅している。つまり、クロイノが他に出現しているということだ。いつからだ、ずっと光っていたのだろうか。

「ヒッ! い、位置と距離は!」

「位置は、後ろだっ! 近づいて来てる!」

「ヒヒュッ、マズいな。おじさん気絶してるし……」

 確かにマズい、戦うには他人に恨まれる必要があるが、ここには気絶したおじさんと頭がおかしい白衣女しかいない。武器、パイルバンカー用のガスボンベももう尽きている。

 短針が十二時に近づいていく。もうかなり近い。そしてついに、それは正体を現して僕らの前に飛び出して来た。

「うわああああああっ!」

 僕は腰を抜かした。

「あーっ! 九里さん! 九里歩さーん!」

「ヒュッ、お、女の子? 九里、なに、これ」

 飛び出してきたクロイノは、どう見ても真っ黒な服の女の子だった。

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