04 反実仮想と現実の狭間で

 いつだって、予測はいとも簡単に覆される。

 その度に予測は予測に過ぎず、予報もまた同じで、100%あてにしてはいけないのだと思い知らされる。ウキウキ気分でいた日には出鼻を挫かれて、心までもが打ち砕かれそうになる。

 そういうハズレも考慮して用意周到に行動するのが大事。天候でたとえるならば、どんなに晴れていたって、今日日世界は異常気象、いつどうなってもおかしくない、ってそんなこと言うけれど、まさかいきなり真夏日が快晴になることなんてないじゃない。そういう話じゃないけどさ。

 要は、予測に頼りすぎず、保険も持っておく。

 でも、そんなことができるほど、私は器用じゃない。器用不器用があるのかはともかく、現に今、こうして通り雨に降られているのが、その何よりの証拠だ。

 大きな話に見えそうで、実際はたいした話じゃない。

 まどろっこしく言っているだけで、単に私が折りたたみ傘を忘れただけの話だ。

 放課後になり、待ち合わせの時刻まではあと少し。昇降口で私はいきなり降り出した雨を恨めしく思いながら眺めていた。

 こんなふうに、誰かから教えてもらった予測はあっさり覆されてしまうのに、どうして自分が立てた予測、それももっぱら悪い方のは当たってしまうのだろう。

 いわゆる「イヤな予感」。

 本能的なところから来るのか、はたまた経験則なのか。ともあれ、これもまた人間の不思議なところだと思う。

 ある種の未来予知。そう考えるならば、人間みんなエスパーかも知れない。そうか、私もエスパーの端くれなのか。

 でもどうせなら、私は未来予知よりもテレポーテーション能力の方が欲しいな。

 そんなことを考えていると、

「紫織、お待たせ」

「ん――え、わっ!?」

 不意に話しかけられて、びっくりした私は変な声を上げてしまった。

 よっぽど私の反応がおかしかったのか、けらけらと笑う友香。私は急速に動き出した心臓を落ち着けるように、ゆっくりと深呼吸をした。

 前言撤回、未来予知の方がいいかもしれない。

「ねえ、友香。友香はなにか超能力が手に入るとしたら、なにが欲しい?」

 急にどうしたの、と言いつつも、友香はちょっと考え出してくれた。こんなことにも友香はちゃんと付き合ってくれる。

 友香がやがて出した答えはというと、

「タイムスリップ、かな」

 私にはなんだか、意外な感じがした。

「タイムスリップ? って、超能力に入るの?」

「いや、わかんないけど。でも、あたしはそれがいいな」

「ふうん。なんで?」

 興味津々、といったように私が尋ねると、

「タイムスリップってほら、過去にも未来にも行けるでしょ? いろんな時代に行けるのって、なんか面白そうじゃん」

 思い浮かべたのは、あの国民的なネコ型ロボット。初登場は未来からやって来たし、とあるエピソードでは過去に行ったりもしていた。ああいうイメージで合っていると思う。時間を縦横無尽に行き来するのはたしかに面白そうだった。

 それから私たちはひとまず駅前の喫茶店に向かうことにした。友香の傘に入れてもらいながら、足下を気にして歩いて行く。

 雨音の中でも、不思議と友香の声はよく聞こえた。

 途中、思い出したように友香が私が欲しい超能力はなにか聞いてきたので、悩んだ末に未来予知がいいと答えると、紫織じゃ絶対に使いこなせないなんて馬鹿にされてしまった。

 他愛もない話をくり返して喫茶店に着いた頃には雨はもう止んでいた。けれど、相変わらず黒々とした雲は空を覆っていて、微動だにする気配はなかった。


 喫茶店に入ると一番奥の窓際の席に案内された。ちょうどいいことに、この席は私たちがよく座るところだった。

 向かい合うように席に着くなり、濡れてしまった鞄を軽く拭いた。中身を覗いてみると、染み込んではいなかったようで、ノートや教科書の安全を確認出来たことに安堵した。鞄は脇の席に贅沢に置かせてもらうことにした。

 注文は二人ともアイスコーヒー。雨にさらされた後とはいえ、決まって飲むのはいつもアイスコーヒーだった。もはやメニューはめったに開かない。

 コーヒーはすぐに運ばれてきた。友香はガムシロップをすでにスタンバイさせていて、目の前に来るなり投下した。私も前はよくいれていたものだけど、最近はそのままのほうが好きだ。

 友香がくるくるとストローを回すと、グラスの中の氷もぐるぐると回る。時折鳴るカラコロという音が涼しげだった。

 それをぼんやりと眺めていると、友香がふふっと笑った。

「飽きないの、それ。いつもやってるよね」

「そうかな? でも、なんか見てるの好きなんだよね」

 目をつけた一際大きな氷が三周としたところで、友香はかき回す手を止めた。氷はすぐには止まらずに、余った力でゆったりと周回を続けている。

 氷の止まるところを見届けてから友香はコーヒーを口にした。私も自分のを一口飲んだ。ひんやりとした液がのどを駆け下りて、やがて少しの苦みが口に居残った。

 コップを持つ手をテーブルに戻すのを見計らったように、

「ねえ、紫織」

 ちょっと小さな声で名前を呼ばれ、私はゆっくりと顔を上げた。

「話があるの」

 そう言った友香の顔はいつになく不安げで、どこか陰っていた。友香のこんな表情を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 私はそれだけで、イヤな予感を抱かざるを得なかった。


 話の切り出しは至ってシンプルに、単刀直入だった。

「あたし、引っ越すことになったんだ」

 だけど、そのシンプルさ故に、私はしばらく呆然としてしまった。

 友香が引っ越す。

 たったそれだけのことなのに、一瞬にして思考がフリーズして、一気に血の気が引いていった。

 そんな私の反応も、彼女は予測済みだったのだろう。友香はそのまま続けた。

「ほんとうに急な話でごめんね。こないだの金曜日にお父さんの転勤が決まって、引っ越しも昨日決めたばっかりなの。だから、まだ引っ越し先もないし、もうしばらくはいるんだけど、手続きとかあるからけっこう忙しくなりそうで。あ、場所はY県だから、隣なんだけど」

「ちょ、ちょっと待って」

 そう遮ってみたものの、うまく言葉が続かない。機能不全に陥った頭をどうにかぐるぐる回して、ひとつ聞きたいことを絞り出した。

「Y県って、引っ越すって、じゃあ高校は? 高校はどうなるの?」

 しどろもどろでへたくそな日本語になった。ここでまたイヤな予感がして、ああ聞くんじゃなかったとすぐさま現実逃避したくなった。それでも聞かなきゃと思い直したのは、まだ希望がそこにあると心のどこかで無意識に期待していたからだろう。

 けれどそんな私の儚い期待とは裏腹に、友香は唇を真一文字にしたまま俯いて、首を横に振った。

 ああ、そうなんだ――。

 私だけが世界から切り取られたかのように、だんだんすべてがスローモーションになっていく。申し訳なさそうに途切れ途切れに喋る友香の言葉はもはや遠くなり、視界はぼやけ、やがて色も褪せてモノクロになっていった。

 力なくコップを握る左手に、グラスのかいた汗がしたたり落ちた。

 やがて氷が溶けてカランと鳴った音だけが、私の世界に響き渡った。


 そのあとどうしたのかは覚えていない。

 いつ喫茶店を出たのか、アイスコーヒーは飲み干したのか、お金を払った記憶もないし、帰り道だって覚えていない。気づいたら、自分の部屋のベットに倒れ込むように寝ていた。

 寝起きのまま目覚まし時計に手を伸ばすも届かなくて、諦めた私はスマホを取り出した。

 寝起きにはまぶしいディスプレイに表示された時刻は、日付が変わって1時半。まさか誰も起こしに来なかったこともないだろうが、皆なにか察してそのままにしておいてくれたのかもしれない。

 力の抜けた手からするりとスマホが落ちて、ぽすっと音を立てた。なにかに反応したのか、なぜがロックしたはずの画面が再びぴかっと点いた。

 ぼんやりとした視界にその光がぼうぼうと映える。眠気に誘われながら、ゆっくりとした思考の中で、今日の――いや、昨日のことを思い返した。

 友香はY県に行くこと、お父さんの転勤がその理由で、引っ越しはまだ決まったばかり。まだ友香自身も急なことで整理がついていないこと、それでも荷造りを始めなければいけないことなど、これ以外にもあれこれと言っていたけれど、覚えているのはそれくらいだった。ただ、彼女が何度も念を押していたのは「もうしばらくはいる」ことだった。それがどのくらいの期間を指すのかはわからない。けれど、なにを言われようともすっかり気落ちしていた私には、それがせめてもの唯一の救いだった。

 友香が引っ越す。

 そして、高校も転校してしまう。

 箇条書きにしたら、わずか二行のこの真実。

 たったそれだけなのに、それ以上の意味を持っている。

 逃げられない、猶予付きの事実からそれでも逃げ出したくなって、でもやっぱり逃げられなくて、もがくことさえままならない。そうなってもまだ、私は無様に誰かに助けを求めているのだった。


 誰か、嘘だと言ってよ。


 それは当然届くあてもない、私の言葉。


 私は目蓋を閉じると、ゆっくり、ゆっくり、深い眠りに落ちていった。

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