02 空気感

 学校はやはり都市伝説の話題で盛り上がっていた。

 登校時刻を告げるチャイムと同時、私は肩で息をしながらクラスに入った。勢いよく扉を開いたのに、誰も振り向きはしなかった。どこのグループもその話をしていて、私が来たことはともかく、チャイムがなったことにまで気づいていないようだ。

 案の定、私の席はある五人組の女子グループに取り囲まれていて、その中の一人が机に座っていた。スタスタと席に近づいても、一向に退く気配はない。

 神妙な面持ちで話し合っているところ申し訳ないけれど、私の席を占領するのはやめてほしいな。

 そうガツンと言えればいいのだが、私が出来たのは、

「あの、席……あと、チャイム、鳴ったよ」

 とぼそぼそと言うことだけだった。

 しかし、彼女たちは話に夢中になっていて、こんなに近くにいるのに、全く気にも留められない。間の悪いことに、会議が長引いているのか何なのか、担任の先生が来る気配もない。

 私は盛り上がっているその脇で、邪魔にならないように棒立ちになっていた。

 突然、机をガンッと叩く音。見れば、このグループの中心的な女子が身を乗り出して熱弁し出したところだった。

「だから、あいつはタイムリープしてるんだよ! 未来を変えるために自殺に見せかけたドッペル殺しをしたんだって!」

 彼女の熱のこもった意見に賛同したのか、二人が深く頷いた。

「あると思う」

「さすが亜美!」

 二人が誉めちぎる一方で、残る二人はというと、いまいち腑に落ちない顔をしている。

 たぶん、今回の事件についての考察なのだろう。タイムリープ説とはまた新しい。

 その片方が鋭い視線を向けて言った。

「タイムリープって……その根拠は?」

「そんなのないに決まってんじゃん」

 まさかの即答。かと思いきや、「強いて言うなら……」と、ちょっとポーズを決めて、

「女の勘、ってヤツ?」

 そして渾身のドヤ顔。

 私的には、そんなことに女の勘を使うのはどうかと思うなあ。せっかくの第六感にしては、なんだかもったいない使い方じゃないだろうか。まあ、冗談だろうけど。

 それが面白かったのか、他の全員がどっと笑い、バカだなんだとさらに盛り上がる。

 ある一人が手を叩いて笑っていたのだが、体まで前後に振るもんだから、一際大きく仰け反った時、彼女の頭が私にぶつかった。

「いたっ」

 けっこうな勢いでぶつかられたから、じわじわと鈍い痛みが込み上げてくる。それもそのはず、彼女はまさか私がいるなんて思っていないのだから。

 彼女はぶつけた頭をさすりながらばっとこちらを振り向いた。瞬間的に私は、しまった、と思った。しかし彼女は、謝るでも責めるでもなく、

「ああ、なに、いたの」

 ただそれだけで事を片付けた。

 加害者も被害者もない。ぶつかったのが誰か確認すればそれでいい。彼女にとってはそれだけで十分なのだ。

 それも、その相手が私だから、なおさらに。

 彼女は彼女たちだけの世界だと思って振る舞っていた。私がその脇にいたせいで、おかしなことに衝突事故が起きただけ。

 私も彼女におずおずと会釈を返しただけに止めた。それを見たかはわからないが、彼女はまた彼女たちの世界に戻っていった。

 ようやく先生がやって来たのは、一時間目の始まるわずか五分前だった。

 それまで私はずっと同じ位置にいた。あんなことがあったけど、移動するにも気が滅入って、結局無意味にスマホと腕時計とを見比べて、ただただ早く時間が過ぎるのを待っていた。

 こんな時に限って時間が進むのが遅く感じる。やっぱりここにも不便なことがある。

 ああ、いっそタイムリープでも出来たら楽なのに。


 さっきぶつかったことはどちらが悪いと言うこともないし、そんなの私もどうでもいいけれど、このクラスにおける私――「橋本はしもと紫織しおり」のポジションというものは、クラスが始まって割りと早い段階からああいう具合だった。

 一言で言い表せば、「馴染めない」のだった。

 クラスに、その一人一人に、いわゆるノリってやつが、どうにも合わない。

 空気感がてんでダメなのだ。それ故に孤立している。

 ただ、決していじめられているわけではない。

 でも、きっとクラスメイトにとって私は、好きでも嫌いでもない最悪の位置関係、無関心に分類されているだろう。だから、私が孤立しているとか、全くの問題外。それこそ空気かもしれない。それも無害なやつ。その無害さが余計に、私の空気感を割り増ししている。


 いるのは知っている。

 でも、誰かはわからない。

 そんなもの。


 私もそれでいいと割り切っている。

 いつか、いくらか努力してみたけれど、やはりどうにも精神的にキツかった。だから、無理してやるくらいならこのままでいい。

 わかる人が一人でもいれば、それでもう充分。


 今さらどうしようもないでしょ。

 そんな諦めが私の心の奥底にどっしりと居座っている。

 私はそれに対して、時折、そうだね、と返事を返す。


 その一方で、まだどうにでもなるよ、と説得してくる声も聞こえてくる。

 その必死な声に後ろ髪を引かれながら、私は両手を耳にあてる。

 聞こえない、聞こえないよ。


 私の中のこの争いにも、いつか終わりが来るのだろうか?


 どっちが本当に正しくて、どっちが本当は間違っているのか。

 私はどっちを選べばいいのか。


 その答えはどこにあるのだろう。

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