RiGHT
渉
01 榊池の都市伝説
目を覚ますと、時計の針は6時55分を指していた。
私はいつも目覚ましを7時ちょうどにセットしている。今日もまた目覚まし機能は働くことなくお役御免となった。
ご苦労さん。そう心の中で唱え、目覚ましのスイッチをオフにした。
私はベッドからはい出て、カーテンを開いた。朝日が差し込んで部屋が一気に明るくなる。寝起きにはまぶしいが、これで完全に眠気が飛んだ。
着替えはてきぱきと済ませる。なるべく肌を露出させている時間を短くしたいから、このときの動きはかなり速い。べつに急いでいるわけでもなく、部屋に誰か入ってくるような事もないのだが、昔からこうだった。
布の擦れる音だけが絶え間なく部屋に響く。
最後にネクタイをしゅるりと締め、ピンで留めたら完成。第一ボタンは開けたままにして、首元に少し余裕を持たせた。
首をぐるりと回してみると、うん、ちょうどいい。
私はジャケットと鞄を抱えて部屋を出た。
リビングでは両親がすでに朝食をとっていた。弟の姿が見当たらないのはまだ寝ているからだろう。
リビングに入ってすぐ正面、四つの椅子に囲まれた小さなテーブル。食器を四人分並べるとはみ出そうなくらい狭っ苦しいのが、我が家のダイニングだった。
テレビは朝のニュース番組を流していた。朝からきちっと化粧も済ませた局の看板女性アナウンサーが、淡々とニュースを伝えていた。
視線はテレビに向けたまま自分の定位置に行き、鞄を置く。ジャケットは皺にならないように椅子にかけた。
すると、隣りに座るお母さんが半ばあきれたような顔で言った。
「あんた、今日もねぐせすごいわよ」
それに対して、私も半ばあきれたように返す。
「いいよ別に。あとでちゃんと直すから」
これは毎日の挨拶のようなものだった。
どういうわけか、私のねぐせはいつもひどい。しっかりと髪の根元までドライヤーで乾かして寝てるはずなのに、起きるとボサボサになっている。寝る体勢を変えたり、髪をまとめてみたり、いろいろとやってみてはいるものの、何ら効果は見出せないでいる。
だから私はこれを一生の難題だと思い、懲りずに毎日格闘している。そしてお母さんはそんな私をイジりたいがために毎日あのようなことを言うのだ。いい大人なんだし、そろそろやめてくれないだろうか。
とは言え、仲が悪いわけではない。普通だと思う。
それに、こういう関係は嫌いではない。絶対に口にはしないけど。
「何食べる? パンでいい?」
「うん。昨日買ってたメロンパンがいい」
お母さんが席を立つのと入れ替わるように私が座ると、『続いてのニュースです』というアナウンサーの声が聞こえた。私は視線をテレビに戻した。
『昨夜未明、また行方不明者が遺体となって発見されました。発見されたのは
アナウンサーのきれいな喋りの一方で、画面にはブルーシートを引き、現場を写真に収めたりしている警察の姿が映し出されていた。
「また結局榊池だったのね。これで何度目かしら」
メロンパンと温かいスープを持ってきてくれたお母さんがそうぼやいた。
榊原市北部の森、その奥地にある榊池は景観のきれいな池で知られていた。底まで見えてしまいそうな澄んだ水面に、周囲を囲む木々が映える。絵画にしたらとてもお似合いだろう。
しかし、地元の人はまず行かない。そのため、写真、もしくはそれこそ絵画でしかお目にかからない。ただ、榊池が森の奥地などという辺境の地にあるからではなく、観光地化しているわけでもなく、どちらかというとマイナスの意味、そのきれいさ故に恐れられているといった方が正しい。
状況が変わったのは二年前だ。それ以前は、何ら普通のきれいな池で親しまれていたはずだった。
「再発防止、警戒強化、これも何度も聞いたけれど、本当にしてるのかしらね」
「友達が言ってたけど、榊池の入り口にはいつも警察が二人いるって。早朝だろうと深夜だろうと必ずいるらしいよ」
お母さんはさして興味ないふうに、ただ「ふーん」とだけ返してきた。おそらく、私の話を信じていないのだろう。
「じゃあ、何でまたこんな事件が起きちゃったのよ」
「それは……」
案の定、痛いところを突いてくる。私は言葉に詰まった。誤魔化すように私はスープに口をつけた。
どうも変な話なのだ。
警察は確かに常駐して警備している。池の入り口は一つだし、池の周りは木々に囲まれているから、そこから出ようにも物音がするだろう。それに、仮に遺体遺棄だとした場合でも、人二人分が道のない森の中を物音ひとつ立てることなく池までたどり着けるわけがない。
それなのに、事件はまた起きた。
だからみんな、不思議がって、怖くなって、何でもいいから理由を欲しがった。
「これでまた、あの『都市伝説』のせいだって盛り上がるのが目に見えるわ」
そして作り上げられたのが、榊池にまつわる『都市伝説』だった。
榊池にはちょうど二年ほど前から、ある『都市伝説』が流行り出したのだ。
その発端は、今回の事件を含む、榊池における不審死事件。
始まりは、当時18歳の高校生の男女が突如として行方不明になったことだ。
それまで一度も学校を欠席したことのなかった男子生徒が、ある日を境に三日間休んだ。学校に欠席の連絡は一切なく、家に電話をかけても出ず、携帯にかけても繋がらないし、家に直接訪ねても誰も出てこない。居留守を使われていることもなさそうで、その家自体に誰もいないようだった。
男子生徒には両親がいなかった。親戚付き合いも希薄で、いわば天涯孤独の身だった。また、友だち付き合いも同様だったらしい。それ故に、ここ数日の彼の動向を知る者は誰もいないと思われた。
学校はひとまず捜索願を出すことと緊急の全校集会を開くことなどを決めた。
しかし、その翌日、学校側にとある連絡が入った。
女子生徒が一人、行方不明となったのだ。
その女子生徒もまた、真面目な生徒だった。しかし、タイミングを合わせたかのように、男子生徒が休んだ三日目の深夜、すなわち学校が男子生徒とコンタクトを取ろうとしていたその日にいなくなった。朝方、女子生徒がいなくなっていることに気づいた両親がすぐさま学校に連絡を入れたのだが、その行き先も何も両親は知らなかった。そして、男子生徒同様、携帯には繋がらず、友人もその一切を知らなかった。
学校はその日のうちに全校集会を開き、実名を挙げて二人についての情報提供を求めた。事件に巻き込まれている可能性もあることから、併せて身辺の危機管理や早めの複数人での帰宅、夜間の外出禁止などの徹底が喚起された。
警察による二人の捜索は難航を深めた。携帯のGPS反応がないため、市内の防犯カメラを洗いざらい見て足取りの手がかりを探すほかなかった。学校側も、何の情報も得られていなかった。
まさに暗中模索。何の成果もなく、ただ一日一日が過ぎ去っていくだけ。
しかし、そんな状況が一変したのは、二人が行方不明となってからちょうど二週間が経った時だった。
街中で、ふらふらと歩いている女子生徒が発見されたのだ。女子生徒は駆けつけた警察にすぐさま保護されたが、奇妙なことに、その時彼女は抵抗したそうだ。最終的に警察は、仕方なく半ば強引に連れて行くことにした。
女子生徒に対しての事情聴取もまた難航を深めた。
本人に名乗ってもらい、名前は合っていることは確認出来たので、まず女子生徒本人に間違いないだろうと断定された。しかし、彼女は行方不明となっていた間の一切について、全く語らなかった。いや、むしろ、「そんなことは知らない」とまで言い出す始末だった。彼女は男子生徒についても知らないと答えた。
関連した事件だと思われていたのに、この肩透かし。
追い打ちをかけるように、さらなる一報が届いた。
榊池で女子生徒の溺死体が発見されたのだ。
鑑識は、溺死体は当の女子生徒で間違いないとした。
こうなると、もはや何が何だかわからない。
女子生徒は確かに保護された。それなのに、別の所で溺死体が見つかった。
その連絡を受けた警察官は慌てて女子生徒の様子を確認しに行ったが、そこに彼女の姿はなかった。
鍵はかかったままなのに、彼女だけが忽然と姿を消していたのだ。
そして、そのまま彼女は再び行方不明となった。
男子生徒は全くもって見つからず、女子生徒は奇怪な事件を起こして消えた。
これにより、警察は表面上は捜索中としつつも、実際のところでは捜査の中断を決定した。メディアもこの事件の扱いを考え直し、女子生徒保護の続報は一切を闇に葬った。
彼らは世間からも徐々になかったことにされていった。
その一方で、彼らと同年代の高校生たちの間では様々な憶測が飛び交っていた。
彼らを悲劇のカップルとした心中説や、保護された女子生徒は実はドッペルゲンガーであるという説、男子生徒は神隠しにあったという説など、面白半分にそれらの説がストーリーとして作り上げられていった。
そのストーリーの中心となった場所はもちろん、女子生徒の溺死体発見現場である榊池。
そうして出来上がった都市伝説が、
『真夜中の零時ちょうどに榊池に行くともう一人の自分・ドッペルゲンガーに出会える。ドッペルゲンガーは願い事を何でもひとつ叶えてくれるが、その代わりにこちらもドッペルゲンガーの願い事を叶えてあげなければならない。叶えられなかった場合は池に沈められ、ドッペルゲンガーが自分に成り代わり、自分の存在はなかったことになる』
というもの。
時間指定や願い事が登場するのがなんだかそれらしいが、やはり、二人現れた女子生徒がポイントとなったようで、都市伝説にはドッペルゲンガー説が色濃く受け継がれる形となった。
都市伝説が誕生し、それがもっぱら話題の中心になるのは当然の流れだった。しかし、当の行方不明事件については置き去りにされたまま。ただその都市伝説の中身だけが広まっていった。
それがいけなかったのだろうか。
行方不明事件から約半年が経った頃、一人の男子高校生が行方不明となり、やがて榊池で溺死体となって発見された。
彼の友人によれば、その男子生徒は肝試し感覚で都市伝説を実行しに行ったそうだ。
これに限らず、恐怖系のものはよく本当か実行しようとする、ある意味勇気ある者が出てくる。彼はそのタイプだったらしい。彼もまた確かめるべく(単に話のネタのためかもしれないが)、都市伝説は実行し、ついには願い事に失敗してしまったのだろうか。
あいにく、彼のドッペルゲンガーは見つかっていない。彼は今も行方不明という扱いのままだ。
この事件を機に、この都市伝説からは冗談で語られることはなくなった。一部では、これはあの二人の怨念ではないか、という説がまことしやかにささやかれたが、それも同じく消え消えとなったそうだ。
ネタだったはずなのに、自分たちのフィクションが現実となってしまった。
そう思い、恐れた高校生たちが口外しなくなっても、一度流された話というものはなかなかに消えてなくならない。
最近では、大人の自殺志願者がその都市伝説を試しに訪れているとかなんとか。
奇しくも今日の事件は大人の男性が遺体となって発見されている。彼がその目的で訪れていたのかはこれからわかってくるだろう。
私が知る限りの都市伝説の中身は以上だが、果たしてこのどれほどが真実なのかはわからない。
どれもこれも、当事者にしかわかり得ないことで、その当事者は行方不明のまま。
いくら語ろうと想像しようが自由には違いないが、それが正しいかどうかは、彼らにしかわからない。そして、その答え合わせが出来る日というのは、おそらく来ないだろう。
だから今日もまた、こうして憶測が飛び交っている。
彼らはそこにいないのに。
こうつらつらと思い返せると一見詳しいように思われそうなのも、私がこれでも現役高校生の端くれであるからで、事件が起きるたびに今でも復習するかのように周りが掘り返すからだ。
私はそれを快くは思っていない。しかし、思い出すことは悪くないと思う。
ただ、今日はもう憂鬱だ。これから学校に行けば、きっと今日一日はこの話題で持ちきりに違いない。その一点だけはどうにも嫌気がさす。
心なしか、食卓は少し雰囲気が暗くなってしまっている。
私はメロンパンをちまちまかじって、ぼんやりとスープの漂うのを眺めていた。
しかし半分ぐらい食べた頃、不意にお母さんが驚いたような声を上げた。
「あんた、早くしないと遅刻するわよ! もう45分よ!」
ぼんやりとした視界が一気にピントが合ってしっかりとする感じ。私の意識が急激に引っ張り戻されてはっとした。バッと時計を見ると確かに7時45分。登校時刻まで、あと25分だった。
幸い高校は近所だから、今から支度を終えて急げば間に合う。
私は食べかけのメロンパンはそのままに洗面所へと駆け込んだ。
きれいに磨き上げられた鏡に、焦る表情の私が映っている。お母さんも言っていたけれど、今日は一段と寝癖がひどい。跳ね散らかってるなんてもんじゃない。これじゃあ爆発だ。
櫛を手にとって、鏡越しに私と目が合う。私が髪を梳かすと、鏡の中の私も髪を梳かす。
急ぎながらも、その動きをじっと追ってしまう。こうしていると、都市伝説を思い出していただけに、いつもより余計に不思議な感じがしてくる。
だから、変な思考が始まる。
『そこ』にいるのは本当に私なのかな。
いつの間にか、私じゃなくなっている、なんてことはないよね?
誰も保証はしてくれないけれど、きっと今は私がここにいるのは間違いない。
でも、本当に?
考えれば考えるほど、なんだか不安になってくる。怖くなってくる。こういうのに限ってなかなか思考は止められない。人間の仕様なのかな。だとしたら不便だなあ。
もう一度、鏡の中の私を見つめる。彼女は何も言わずに私を見つめている。
私はその視線を外さずに、いつもは右側に付けているヘアピンを、今日は左側に付けてみた。
うーん、違和感。
もやもやが一気に込み上げてきたので、ささっと右に付け直した。
またまた鏡をじっと見る。そこに映るのは、毎朝向かい合っている私の姿に間違いはなかった。
「やっぱりこれが合ってるね」
ほっと一息ついて自画自賛。どうにも慣れることはするもんじゃないかもしれない。
それより、急がなきゃ。そうこうしているうちに時間は刻々と過ぎている。
リビングに駆け戻って食べかけのメロンパンと鞄を回収。ノンストップで玄関まで駆けた。靴を履くのにもたついていると、不意に頭に何かバサッとかけられた。
「うわっ、何!?」
わたわたしながら手を付けると、それは私のジャケットだった。
「それ、忘れてたぞ」
振り返るとお父さんが立っていた。お父さんも同じ時間帯に出るので、しっかりと身支度を整えて準備万端といった様子だ。私と違ってジャケットもちゃんと着ている。
「危なかった……ありがと」
はぁー……っとため息。肝心なものを忘れるところだった。
とは言え、着ている暇はない。そのまま抱えることにする。
「いってきます!」
ばたばたと荷物を抱えて私は玄関を飛び出た。すぐに乗れるよう置いておいた自転車にそのまま飛び乗る。カゴに荷物は全部突っ込んで、いざ走り出す。
天気予報は見損ねたけど、空模様はそこまで悪くない。
雨が降らないことを祈りつつ、私は学校へと急いだ。
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