第4章 それぞれの目的


 ルーベラの森は、僕達の集落の森に比べると落葉樹が多いらしく、地面にかなりの枯れ葉が堆積している。僕ぐらいの体重だと、一歩歩くごとにずぶずぶと沈んでしまい、これがなかなか歩きにくい。

「ユウ、大丈夫?」

 何かあるとすぐに足をとられそうになる僕を、エレナはずっと心配してくれた。おかげで歩くペースが遅くなってしまい、先導してくれているエルフに睨まれたりした。(泣)

 それでもなんとかエルフの集落に着き、僕らはすぐさま長老の家に案内された。

「長老様、ルクベルの森から来られた同胞をお連れしました」

「うむ。ご苦労だった。下がってもいいぞ」

 そう言って長老は人払いをすると、僕達を側に呼び寄せた。

「おおかたの話は、すでにアルフォンテから聞いている。争う兄弟の目を覚まさせ、その絆を取り戻させたいのであったな?」

「はい」

 ここはエルフの集落だから、会話はすべてエレナに任せる。僕がしゃしゃりでる幕ではないようだし、出たところで何もできないだろうからね。

 ところで、ウチの長老様ってアルフォンテって名前だったんだね。初めて聞いた。(爆)

「他ならぬ兄の頼み。本来ならば人間に手を貸す事などしないのだが、同胞を守るためとあらばいた仕方あるまい」

 長老はそう言うと、棚においてあった小瓶を3つ持ってきた。でも、中身はカラッポだよ?

「私が言うものを、これに詰めて持って来てくれ。そうすれば、お前達の望むものを作ってあげよう」

 そう言ってジーレ長老が指示したものとは、岩トカゲの血、月光樹の樹液、そして人魚の涙であった。

「これは……」

 聞いた途端にエレナが顔色を変えた。そんなに大変なものなのかな?ルファーガ王国に入った辺りまで読んだんだけど、そこで寝ちゃったからなぁ…。もう、この辺りの予備知識はないんだ。

「それぞれのある場所は、集落の者にたずねるといい。では、頑張ってきてくれ」

 事の重大さを理解できぬまま、僕はエレナに連れられて長老の家から出た。


 集落にいたエルフ達から3つの素材の在り処を聞き出したんだけど、エレナは時折天を見上げるような仕草を見せていた。彼女がこんな仕草を見せるなんて、初めてだなぁ。

「エレナ、そんなに長老の言ったものって集めにくいの?」

「集めにくいなんてもんじゃないわよ…」

 ため息混じりにそう言うエレナ。どうやら、とんでもないものを集めろと言われたようだ。

 ちなみに彼女の解説によると、この3つの素材、入手するのが極めて難しいらしい。まず、岩トカゲの血。これは別名バシリスクと呼ばれるトカゲの血のことで、ファンタジー世界に詳しい人なら気付くと思うけど、このトカゲ、その瞳に石化の魔力を秘めているというとんでもないトカゲなのだ。そんな奴の血を採って来いなんて、まぁなんと無茶な話だろうか。作戦としては、後方の遠距離から弓矢等の間接攻撃で攻撃し、弱らせたところを一気に攻めるしかない。しかもこの岩トカゲ、死ぬとその瞳の魔力が暴走するのか、体が石のように硬くなるらしい。最初は皮膚から石化が始まり、やがて体全部が石化する。だから、止めを刺してのんびり採血、なんて事はできない。完全に石化するまでの短い間に、手早く血を採らなきゃならないんだ。ちなみに、石化の魔力は瞳から離れれば影響がなくなるので、血液の状態で採取できれば大丈夫らしい。余談だけど、この岩トカゲという通称もその死ぬ時の特徴からついたんだそうな。

 そしてふたつめの月光樹の樹液。月光樹ってのは真夏の満月の夜だけに花を咲かせるという希少な木で、森のすべての命を司るともいわれる強い力を持った木なんだそうな。その割に月光樹はものすごく傷に弱い木らしくて、少しでも傷つくとそこから腐ってしまい、木そのものが枯れることも多々あるんだそうな。月光樹が枯れると、そこの森も枯れ果ててしまう。だから、その木に宿る精霊も必死だ。傷つかせないためにはありとあらゆる手段を講じるので、精霊と接触を試みる事さえ難しいらしい。しかもこの木はエルフの住む森の中にしか存在しないので、今回は僕とエレナの2人で行くしかない。(泣)

 で、最後の人魚の涙。このアーレストには、マーメイド族という海に住む種族が存在する。立場的にはエルフ族やドワーフ族と同じなんだけど、その数はものすごく少ない。というのも、マーメイド族には女性しか存在せず、子供を作るには1年のある時期におとずれる偶然の妊娠に頼るしかないからだ。エルフ族も数が少ないけれど、彼らは男性女性の区別があるので、することさえすれば子供を作ることができる。でも、マーメイド族はその行為を意図的に行う事ができないので、数を増やす事がとても難しいんだそうな。しかも、その住処ゆえにエルフ族同様人間と対立する事が多く、過去に人間と争ったこともあるとか。しかも、人魚の肉は不老不死の薬になるとかいう噂が流れ、マーメイド族が人間から虐殺されるという痛ましい事件もあったという。そんなことがあってから、今ではぐっとその数が少なくなってしまい、人前に姿を見せる事はほとんどないらしい。人間が8割(エレナ以外はみな人間)のパーティで、一体どうやってマーメイドに会えと言うの?(泣)

 エレナに説明を受けた僕は、かな~りヘコんだ。だって、ルーベラの森に来れば話が終わると思っていたんだもんね。まさかここに来てこんな試練が待ってるなんて…。

 とりあえず事情を説明するべく、僕達は森の外で待っているレオン達のところに戻った。そしてエレナから説明を受けた彼らは、皆一様に落胆したのである。

「手間がかかるな…」

 中でもレオンの落ち込み方はひどかった。彼もまた、森に着けば目的が達成できると思っていたらしい。しかし、ちと気になることがある。レオンは、僕が人魚の涙という言葉を口にした時、眉をピクリと動かし、

「ふっ…ここで人魚の涙、か…」

 と、つぶやいたのだ。彼は人魚になにか因縁でもあるのだろうか?

 それはさておき、みんなががっくりと肩をおとしていると、

「確かに手間はかかりますが、それでもやらなければ任務は達成できませんよ。歩まねば進まず、と言います。レオン、困難なことかもしれませんが、ここは一刻も早く行動を起こしましょう」

 と、ルモンドに励まされた。そうだよ。ルモンドの言うとおりだ。動き出さなきゃ始まらない。始まらなきゃ、終わりも来ないんだ。

 こうして、僕達は最も入手が簡単だと思われる素材、岩トカゲの血を求めて移動を始めた。岩トカゲと言うだけあって、住んでる場所は岩場…と、言うわけではない。彼らは湿気を好み、湿地帯に多く生息する。魔獣の一種だから群れて住んでいるわけではないけれど、バシリスクの好む場所に向かうのだから、用心するに越した事はない。

 この地域で湿地帯と言うと、ルーベラの森の西にわずかな沼地が存在する。森のエルフもその周辺で岩トカゲを見たって言ってたから、そこに住んでるんだろう。

 僕達は沼地に向かう前に、遭遇した際の作戦を考える事にした。

「バシリスクと戦うには、正面攻撃ではだめだ。後方から、それもできるなら遠距離での攻撃が望ましい」

 と、言うわけで、僕の弓、エレナとルモンドの魔法攻撃を軸にした作戦が考えられた。バシリスクの後方から僕達3人が攻撃し、レオンとファルマが左右から挟撃して止めをさす、というのが最上のシナリオだ。しかし、状況によっては左右に展開できないかもしれないので、エレナには攻撃補助に回ってもらう事になった。具体的に言えば、土の精霊にバシリスクの足をとらえてもらい、動けないようにする。バシリスクが動けなければ後方に回り込むのも簡単だし、石化させられる危険性も減るって寸法だ。

「この作戦でいこう」

「文献等によれば、バシリスクの皮膚は石のように硬いといいます。十分警戒してください」

 作戦会議はそれで終了、そして僕達は沼地の周辺に向かったのでありました。


 沼地を視界に捉えた僕達は、周囲を油断なくうかがいながら沼地に接近した。もうどこにバシリスクが潜んでいてもおかしくないのだ。

(シーラ)

 僕は心の中で彼女の名前を呼んだ。すると彼女はすっと僕の前に姿を現し、用件をたずねてきた。そこで、周囲にバシリスクがいないか見てきて欲しいと頼むと、

『分かったわ。ちょっと待っててね』

 と、言い残して、彼女は空に舞い上がっていった。

 さぁ、それから1分も経っただろうか。シーラが戻ってきて、僕にバシリスクの居場所を教えてくれたのである。

『この先の深い茂みの中に、バシリスクが1匹隠れてるわ』

「こっちに気付いた様子は?」

『ないわね。寝ているみたいよ』

 これは願ってもない好機。バシリスクには悪いけれど、こっちも任務がかかってるんだ。この任務が成功するか失敗するかで、多くの人々の運命が変わる。やるしかないんだ。

 僕がレオンにこのことを伝えると、レオンはすぐさま不意打ちを仕掛けようと言い出した。騎士が不意打ち、って…なんかやだなぁ…。でも、石化なんてさせられたらそれこそ目もあてられないので、ここは不意打ちするしかないんだろうなぁ…。(諦)

 シーラの示した茂みに近づくにつれ、全員の緊張が高まっていくのが感じられた。音を出さないように細心の注意を払い、バシリスクに気付かれまいとするあまり、ほんの10メートルくらいを移動するのにものすごく時間がかかってしまった。すると、ガサガサと音がして、茂みからバシリスクが出てきたではないか!

「くそっ!」

「逃げちゃう!」

 言うが早いか、ファルマは剣を掲げて沼地を駆けた。その様子に気付いたバシリスクは、一瞬振り返った後に一目散に逃げ出した!

「てやぁ!」

 ファルマの剣が空を切り裂く。バシリスクに逃げられまいとして焦った一撃は、本体を外して尻尾の先っぽを切っただけだった。しかし、

「コレもバシリスクの血に間違いはない…よね」

 と、ファルマが切り離した尻尾を拾い上げてそう言った。確かに、尻尾の切れ端から血が出ている。なぁんだ。わざわざ殺す必要はなかったんだよな。尻尾でもちょいと切ればそこから血は出るんだし、それを採取すればいいんだよ。うん。

 エレナはすぐさま小瓶を取り出して血を中に入れる。これで3つの素材の内のひとつが手に入ったわけだ。案外簡単だったなぁ。

「これは3つの中でも、最も入手が簡単なのよ。他の2つは、入手できるかどうかもわからないんだから」

 あいた。エレナに考えを見透かされた。反省、反省。


 一晩休んで次に目指した場所は、三日月の入り江と呼ばれる所だ。ここは切り立った岩の海岸線が複雑に入り組んだ場所で、潮の流れも速くて読みにくい。漁師達からは忌み嫌われている場所であるが、それゆえに人魚達が身を隠すのに都合が良いらしい。ルーベラの集落にいたエルフが、この辺りで人魚を見かけたと言うけれど…。

「人間を目の前にして、姿を見せてくれるわけなんてないわよねぇ」

 ごつごつした岩場を歩きながら、ファルマがふともらした。

 海に面した国ならば、少なからず人魚の伝説が伝わっているものである。はるか昔の伝説として、または子供に語って聞かせるおとぎ話として、あるいは確たる目撃証言として、その存在は語り継がれている。彼女の故郷エルナードは南部が海に面しているので、その地方に行けば人魚の話を聞く事ができる。ファルマも国内を旅して歩いている間に、そういう話を耳にしたのだろう。もしかすると母親か乳母に、そういう話をしてもらった事があるのかもしれない。

 とにかく、彼女の心配はもっともだった。はるか昔、森に住んでいた人間は魚をとるために海に出た。しかし、それは人魚の住処を荒らすことにつながった。また、人魚の肉は不老不死の薬になるというまことしやかな噂が流れ、人魚の多くが心無い人間によって捕まえられ、殺されたんだそうな。住処をあらされた挙げ句、仲間を不老不死の薬として惨殺された人魚達が、僕ら人間を憎んでいないわけがない。かつてエレナが人間を憎んでいたために、問答無用で僕を攻撃したのと同じように、人魚達もそうするかもしれない。仮にそうしなくとも、僕らの気配を感じ取って逃げてしまうかもしれない。心配すればきりがないけれど、この海岸を半日歩いてもその痕跡すら掴めないんじゃあ、そういう考えも浮かんでくるよね~。(泣)

 歩きにくい場所で転ばぬよう気を使って歩いてたものだから、みんなの疲労はかなりのものだった。昼食をとっている間も言葉を交わす事なく、みな黙々としていた。そんな時、

「おい!逃がすな!」

 という声が聞こえてきた。その声に対する返事が2、3つ聞こえる。全部男の声だ。それらの声の合間に、女性らしい悲鳴が聞こえてくる。

「向こうか!」

 すかさず立ち上がると、僕達は突き出した崖の向こう側に急いだ。すると、反身の短剣を持った男が3人、長髪の女性を取り囲むようにしている。彼らの攻撃にあったのか、はたまた逃げる時に岩にぶつけたのか、彼女の腕からは血がにじんでいた。

「お前ら!」

 レオンが怒りを露にして男達に飛び掛かる。もちろん、剣は抜いていないよ。殺す気なんてないからね。

 ここは彼に任せてしまって、する事のない僕達は傷ついた女性の方に向かう。よく見ると、その女性は人魚だった。下半身が魚のようになっているので、一見しただけですぐ分かる。僕らが近づこうとすると、女性は一瞬おびえたような様子を見せたが、すぐにキッとこちらを睨んだ。その気迫のせいで、僕達はそれ以上近づけない。するとエレナが一歩前に出て、

「大丈夫よ。私はエルフ。私なら、受け入れてもらえるでしょ?」

 と、人魚に説得を試みた。だが、

「……」

 人魚はこちらを睨んだまま、何も答えようとはしない。人間と一緒に行動している彼女を、エルフであっても信用できないと考えているのかもしれない。そんな時、

「こいつは、俺達のもんだぁー!」

 と、リーダー格の男が人魚目掛けて飛びかかろうとした。僕は慌てて彼と人魚の間に飛び込むが、後ろから来たレオンが彼を捕まえてしまったので、僕の出番はなくなった。

「ちっきしょう!覚えてやがれよ!」

 レオン1人にコテンパンにされた3人は、捨てゼリフを残して逃げ出した。

 本当なら騒動が落ち着いてほっと一息つくところなんだけど、人魚とのにらみ合いがまだ続いていたのでそうもできない。お互いに言葉を発するでもなくその場に立ち尽くしていたんだけど、ついにある人物がその状況に終止符を打った。その人物というのが、なんとあのレオンだったのだ。

「確かに、人間にはああいう奴らもいる。しかし、そうでない者もいるという事を、理解して欲しい。俺の名はレオン。過去に、あなた達人魚に命を救われた人間だ」

 おおっと!これは驚きの新事実!なんと、レオンは過去に人魚と会い、その人魚に命を救われていたというのだ。知らなかったなぁ…って、彼が自分の過去をしゃべらない人間なんだから、それも当然か。(爆)

 ここはレオンに任せた方がいいと判断した僕らは、彼らの会話の邪魔にならぬよう下がっておくことにした。

「俺は昔、某国への使者として船に乗っていた時、嵐に遭遇して海に投げ出された。もう助からないと思ってあきらめかけたその時、ある人魚が俺を助けてくれた」

「…まさか、あなたが…?」

 レオンの話に、人魚が初めて口を開いた。彼女の口ぶりからすると、どうも彼女はレオンの一件を知っているようだ。人魚の間では有名な話なのかな?

「その、あなたを助けたという娘の名は?」

「フローラ。人魚の時の名はフロレンスだったか…」

 ががーん!ここで再び驚きの新事実!レオンの屋敷にいたあのメイドさんは、実はマーメイドだった!僕とエレナは顔を見合わせ、お互いに信じられないといった表情で唖然とする。ルモンドはその事を知っていたらしく、平然としている。唯一フローラを知らないファルマは、隣にいたルモンドから状況を説明してもらっていた。しかし…あのフローラさんが人魚だったとは…。(驚)

「やはり、そうだったの…」

 フローラの名を聞き、人魚は少し悲しげにうつむいた。

「彼女は私の姉だった。海よりも深い愛情を持つ、優しかった姉。でも、人間に恋した彼女は、秘薬を飲んで人間へと姿を変え、二度と帰っては来なかった…。あなたが、姉をたぶらかした男だったのね…」

 言われてみれば、どことなくフローラさんに似ている気がするなぁ。でも、彼女に会ってからもう2ヶ月以上経ってるんだし、そんな気がするだけかもしれない。(爆)

「姉は、あなたのせいでマーメイドとしての幸せを捨てた。族長や私、他の仲間も見捨てて出て行ってしまったのよ。私は…私はあなたを許さない。私から姉を奪ったあなたを…」

 彼女、言葉ではレオンを恨んでいるようだったけど、その表情はどことなく悲しげだ。

「すまないと思っている。最初からあなた達の静かな生活を、乱すつもりなどなかった。だが、結果としてこうなってしまった。その事を許してくれ、とは言わない。せめて、認めてほしい。俺も、フローラの事を愛しているんだ」

「……」

 フローラの妹さんは黙ったままだった。きっと、彼女は心の中で葛藤しているのだと思う。姉を人間に奪われて恨むマーメイドの気持ちと、姉の幸せを願う妹の気持ち。そのふたつの気持ちが、彼女の心の中でせめぎあっているんだろう。

それから少したって、フローラの妹さんは口を開いた。

「姉は…いえ、フローラは幸せにしているの?」

「そうだと信じている。彼女を幸せにするために、俺も最大限努力しているつもりだ。そして、これからもその努力は続けていく」

 レオンの決意のこもった言葉を聞き、マーメイドは目を閉じて静かにうなずいた。

「分かったわ。彼女が幸せでいるのなら、これ以上は何も言わない。でも、もう金輪際、私達の前に姿を見せないで。いいわね」

 そう言って彼女が海へ帰ろうとしたので、僕らは慌てて呼び止めた。

「実は…」

 僕らは事情を説明し、人魚の涙が必要だと言う事を伝えた。人間に恨みのあるマーメイドの事、いかに深い事情があるとはいえ、すんなりと承諾してはもらえなかった。

「人間の国がどうなろうと、私達には関係ないわ」

「ですが、多くの罪なき人々が苦しむことになるのです」

「それが人間の業というものよ。争う事でしか存在価値を見出せず、他の命を犠牲にする事で繁栄する。そのツケを払わされているだけだわ」

 彼女の言う事はまったく正論だった。人間である僕らには、もはや何も言い返せない。同族間でも異種族間でも争い、奪い合う醜い存在。だけど…!

「これは、勝手な言い分かもしれない。フローラを人質に取るような真似を、と思われるかもしれないが、わが国の平和を取り戻す事は、ひいてはフローラを幸せにすることにもつながる。戦乱に巻き込まれたら、彼女を守ることすら難しくなる。しかし、国が平和であれば、彼女を守る事は容易い。頼む。我等の為でなくとも、せめてフローラの為に協力してくれ」

 レオンがそう言って頭を下げる。僕達もそれに習って頭を下げる。これで彼女が聞き入れてくれなければ、もう人魚の涙はあきらめるしかないかもしれない。そう考えていると、

「あなた達まで、どうして頭を下げるの?」

 と、フローラの妹さんがたずねてきた。そこで、僕達も一応彼女に会った事があるし、まったくの無関係ではないということと、多くの罪なき人々を救いたい気持ちがあるということを説明した。

「そう…。人間はみな愚かであさはかだと思っていたけれど、そうではない人達もいるみたいね」

 そうつぶやき、フローラの妹さんは協力すると言ってくれた。

「勘違いしないでほしいのだけど、これは姉への恩返しよ。決して、あなた達人間のためにしてあげるんじゃないわ」

「ありがとう…」

 かくして人魚の涙を手に入れた僕達は、いよいよ最後の素材、『月光樹の樹液』を求めて再びルーベラの森に戻ったのでありました。



 森に入る事が許されない3人を置いて、僕とエレナだけで月光樹の探索に向かった。これまでの素材と違って、さすがに月光樹の場所までは教えてもらえず、森のどこかにあるとしか知らない。エレナが木の精霊に話しかけて場所をさぐるけれど、皆一様に言葉を濁すだけで教えてはくれなかった。そりゃあ、月光樹の生死が森全体の生死に関わるんだから、そう簡単に教えたりはできないよね。

「月光樹は古代樹の一種で、その樹自体がすごい力を持っているの。その樹が存在する限り、森は生き続けることができる。どんな干ばつにあっても、火事になっても、森は不思議な生命力に満たされ、生き返ることができるのよ。でも、月光樹が枯れてしまったら、森はあっという間になくなってしまうの」

 エレナはそう説明してくれた。そんなに大事な樹なんだなぁ…。でも、そんな生命力にあふれた樹なのに、少し傷つけられただけで枯れてしまうなんて不思議なもんだ。エレナいわく、その樹は周囲に生命力を与える事はできるけれど、自分自身を守る事ができないんだそうな。だから、月光樹に宿る精霊もしっかりと樹を守ろうとするし、周囲の木々に宿る精霊達もそれに協力するんだって。それだけ精霊に守られてたら、人間とかエルフじゃ近づく事すらできない気がするんだけどなぁ…。

 そんな事を考えて歩く事1時間程度。

「あれ?この木は…」

 真っ直ぐ歩いたつもりなのに、同じ道に出てきてしまった。エレナも首をかしげている。

「もしかすると…」

 エレナはそう言うと、目を閉じて精神を集中し始めた。どうやら、この辺りに結界が張られているのではないかと考えたらしい。結界が張られていれば、そこには強い精霊力が存在する事になる。エレナはそれを感じ取り、結界の場所を確定しようとしたのだ。

「やっぱりね。こっちの方角に、月光樹の精霊の力を感じるわ」

 エレナがそう言った瞬間、周囲の木々がざわめき始め、何かを僕らに訴えかけようとしていた。

「これは…?」

「なんだか、気味が悪いよ…」

 どうやら木の精霊達が、僕らを月光樹に向かわせまいとして、行動を起こしたらしい。

『これより先に、足を踏み入れてはだめ…』

『あなた達に、この森を枯らす権利があるというの?』

『帰りなさい。月光樹は、だれにも傷つけさせない』

 精霊達の言葉が頭に響く。僕にも理解できたってことは、共通語を使って話してくれたようだ。

「私達は行かなければならないの。争う人間のために、森が失われるかもしれないのよ」

『そのために、この森を枯らしてよいということにはならないわ』

「待ってよ。僕らは別に、月光樹を傷つけに行くんじゃない。月光樹の樹液を、もらいに行くだけなんだ」

『樹液をとるためには、樹を傷つける必要があるわ。それは結局、月光樹を傷つけて枯らすことになる』

 僕らが訴えても、精霊達は一向に聞き入れてくれない。どうしたらいんだ…。(悩)

「とにかく、僕達を月光樹の所に行かせてくれ。精霊と相談すれば、何かいい案が浮かぶかもしれない。無理だと思ったら、その時は諦めて帰るよ。精霊と話をするだけなら、行っても構わないだろ?」

『……』

 僕がそう提案すると、精霊達は何か相談し始めた。そして、

『武器やその他月光樹を傷つけられるような道具は、すべてここにおいて行ってもらうわ』

 と、条件付きで月光樹に会うことを許された。僕の必死な気持ちが伝わったんだ。

 そこで、僕達は身につけていた武具、背負っていた道具をすべてこの場に置き、ジーレ長老に渡された小瓶だけを持って結界の中へと入って行った。

『気をつけてね』

 と、置いてけぼりになったシーラが声をかけてきた。大丈夫。話をしに行くだけだから。

 そして結界の中をしばらく歩くと、木々の向こうに神々しい光を放つ大木が姿を現した。

「これが、月光樹……」

 僕は思わずその偉大な姿に心を奪われた。ぼんやりと淡い光を放つその巨木は、すべてを暖かく包み込む、まるで母親のような優しさと同時に、満月の光のような神秘的なオーラを持っていた。

「私も初めて見るけれど、こんな姿をしているなんて…」

 エレナもその美しさに見入っているようだ。いやぁ、それにしてもすごいなぁ。

 そんな風に月光樹を見上げていると、頭に言葉が響いてきた。僕がきちんと理解できないってことは、精霊語か…。それを理解したエレナが、共通語で話してくれるよう頼んだらしい。次に言葉が聞こえた時は、僕にも理解できた。それにしても、精霊はどうしてみんな共通語がしゃべれるんだろう?

『周りの精霊達から話は聞きました。あなた方は、この樹の樹液を欲しがっているのですね?』

 月光樹の精霊の物腰はとてもやわらかだ。僕達は、もしかしたら樹を傷つけてしまうかもしれないというのに、彼女は敵意すら見せていない。でも、だからこそ話し合う余地があるのかもしれない。

「ええ、そうです。私の住む森を守るために、人間の争いを鎮めなければならないのです」

『争いを鎮めるために、『心の鏡』を必要としているのですね…』

 精霊が言った『心の鏡』ってのは、おそらくジーレ長老様が作ってくれるという薬のことだろうね。別にそれが必要になった経緯などは一切説明していないから、月光樹の樹液が素材として必要な薬はこれぐらいなんだろう。

『しかし、あなたの住む森を守るために、この森を犠牲にするわけにはまいりません。この森にも守らねばならない命が、数多く存在しているのです』

 確かにそうだ。ひとつの森を守るために、ひとつの森を犠牲にしたんじゃ意味がない。だから、僕は精霊にこう持ちかけた。

「僕は、自分の弓を作るときに、精霊から枝をわけてもらいました。そのようにして、樹液を分けてはもらえませんか?」

『……確かに、私の力を使えば、そういうこともできます。ですが、そうしたとしても、この樹を傷つけることには変わりありません』

 そうだったのか…。じゃあ、あのトリネコの木の精霊は、自分の宿り樹を傷つけてまで、僕に弓を作る枝をくれたんだ…。

『ええ、そうです。その精霊は、おそらくあなたの事を認めたから、自分の宿る樹を傷つけて、あなたに枝をわけであげたのでしょう。…私もあなたのことを認めれば、同じことをしないとも限りません』

 なにっ!?認めてくれたら、樹液を分けてくれるって!?

「じ、じゃあ、どうすれば、認めてもらえるんですか?」

『命を投げ出す覚悟を持っていれば、あなたを認め、樹液を分けてあげましょう』

「そんなっ!!」

 突然エレナが抗議した。その表情といったら、今にもつかみかかりそうだ。

 通常、精霊の言葉は狙った人にしか聞こえないんだけど、今回は2人に話しかけてくれているらしい。エレナにも、僕と月光樹の精霊が話した内容が伝わってるもんね。

『生命の力、それがあれば、傷ついたこの樹を元に戻す事ができます。さぁ、どうしますか?』

 月光樹の精霊は僕らに決断を迫る。エレナに命を差し出させるわけにはいかないけど、このまま手ぶらで帰るわけにもいかない…。と、なると……。

「ユウ…」

 やっぱり、エレナに隠し事はできないや。僕の考えてる事が、彼女にバレたみたいだ。(苦笑)

「エレナ、僕はこの世界の人間じゃない。たとえここで命を投げ出しても…」

「いやよっ!」

 エレナがうつむいたまま抗議する。

「あなたはそれでいいかもしれないけど、私はどうすればいいのよ…?私は…あなたに置いて行かれた私は、これからどうしたら……」

 彼女の肩が小刻みに震えている。な、泣いてるの…?(驚)

「エレナ……」

 僕は彼女の頬に手を当て、顔をあげさせた。彼女の目に涙があふれ、頬はその涙で濡れていた。

「エレナ、さっき月光樹の精霊が言った『心の鏡』を手に入れるには、君がいなくちゃならない。君でないと、ジーレ長老に会えないんだからね。それに、君はあの森に仲間がいる。帰りを待ってくれてる人達がいる。だから、ここで命を落とさせるわけにはいかないんだよ」

 エレナは涙を隠そうともせずに、じっと僕の顔を見ている。こんな顔で見つめられたら辛いけれど、でも、ここで僕が決断しなくちゃ…!(泣)

「ウチの長老様は、最初からこの事をご存知だったんじゃないかな?だから、エレナと僕を行かせた。エレナはこの森の集落に入るために、そして、僕はここで、命と引き換えに月光樹の樹液をもらうために……」

 そういえばウチの長老様、僕を送り出す時に「無事に帰ってこい」とは言わなかったような気がする。おそらく、僕がここで命を落とす事を、察していたのかもしれないな…。

「そんなことないわよ。それに、約束したじゃない。一緒に帰って、また木の実拾いするって…薬草の勉強もするって……」

「そうだけど……ごめん。ここで僕が決断しなきゃ、もっと多くの人が悲しむことになるんだ」

「そんなの…そんなのイヤよ!いくら長老様がそう考えていても、あなただって、もう私達の…」

「いや、それは違うよ」

 彼女の言葉を遮り、僕はこう言った。

「いくら同じ生活をしていても、僕は人間だ。エレナ達の本当の仲間にはなれない。これで、いいんだよ」

 そして僕は彼女に微笑みかけ、月光樹に向き直った。後ろでエレナが泣き崩れ、地面に伏す音がした。僕だって、本当はもっとエレナと一緒にいたい。でも、こうしなきゃ、もっと多くの人々が悲しい目にあうんだ!僕は自分にそう言い聞かせ、かろうじてエレナを振り返る事はしなかった。もし振り返っていたら、僕の決意はきっと揺らいでいただろう。

「月光樹の精霊よ、僕の命を使ってください。その代わり、彼女の持ってる小瓶に、この樹の樹液を…」

 僕がそう言うと、月光樹が一瞬強く光った。そして、樹から光の腕が僕にのびる。

『分かりました。あなたの生命の力と引き換えに、この樹の樹液を、あなた方にさしあげましょう…』

 僕は目を閉じ、体の力を抜いた。光の腕は僕の体を包み、さらに強く光る。

「ユウーーー!!」

 僕の意識はそこで途絶えてしまった。目を覚ます時はもうないだろう。そう覚悟していた。エレナを悲しませる事になったけれど、これでベルダイン王国と、あの森のエルフ達を救えるのなら…。


 まばゆい光を感じ、僕は目を覚ました。ここはどこだろう?まさか、あの世…?

「……」

 僕の目の前に、美しい女性の顔がある。僕に何か話しかけているようだけど、よく聞こえない。

「……う…」

 よく見ると、その女性は涙を流していた。ポタポタと、僕の顔に彼女の涙が落ちる。涙…?

「ユウ…」

 あれ?エレナ?じゃあ、ここは……。

 ゆっくり体を起こして辺りを見回すと、そこはあの月光樹の生えている場所だった。

「エレナ?これは…」

「月光樹の傷を癒すには、ほんの少し生命の力をもらうだけでよかったんだって。一晩寝れば、すぐに回復するくらいでよかったんだって…」

 なんだ。そうだったのか…。どうりで、体がだるいはずだ。でも、長老様が人間にとってはかすり傷でも、エルフにとっては命にかかわる傷になると言ってたな。人間である僕にとってはその程度のことであっても、エレナにとっては致命的なダメージになっていたかもしれない…。やっぱり、僕が申し出て正解だったんだ…。

『ユウ』

 突然月光樹の精霊に呼ばれ、僕はびっくりして彼女の方を見た。

『あなたを試すような真似をしてすみませんでした。ですが、こうしなければあなたの覚悟を知る事はできませんでしたし、月光樹を傷つけると言う事がそれほど重い事だと知ってほしかったのです。ユウ、あなたは尊い心を持つ、優しい人間のようですね。トリネコの精霊が宿り樹の枝を与え、風の精霊が力を貸す理由が分かる気がします。ユウ、いつまでもその気持ちを忘れないでください。そうすれば、私達精霊は、いつでもあなたの力になります』

「月光樹…」

『それと、精霊語も勉強してくださいね』

 あいた。最後にそう来たか。僕が、罰が悪そうに顔をゆがめると、エレナがクスクスと笑った。月光樹も、心なしか笑ったような気がする。まったく、痛いところをついてくるなぁ…。

『本当なら、あなたの生命力が回復するまでここで休ませてあげたいのですが、一刻も早く結界を元に戻しておきたいのです。悪いのですが…』

「分かりました。すぐにここから立ち去ります」

『ありがとう。ユウ』

 そしてエレナに支えてもらいつつ、僕達は月光樹のもとを去った。

 それから少し歩いただけで、僕達は荷物を置いた場所まで戻ってきた。

「やれやれ。ようやく3つの素材が手に入ったね」

「もう、あんな悲しい思いをするのはごめんだわ」

 エレナはそう言うと、肩にかかっていた髪を後ろに払った。

「あなたを好きになったおかげで、随分と苦労させられるわね」

「面目ない」

 僕がそう素直に謝ると、エレナはウフフと笑って僕の頬をなでた。そして、

「いいのよ。退屈するよりはずっとマシだわ」

 と、僕の頬にキスをした。彼女のキスは、とってもやわらかくて、暖かかった…。



 ルーベラの森の集落に3つの素材を持ち帰ると、ジーレ長老が驚いた表情で迎えてくれた。

「いやはや、月光樹の樹液まで集めてこられるとは…。どうやら、お前達をみくびっていたようだ。よろしい。すぐに『心の鏡』を磨いてやろう」

 と、長老は素材の入った小瓶を持って奥の部屋へと消えた。しかし、『磨く』って?もしかして、そのまんま鏡ってこと?

 待つことしばし、長老が小皿程度の大きさの金属の板を持ってきた。表面がきれいに磨かれ、ぼんやりとだけど姿が映る。

「これが『心の鏡』だ。心を映したい者に鏡を向けて呪文を唱えれば、その心の奥底で思っている事を映し出してくれよう。ただし、使えるのは一度きりだ。一度使えば鏡はその光を失い、何も映さなくなる」

 へ?一度だけ?

 とりあえず、僕達は礼を言って集落を後にした。しかし、この事態をレオンにどう説明したらいいんだ?


 森を抜けた僕とエレナは、すぐにレオン達と合流した。そして、鏡のことを説明する。

「使えるのは一度だけなのか?」

「うん、そうらしい。呪文を使わないと力は発動しないから、別に道中で誤使用することはないと思うけど…」

「これは困りましたね…」

 一同はみな頭をひねった。鏡は1枚。しかし、争っている王子は2人。両方の心を映し出すことはできないというわけだ。

「あの紹介状に、きちんと状況が書かれてあったのか?」

 レオンがそうエレナに問いかけるが、エレナはちゃんと書いてあったと答える。

「使いどころを誤ってはならない、ということでしょうね」

「しかし、失敗しても次はないぞ。どうする…?」

 また困った事になったぞ。ルーベラの森の長老に会えばすべて解決すると思ってたのに、そこからあんな入手困難な素材を3つも集めさせられ、なおかつ作ってもらったものの使い方もまともに教えてもらえないとは…。こりゃ、ルーベラの森に着いてからの方が大変だなぁ。(泣)

 ひとまず、僕達は鏡を布に巻いてルモンドの背負い袋に入れると、来た道を戻り始めたのでありました。しかし、たった1枚の鏡、どうやって使ったらいいんだろうねぇ?


 ルーベラの森に最も近い村に到着した時、村はなにやら慌ただしい様子だった。ルモンドが近くの男を呼び止めて事情を聞くと、あのランスロー侯爵が神殿から反逆者の汚名を着せられたため、正義を掲げてルファーガ北部の勢力と戦う事になったらしい。その戦争準備のため、南部の村という村では余剰物資を前線に送る手はずを整えているんだそうな。

「なにやらきな臭いわね」

 ファルマが村の様子を見ながらそうつぶやいた。

「王国最大の領主ランスロー侯爵と、王家とのぶつかり合いなんだ。小競り合いではすまんさ」

 え~、それでは、この紛争の概略を説明します。神殿勢力である聖騎士の横暴によって、地方領主たる騎士が中央権力から阻害されるようになり、騎士達に不満がたまっていたというのが背景。中でも国王に次ぐ最大領主であるランスロー侯爵は、最近の王家の態度に対して真っ向から異議を申し立てていたらしい。ところが、強固な軍隊である聖騎士隊に王都を守られているのをいいことに、王家はランスロー侯爵の異議を無視。侯爵は実力行使も辞さぬ構えで王家と対立したんだそうな。とはいえ、それは忠臣が主君を諌めるというようなもので、決して反旗を翻したとかいうようなもんじゃない。だから、緊張はしていたものの、まだ平和的だった。これが、僕達がルファーガ王国に入った時点での状況。で、事態はそこから進展して、神殿側がランスロー侯爵を反逆者として宗教裁判にかけようとしたので、地方領主の怒りが爆発。ついに地方領主軍対国王軍という構図で紛争が勃発したんだそうな。地方領主軍の軍勢はおよそ騎士170人、兵士4000人。これに領民の民兵が加わる事になる。その数はおよそ4000人と見られている。対する聖騎士を中心とする国王軍は、聖騎士およそ100人に兵士が約3600人。戦闘力の質では国王軍優勢といった感じだけど、地の利や物資の豊富さは地方領主軍に軍配があがる。

 ところが、これに神殿勢力が加わると、一気に国王軍優位に傾いてしまうのである。なんと言っても、この国の主神はクレイド神。各領地に必ず神殿がひとつ存在するっていうくらい浸透してるから、戦争で負傷した兵士を癒すのもクレイド神に仕える神官の役目。クレイド神殿勢力とも対立している地方領主軍は、神殿の人々の協力が得られないことになり、肝心の癒し手がいないのである。まぁ、地方に行けば他の神の神殿だってあるし、彼らもクレイド神殿の影響力を弱められるのではと画策し、不戦を信条に掲げるエスト女神の信者以外は全面的支援を約束してはくれている。しかし、なんと言っても数が少ない。クレイド神殿勢力に癒しの奇跡を行える者が100人いたとすれば、他神殿勢力の癒し手は10人にも満たない割合だ。いかに地方領主軍が数で勝るとはいえ、消耗戦になれば戦闘力の質が高く癒し手も多い国王軍の方が有利だ。ちなみに、聖騎士も自分で癒しの奇跡を行えるから、神殿勢力と合わせるとかなりの数になるね。

 長々と説明したけれど、これがこの紛争の概略だ。で、現在のところ、主戦場となるのはエルレイスの南、広大な平原地帯だろうとされている。まだお互いに直接ぶつかったわけじゃないらしい。

「しかし、この紛争が始まれば、国の出入りが難しくなるな…」

 戦争状態の国は、基本的に法による秩序的な統治ができなくなる。しかし、関所等では情報の漏洩を防ぐべく、他国からの間者の侵入や、すでに侵入していた間者の出国を厳しく取り締まるようになる。そうすることで、他国に攻め入る隙を知られる危険性が減り、今の戦争に専念できるようになるのだ。

 しかし、そのせいで旅人は国境を越えるのが難しくなり、下手すると戦争が終結するまでその国から出られないという事にもなりかねない。

「一刻も早くこの国から出る必要がある、ということですね」

 とは言うものの、ここは国境から随分離れている。2、3日で国境越えをするというのは無理な話だ。おそらく、戦乱に巻き込まれるんだろうなぁ。(泣)

 そんな事を話しながら宿を探していると、不意に騎士に呼び止められた。

「お前達、どこから来た?」

「ルーベラの森に用があって、つい今しがたそこから戻ったところだ」

 僕達がそう言うと、騎士は怪しんだように僕らを値踏みした。どうも疑われているらしい。そういえば、前にも密偵と疑われて取り調べを受けたっけ。その時、身分証明になるメダリオンをもらったなぁ。

「レオン、前にあの騎士からもらったメダリオンがあるよ。それを見せたら?」

「そうだな」

 そう言ってレオンがメダリオンを見せると、騎士の表情がふっと和らいだ。

「失礼した。今や我々は聖騎士隊と戦闘状態にあるのでな。つい、見慣れぬ顔は怪しんでしまうのだ」

 どうやらこの身分証明のメダリオンは、きちんとその役目を果たしてくれるらしい。これからも怪しまれたらコレを見せればいいんだな。

「ところで、戦闘状態と言ったようだが、もう戦端は開かれたのか?」

「いや、まだだ。お互いに出方をうかがっている。国王軍が動かぬ以上、こちらから討って出るわけにもゆかず、今はまだ口論している段階だそうだ」

 こんな感じでレオンが騎士と戦闘状況について話していると、

「貴公らは国境を越えるつもりか?」

「ああ、そうだ。それがなにか?」

「いや、それならば、ここを東に向かった港町レンツに向うが良かろう。あそこは我々の勢力下にあり、現在ではこの国で唯一他国との貿易が行われる場所だ」

 ふぅん。船に乗れるのならその方が早いし、楽だからいいね。

「しかし、その船も今は厳しい検査が行われ、ただの冒険者というのでは乗せてはもらえんかもしれん」

 さぁ、雲行きが怪しくなってきたよ。船に乗りたければちょっと手伝ってくれ、と言われそうだなぁ。(泣)

「そこでだ。貴公らに頼みがある。この村で集めた物資を、無事にランバーナまで届けてもらいたいのだ。それが成功すれば、私が定期船に紹介状を書こう」

 出たよ。こうやってオイシイ条件を提示されて、僕らは戦乱に巻き込まれるんだなぁ…。本当は避けたいんだけど、陸路を行こうとすれば関所が待ってる。おまけに山脈越えまでついてくる。それに比べれば、船に乗れると楽だよなぁ…。どうするんだろ?

 で、相談した結果、

「貴殿の身分は?」

 と、言う事になった。書いてもらった紹介状が、それなりの権力を発揮できるか確かめるための質問だ。下級騎士に書いてもらっても、下手すりゃ船にすら乗れないかもしれないからね。

「私はランスロー侯爵の弟、ギルギット・ランスローだ。私の紹介状ならば、間違いなく船に乗れるだろう」

 うっひゃあ。これは驚いた。こんな場所で補給物資の輸送を請け負ってるのが、あのランスロー卿の弟だって。でも、考えたらそれが当然かもしれないな。聖騎士側がは自分達が戦力的に劣ってる事を分かってるんだから、地方領主軍の結束を切り崩して、各個撃破を狙ってくるよね。つまり、いつ地方領主側の結束が崩されるか分からない。その時、真っ先に狙われるのが補給部隊だろう。補給路を断たれるということは、戦争で戦う人間にとって最も恐ろしいことだ、とレオンから聞いた。王国に反感は抱いていても、地方領主側は一枚岩というほど結束しているわけじゃないみたいだから、不安が広がると一気に崩れるもろさを持っているわけだ。弟を補給部隊に配置するというのも、その辺の戦略を見越しての配置ということか。どうやら、ランスロー卿という人物、ものすごく頭の切れる人みたいだね。

「これで引き受けてはもらえまいか?」

「いいだろう。輸送物資の護衛、引き受ける」

 そして、僕らはランバーナまで補給物資を届けることになったのでした。その日は軍の準備した宿舎で休む事ができたので、僕達は久しぶりにぐっすり眠ることができました。ここ最近はずっと野宿だったからねぇ…。


 次の日、馬を貸し与えられた僕達5人は、ランバーナに物資を送り届ける兵士達と合流した。

「しっかり護衛してくれよ」

「頼まれたからには、やり遂げる」

 こうして挨拶も終わり、僕らは久しぶりに馬上の人となってランバーナを目指したのでありました。道は広く、見通しが利く。どうやら身を隠してこそこそと輸送するより、堂々と輸送して正面から妨害を排除する方を選択したようだ。戦力が整っているのなら、その方がいいよね。護衛するほうも、敵に隠れられるよりは、姿が見えていた方がやりやすい。

 とはいえ、さすがに地方領主軍の勢力圏、そうそう敵が出てくるわけもないんだよね。これが。

「どういうつもりで、この輸送物資の護衛を頼んだんだろ?」

 僕がふとつぶやくと、

「ランバーナ周辺には『殉教者』が出没するらしいからな。すでに、輸送隊が2度やられている」

 と、馬車に乗っている兵士が答えてくれた。ところで、『殉教者』ってなんだ?

 聞けば、この殉教者って連中、クレイド神殿の頂点に君臨する教皇直属の配下で、教皇の目や耳、時には手や足になって活動するという影の存在なのだそうな。戦闘訓練もかなり積んでおり、教会勢力の障害になりそうな連中を消すことも仕事なんだとか。ま~、アメリカのCIAとかと似たような存在なんだろ。

「殉教者ですか…。これは、ひょっとすると、とんでもない仕事を引き受けたのかもしれませんよ」

 さすがに信仰する神こそ違えど、ルモンドは神殿関係者だ。その筋の情報にはそれなりに詳しいらしい。

「彼らは致死毒を塗った武器こそ使いませんが、その戦闘能力はかなり高いと聞きます。しかし、その力は主に奇襲や遊撃等で発揮されることが多く、野戦に出没したという話は聞きませんね」

「なら、今回のように広い道を行けば、その殉教者に狙われる危険性も低くなるのね」

「ええ。ただ、低くなる、としか言えないでしょうね。彼らは与えられた任務を、何があっても遂行しようとします。彼らの魂はすでに神の元にあり、神の意志に従って動いている、と言われていますから。もっとも、この場合の神と言うのは、教皇なのでしょうけどね」

 俗世間に影響力を持つためには、単に民衆の意識を集めるだけではダメ、ってことだな。懐にそういう武力を持ってなきゃ、クーデター起こされたら終わりだもん。とはいえ、神に仕える身でありながら、随分と汚れ切った連中だこと…。(呆)

 馬に乗ってはいるものの、輸送物資を抱えているので旅のスピードはあがらず、僕達はランバーナに着くまでに2回の野営を余儀なくされた。しかし、それまでは何の襲撃を受けるでもなく、のんびりとした旅が続いていた。そして、エレナの視界にランバーナの町が見えたその時、

『危ない!』

 と、シーラが風を起こして僕らを矢から守ってくれた。まさか、殉教者か!?

 奇襲が失敗したと知るや、周囲の茂みに潜んでいた連中が姿を現した。僕らもすぐに臨戦態勢をとり、敵の攻撃に備える。

「神の御意志に背く背徳者共!神の刃を受けるがよい!」

 女性の声?口を布で覆っていたからよく分からないけど、どうやら敵は女のようだ。

 白いローブで身を包み、その顔も白い布で覆った奇妙な連中。それが殉教者の姿だ。クレイド神のシンボルカラーである白一色というわけか。その数は3人。こっちの戦力はレオン&ファルマの直接攻撃コンビに、僕ら3人の後方援護部隊。輸送部隊の兵士は戦力にならない計算で、相手3人が奇跡を使えるとしても、こっちの方が有利なはず。おまけに、こっちにはシーラもいるんだ。負けるわけがない!

「うおぉぉぉ!」

 ルモンドから魔法で支援してもらったレオンが、グレートソードを掲げて突進する。彼の狙いはリーダー格の殉教者だ。相手もレイピアのような剣を持ってはいたが、さすがにそれでグレートソードを受け流すのは無理だよね。素早く身を翻して、レオンの攻撃を回避する。

 その反対側ではファルマが、これまたルモンドに防御魔法をかけてもらって、2人を同時に相手していた。ファルマも素早い方だけど、この殉教者の動きはそれを上回っていた。これでは危ないと判断したエレナが、ショートソードを抜いて白兵戦を挑む。彼女自身白兵戦は得意ではないので、おそらく牽制が目的だろう。僕は少し離れた場所で、戦力的に不利なファルマ側を援護する事にした。

「このっ!」

「きゃっ…!」

 ファルマのバスタードソードが殉教者の腕をかする。その刹那、殉教者がか弱い悲鳴をあげた。まさか、ここにいる殉教者は全員女性なのか!?

「女の子…?」

 悲鳴を聞いたファルマが、一瞬動きを止める。すると、すかさず殉教者の左手から短剣が投げられ、ファルマの頬をかすめる。

 いかに闇の戦闘集団といえども、数で劣っている上に正面からの白兵戦となっては、さすがにもろかった。

「ぬん!」

 レオンがグレートソードで相手の武器をへし折り、そのまま相手をショルダータックルで弾き飛ばした。その一撃で、殉教者は気を失う。

 それに気付いた残りの2人が、僕らを無視してレオンの方に向かった。

「行かせないわよ!」

 エレナが背後から風の気弾を投げつけ、2人を弾き飛ばす。そこに僕とルモンドが飛び掛かって、なんとか取り押さえる事ができた。どうやら、相手が女性だと分かった時点で、他の仲間もみんな相手を殺すつもりがなくなっていたらしい。

 ロープで縛って身動きできないようにし、僕らはその正体を見るべくマスクをはいだ。すると、

「あなたは…!」

 そう、この殉教者達は、エルレイスで世話になった宿屋の母娘だったのだ!

「神の御意志を遂行できぬ今、もはや情けは無用です。ひとおもいに殺してください」

「アルシアさん、どうして貴女が…」

最初は殺してくれとしか言わなかったが、こちらが説得を続けていると、どうせ失う命ならばと、落ち着いて話をしてくれた。

聞けば、あの宿は神殿が市中の様子をうかがうために作ったもので、彼女達はそこで情報収集をしていたというのだ。僕達と親しく話をしたのも、それが目的だったのか…。

「私は孤児で、神殿に拾われて育ちました。幼い頃から戦闘の訓練をさせられ、殉教者となる事を運命づけられていたのです…」

 それから殉教者として神殿に仕える傍ら、今度は自分が孤児を教育する事になった。それが、レオナとカティスだったのである。

「2人には私のような思いはさせたくないと思いました。しかし、すでに殉教者となっていた私には、それを拒否することなど、できようはずもありません…」

 そして、仕方なく2人を殉教者として教育した。やがて2人は成長し、優秀な殉教者として働く事になったのだという。

「でも、この2人に、まだ人を殺めさせた事はありません。どうかこの2人だけは助けてあげてください。お願いします。私はどうなってもかまいません。ですから、この2人をどこか遠くの国へ…」

「お母様!」

「お母様…」

 レオナとカティスが、捕まってから初めて声を出した。どうやら、この3人は血こそ通ってないけれど、本当の親子の絆で結ばれているようだ。ルモンドもそれを感じたのか、優しい声でこう言った。

「もしも貴女方が本当に己の行いを悔いているのなら、まだ救いはあります。私達と共に、この国を出ましょう。そして、悪い夢を思い出さないような遠い国で、母娘3人で仲良く静かに暮らすのです」

「司祭様…」

 アルシア母娘は涙を流して感謝した。しかし、物資を輸送していた兵士達は、それを複雑な表情で見ている。彼らにとって殉教者は教会勢力であり、敵である。それを許すという気には、すぐにはなれないのだろう。まして、彼らの仲間が殉教者に殺害されてもいるから、恨みすら抱いているはずだ。

 そこで力を発揮したのがルモンドの話術だ。彼は静かながらも力強い説得を行い、いい顔をしなかった兵士達を丸め込んでしまったのである。う~ん、さすがだ。


 その後、アルシア母娘に変装をさせた僕達は、仕事の完了を証明する書類をもらいに行った。

「では、これを持ってギルギットの所に戻るがよかろう」

 ランバーナの司令官らしき騎士に証明書をもらい、僕らはすぐに屋敷を出ようとした。ところが、

「お前達、もうひとつ仕事を引き受けてはもらえないか?」

 と、呼び止められた。ああ~、また厄介事ですかぁ~?(泣)

「我々も急いでいるのだ」

「なに、手間はとらせんよ。ただ、少々危険を冒してもらうがな」

 仕事の内容は、聖都エルレイスの状況視察だった。確かに、戦争状態でピリピリしてるところに、身分の分からない人間が入り込むのは危険だろう。しかし、

「この仕事に成功すれば、南部領内での行動の自由と、金貨70枚を約束しよう。必要なら、馬もつけるぞ」

 かなり魅力的な報酬を提示され、レオンも心が揺らいだようだった。馬があれば移動がスムーズにできる。その上、帰り道の路銀まで確保できる。こんなおいしい仕事はない。

 しかし、僕達は急いでベルダインに帰らなきゃならないんだよね。アルシア母娘も国外逃亡させなきゃならないし…。

「悪いが、他を当たってもらおう」

 レオンがそう決断して去ろうとすると、

「では、ここでおとなしく縛についてもらうとしよう」

 と、司令官らしき騎士が合図を送った。それに答えるように兵士が数人やってきて、僕らの退路を断った。

「このファルダーン候エルリック・ランスローの目はごまかせぬぞ。貴公、アルラッドの大国、ベルダインの騎士であろう。この期に及んで、よもや言い逃れなどはすまい」

 ううむ、バレてたか。しかし、なんでバレたんだ?鎧も紋章を外しているし、剣だって一般的なブロードソードじゃないのに。

「その動きやすさを重視した鎧、ベルダインの騎士でなければ、西国フェントの騎士しか着けたりせぬ。それにその物腰。いかに身分をごまかそうとしても、その身に染み付いた騎士の作法は消えぬものよ」

 なるほど。さすがは地方領主最大の領地を治めるだけのことはある。その洞察力は見事だ。

「ベルダインの騎士が、なにゆえこのルファーガに来たのか。仕事を引き受ければ、それを問い詰める事はせぬ。しかし、拒否するのであれば、地下牢に入れた上で拷問も辞さぬ」

 よーするに、仕事を引き受けろってことなのね…。拒否権なしか…。(泣)

 結局、僕達はランスロー卿の言う仕事を引き受けるハメになった。まぁ、アルシア母娘の荷物も取りに行かなきゃならなかったし、これはこれでいいのかもしれない。報酬もちゃんとくれるって言ってくれたしね。しかし、いかに敵対関係ではないとはいえ、他国の騎士が侵入しているという事態を看過しようというんだから、あのランスロー卿って人はとんでもない人なんじゃないだろうか…。

「うかつだった…。まさか、あの男がファルダーン候だったとは…」

「レオン、嘆いても仕方ありませんよ。ここは一刻も早く仕事を終わらせ、ベルダインへ戻る事を考えるようにしましょう」

 ルモンドがレオンを励ます。確かに過去を悔やんでも仕方ないんだけど、でもやっぱり気にしちゃうんだよなぁ…。(凹)

「ユウ、あなたが暗くなってもしかたないでしょ?」

 おや、僕も暗くなってたか。いかん、いかん。

「ん、もぅ。すぐ周りに影響されちゃうんだから」

「ごめん」

「あらあら。ユウも大変ねぇ。こんなに厳しいお姉さまがいるんだもの」

 ファルマまで参戦してきて、もうなにがなにやらごちゃごちゃになった。

「なによっ!私のどこが厳しいって言うの!」

「きゃ~」

 僕達がこんな他愛もないやりとりをしていると、カティスが声に出して笑った。それにつられるかのように、一同が笑い出した。そういえば、ルーベラの森に行ってから、僕達ほとんど笑ってなかったな。笑うってことはいいことだ。僕もそうやって一緒に笑っていると、

「ユウさんって、エレナさんの尻に敷かれてるの?」

 と、カティスから鋭い突っ込みがきた。(汗)

「いや、尻に敷かれてるって…」

「だって、ユウさんとエレナさんは恋人同士みたいだけど、エレナさんの方が、立場が上みたいだもの」

 な、なかなか鋭い洞察力をお持ちのようで…。こりゃ、困ったな…。(汗)

「だめよ、カティス。そんな事言わないの」

「だってぇ…」

 く~…まぁ、みんなが明るくなったということで、この場は笑って済ませることにしよう。そうさ。僕は尻に敷かれてるよ。どうだ!参ったか!はっはっは!(泣)

『ユウ、無理してる……』

 うう…シーラにまで突っ込まれた。ひどいや。みんなして僕をいじめるんだ。(泣)

 しかし、シーラの突っ込みは僕にしか聞こえていないので、本当は泣きたかったんだけど、笑うしかなかったんだよね。あ~、顔で笑って心で泣いて。僕って、なんて不幸なんでしょ。(泣)



 ランバーナの町から北に向かう事3日、僕達はようやくエルレイス近郊までやってきた。まだ戦端こそ開かれてないものの、町は聖騎士や兵士達が行き交う物々しい雰囲気に包まれていた。僕達はアルシア母娘の手引きで、警護の薄いところから町に侵入し、そのまま『安らぎの鐘』に向かった。

「ここに来れば、しばらくは大丈夫です。町の様子は私達が探りますから、あなた方はここで待っていてください」

 そう言って店を出てゆくアルシアさん達の背中を見送りながら、僕はある不安を感じていた。もし、アルシアさん達のだれかが僕らを裏切って、聖騎士に通報でもしたら、僕らはあっという間に捕らえられて一巻の終わりだ。

「大丈夫かな…」

 つい、そんな言葉が口をついて出てしまった。すると、

「3人とも殉教者ですからね。私達が心配するような事はありませんよ」

 と、ルモンドに言われた。どうやら彼は、僕がアルシア母娘の身を心配していると思ったらしい。そうじゃないんだけどな…。

「ルモンドは気にならないの?もしも、あの母娘のうち誰かが密告でもしたら…」

「おや、魔獣を信用したあなたとは思えない発言ですね。どうしたんですか?」

 それを引き合いに出されると弱っちゃうんだけどさ…。なんというか、僕らは今敵地に身を置いているわけで、どうもその辺が落ち着かないんだよね。いろいろと心配しちゃうというか、さ。

「むやみに人を信用するのがお前の悪い癖だと思っていたが、人を疑うこともあるのだな」

「ひどいな、レオン。僕だって人並みに心配はするよ」

 珍しいレオンの冗談に、僕の緊張が少し和らいだ。

「あなたの悪い癖が、私達にも移ったようですね…というのは冗談ですが、捕らわれて命が危ういという状況で、自らの命を顧みずに娘の命を救おうとしたアルシアさんを信用したのです。まぁ、クレイド神の信者であるので、嘘をつくことがないというのも信用する一因ですけどね」

 そうか。クレイド神の信者は嘘をつけないんだった。殉教者であるんなら、その教義は絶対のはず。なら、彼女の口から出た言葉も信用できる、ってことか。なるほど。気にしすぎかな?


 待つことしばし、アルシア母娘が帰ってきた。

「みなさん、今戻りました」

 彼女達が集めてくれた情報はものすごく緻密で、聖騎士や兵士の配置状況から、レイネセンで保存している食料のおよその量までカバーしてあった。

「すごい。これだけ分かれば、攻めるには十分だろう」

 騎士であるレオンをしてすごいと言わしめたのだから、この情報はすごいんだろう。その情報の書かれた紙を背負い袋にしまい、僕らはアルシア母娘が旅の準備をするまで待った。

「お待たせしました。それでは出発しましょう」

「では、行こう」

 こうして、再び警備の薄い部分からレイネセンを脱出し、南のランバーナを目指した。

 しかし、敵の本拠地に潜入して無事に帰って来れたんだから、これってすごいことだよね。アルシアさん達が手ほどきしてくれなかったら、こうはいかなかっただろうなぁ。ほんと、アルシアさん達母娘に感謝だよ。


 ランバーナに向けてレイネセンを発ってから2日後、僕らは背後から何か迫ってくるのに気付いた。

「あれは…聖騎士だわ!」

 遠目の利くエレナがそう言った。聖騎士ってことは、僕らを追撃してきたのか!?なにはともあれ、全員臨戦態勢をとる。馬に乗った聖騎士達との距離が次第に詰まる。すると、その先頭にいるのが騎士ではないことに気付いた。

「ベクター…」

 アルシアさんがポツリともらした。どうやら知り合いらしい。彼女の知り合いってことは、そいつも殉教者なのかな?

「アルシア!貴様、神に背くなどと畏れ多いことを!」

 先頭にいた男が声を上げる。どうやら奴も殉教者らしい。この部隊の戦力は、殉教者1人、聖騎士4人の計5人。頭数ではこちらが上回っているけれど、聖騎士4人ってのはいただけないなぁ。レオンみたいなのがもう1人くらいいなきゃ、どう考えても釣り合いが取れないよ。(泣)

 でも、戦いが始まるとそうも言ってられない。僕はシーラに僕の周囲を飛び回ってもらい、自分の判断で相手に体当たりしてくれるよう頼んだ。少しでも頭数を増やさなきゃ、やられちゃうかもしれないからね。エレナも同じ考えらしく、水の精霊を召喚して、聖騎士1人を牽制させる。これで戦力的に優位になったかな?

「たあぁぁぁ!」

 レオンが気合の声と共に、聖騎士に斬りかかる。相手は文武に優れた聖騎士だが、奇跡を使う隙がなければただの騎士だ。レオンはそう判断したのか、攻撃の手を緩めることなく攻め続ける。

 そこで僕が援護の矢を放つ。矢は聖騎士の左腕に刺さり、一瞬の隙を作った。その機を逃さず、レオンは体当たりで相手を押し倒す。重い鎧を着けている聖騎士だから、ちょっとやそっとじゃ起き上がれないはずだ。しばらくそのままもがいてもらおう。

 そうしていると、エレナとルモンドの援護を受けたファルマが、相手していた聖騎士を倒した。これで相手戦力は殉教者1人と聖騎士2人だ。

 標的を長髪の聖騎士に変えた僕とエレナの弓矢部隊は、正確性より手数を選んで攻撃した。いくつかの攻撃は鎧や盾によって弾かれたけど、2、3本の矢が鎧の隙間に刺さった。さすがに痛いらしく、後退して傷を癒そうとする。しかし、そこにレオンが容赦なく斬りかかる。相手は手負いといえどもさすがに聖騎士。レオンの攻撃をうまく回避している。このままでは埒が明かないと判断したのか、エレナが土の精霊を召喚して、聖騎士の足をつかませた。

「うおっ!?」

 とっさの事で対応できなかった聖騎士は、無様にも仰向けに倒れた。すかさずレオンがグレートソードを胸に突き立て、聖騎士は事切れた。

 これで聖騎士はコケてるのが1人と、戦ってるのが1人。この戦ってる奴は、レオナとカティスが相手をしている。いかに動きが素早くてとらえにくいと言っても、そこは正規の訓練を受けた者とそうでない者の差がある。前にも言ったように、殉教者は遊撃や奇襲は得意だけど、正面きって戦うのは苦手な事が多い。この姉妹もそうらしく、聖騎士の剣技にだんだんと押されてきた。2人の動きが素早いので、僕もうかつに矢を放てないぞ。困ったなぁ。

 そうしていると、

「下がって!」

 と、聖騎士1人を倒したファルマが、2人と聖騎士の間に割って入った。白兵戦ならレオナやカティスよりファルマの方が強いはず。姉妹も素直にファルマの言葉に従って、僕らの近くまで下がってくる。その間に、姉妹はファルマに防護の奇跡をかけて援護した。これでファルマは大丈夫だろう。その内レオンも来たので、僕はアルシアさんが戦っている殉教者に目を向けた。

「アルシア!貴様このような異教徒共と手を組み、一体なにを考えている!」

 アルシアさんと斬り合っているベクターが、彼女に向かって叫ぶ。

「私はただ、人間としての幸せが欲しい。それだけです」

「人としての、幸せだとっ!?」

 そう言うと、ベクターは左手のバゼラードを鋭く突き出す。その攻撃をレイピアで受け流したアルシアさんは、反撃とばかりに右足で蹴りを見舞う。暗殺術に長けているとは聞いたけど、こんなラフな戦い方もするんだねぇ。もしかすると、体術も習得してるのかもしれない。

「神の声に従い、その身も心も神に属すことのできる喜びが、人の幸せに劣ると言うか!」

「ええ、劣りますとも!」

 今度はアルシアさんがレイピアを振るう。その一撃はベクターの装備している小手に阻まれ、有効な打撃にはならなかったようだ。

「神に従うとは建前。真実は、教皇の飼い犬になっているだけのこと。ベクター、どうしてそれがわからないのです!」

 どうやら、殉教者にも盲目的に従っている人間と、使命的に考えている人間とがいるらしい。でも、アルシアさんのように使命的に考えてる人ってのは、少ないんだろうなぁ…。日本のカルト教団だって、妄信的に事件起こしたりするもんね。悪い事だと分かりきってるのに、教団に言われるとやってしまう。それが人間の弱さなんだろう。

 そうしていると、コケてもがいていた聖騎士が起き上がり、アルシアさん目掛けて突進して来た!

「うおぉぉぉ!」

「危ないっ!」

 とっさに僕は駆け出しながら、聖騎士に体当たりをした。弓矢じゃあの突進を止められないと思ったからだ。ところが、その行動があだとなった。僕の行動に気をとられたアルシアさんが、ベクターの目の前で隙を見せてしまったのだ。

「もらった!」

「はっ!」

 とっさに振り返るアルシアさん。しかし、ベクターの剣はもうすぐそこまで迫っていた。身を翻すも、ベクターのバゼラードが彼女の右腕を斬る。ぱっと赤い血が飛び散り、アルシアさんは地面に転がった。もちろん、レイピアは彼女の手を離れている。

「これで終わりだ!」

「アルシアさん!」

 再度コケてもがく聖騎士を相手して手間取った僕は、完全に出遅れた。他の仲間もアルシアさんからは距離があるのですぐには動けない。ベクターの凶刃が妖しい光を放つ。そして、次の瞬間、

「ぐうっ!!」

「なにっ!?」

 悲鳴をあげたのはレオナだった。彼女が身を挺して、母親を守ったのである。

「レオナ!」

「くそっ!」

 ようやく起き上がった僕は、すぐに矢を番えてベクターの頭を射る。狙いは違わず、矢はベクターのこめかみあたりに刺さる。

「ぐあっ…」

 それでベクターは死んだ。だけど、問題はレオナだ。

「レオナ、レオナ、しっかりしなさい!」

 ベクターの一撃は、背中からレオナの心臓の辺りを貫いていた。信じたくないけど、もう助からない……。

「お…おかあ…さま……」

 そう言ってアルシアさんの手を握ると、レオナは力尽きた。血の繋がりはないのに、最後までアルシアさんを母親だと慕っていたのが、なんだかとても切なかった…。


 それから残った聖騎士を撃退した僕達は、レオナの亡骸を埋葬することにした。僕とレオンで穴を掘り、ルモンドが墓標を作る。

「レオナ…」

「お姉さま…」

 アルシアさんとカティスは、僕達の作業が終わるまで、ずっとレオナの亡骸に寄り添っていた。

「レオナ…ずっと、苦労ばかりさせて…。人間としての幸せを、教えてやる事もできなかった…。それなのに、あなたはこんな私を、最後まで母と慕ってくれた……。レオナ…せめて、魂の世界で、幸せに……」

もう涙で言葉になってなかったけど、アルシアさんはレオナに言葉をかけ続けていた。血の繋がりのない母娘だったけど、その絆は実の親子よりも強かったんだね…。

 レオナの亡骸を穴に入れる前に、ファルマがレオナの髪を少し切って紐で束ねた。そして彼女の使っていたダークと一緒に、アルシアさんに手渡す。

「彼女の魂は、いつまでもあなた達と共にあります。どうか、気を強く持って…」

「はい……」

 そして2柱の神への祈りの言葉が流れる中、僕達はレオナを埋葬したのだった。


「本当に、いいんですか?」

 アルシアさんは静かにうなずいた。

 僕らはランスロー兄弟の紹介状をもらって、港町レンツにいた。もう船の手配も済み、後は乗り込むだけだったのだが…。

「レオナを置いて、私達だけ幸せになるわけには参りません。せめて、あの娘の仇を討たなければ…」

 アルシアさんとカティスは、この国に残る事にしたのだ。地方領主軍に参加し、教会勢力を打倒するのだという。それがレオナへの弔いになり、自分達の過去への決別になると言っていた。

「あの娘の墓も、守らなくてはなりませんしね」

 この戦いが終わった後、彼女達はランバーナの町で宿屋をするという。その傍らで、レオナの墓も守っていくと…。

「では、これでお別れですね」

「ええ。あなた方の旅のご無事をお祈りしますわ」

 僕らが別れを告げて船に乗り込むと、桟橋にかかっていた板がはずされ、船が動き始めた。

「お元気で~」

「ありがと~。2人とも、元気で~」

 潮風に負けないように声をはりあげ、僕らはアルシア母娘と別れた。それは、これから長く辛い戦いに身を投じる2人の女性への、精一杯のエールだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る