山嶺へ(四)

 神殿から聖山までは十日かかった。麓の村を出発し、谷底を通る巡礼路を外れて、かんじきを履いて進む。顔は乳漿にゅうしょうに赤土を混ぜた塗料を塗って保護し、革でできたしゃこうで目を覆う。毛皮と毛織物で全身をくるみ、それでもなお、突き刺さるような風が、常にふたりに打ち付けた。尾根の風上側を進んでいるせいだ。夏の巡礼であれば雪がないために問題ない谷底の巡礼路も、この異例の気候の前では融雪と凍結をくり返しているせいで亀裂や雪崩を起こす危険性が考えられ、避けたのである。

 純白の尾根を、ふたりは進んだ。一矢は規則正しく呼吸しながら、角笛のような声で経文を唱え、雪上を軽やかに飛ぶように進む。四詩は自分よりも幼い、貴族出身の少女の強靱さに感嘆した。

 そうだ。一矢とは、矢のように進む「風の行者」の名なのだ。ひとの身に永く転生し、衆生を率いて、一番に雪獅子のもとに辿り着く――……

 危険を押して沢筋に降り、肘から下ほどの厚さの氷をくりぬき、水を汲んで聖別する。尾根に戻り、峠に設けられた岩陰のほこらに詣で、水を捧げる。バターが灯明皿に足され、暗闇に灯りがともる。

 祠の天井や壁に、びっしりと神獣の集会しゅうえする神界図が描かれている。中心にいる雪獅子、聖山、周りに侍るほかの獣、山々……天界の運行を象徴する図像の群れ。一矢と四詩は、砂埃の積もった床に額を擦りつけるようにして祈りを捧げた。

 祠を出て歩く。視界の端に、聖山のきびしいおもざしが見える。到達できない高みにそびえる、切り立った山頂――……その頂点に立った人間はまだこの世にいない。神殿が頂きへの立ち入りを固く禁じている上に、手がかりのない断崖を登る愚を犯す者はだれもいないのだ。

 その黒い断崖は、砂糖を掛けたように雪に白い紋様を付けられていた。太陽の色に染められて、暁や夕べにうっすらと赤らむ。

 しばらくは晴れた日が続いた。しかし、重い雲が聖山を覆う日がやってきた。



「露営しましょう」

 四詩の声が、一矢の歩みを止めた。

 雪片はちいさかったが、風がつよまっていた。

「まだ大丈夫だ。次の堂に着いてからにしよう」

 四詩は遮光器を外して首を横に振った。

「申し訳ありません。わたしには無理です」

 一矢は違和感を覚えて四詩に近づいた。四詩ははげしく震えている。

「莫迦者!」一矢は怒鳴った。「もっと早く申せ」

「すみません……」

 いつくしの嶺に住む者であればだれでも知っている。からだの芯が凍えたとき、はげしい震えとともに死が近づく。とはいえ、足許がふらつく前に自分の凍えに気づいた四詩は賢明だ、と一矢は思った。

 緩やかな尾根の風下側に岩陰を見つけ、素早くヤクの毛で織った天幕を張る。震えの止まらない四詩がおぼつかない手で服を脱ぐのに業を煮やし、一矢は火をちいさく起こしたあと強引に彼女の服を剥いだ。外套のなかの油紙が破れていたのか、下着が濡れている。それも剥いで、乾いた毛布と毛皮で彼女をくるむ。自分も服を脱いで彼女を抱き締めるように座った。毛皮を握った手で彼女の肌をこすり、熱を起こす。火にかけた鍋から湯をすくい、口移しで飲ませた。

「一矢さま……ありがとうございます」

 ようやく震えがおさまり、四詩は微笑んだ。

 その心底ほっとした表情に、一矢は頬に熱が上った。胸を破りそうなくらい、心臓が鳴る。

 一矢は動揺して、思わず顔を逸らした。

「一矢さま……?」

 旅立つ前から、四詩を目前にするとよく起きたことだ。一矢は自分がなにに身を乗っ取られたのか、理解しかけていた。

 ぎゅっと四詩を抱き締め、彼女を地面に押し倒した。てのひらを動かし、彼女の裸の肌を撫でる。自分は熱く、四詩はつめたい。

「……吹雪いてきた。早々に露営を決めて正解だったな」

 一矢は低く呟く。

「……はい」

「もっと、触ってもいいか」

「……え……?」

「そなたはまだつめたい」

 言いながら、唇を四詩の首に当てる。舌で髪の生え際をねぶる。

「……っ、一矢さま――」

 身じろぎした四詩の手をつかみ、指先を口に含む。舌先で爪を舐めた。砂の味がしたが、構わず吸って唾を飲み込む。貪るように口を動かし、四詩のてのひらを、手首を吸う。風雪に混じって、淫猥な音が立った。

「あ――」

 ぴたりと全身の肌を重ねて、それでも尚足りず、一矢は脚を四詩の胴に絡みつけ、自分の胴と脚のあいだを四詩のからだにこすりつけた。

「……四詩……四詩……――」

 熱に浮かされたような声で、一矢は四詩の名を呼んだ。身を動かして彼女をこすりながら、彼女の凍えた足先を自分の脇にはさむ。一矢のからだは燃えるように熱くなり、たちまち四詩のからだの末端も温めた。

「……一矢、さ、ま」

「じっとしていろ」

 言いながら、一矢は四詩の唇を自分の唇でふさいだ。四詩の脚を割りひらき、あいだに自分のからだを入れる。自分の熱い唾液を彼女に飲ませ、一矢は四詩のからだをこすり続けた。

 四詩の秘められた場所から、ゆっくりと沁み出してくるものを腹に感じて、一矢は昂奮が抑えられなくなった。

「もっと熱くしてやる」

 そこに舌を入れ、愛撫すると、四詩は嬌声を上げた。

 唇に力を込めて、濡れそぼった場所に口づけする。

「ん……っ、んん……っ、一矢さま……!」

 音を立てて吸うと、四詩は一層声をおおきくした。

 辛抱づよく、一矢は四詩を舐めた。次第に四詩の呼吸が速まり、声は甲高くなってゆく。

「や……おやめ、くださ……ああ……――っ」

 拒むことばを無視して、一矢は四詩のからだを愛すことをやめなかった。

「四詩…………そなたが欲しい」

 そのことばは、一矢自身も驚くような切実な響きで、一矢の喉から絞り出された。

 四詩は無我の快楽のなかで、ぼんやりとそれを聴いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る