よかさね

山嶺へ(一)

「それで」

 藤世は身を乗り出した。

「どうなったのです」

 朧は潤みを含んだ目をゆっくりと閉じ、それからひらいた。

「珊瑚は奪われた。短剣は水路に捨てられ、わたしは清の贈り物をすべて失った」

 老女はのろのろと首を横に振った。藤世は彼女の足許に跪き、手巾を差し出して彼女がぽろぽろと落とす透明な雫を拭いた。

「……朧さま……朧さま」

 不意に、藤世の目からも涙があふれた。

 自分だったら。朧が自分だったら。限りなく愛するひとと、切り離されてしまったら。

 四詩に逢えなくなったら。

 その想像をするだけで、藤世は胸が引き裂かれるような悲しみに襲われた。

 皺ぶかい目の前の老女が、いとけないおとめのように感じられて、藤世は朧を抱き締めた。

「……珊瑚の行方はわからない。おそらく、代々の王にたいせつに受け継がれているのだと思う」

「……」

「智迅君は珊瑚をこわさなかった。こわせば、清が死に、わたしが死ぬとわかっていたから。珊瑚を隠して、わたしをずっと生かし、ずっと王宮につなぎ止めることを選んだ」

 朧は藤世の腕をつかみ、ぎゅっと握りしめた。

「……雪獅子の伴侶とはそういうものなのだ。雪獅子が死ねば死に、わたしが死ねば清は死ぬ」

 朧はつよい力で藤世を引き剥がし、彼女と目を合わせた。

「藤世よ。そなたはおそらく、次の雪獅子の伴侶だ」

「え……?」

 老女の丸いまなこは、まっすぐに藤世を射抜いた。

「そなたのもとに、白銀の短剣がやってきた。その短剣は、清を殺すためのもの。次代の雪獅子が持つもの。次代の雪獅子に渡すために、そなたはいつくしの嶺に行く」

 朧は藤世の頬を両手で包んだ。

「病み衰えた雪獅子は、殺されて次の器に引き継がれ、新しい器に入れば健やかな力を取り戻す。殺されずに死ねば、現し世は雪に閉ざされて破滅する」

 藤世は目を見ひらく。

「急げ。あまり時間はない。清の命も、わたしの命も、あとわずかだ。その前に、清はその短剣に貫かれて殺されなければならない。――藤世」

 朧はゆっくりと藤世に言った。

「行け。行って、そなたの雪獅子に出逢え」

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