褪せる珊瑚(四)

 藤世は夢中になって織り続けた。夜明けとともに機に向かい、時折染料を煮出す釜の具合を見ながら、杼を動かし続ける。日が沈めば次官から特別に与えられた灯明台を据えて、織り目を数え、踏み木を踏み、筬を打ち込む。機の胸木むなぎに突っ伏して眠ってしまったこともあった。

 夢路には、ふたたび四詩が現れた。

 暗闇に、獣脂のランプがひとつだけ点っている。少女は竪機たてばたの前に座り、複雑な形で手に緯糸をからめ、経糸に緯糸を結びつけては、毛足を残して鉈のように湾曲した刃物で刈り取っている。緯糸は、木の取っ手に金属片の歯が嵌めこまれた熊手で丁寧に打ち込む。緯糸用の色とりどりの糸玉が、少女の腰の脇で出番を待っている。

 淡々と、しかしめまぐるしく作業は進み、ゆっくりと紋様が浮き上がる。藤世は背後にぺたりと座り、その様に見とれている。ふたりの下に敷かれているものと同じように、機で織られているのは、羊毛の絨毯だった。

 藍や茜の色の地に、ときおり六枚の花弁をもつ花の紋様が入っている。それは夕暮れどきの晴れ渡った空に、星が輝いているようにも見えた。

 不意に四詩が息をつき、道具や糸を置いて伸びをした。顔を手でこすり、ぼんやりと機の絨毯を眺めている。その無防備なすがたに、藤世は胸の奥からいとおしさがこみあげてきて、そっと四詩に近づいた。

 彼女の肩に抱きついて、頬を寄せ合いたい。

 ――藤世。抱き締めてもいいか。

 矢車のことばが脳裏をよぎり、藤世はからだを凍り付かせた。

 ……これは。

 藤世は胸の痛みに震えた。

 矢車が藤世に抱いた感情と、同じものを、藤世ももっている。ただし、矢車に対してではなく、このちいさくて華奢な少女に。

 四詩が振り返り、藤世に気づく。

 驚きに目を見ひらいたのち、彼女の満面に、やわらかな笑みが広がる。

「――藤世!」

 その瞬間に、胸の痛みは消え、藤世は四詩に飛びついた。笑いながら、彼女を抱き締め、絨毯の上に押し倒す。

「四詩……四詩」

 四詩も、藤世を抱き締め返す。胸に相手の心臓の鼓動が伝わり、寄せ合った頬に互いの息がかかる。

 吸い寄せられるように、藤世は四詩の頬に口づけした。それでも足りなくて、彼女の瞼や、眉、鼻、顎に唇で触れる。

「藤世……っ、くすぐったい」

 四詩はころころと笑っている。

 藤世は絨毯に手をつき、からだの下から自分を見上げる四詩を見つめる。

 ああ――……ああ。

 そうだ。

「……四詩。あなたが好き。大好きよ」

「藤世……?」

 四詩はびっくりして、藤世の頬に手を伸ばす。藤世の目から落ちる涙を拭いてくれる。

「四詩、は……わたしのこと、好き?」

 唇が震えて、かぼそい声しか出せない。

 矢車の想いに、自分が応えられなかったように。四詩が自分を拒むことは、十分に考えられた。

 四詩は顔を歪めた。

 それを見た瞬間、藤世は悲しみに胸を引き絞られるような痛みを感じた。

「四詩……?」

 四詩は無言のまま、藤世を押しやり、彼女のからだの下から抜け出す。膝を抱えてうつむく。

「藤世は……うつし世にはいない」

「いるわ! あなたと同じ世に!」

 四詩はそっと顔を上げた。

「いたとしても、ずっとずっと遠くにいる。わたしは……一生、藤世に会えない」

「そんなことない! わたし――わたし」

 藤世はその思いつきに縋った。

「あなたに会いに行く! いつくしの嶺まで! あなたに会いたいの……!!」

 そうだ。嶺からの使者が臨泉都まで辿り着いたように、自分もいつくしの嶺まで行けばよいのだ。

「……っ、ほんとう、に……?」

 四詩は眉間に皺を寄せ、上目遣いに藤世を見返す。

「ほんとうよ! お金を稼いで、あたたかい服を準備して、あなたに会いに行くわ! 待っていて……!!」

 じわりと四詩の顔に笑みが滲んだ。

「ん。待っている」

「やった! ねえ、口づけしてもいい?」

「えっ?」

 四詩がぼっと顔を赤らめる。

 藤世は四詩の両腕をつかみ、顔を近づける。

「わたし……あなたの、唇に、口づけしたい」

 間近な四詩の瞳を覗き込み、藤世は言い募る。

 四詩はさっと目を逸らし、もじもじと身じろぎをする。

「な、なんで」

「なんでって、あなたが好きだからよ! あなたにもっと触れたい」

「……」

「……いや?」

 四詩は口を引き結んだまま、ぶんぶんと顔を横に振った。

 藤世は嬉しさに舞い上がって、目を輝かせた。そのままぎゅっと四詩を抱き締め、間髪入れずに彼女の唇に口づけする。四詩はびくりと震えた。かさかさした四詩の唇に、ちゅ、ちゅ、となんども自分の唇を触れ合わせるうちに、藤世は腹の底から欲望が燃え上がるのを感じた。

 四詩の、もっと湿った場所に触れたい。

「……四詩、口、あけて」

「……えっ」

「お願い」

 懇願に驚いて、なにか言いたげに口をひらいた四詩に、藤世は覆いかぶさる。彼女の後頭部を両手で押さえて、唇を自分のそれでふさぐ。

「……んんっ」

 ことばにならない四詩の声に、藤世はどうしようもなく昂奮した。

 舌先で彼女の歯を押しひらき、彼女の舌をからめ取る。唾液を吸い、呑み下す。

 自分が抑えられなくなって、藤世は夢中になって舌で四詩の口のなかを犯した。

 華奢な四詩のからだが、震え、縮こまる。

「四詩、もっと力を抜いて」

「えっ、むり、だめ……っ」

「四詩……大好きよ」

「……藤世……っ」

 困惑と恐怖になのか、四詩が顔を真っ赤にして首を振るので、藤世ははっとしてわれに返った。

「……ごめんなさい、自分のことばかり押しつけて」

「う、ううんっ、違うの、いやじゃないんだ……っ」

 四詩は自分の手で自分の顔を覆った。

「……びっくりした、だけで……藤世は悪くない」

「ほんとに……?」

「ほんと。だ、から……」

 ゆっくりと手をはずし、四詩は弱々しく藤世を見返した。

「も、一回……しよ……」

 藤世は身が膨らむような歓喜を覚え、もう一度四詩に抱きついた。

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