褪せる珊瑚(二)

 こんこんと降り続く雪に、都のひとびとはおおわらわだった。

 折しも秋の収穫が終わったばかり。税として各地から集められた穀物は潤沢にあったが、周辺の農村のひとや家畜は凍り付き、街道を雪が塞いで、海路や河川についてはともかくとして、陸路の物流が完全に途絶してしまった。温泉から湧く湯は街路の積雪を防いだが、屋根には雪が積もり、ひとびとは寒さに震えた。もとより温暖で、雪など数年にいちど降るかどうかの土地柄である。

「王宮の染織司せんしょくしでひとを募っているらしい」

 臨泉都の隅、大門脇に建つちいさな旅館。火を焚いて寄り集まる旅人たちのなかで、藤世は耳をそばだてた。

「官吏も使い走りも、なにより王さまもお妃さまも、この寒さに耐える服が足りていない。腕に覚えのある人間を早急に雇いたいんだと」

 たまたま島に寄ろうとしていた交易船に乗せてもらい、藤世は島民からただひとり、大陸に渡っていたのである。もちろん、あの白銀の短剣を懐にしまったまま。島のひとびとを救いたかったし、彼らを凍り付かせたものの正体を知りたかったが、まずは生活していく金銭が必要だった。

 藤世はその場にいた商人に詳しい話を訊き、慌てて身支度をして王宮に走った。

 裾の跳ね上がった黒い甍、それを支える緑の組物、鮮やかな丹塗りの柱や壁。降りしきる雪を防ぐ笠を被った、色とりどりの衣冠の官吏が行き交う王宮のなか、染織司は、門番の言う道順通り歩いて辿り着いた場所にあった。

 はりの豪奢な彫刻に気圧されながらも、藤世は建物に飛び込んだ。

「……しろたえの島、の」

 長々と待たされてから通された広間。皺一つない深緑の上衣、整然とした襞の白い裳を着た、小柄な壮年の女性――染織司の次官である――が椅子から顔を上げた。手には藤世が島から持参した、自分で織った絹布がある。

 藤世はぎこちなく拱手の礼を執る。島では役人は税の徴収の時期にだけ滞在し、自分よりも年かさの人間が応対にあたっていたので、彼女は公的な儀礼に慣れていない。

「はい。物心つく前より、紡ぎ、染めと織りのわざを行ってまいりました」

「寒さに耐えうる衣服に必要なのはなんだと考えるか?」

 突然の下問に、藤世は一瞬身をすくめるが、身をかがめたまま話し始めた。

「生地に関して言えば、絹であれば、しぼの極めておおきいちぢみ、あるいは節糸を用いたつむぎが適していると存じます。あたたかさには空気を糸のなかに閉じ込めることが肝要とこころえます。ですので、そのような生地をなかに着て、外出着の場合はその外に目の細かい繻子しゅす綸子りんずを纏うのがよいと存じます」

「そのような豪奢な生地は、下級官吏には使えぬ」

「紡ぐ前の綿――木綿や麻の綿を生地ではさんで網の目のように縫い止めると、あたたかさがえられます。あるいは泉に集う水鳥の羽毛を集めて詰めれば、より高い効果がえられます」

 それは、夢で見た四詩の衣服そのものを思い返し、自分で想像して導き出した知見だった。

 次官は化粧気のない顔に、筆で刷いたようにさっと笑みを広げた。

「なるほど、そなたはしろたえの島の者、かの大陸一の染織の島の娘だ」

「それがわが誉れにて!」

 藤世もにこにこと笑った。

 採用の証に、藤世にはすぐさま黄の帯が与えられた。本来は同じ色の上っ張りが染織司の下働きの制服なのだが、それに宛てる生地すら不足しているという。

「……そなたには、沈渓妃様のお召し物を織ってもらいたい」

 次官に連れられ、工房に入る。ずらりと並んだはたに、数十人の工人が向かっている。が滑る音、おさが横糸を打ち込む音。耳馴染んだ音を久しぶりに聞き、藤世は全身が総毛立った。都の中枢、この国一番の染織匠がこの場で仕事をしているのだと思うと、胸が熱くなるような昂揚を覚えた。

「どのような糸で……?」

「……これだ」

 次官がおおきな袋を解くと、たくさんのかせにかけられた糸が現れた。むっと獣のにおいが立ち込めて、藤世は一瞬、夢で感じた獣脂のランプのにおいを思い出した。

 色は薄茶から黒への濃淡。そっと触れると、絹のようになめらかなものもあれば、きぬたを打つ前の麻のようにちくちくする糸もある。

「……北の嶺より、緊急で届けられた。羊という獣の毛から紡いだという糸だ」

「北の嶺……?」

「雪獅子の治める地。いつくしの嶺という、はるか北の山脈から、この都の状況を察して物資が届けられたのだ。北の人間にとっては、雪に塞がれた街道を行くことなど、造作もなかったらしい」

「獣の毛など……織ったことがございませぬ……」

 次官はわずかに首をかしげた。

「できぬか?」

 藤世は弾かれたように顔を上げる。

 いつくしの嶺――四詩の住む地から届けられた、羊毛の糸。

 それに取り組めば、彼女に――四詩に近づけるような気がして、藤世は次官を見つめ返した。

「やってみます……!!」

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